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孕ませ神殿売春
「……<婚姻と出産の守護女神>の巫女が……?」
副巫女長の報告に、私は眉根を寄せた。
「巫女長様に、会談を申し出ています」
「何ゆえに?」
「それが、お会いして直接お話したい、と。――余人には話せない、とも」
イリア、神殿随一の豊満な胸乳を持つ売春巫女は、帝国への敵意をかくさずに答えた。
この街生粋の人間である彼女は、この街の支配者である帝国に対して、もともと良い感情を持っていない。
いや、帝国に対する彼女の心理には、若い頃の事情などがあって、彼女自身も意識はしていない部分があるのだが、
今回の憤りには、理由がないわけでもない。
なんといっても、イリアは神殿内で私に次ぐ地位にある巫女だ。
それが応対に出て、「貴女には、お話しできない」と言われたのなら頭にくるだろう。
ましてや、その相手――異教の巫女が、イリアが産んだ娘とたいして年齢が変わらぬ少女ときては。
「……アドレナ、と言いましたね、その娘……」
「はい」
「その名前、聞いたことがあります。乙女の身でありながらすでに稀代の霊力を持った巫女と……」
<婚姻と出産の守護女神>の巫女は、実は「巫女」でいる間は、その力は弱い。
多くの女神と同じく、その真の恩寵は、経産婦にこそ与えられる。
そして、力の源は、巫女の夫になる男が供給する。
夫の寵愛と精を子宮にたっぷりと受け、新しい命をはぐくむことによって、
女たちは、はじめてその霊力を開花させるのだ。
かの女神の神殿では、巫女は、人の妻となると、「誰それの妻」と呼称され、「巫女」とは呼ばれなくなる。
むろん、それによって女神への信仰を失ったわけではない。
それどころか彼女たちは、配偶者と交わり子を産むことで、成熟し、安定し、より強固な信仰と霊力を得る。
彼女たちは、単に公式の場で「巫女」と呼ばれなくなっただけで、神殿の籍は保持したままであるし、
必要ならば、「既婚巫女」として、儀式などに加わることが出来る。
教団内で真に高い地位にある女――幹部や教師役は、みな、こうした「巫女」ではない女だ。
かの女神にとって、主力であり、最大最強のしもべとは、現役の巫女ではなく、
家庭に入り、夫と一体となった「元」巫女たちなのだ。
<婚姻と出産の守護女神>の神殿は、生娘の巫女たちを「準備段階にある存在」として育てる。
自分の力の源である配偶者と溶け合うようにして結びついた元巫女は、完全無欠の存在であり、
生娘の「巫女」たちは、いわば、蝶になる前の幼虫にすぎない。
かの女神の「巫女」と呼ばれる女に、強い力を持った者は少ない、とは、このことを指す。
だが、その中にも、例外はある。
私に面談を求めている娘も、その一人だった。
アドレナ。
その名前を持つ巫女――この少女は、疑いようもなく処女だ――は、
生娘の身で、すでに「既婚巫女」と同じだけの力を持っていると言う。
それが夫を得て成長したら、どれほどの脅威になるか──他教団の幹部の懸案事項の一つだ。
「――会いましょうか。どの道、他の選択肢はなさそうですし」
私は無理に笑顔を作りながら答えた。
「――巫女長の座を譲れ、と」
四人の来賓を迎えた私は、彼女たちの申し出に、心底あきれる思いだった。
帝国の支配者たちの横暴さはよく知っているつもりであったが、これほどまでとは予想していなかった。
異教の売春神殿、その巫女長の座を明け渡せとは──しかも処女の小娘に!
「――永久的に、と言うわけではありません。
一年ないし、二年お借りしたいと言うだけでございますわ」
返答をしたのは、乙女の横に座る交渉役の巫女だった。
その成熟した美貌を見ずとも、彼女が既婚巫女であることはわかった。
たっぷりと男の精を──それも単一の精を──吸った女は匂いで分かる。
かなりの力を持った巫女だが、それを帝都から派遣させる重要事──それは何か。
「――巫女長の座は、私どもの目的が達せられ次第、可及的速やかにお返しいたします」
「──むろん、大いなる代価を添えて……」
ことばの続きを引き取ったのは、両脇に立つ護衛役の女騎士たちだった。
私は、彼女たちの襟元の記章をちらりと眺めた。
剣ノ正四位。
槍ノ正四位。
正一位から従八位まであるという、帝国の女武官の官位には詳しくないが、
ピラミッドの頂点、すなわち正一位から従三位までの六職は、巫女で言えば大幹部にあたる。
つまりこうして「外」に出る女騎士のなかでは、彼女たちが最高位だ。
──私は、あらためて彼女たちが護衛してきた女を見つめた。
「――」
私と目が合うと、アドレナはつつましい挙措で頭を下げた。
保守的きわまりない巫女装束に身を包み、にこやかにだが一分の隙もなくこちらを見る美貌。
若い──男を知らないということ以外は、頭のてっぺんからつま先まで完璧な女がそこにいた。
「それで、ご本人はこの件について、どうお考えなのでしょうか?」
交渉役の巫女を無視して、直接問いかけてみる。
「――ウルスラ様のご寛容を懇願するのみでございます」
鈴を鳴らすような声が、完璧な答案を読み上げた。
賭けてもいい。
この娘は、<帝都>の神殿では、自分の代の巫女たちの総代だ。
それも成績はすべて最高評点。
でも、完璧な処女に、経験をつんだ女が叶わないか?
──私の中の対抗心が急に目を覚ました。
「と、言われましても、こちらとて出来ることとできないことがあります。
いかに我々が<帝国>に忠誠を誓う街といえど、神殿の巫女長の座を譲れとは、
あんまりなご命令ではありませぬか?」
──言いながら、私はアドレナの次のセリフをシミュレートした。
(いいえ、「命令」ではございません。――「お願い」でございます)
そう。
たっぷりと脅しを含んだ、拒否不能な「お願い」。
それに対する皮肉たっぷりな返事は、私の中で一瞬のうちに組み立てられた。
何度も修羅場をくぐった年増女には、容易いことだ。
だが──
「はい。私もそう思います」
アドレナは、私の予想外の答えを口にした。
それは、交渉役の既婚巫女も、護衛の女騎士も同じだったらしく、
三人は、唖然とした顔で自分の主人を見つめた。
「――ですが、これは<帝国>のみならず、
我々がお使えするそれぞれの女神様に関わる問題でもあります。
まげて、ご容赦を──」
紙の試験の上だけならば、完璧な女は意外と多い。
だが、実地も完璧な女は少ない。――処女ならば、なおさら。
私は、その数少ない存在を見知ったようだった。
「……」
「……」
異教の巫女と私は、しばらく無言のまま見つめあった。
互いの、用心深く注意深い視線が探りあい、
──お互いが、お互いを手ごわい女だと認識した。
同時に、本当に必要でないのならば、敵対しないほうが賢明な相手だということも。
私が、肩の力をそっと抜くと、アドレナも小さく息をついた。
「……あなたに一時的に巫女長の座を譲ったとして──」
私の隣で、イリアが、びっくりしたように顔を上げた。
(仮定の話よ)
横目で流した視線で、イリアの口を封じながら私はことばを続けた。
「――貴女がたが用意できる<代価>は、どのようなものかしら?」
態度の軟化を感じ取ったのだろう、交渉役の巫女がぱっと顔を輝かせて口を開く。
「それならば、大いなる富──街の収めるべき税金の一部を永続的に免除──」
イリアが眉をしかめかける。
<帝国>の、こうした押し付けがましさ──私たちの物を奪っておきながら、
尊大にそれを「返却」してくださる──には、反発以外の何も感じない。
しかし──。
「――貴女がたの<敵>への攻撃の際の、助力、でいかがでしょうか?」
巫女のことばが終わらないうちにアドレナは別の条件を出した。
イリアが息を飲んだのを私は感じ取った。
「敵……ですか、我々の?」
「はい。私(わたくし)たちにとっても、ですが……」
うなずいたアドレナに、私は一瞬返答するのが遅れた。
「……なんのことなのかは、よくわからないけど、そうした気持ちは嬉しく思います」
「はい。出すぎた真似をいたしました。
――ご容赦を。本日は、これまでにいたしとうございます。しかし、巫女長様……」
「ウルスラ、でいいわ」
「ウルスラ様、お忘れなきようお願いいたします。
我々は、いつでも貴女さまに<協力>できる、と思いますわ」
「それは、よく覚えておきましょう」
アドレナは引き際さえもよく心得た女だった。――到底まだ処女の身とは思えない。
「……あの小娘、どこからか、かぎつけたのでしょうか」
イリアが机を指で叩きながら苛立たしい声で質問した。
「おそらくは──推測」
「……はったりだというのですか?」
「いいえ。彼女はそれが事実だと「知って」いるにちがいないわ」
「まさか──」
「生粋の帝国貴族が持つ交渉能力のひとつよ。
あの娘のご先祖は、何十代も前から、ああした交渉の中で生きてきたの。
ここに来るまでに集めた情報と私の態度だけでそれを「推測」していてもおかしくないわ」
「……」
目に恐怖に近い光を浮かべたイリアを責める気はなかった。
私とても、戒厳令を敷いた「あの事」が簡単に読まれるとは思わなかった。
「……で、その張本人たちは、どうしています?」
「誘惑されたほうなら、神殿の奥に幽閉しております。誘惑したほうは──不明です」
イリアの返事に、私は深いため息をついた。
この街の守護女神は、言うまでもなく<大地の母神>様だ。
すべての命を産み育てる大いなる女神は、慈愛をもって生殖行為をすすめる。
子を産み育てることを奨励するあまり、あまり貞節にこだわらないところが、
帝国の主神である<婚姻と出産の守護女神>とその信者には気に食わないらしいが、
親子の間から生まれたのであろうが、夫婦以外の間柄から生まれたのであろうが、
新しい命は尊重されるべきだ。
むろん、正式な夫婦の間から生まれた子供も同様に。
──セックスをして、子供を授かり、産み育てる。
人間が増えるための単純で自然な行為は、誰も否定できない。
しかし、それを否定してしまう輩も世の中には存在する。
私たちの街を襲っているのは、まさにそうした連中であった。
──先日、私たちは、一人の少年の<成人の儀>を失敗してしまった。
初体験にのぞんだ少年は、あろうことか巫女の子宮に精を放つことを拒み、
膣外射精――それも<美と性愛の女神>の一派が好む顔射――で、
初夜の七回の営みをすべて終わらせてしまった。
審査の結果、<美と性愛の女神>の邪宗派がこっそり配布している
<経典>に毒されていたことがわかったその少年は、
ただちに神殿の地下に隔離され、巫女の中でも特に「名器」で知られる者たちによって、
<再教育>を施されているが、この事件に、神殿内は騒然となった。
<美と性愛の女神>の邪宗派は、数十年前の摘発で壊滅したはずだった。
各地に残る<美と性愛の女神>信者は、妊娠や出産を奨励する<正教>だけのはずだった。
しかし、「性の快楽は、妊娠・出産よりも優先される」という教義を掲げる狂信者たちは、滅びていなかったのだ。
それがこの街で復活したことを知って、わが教団は大きなショックを受けた。
断じて、この不名誉を他の街に知られてはならない。
──その前に、邪宗派を叩きつぶす。
アドレナの「推測」はどこまで事実を知った上のことなのだろうか。
私は、あの清楚な美貌の奥にある知恵としたたかさにあらためて脅威を感じた。
「テルズの様子はどうですか?」
<成人の儀>を拒んだ少年の名をあげて問うと、タチアナ──幹部巫女の一人が答えた。
「なかなかうまくいきません。邪教の巫女が施した淫楽の術はかなり強力なようです。
昼夜問わず、名器自慢の巫女たちと交わらせていますが、
これまで一度も女性器の中へは射精しておりません。
――顔や胸や口、つまり子種を無駄にする射精行為には喜んで応じようとしますが……」
「それらの射精は、あくまでも相手への愛情表現の一種であって、
正しい性行為──子宮への射精――を存分の行った後で楽しむものよ」
「承知しております。巫女たちも、膣内射精の前には決してそれに応じない、
と少年に言い聞かせておりますが、抵抗は頑強で……」
「……それほど強力な巫女が生き残っていたとはね……」
わたしはため息をついた。
弾圧された宗教は、ときに狂気とともに優れた巫女を生み出す。
邪教とて、それは変わりがない。
「……少年の<再教育>、私も加わりましょうか?
あそこの具合なら、私もいささか自信があります。
──主人も、主人以外の殿方も、みな誉めてくれますから……」
タチアナ──人妻の身で売春続ける巫女──が提案したが、私は首を振った。
「今回に限り、貴女は適任ではないわ。不倫の楽しみは、かの邪教も積極的ですもの。
近しい方法でことを行ったら、まずいことになりかねないから……」
不承不承引き下がったタチアナを見て、私は彼女に知られないように再度ため息をついた。
この巫女は新婚の頃から──いや、そのもっと前から、ずっとこの調子だ。
彼女は、まちがいなく夫のことを深く愛している。
だが、他の男に売春をせずにはいられない。
それも、夫の知る男ならば、なおさらだ。
この間、タチアナが一晩中悶え狂うほどに乱れた売春の相手は、
彼女の夫が、弟のように可愛がっている近所の青年だった。
テルズは──彼女の夫がヨチヨチ歩きのころから見知っている少年だ。
タチアナは、全力を持って春をひさぐだろう。
少年が、邪教の戒めを破られ、人妻巫女の子宮に夫以外の精液を流し込む確率は高い。
だが──それでは、少年は邪教に心を奪われたままで<成人>しかねなかった。
私が小さく頭を振ったとき、部屋の中に若い巫女が飛び込んできた。
「テルズ様が──いなくなりました!」
失神した相手の巫女たちを残して消えた少年に、私たちは青ざめた。
──この街の希望の一つが、邪悪な巫女の手に落ちたのだ。
荒い息をついて、岩山のくぼみに身を潜ませる。
手足を少しだけ休ませる。
二刻(4時間)ほど歩きずくめだ。
さすが息があがってきたが、驚くほど疲労感は少ない。
極度の興奮状態にあるのと、エレーナさんから借りた腕輪のおかげだ。
エレーナさんの魔力はすごい。
格好だけは巫女のふりをしている神殿の売女どもとは比べ物にならない。
それは、エレーナさんが本物の巫女だからだ。
ほんとうの女神様の、ほんとうの教えを守っている巫女だからだ。
──<美と性愛の女神>の「真流」に仕えるエレーナさんは、
人間が神を模して作られ、英雄から神となる可能性すらある万物の霊長であることを僕に教えてくれた。
そしてそれは、獣や鳥や魚や、つまり他の動物とはっきり区別が付く証があることも。
そう。
──人間には愛がある。
人の交わりは、ケダモノのように、ただ子を為すための下賎な行為ではないんだ。
女神様から与えられた「愛」を確かめあう、特別な儀式。
だから、性器同士の交わりはしてもいいのだけど、女の人の膣に射精をするのはダメ。
それでは赤ちゃんが出来ちゃうから、獣の交尾と変わりがない。
もっともっと純粋に──女神様と同じように相手の人を愛おしむための性行為は、
交わった後、子種を無駄にすることから始まるんだ。
女の人を「子を産ませる道具」扱いしないで、ひとりの人間として愛しぬく。
それはセックスから生殖行為を切り離した交わりをすることによって為される。
だから、男の子は子種を女の人の膣以外の場所に放たなければならない。
──それを続けることで人の愛は純化されて、女神様の愛にどんどん近づき、
やがて神の領域に達する人間があらわれるだろう。
エレーナさんから教えてもらった<美と性愛の女神>様の愛の教義とは、そうした真理を指し示していた。
──だから、僕が売春神殿の売女どもの胎内に子種を放たなかったのはいいことなんだ。
あの巫女もどきたちに、人間らしく愛し合う方法を教えてあげたことにもなる。
……僕の未熟のせいで、彼女たちを「改心」させるまでにはいたらなかったけど。
──顔をしかめる。
僕が神殿を脱出しようとしたときに、
僕の足にすがり付いて引きとめようとした巫女たちのことを思い出したからだ。
それまで、僕と交わり、その膣内に子種を収めようとしていた娘たちに対して、
僕は強く乱暴を働くつもりはなかった。
でもエレーナさんから借りた腕輪は強力すぎて、力を解放したときの光で、
巫女たちが、少し──部屋の端っこまで──吹き飛んで壁に身体をぶつけてしまった。
彼女たちは無知蒙昧で、石頭──つまりケダモノに近い──なだけで、罪人なわけではない。
ああ、いや、ちがうや。
エレーナさんが言うには、そういう人のうち、どうしても「改心」できない人は、
もう生まれつき、女神様に近づくことができない種なので、
女神様や正しい愛の教義のためならば、場合によってはひどいことをしてもいいんだって。
……だけど、僕はそんなのはいやだな。
エレーナさんがまちがったことを言うはずはないんだけど、この部分だけはどうも納得できない。
でも考えてみれば、僕は、女神の使徒としては未熟もいいところだし、
相手がまちがった教えに身を染めていても、
そこから「改心」することができる人と出来ない人の区別が付くわけじゃない。
僕が何度言っても頑として譲らなかった巫女たちも、
エレーナさんみたいな力のある本当の神官にお説教をしてもらえば、きっと「改心」できるんだろう。
──きっと、エレーナさんが言う「ひどいことをしてもいい相手」というのは、
あの巫女たちじゃなくて、他にいるに違いない。
地の果てとか、地獄の底とかに、もっともっと無知蒙昧で石頭で、僕にもはっきり分かるくらいに。
うん。
だから、部屋の扉を壊して出て行く前に、うめいている彼女たちが
骨折とかひどい怪我をしていないことを確かめて、ベッドに横たえてきたことにまちがいはないだろう。
彼女たちも、いつか「改心」して、<美と性愛の女神>様にお仕えする日が来る。
そのために、僕は囚われの身を脱して、エレーナさんのもとへ向かっているのだ。
僕は、エレーナさんに女神様の教義をもっと深く教わって、あの街に帰り、
巫女たちを正しい道に導くだけの力を身に付ける未来を想像してわくわくした。
だから、短い休憩をしただけで、あとは岩山の奥にあるエレーナさんの「秘密の神殿」まで一気に駆け上った。
「お帰りなさい──しばらく見ないうちにずいぶん逞しくなったのね、さすが男の子」
エレーナさんは、僕を見て、にっこりと微笑んだ。
真っ赤な口紅が、蟲惑的に映える。
その唇がごく自然な様子で僕のそれに吸い寄せられる。
長いキスは、あるいはほんの一時だったかも知れない。
唾液が白い糸になって伸びる。
それが切れるまでの時間でさえはかれなくなるくらいに、僕はくらくらとしてしまうから。
エレーナさんの周りで互いの愛のパートナーと戯れていたほかの神官たちが、
その様子をにこやかに眺め、軽く挨拶をしてから去っていった。
絨毯を敷いた広間に戻り、愛の交わりを再開する。
嬌声とあえぎ声が満ち、入り口で抱擁しあう僕らの耳にも聞こえた。
「あ、信者さん、増えた……?」
たしか、エレーナさんの部下たち──妖艶な巫女さんの何人かは、僕がとらわれる前は、
パートナーがいなかったはずだけど、今は、全員が愛する相手をみつけている。
「ええ。皆が本当の愛を知り始めたところよ」
エレーナさんは、にっこりと笑った。
巫女さんたちも、増えたようだ。知らない顔が混じっている。
男の人たちは、みな見たことがない。僕の街の人間ではないらしい。
だけど、僕は詮索しなかった。
どこの誰が相手であっても、そんなことは小さなことだと教えられているから。
それに、微笑んだエレーナさんが僕の髪を梳きながら声を掛けてくれたので、
ぼくの関心はそっちのほうにひきつけられたから。
「いい子ね。――よくあの神殿から抜け出させたこと……」
「エレーナさんから借りた腕輪があったから……」
僕は、宝石のついた金の腕輪を外そうとした。
「……返さなくていいわ、それ。しばらくあなたが持っていなさい」
エレーナさんはそれをそっと押しとどめてささやいた。
「え、でも……」
先ほど使ったときの力を思うと、きっとこれはものすごく貴重な魔法の品のはずだ。
「……いいの。あなたが持っていなさい。私には必要ないから」
くすりと笑ったエレーナさんの美しさを見て、この人が強力な巫女だということを思いだす。
きちんと力を持った神官は、こんな品に頼らなくてもいいんだ、と思い直して
僕は腕輪を外すことを思いとどまった。
「エレーナさん……」
「ふふふ。また私と愛を交わしたいの? いいわ。そろそろお客も来るころだし……」
「え、お客……?」
「いいのよ、あなたは気にしなくても……」
エレーナさんは、僕のズボンの前にそろりと手を這わした。
服の上から、あの部分を優しくなでる。
それだけで僕は、身体じゅうが雷に打たれたかのようにびくんっ、と反応した。
「ふふふ、元気ね。ねえ、テルズ。売女たちの神殿にとらわれてから何度精をもらしたの?」
「い、一度ももらしてないよ、エレーナさん……。
……ケダモノみたいに、子作りのために浪費なんか……しなかった…よっ!」
どんどん荒くなっていく呼吸の合間にそう答えると、エレーナさんは目を見張り、
それからゆっくりと優しく微笑んだ。
「そう。いい子ね、さすが私のテルズ。あなたを見込んだのは、やっぱり間違いじゃなかったわ。
女神様の教えをちょっと受けただけで、もう売女たちの誘惑にも耐えられる力を身に付けたのですもの」
エレーナさんの感嘆のことばに、僕は誇らしくなった。
「うふふ。……それじゃあ、テルズのここには、ずっと子種が溜まったままなのね?」
「うん。あの日、エレーナさんと交わってから、ずっと……」
「まあ」
エレーナさんは片手で僕の前をさすりながら、もう片方の手で口元を覆って驚いてみせた。
「そんなに我慢したの、テルズ。――女神様と私のために?」
「うん。女神様と、エレーナさんのために……!」
「ああ、愛しているわ、テルズ……」
弟子を誇りに思う師匠の笑み。
いや、口にしたそのことばの通り、エレーナさんは僕を男として愛おしく思ってくれている。
「ああ……」
あまりの嬉しさに、僕はため息をついた。
「ふふ。交わりましょう、テルズ。愛をかわして女神様に捧げましょう」
「うん……<美と性愛の女神>様に、僕らの愛を……」
「<美と性愛の女神>様に、私たちの愛を……」
もう一度口付けをしながら、エレーヌさんは、器用に僕のズボンを脱がせていく。
跳ねるように飛び出した僕の男根は、天を指してそそり立った。
「ふふ、すごいわ、テルズ。あなたの中に濃ぉい子種が溜まっているのが匂いだけでわかる」
くすくすと笑ったエレーナさんは、白い手でそれを掴んだ。
「あううっ……」
思わず声がもれてしまう。
神殿の売春巫女たちが五人がかりで責めてきても、全然大丈夫だったのに、
エレーナさんに触れられるだけで、もうこんなになってしまうのは、
──エレーナさんが本当に僕のことを愛しているからだ。
人間の本当の愛情――女神様に通じる本当の意味での愛のもとに。
「テルズったら、おち×ちん、ほんとにビンビン……そんなに私としたかったのね」
「うん、エレーナさんとしたくて、僕、どんな巫女の中にも出さなかったよ……」
「嬉しいわ、テルズ。じゃあ、私がその精を全部受け止めてあげる。
膣の中以外だったら、私の体のどこに出してもいいわよ」
「そんなっ……。膣の中なんてケダモノの場所には最初から出すつもりはないよ!」
「うふふ。そうだったわね。――あなたは未来の<美と性愛の女神>様の神官。
久しぶりにあらわれる男の神官になる男の子ですもの。
じゃあ、私の可愛い神官見習いさん。その子種、私を通じて女神様に捧げなさい」
「――喜んで!!」
エレーナさんの手は、白くて柔らかくて巧みだった。
それが僕の男根を包む。
手の中に、なにか他の小動物がいるのではないかと思うくらいによく動く手に、
僕は声を上げてうめいてしまった。
「まあ、私のテルズったら。これだけでいったらダメよ」
エレーナさんはいたずらっぽく笑うと、神官衣の前をはだけた。
着やせするたちなのか、ものすごい量感の胸乳がこぼれる。
膝を付いたエレーナさんは、その白くて柔らかいおっぱいの谷間に僕のものを挟んだ。
「うわ……」
象牙や大理石よりもなめらかな肌は、ひいやりとしていて、火を噴きそうに熱い僕の男根をやさしく刺激する。
「素敵よ、テルズ。しばらく見ないうちにまたおち×ちんが大きくなったのじゃないの?
ほら、やっぱり。――私の胸に包んでも、先っぽが丸々出るくらいに成長しているわ。
堅さも増したみたい。ねえ、逞しいところ――私にもっとよく確かめさせて」
目を細めて僕の物を褒めたたえたエレーナさんは、その美貌をかたむけた。
赤い唇を僕の先端に近づける。
口付けの音はとても扇情的で、僕の頭をしびれさせた。
「ふふふ」
エレーナさんが唇を開く。
ぬめぬめした粘膜の海が僕の性器の先っぽを包んだ。
「はあうっ……!」
脳天まで駆け上る歓喜に僕は身もだえした。
ちろり。
一旦口を離したエレーナさんが舌を這わす。
おち×ちんの先の、張り出した縁(ふち)の部分をゆっくりと舌先でなぞっていく。
僕はダンスを躍るように身をくねらせたけど、腰に回したエレーナさんの腕のおかげで
大きな動きができず、ただその快楽を受け入れるしかない。
「え、エレーナ…さんっ……!」
「ふふ。もういってしまいそう? ――我慢しなくてもいいのよ。
あなたの私への想い、形にして見せてちょうだいな」
ふうっ、と甘い吐息を吹きかけながらエレーナさんはささやき、
もう一度僕のおち×ちんを咥えた。
唇の輪で、優しくしごき上げる。
僕のおち×ちんがびくびくっと震えて……。
──エレーナさんは、最後の瞬間、尿道口をちゅっと軽く吸い立てた。
「うわあっ!!」
僕が足をがくがくさせながら子種を放つ。
射精の瞬間、口を離したエレーナさんは、僕のほとばしりを顔で受けた。
楽しそうに、嬉しそうに笑う、美貌に。
女の人が一番大切に扱う、美の源に。
それを、男の人の子種で穢(けが)す。――いや、清める。
子種と性交は、そのとき、子作りというケダモノの行為から解き放たれ、
純粋に美と性愛に捧げられるものに昇華する。
──それが、<美と性愛の女神>様の「真流」の巫女さんたちが進める、
「一番女神様の御心に近づきやすい性交方法」だった。
「ああ……」
吐息がもれる。二人の口から。
「とっても熱いわ、テルズの子種。――それも、こんなにどろどろ……」
うっとりとした表情で僕を見上げるエレーナさんの顔は、
僕の放った精液でぬるぬると輝いていた。
どろり、とエレーナさんの象牙色の頬を、僕の精液が伝う。
唇の端を通り抜けようとするそれを、エレーナさんは赤い舌で舐め取った。
「ふふふ。舌で味わうと、よけいに濃さがわかるわ。
あなたの精液、とってもおいしいわよ、テルズ……」
蕩けそうな笑顔で誉めてくれるエレーナさんに、僕は真っ赤になった。
「え、エレーナさんっ……!」
僕は思わず覆いかぶさるようにエレーナさんに抱きつこうとした。
だけど──。
「ごめんね。<お客さん>が来たようよ──」
エレーナさんは笑顔を崩さず立ち上がった。
「え……?」
「――今、入り口まで来た。十、十一、……十二人か、妥当な数ね。
ちょっと私の力を見くびりすぎのようだけど……」
僕の精液をぬぐいもせず微笑むエレーナさんに魅入られてた僕は、
エレーナさんのことばを反芻して、愕然と振り向いた。
「え、エレーナさん、<お客>って、まさか……」
「ええ。そうよ。あなたを追ってきた<大地の母神>の巫女たち」
「そんなっ、僕、誰もついてきてないのを確認して……!」
「ふふふ、腕輪にこめておいた私の魔力を探知してきたのよ。
──心配しなくていいわ。私が招いたのですもの。――ここで返り討ちにするために!」
エレーナさんはぱっと神官衣をはだけた。
前を全開にした神官衣は、エレーナさんの大事な部分。
大きな胸や、白いお腹や、黒々とした飾り毛や、あそこまで何一つ隠していなかった。
──これが、<美と性愛の女神>様の巫女の、正装。
儀式の時──あるいは戦いの時の装束の着方だ。
「!!」
そのことに思い至った僕がたちすくんだ瞬間、神殿の秘密の扉が大きな音を立てて開いた。
「――ここねっ!」
ぱっと飛び込んで丸い陣を組んだのは──僕の街の巫女たちだった。
ふだんは優しそうな女の人たちが、今はきりりと目を吊り上げてこちらを、
──いや、エレーナさんを睨んでいる。
「<美と性愛の女神>の信者──の、異端者。追い詰めたわよ」
中央に立つ、ひときわ美しい巫女が宣言した。
「――ようこそ、愚かなる女神の、愚かなる僕(しもべ)ども。
また我ら真の神の僕から奪いにきたか、略奪にきたか」
「いいえ。ただ、私たちの街の男の子を一人返しに貰いにきただけ」
「ふふ、この子は、もう私のもの。お前たちのものではないわ」
「――その子は、まだ誰のものでもないわ。
強いて言えば、両親と街のもの。──まだ成人の儀式が終わっていないのですもの。
だから、街を代表して私たちが取り返しに来ました」
「ほほ、巫女長自らお出ましとは、<大地の母神>の神殿にはろくな女がいないのね」
口元に手の甲をあてて笑うエレーナさんに、
売春神殿の巫女長――たしか、ウルスラという名前だ──はこちらも微笑んでこたえた。
「前反乱の生き残り──百歳の魔女巫女には相応の力を持って対抗しなくてはならないわ」
「え……」
ウルスラ巫女長のことばに、僕は驚いた。
ちらりとエレーナさんを見る。
エレーナさんは、笑うのをやめて、ウルスラ巫女長を睨みつけていた。
「……よく調べたこと」
「この街の巫女長を二人も死に追いやった女の名は、忘れられることがないわ」
「――なら、お前が三人目になるがいいっ!!」
エレーナさんはすばやく腕をあげて振り下ろした。
赤い炎が吹き上がり、巫女たちを覆う。
しかし、それは、丸い輪になった巫女たちの側で弾き返された。
「よく防いだ。だが──本番はこれからよ!」
エレーナさんの哄笑とともに、今まで広間で交わっていた人たちが入り口へ殺到した。
<美と性愛の女神>様の巫女たちと、そのパートナーたちが、全裸のまま
<大地の母神>の巫女たちに襲いかかる。
激しい、だけど、まるで理性をなくしたケダモノのようなその勢いに、僕は呆然とした。
「この人たちはっ!! ――あなた、死人まで利用するのっ!?」
ウルスラ巫女長が、叫んだ。
「え……?」
「テルズ、売女のことばに耳をかたむけるのはおよしなさい」
静かな、だけど逆らえないくらい厳しい声
──はじめて聞くようなエレーナさんの声に、僕は身をすくませた。
「――安らぎを破られし者よ、大地の女神の腕に還れ!」
「――再び女神の子宮に宿る日まで、しばしのまどろみに身をゆだねよ!」
「――新しき肉を受ける時のために、今は古き土へと帰れ!」
<大地の母神>の巫女たちは、次々に祝詞(のりと)を唱えながら手に持った錫杖を振りかざした。
そのたびに──。
<美と性愛の女神>の巫女やそのパートナーたちの裸身がぐずぐずと崩れて行く。
大きなおっぱいが砕け、土色の腐肉に変り、
熟れきったお尻が解けて、青黒い腐汁をしたたらせる。
妖艶な美貌が、白い頬骨と歯をむき出しにした骸骨に変った。
だけど、生ける屍と化した巫女たちは、ひるむことなく生ける巫女たちに襲い掛かった。
巫女たちは、祝詞の声を張り上げ、さらに巫女たちを解き崩そうとするが、
その途中で掴まれ、殴られ、噛み付かれて倒れていくものも多かった。
その阿鼻叫喚に、僕は悲鳴を上げた。
「――エレーナさん、これはっ……!」
「――ふふ、十二人のうち、四人が残ったか。なかなかやる。
だけど、こちらにはまだ切り札が残っているわよ」
エレーナさんは、もう僕を見ていなかった。
いや。
僕のほうを向いたエレーナさんは、僕の知るエレーナさんじゃなかった。
優しく、正しい愛の道を教えてくれた女(ひと)は、
僕を地べたの石ころを見るような目で眺めた。
そう、――誰かの頭をかち割るのに便利な道具として見る目で……。
「……テルズっ! 逃げなさいっ!!」
ウルスラ巫女長の悲鳴が聞こえたけど、それより先に、
エレーナさんが何かを呟いて僕に指を突きつけるほうが早かった。
僕の左手首にはまった腕輪が、赤い、いやな色の光を放ち──僕は気を失った。
自分が、なにか、――とても嫌な「なにか」に変化していくのを五感に感じながら……。
邪教の巫女の法術によって、テルズが蒼黒い光に包まれるのを、私は呆然と見やった。
その禍々しい教義ゆえに世から追われた邪宗は、
時として非人道的な手段を取ることもいとわない。
それは、若い巫女たちに他宗の知識を教えるときに語りもして、
私自身、十分に熟知しているつもりだった。
だが、ここまでするとは。
死人を生者に見せかけて操り、手駒にすることでさえ女神への冒涜だというのに、
生者を──しかも年端も行かぬ、成人前の男の子を「人外のもの」に変えるとは!
そう。
エレーナと名乗った邪教の巫女は、テルズをおぞましい獣へと変えた。
蒼黒い毛皮の、大きな牙と爪をもつ獣人へと──。
「ふふ、この子は、<自分が獣になる>ことを何より畏れ、嫌悪していた。
その心の闇が、わが術に力をもたらす──お行き! あの腐れ売女どもを食い殺すのよ!」
自分を慕っていた子供を理性のない獣にするだけに飽き足らず、殺人まで犯させようとする女――。
「……許さないわよ、エレーナ!」
錫杖を振り上げて呪(しゅ)を唱える。
──しゃん。
錫杖に取り付けられた護法具が霊力を受けて破魔の音色を鳴らす。
だがその力は、テルズを覆う鈍く暗い呪(じゅ)に遮られて霧散した。
私の祝福──呪(しゅ)が、エレーナの呪詛──呪(じゅ)に打ち負かされたのだ。
「――!!」
振り回したテルズの腕は、まるで丸太のように太い。
その一撃を受けて、死人たちの攻撃をしのいで残っていた巫女がなぎ払われた。
「ほほ、わが術がそんなもので破れると思うたか!」
百年を閲(けみ)した魔女は、嘲笑った。
人々を惑わす美貌が憎々しげに歪み、この女の本性をあらわしている。
「くっ!」
私は錫杖を構え直すと、テルズに向かい合った。
売春巫女は、体術が苦手だ。
そもそも他人を傷つける術(すべ)を訓練していないし、好まない。
春と快楽をひさぐ女は、男を癒すことが生業なのだ。
しかし、この状況ではそんなことを言ってもいられない。
私は、必死に昔のことを思い出した。
今でこそおとなしやかに振舞っているが、生娘の頃は相当なお転婆だったし、
見習い巫女時代は、神殿の衛士も勤めたものだ。
あらゆる意味で身軽だったあの頃の動きをイメージする。
──テルズが太い腕を振り回してせまってくる。
身を躱(かわ)す。
一回、二回。
思ったとおり、その動きは早いが単調だ。
見切れなくはない。
──そう思った瞬間、背後から掴みかかってくる敵がいた。
「死人(しびと)!」
私たちの祝詞によって倒されたはずの死人が、再び立ち上がっていた。
いや。
一体だけでなく、二体、三体。――倒された全ての死人が起き上がろうとしていた。
軋む骨格と硬く強張った筋肉が悲鳴を上げる。
溶けかかった腸が、脂肪が、震えながら垂れ下がる。
弾力を失って久しい皮膚が、床と自重との間でゆっくりと潰れていく。
生死の法則に背いて生者のごとく振舞おうとする屍は、
幽明境を異にする者が支払うべき代償を全て払いながら、なお立ち上がった。
「――!」
反射的に振り仰いだ先で、エレーナが酷薄な笑みを浮かべて呪詛を唱えていた。
あの呪詛がある限り、死人は何度でも蘇るということか。
私は次々に起き上がる、何十年、何百年前の巫女と村人の死体を絶望的な目で眺めた。
ちらりと入り口を確認する。
私たちを逃がさないように、死人たちの何人かが固めていた。
祝福の術を身にまとえば、突破できないこともあるまい。
エレーナが目ざとくそれを見咎め、嘲笑を浴びせる。
「ほほ、もう逃げの算段かえ? 勇ましいのは口だけか」
百歳の魔女巫女は、その美貌は変らぬが、もう口調を偽る事をやめていた。
そう。
私は、すでに自分では、エレーナに勝てないことに気がついていた。
エレーナ一人ならば、あるいは何とかすることが出来るかもしれない。
だが、死人とテルズとがいては敵わない。
──ならば、することは一つだ。
私は、後ずさりしながらテルズや死人との距離を慎重に測った。
ゆっくりと、錫杖に祝福の霊力をこめていく。
生命力を司る女神の力は、穢れた術を防ぐ力を持っている。
私に与えられた霊力によって、錫杖があたたかみを持ち始めた。
「くくく、さすがは売女。助けに来た相手も、仲間も捨てて逃げるか。──だが、させぬぞえ」
嘲笑うエレーナが、両手を広げて呪を唱えた。
死人どもが全員一斉に飛び掛る。
いや。
飛び掛ったのは、男の死人だけだ。
冷たく湿った手が、私の身体を掴む。その感触に、私は総毛立った。
錫杖を振って打とうとする。
だが、錫杖は、破魔の音色を立てなかった。
「──!!」
私は、錫杖を取り落とした。
「ほほ、霊力を篭めそこなったかえ。未熟者。その程度の力で私に歯向かおうとは……」
エレーナは、手を口元に当てて甲高い声で笑った。
開け放しになった法衣からのぞく大ぶりな乳房が、哄笑とともにぶるん、と揺れる。
男ならば、子供から老人までその肉を鷲?みにし、かぶりつきたいと思うに違いない。
毒をたっぷりと含んだ甘い蜜を滴らせるような笑みを深め、エレーナは私を指さした。
「……では、この未熟で愚かな売女に、ふさわしい罰を与えておやり!」
魔女が手を振る。
――地獄の饗宴が始まった。
陵辱は唇からだった。
かつては人間であった「それ」の顔が、今は人ではない卑しさを湛(たた)えて私の顔に近づく。
重なった。
唇を閉じて抵抗しようとするが、予想していたかのように鼻を掴まれた。
空気を求めて喘いだ。生者は呼吸をしなければならないのだ。
開けた口を待ちかねていた舌が、私の口腔へと入り込む。
死者の舌が。
ぬめぬめと冷たい肉の塊は、腐汁まじりの唾液にまみれていた。
流し込まれる。
苦い。
生者ではありえない温度と感覚に私は戦慄した。
全身に鳥肌が立つ。
──死人たちはそれを手の平で弄んだ。
乳房を、尻を。腹を、背中を。
髪と顔に手が押し付けられたとき、私は思わず悲鳴を上げた。
「ほほほ、嫌なのかえ?」
エレーナが心底嬉しそうな声で嗤った。
嫌なことを、されたくないことをするのが陵辱だ。
「ほほ、貴様は売春巫女なのであろ? ――ならば死人にも春をひさいでみよ!」
はたして、魔女はそれを命じた。
私はいい様もない嫌悪感に全身の血が凍る想いだった。
<どんな殿方にも等しく春をひさぎ、どんな精液でも等しく受け止める>
それが売春巫女の誓いであった。
人である以上、心の中の想いは違って当然だが、
どんなに未熟な巫女でも、客と寝るときはその誓い──すなわち女神様への信仰に従う。
はじめて身を任す旅人を、恋人と代わらぬ抱擁で包み、
性欲を吐き出しに来ただけの醜い男に、夫にするのと変らぬ性技で奉仕し、
見知らぬ男の種で孕む──それが売春巫女だ。
だが、死人、生亡き者は、命を紡げない。
死人の交わりは、生者のそれの真似事に過ぎず、
子種を子宮に放ってもそれは決して芽吹くことがない。
不毛の性交だ。
<大地の母神>の教えに徹底的に背く、ただの肉と腐肉の交差。
禁忌とされる性交を強要される。
私の中に、死よりも恐ろしい戦慄が走った。
「ほほ、どうした、顔が青いぞ、売女」
エレーナは、愉しくてたまらないという表情で嗤った。
邪宗の歪んだ教義のもとでは至高のものとされるのだろうか。
巫女装束を剥ぎ取られた。
死人たちも自分たちの身体を覆う襤褸を破り捨て、汚怪な男根を露出させる。
全員が勃起していた。
「ほほ、つくづく男とは業が深い──たとえ死んでも女が欲しいか。
おお、腐れた男根のくせに天を向いてそそり立っておるわ」
生者といわず死者といわず、そんな男たちを作り出す女が抜け抜けと言う。
自らが生み出した汚猥な人形に蔑みの眼差しを向けたエレーナは片手を挙げ、振り下ろした。
「よかろう。その女を存分に愉しむがいい」
その言葉を待ちかねたように、死人が私の左右の手を掴んで引き寄せる。
──握らされた。
私は、悲鳴を上げようとして、その声を飲み込んだ。
堅く強張った肉の感触は、生者のそれと変らなかった。
表面を覆おう、崩れかけた皮膚と腐汁をのぞけば。
なぜか──私の手は、自然に動いた。
何百、何千という客に施した奉仕を。
「おおお……」
左右の死人がうめいた。
息はしていないが、声を出すことは出来るらしい。
私は、自分の手の動きが、大胆になるのを自覚した。
「ほほ、どうした、――それはお前たちが嫌う生なき者ではないのかえ?
それとも、男根なら、どれでもいいのかえ?」
エレーナの言葉に、私は、身体と頭のどこかが反発するのを感じた。
「……お生憎さま。わたしは、愉しんでいるわよ。お仕事を」
猛然とわいた闘志。
こんな台詞が自分の唇から漏れるのを、私は半ば呆れながら聞いた。
言葉の中には、言った瞬間に真実に変わるものもある。
──女の唇から零れ落ちたものならば、尚更。
私は、手にした男根を強く握った。
強張りに沿って上下にこすりたてる。
ずるずると皮が動く感触さえ、――愛しかった。
まるで、包皮も剥けきっていない少年のそれを愛撫するようにしごきあげる。
中年男の死人たちのうめき声は大きくなった。
「……出したいの? 死人のくせに、生者と同じく?
こんなに大きな大人なのに、まるで皮かむりの坊やみたいに喘いでいるじゃない……」
生きている客を取るときのように、私は言葉を紡いだ。
だが、それがエレーナのような侮蔑を含んだものではなく、
男を──客を奮い立たせるための声音であったことに、私は微笑んだ。
思い切り強く、しかし思い切り優しく手を翻す。
左右の死人は、あっけなく放った。
若者もかくや、という角度でそそり立つ男根から放たれた精液は、
天井までかかるかと思うくらいに勢いが良かった。
はじめは白濁の汁が飛び、次いで黄色が、最後は紫色の粘液が後を追った。
精液と、膿と、腐汁の匂いに私はむせた。
次の男根は自分から握った。
痩せこけた老人の死体は、文字通り骨が見えるほどであった。
手指を絡めてこすりあげると、死人はおぞましい声をあげて身を捩り、
最初の二人よりも早く絶頂に達した。
量は、年が若い二人よりもたっぷりと出した。
手のひらでそれを受けた私は、それを乳房や太ももに自分からなすりつけた。
「おお、おお」
回りを取り囲んだ死人たちが一斉に男根をつき出した。
手を触れるだけで彼らは射精し、命の匂いのしない精液を浴びせかけた。
私の顔に、髪に、乳に、尻に。
「ああ……」
汚される喜びに潤んだ声が自分の唇からこぼれるのを私は遠く聞いた。
セックス──売春は好きだ。
性欲は強いと自分でも思っている。
でなければ、売春神殿の長などはやっていられない。
だが、禁忌となる死人相手にも、こうも易々とその気になれるか。
──いや。こうでもしなければ気が狂ってしまう。
官能が薄れた瞬間、凄まじい死臭が押し寄せ、私は吐き気を懸命にこらえた。
私は、無理やり言葉を紡いだ。
「死人…でも、殿方は、殿方……。
少しぐずぐず…だけど素敵なお持ち物と、多少匂うけど濃い精液を持っている…わ
こうして、ちゃんと春はひさげるし、もしかしたら…子も…産めるかも……知れないわね……。
あなたの……下僕にしておくのは、惜しい……くらいに立派よ……」
「貴様……」
エレーナの表情が消えた。
百年を生きた魔女巫女は、嬲る相手が、
あくまで自分を失わないでいることに気がついたのだ。
「嬲り尽くしてから殺そうと思ったが、気が変わった。──今、死ね」
エレーナが眇(すが)めた目で私を見下す。
──読み誤ったか。
一瞬、絶望が私を襲う。
唇の端を噛んだ。
精液の味がした。
死人は、私の顔にもたっぷりと汚液をぶちまけていた。
その顔を見たエレーナがにやり、と嗤った。
──いや、予想通りだ。
私は、エレーナがこれからするだろうことを予見しきったこと確信した。
「売女め、……貴様に、一番屈辱的な死を与えよう」
魔女は勝ち誇りながら犬でも呼ぶかのように手を叩いた。
テルズが、まさにその通りの従順さでエレーナの足元に這い蹲(つくば)る。
「お舐め」
立ったまま、傲然と腰をつき出したエレーナは、
自分の数倍もある獣が、その身を縮めて股間に口をよせたのを見下ろすと
真紅の唇に侮蔑の微笑を浮かべた。
その唇が、すぐに震えた──官能に。
びちゃびちゃ、というはしたない音は、テルズの口元からした。
舐めているのだ。
エレーナの性器を。
「ふふ、私が仕込んだだけあって童貞の癖に舌使いだけは大したもの。
──見えるかえ、売女。お前が救いにきた子供が私の下僕になりさがっている様を?」
魔女は、くぐもった声を上げた。
「ごらん。見続けるのだ。この子供が、私を喜ばせる様を。
こやつが私を法悦に導いたとき、お前の首を刎ねてくれるわ。──こやつの手で、な」
テルズに私を殺させる、という宣言に、私は身を捩ってわなないた。
──待ちに待った機会の到来に。
エレーナは、私を殺すのに、自分自身か、テルズに止めを刺させるだろう。
魔女巫女を一目見た私は、そう確信していた。
それも、テルズに止めを刺させる可能性が高い。
彼女の捻じ曲がった執念は、「救いに来た相手に殺される売女」を望むだろうから。
それならば、それに応じた策があった。
私は、右足で自分の足元を探った。
固い感触。
慎重に位置を定めて落としておいた者は、計算どおりの場所にあった。
──霊力をこめた錫杖。
私のありったけの力を封じたそれは、一度だけの奇跡を起こしてくれるはずだ。
「おおっ……おおおっ」
身を仰け反らしたエレーナが獣のように大きな声で喘ぐのを睨みながら、
私はそれを足でつかんだ。
売春巫女は、みな足指が器用だ。
男根を足で愛撫する性技は、どこの売春神殿でも知られた技だ。
弱い女の力でも、手よりも力の強い足指ならは、
男が自分の手でするのに近い強さで男根を愛撫できる。
自慰に慣れすぎて、優しい愛撫に昂ぶれない客を相手にするとき、
一番効果的なのは、足での性交だった。
「おおおおおっ!!」
エレーナが、吠えた。
テルズの舌で達したのだ。
「――お行きっ!! 売女の首を刎ねよっ!!」
女性器から、飛沫(しぶき)のように愛蜜をはねさせながら魔女が叫んだ。
──どっ!
テルズが飛び掛る。
私は右足に掴んだ錫杖を放り上げた。
それは突進してくるテルズの額の辺りにぶつかり、
──しゃん。
先ほどはわざと鳴らさなかった破魔の音が、今度はちゃんと鳴った。
それは、すなわち、私が限界までこめた霊力の全てを解放した証だった。
「ぎぐっ!!」
くぐもった奇妙な声を上げてテルズが悶えた。
私は残りの力を振りしぼって祝詞をテルズの身体にかけた。
両手は死人に押さえつけられている。
ならば──。
私は、足を振り上げた。
錫杖を放り投げた器用な足指は、テルズの獣のたてがみをうまく掴んだ。
いや。
私の足指の中で、それは見る見るうちに髪の毛
──つややかで柔らかい子供の髪の毛に戻っていく。
よろけ、一歩踏み出すテルズを引き寄せ、身を捩って振り、
その背中を思いっきり蹴り飛ばす。
少年の意識のない身体は、私の最後の祝詞に守られ、
死人を押しのけ、転がるようにして戸口から放り出された。
あとは、<神殿>に突入するときに二人だけ外に残した巫女が、
なんとかして逃げ延びさせてくれるだろう。
――エレーナが、霊力を使い果たした私を嬲り殺す間に。
「……貴様。……最初から……テルズを……」
エレーナは、呆然とした表情で私を眺めた。
「ふふ。思ったとおり、貴女が死人を操れる<領域>は、この<神殿>内だけだったようね」
テルズが消えた戸口に駆け出して行く死人はいなかった。
エレーナも、それを命じない。
いや、命じることが出来ないのだ。
死者に偽りの生を与える術はひどく困難なのだ。
一体二体ならともかく、これほどまでに大勢の死者を操るのは、
儀式によって霊力を高めた<領域>の中でなければ不可能だった。
「貴女が、自分一人で復讐と人々の堕落を考える女でなければ、
これはうまくいかない戦術だった。
だれかもう一人でも、貴女が信じる生身の仲間がいたら、負けていたのは私のほうよ」
「何を世迷いごとを――。負けているのは貴様のほうじゃ!」
魔女はわめいた。
驕慢な魔女が唾を飛ばさんばかりの勢いで叫ぶのを、私は微笑して見つめた。
「いいえ、私の勝ちよ。――言ったでしょう、私はあの子を取り戻しにきたの。
たとえ、私が今から殺されても、テルズが戻れば、私の勝ち」
「この売女ァァァ!」
怒りの声は裏返り、空虚な神殿内に響き渡った。
その姿は、到底、若く美しい女には見えない。
世の摂理に逆らって、姿を偽る魔女の本性がむき出しになっていた。
「――死ネェェェェェッ!」
そのことばは、声ではなく、脳に直接響いた。
――血が、汚液に変わるような恐怖と嫌悪感。
内臓が反転するような感覚に、両手の自由を奪われた私は
口元を押さえることすらできず、嘔吐した。
込み上げてくる吐瀉物の中に、奇怪な蟲でも混じっているような感覚。
──人間、生きていれば「死にたい」と思ったことは何度でもあるだろう。
だが、今の私ほどそれを強く感じた人間はいるまい。
生きながら屍になっていくような感覚。
いや。
エレーナは、私を生ける死人に変えようとしているのだ。
それも死体に術を掛けるのではなく、生きたままで。
髪の毛がごっそりと抜け落ちた。
皮膚が弛み、溶け、ずるりと垂れ下がる。
肉は骨から剥がれ、筋は千切れて行く。
痛い。
苦しい。
何よりも恐ろしいことに、それを感じる意識は途絶えなかった。
文字通り、地獄の苦しみが襲い掛かる。
私は、自殺を禁じる<大地の母神>の巫女であることさえ恨んだ。
「――っ!!!」
エレーナが何かを叫び、私を指さして詰め寄ろうとする。
狂うことさえ出来ずに、さらなる拷問を私の屍が受けようとしたその時。
――それは起こった。
(大丈夫。いま、治します)
「え――?」
耳元で誰かがささやく声が聞こえた瞬間、
不意に、私は自分の身が軽くなったのを感じた。
膿み崩れはじめた身体に血が通い、体温が戻る。
解け崩れた肌に水気と張りが戻る。
肉は骨の元に戻り、髪の毛さえも再び私の頭を覆った。
温かい力が満ち溢れる。
原初の生命力。
左右の死人たちが溶けるように崩れ落ち、私は一人で立った。
驚愕の表情を浮かべるエレーナに対して、何をすればいいのかは、
私を包み、耳元でささやく霊気が教えてくれた。
流れに導かれるように、手を伸ばす。
身を翻して逃げようとするエレーナを、それは的確に捉えた。
「――!!!」
目には見えない何かに縛られたエレーナは、聞き取ることが出来ない悲鳴をあげ、
じたばたともがいたが、その姿は薄らぎ、やがて――消え去った。
私に力を与えていた何かが、満足げに去って行こうとする。
その力が完全に消える前に、私は──なぜか呪を小さく呟いていた。
「……お見事ですな」
「……<大地母神>の巫女のお力、これ程の物とは……」
注意深く<神殿>内を探り、
全てが終わったことを確認して戻ってきた女騎士たちが、私に感嘆の声を浴びせる。
私が、いや、私に力を貸してくれた何者かがエレーナを倒したすぐ後に、
<婚姻と出産の守護女神>の女騎士たちが駆けつけてきた。
交渉役の巫女の指示で加勢にやって来たと言う彼女たちは、
戦いがすでに終わっていたことに対して驚き、また大いに恥じた。
そして、倒れこむようにして座っている私の代わりに、
私の部下たちを介抱し、<神殿>の中を清め、様々な事後処理を行ってくれた。
「あの魔女めは、我々にとっても怨敵でした」
「どれほどの騎士があやつにやられたものか!」
「――それを完全に滅ぼすとは……」
「――まさに、女神のお力の賜物でしょうな……」
二人の瞳に浮かんだ真摯な色を見て、私は小さくため息をついた。
──冗談ではない。
本当の私は、魔女エレーナを滅ぼすどころか、自力で立ちあがることすらままならない状態だ。
私に力を貸した<彼女>は、自分の部下にもそのことを教えないつもりらしい。
現場主義の女騎士たちに、他宗の人間との応対を滑らかにさせるには、
その力を見させればよい、という判断か。
――つくづく、完璧な小娘だ。
二人の肩を借りて隠れ神殿から出た私は、街の<神殿>につくやいなや、一昼夜を眠り通した。
「あの……」
「――何?」
「……すみません……」
「そう。……自分がしたことの意味、分かった?」
「はい……多分……」
テルズは、もじもじと身をよじらせた。
悔悟の思いもあるが、今自分が置かれた状況のせいもある。
「あの、巫女長、もう行っても……いいですか?」
「駄目よ、テルズ。贖罪のために何でもする、と言ったのはあなたでしょう?
――私の湯浴みに付き合いなさい」
丸一日眠って回復した私を待っていたのは、うちひしがれた少年だった。
イリアたちの慰めも届かず、後悔と自責に身もだえするテルズに与える罰は、もう決まっていた。
だけど、その前に、少し楽しんでもいいだろう。
死人の瘴気に当てられた巫女たちも、全員無事に戻ることが出来たことでもあるし。
戦いの汚れと寝汗を洗い流す湯浴みについてくるように命じたとき、テルズは困惑した。
女の園――もっとも神殿は、どこをとっても女の園だが――に放り込まれた少年は、
裸でうろつく女たちの真っ只中で、自分の裸体を恥ずかしげに隠そうと身を縮みこませる。
ここは、神殿の大浴場。
巫女は、春をひさいだ前や後で、ここで身体を洗う。
おどおどと前を隠すテルズを、巫女たちがくすくす笑いながら指さす。
少年は、茹でたように真っ赤になった。
「ほら――こっちよ」
私は、テルズの背中を押して、幹部用の区画に連れ込んだ。
「――戦いですっかりくたびれてしまったわ。
……テルズ、私の身体を洗ってちょうだい」
ゆったりとしたスペースを独占して寝そべりながら、私はそう命令した。
少年は飛び上がらんばかりに驚いた。
「あ、あの……」
「何?」
「い、いえ……」
ごくりと唾を飲み込んだテルズは、意を決した風に私に近づいた。
「……おっぱいはもっと強く。死人の匂いが取れないわ」
「は、はいっ……」
「……お尻を避けてたら、いつまでたっても洗い終わらないわよ?」
「は、はいっ……」
恥ずかしさのあまり泣きそうな声をあげるテルズを頤使して私は身体を洗い終えた。
少年は手ぬぐいで前を隠すことも許さなかったから、
若い茎が天を突かんばかりにそそり立っている様子がちらちらと目に入ったが、
私は気付かぬふりをしてテルズの手による奉仕を受け続けた。
「――で、何かわかった?」
「え?」
不意の質問に、テルズは顔を上げてこちらを見た。
「私の身体を洗って、じゃないわよ。エレーナの神殿に行って見て、の話」
「……正直、よくわかりません。ただ……」
「ただ……」
「……エレーナさんのしたことは良くないことだと思いました。
エレーナさんの言っていることは、全部が全部まちがってはない、と今でも思います。
巫女長に言うのも……その失礼ですが……<神殿>よりも勝っている部分もたしかにあった、と思います。
でも、……死んだ人を操ったり、意思を奪ってまで、その<教義>を守らせようとするのは、
……何か、違う気がします……。うまく説明できないのですが……」
街を支配する<神殿>に大いに逆らった少年は、邪教のあぎとから逃れても、
信じた心は変わらない、強情な子だった。
──まるで誰かさんのように。
少年をとがめるかわりに、私は微笑を浮かべた。
「……上出来よ、テルズ。そこまでわかっていれば、私から何も言うことはないわ」
「え……?」
命を助けてもらった相手になんて言い草か、と言われるかと思ったテルズは
意外なことばに息を飲む。
「その答えは、あなたが自分で探しなさい」
──それは、私が自分自身に向けた言葉でもあった。
あの時。
死人に犯されかけながら、私は奇妙な感覚に襲われていた。
禁忌とされているはずの、死人との交わり。
だが、その中で、私はたしかに死人の「温もり」を感じた。
あのおぞましい、汚怪な感触は今も肌が覚えている。
だが──。
はじめはエレーナ、邪宗の巫女に対しての反発と挑発でしかなかったその行為の中で、
私の中で、確かに何かが芽生えた。
それが堕落なのか、それとも何か違うものなのか。
今の私に答えはなかった。
あるいは──。
あるいは、私の信仰は、「狭い」ものであったのかもしれない。
エレーナのように。
命を紡ぐ女神の教えは、もっと広いものなかもしれない。
死人ですら、もとは大地より産まれた者。
妄信と言っていいほどに信じた対象が崩れ去り、悩み苦しみながら
安易にそれを捨て去ることが出来ない──否、捨てない少年の姿は、私自身の姿でもあった。
だから、私は、答えを探す小さな同志に優しく微笑みかけた。
「巫女長――あの、罰は……」
微笑みかけられた少年は、もう一度、先ほどとは違う唾を飲み込みながら聞いた。
私は、両手を伸ばしておどおどとした表情を浮かべるその幼い顔を挟み込んだ。
顔を近づけ、唇を合わす。
「――今日ここで<大人>になって、この街の発展に尽くすこと。
それが、さっき決められたあなたへの罰よ」
「え……」
「そして、あなたの<成人の儀>のお相手は、私。――こんな小母さんじゃ不満?」
「え……あ、あの、いやっ!」
テルズは真っ赤になって立ちすくんだ。
動機はどうあれ、あれだけのことをしたのだ。
街の掟にしたがって<成人>することをテルズは了承していた。
しかし、罰がそれだけであることと、相手が私だということは予想もしていなかっただろう。
「私は腹帯はしていないけど、まあ、あれは私が承認して付けさせるもの。
死人に嬲られたけど、やっぱりその胤で孕むことはないし、
私はしばらくお客を取っていないから、
……今孕めばそれはあなたの子供。巫女長のお墨付きで<成人>よ。
──うふふ、これって職権濫用かしら?」
「――!!」
実際、ここ最近、少なくとも二ヶ月ほど私は客を取っていなかった。
先刻、そのことに気が付いたときと、急に身体の奥が熱くなった。
巫女長としての大仕事を終えたあとだ、久しぶりに一人の売春巫女として春をひさいでみたい。
「まだエレーナの術がテルズに残っているかもしれないから」という理由で
自ら少年の筆下ろしに名乗りを上げたのは、実はそういう思いがあった。
もちろん、同じ命題を抱えた相手に対する親近感もある。
あまりのことに言葉もない様子のテルズの慌てぶりを楽しみ、
私はもう一度少年の瞳をのぞきこんだ。
「……私と愛を交わしたくない、テルズ?」
「……か、交わしたいです」
思ったとおり、瞳の奥は、もう濁っていない。
エレーナの呪縛は完全に解けていた。
「そう、じゃ決まりね。私の身体で大人になりなさい……」
私はゆっくりとテルズの唇に自分の唇を重ねながら言った。