//1

「だからっつーのっ!!」
 俺は声を荒げて書類を叩きつける。目の前には臣従の姿勢をとる初老の男。商業ギルドの代表だ。床の上で平伏してはいるが、そこは商人。恐れ入るわけでもなく、老獪な態度で畏まったフリ。あくまで「フリ」だ。
「南域への食糧供給をもうちっと増やしてくれって。頼んでるのはそれだけだろうが。商業ギルドの米櫃が空なんてことはないだろう」
「いえ、とんでもありません。ただ、南蛮への輸送は困難を極め、最近では森賊ですか。そういった胡乱な輩も増えております。商業ギルドとしても難儀をしているのですよ」
「そんなことは判っている。警護については白鳳兵団2千、輸送手段はカダール河川の切り下ろし筏。全部この書状にて説明したはずだが」
「ずいぶん勇壮なご計画ではございますが、元老院の裁可は」
 商業ギルドの長が顔を伏せたまま尋ねる。
 糞野郎が。その裁可が取れてないから、先にあんたを口説いてるんだろうが。
「出来ないと、そういう返事か」
「いえ、滅相もありません。ただ時期尚早にて実行には困難が伴うと」
 抜け抜けと。
 俺はこめかみをさする。
 帝国の次期皇帝とはいえ18じゃ抑えも威厳もありはしない。とはいえ、まったく同じ理由で甘えることは出来ない。
 遅かれ早かれ背負わなければならない荷だ。親父がどういうつもりだかは知らんが、投げ振られた仕事。好きなようにやらせてもらう。
「コーカラ国の内乱と周辺国への戦火拡大で、南域にはいま難民が溢れている。養うためには食料が必要なんだ。それが判らんのか」
「いえ、それは判っております。しかし恐れながら、その戦禍の影響で『南蛮』は今現在大変に治安が悪くなっているのです」
 ギルド長は繰り返す。俺はあえてギルド長の『南蛮』という言葉には異を唱えない。
 唱えても仕方ないことだからだ。
 こいつの頭の中では南域は『南蛮』。そこに住むのは蛮人。何もこいつだけじゃない。平和ボケしたこの町に住む人間、石の都の外にも世界が続いているという想像力を持たぬ帝国臣民一般は、そんな認識なのだろう。
 確かに彼らの部族社会は帝国のそれと比べれば未整理かもしれない。が、しかし、彼らもまた帝国臣民だ。そしてこれからの帝国を担う人材でもあり地域でもある。
 だいたい、このバカどもはあのジャングルの森林資源、天然高山資源、そして土地。それらにどれだけの経済価値があると思っているのだ。
 帝国の未来を『南蛮』の一言で無理と決め付ける老害が。
 あの広大なジャングルを開墾するためには膨大な数の人手が必要だ。その為に地域に部族社会を構成する臣民と、そこへ今回の騒ぎで流入した難民を生かさなければならないのだ。
 おまけに、ここで難民対策を怠ってみろ。食い詰めた彼らは結局は帝国全土に散らばり、深刻な治安低下を招くだろう。そんなことも判らないのか、この阿呆は。
「……」
 噛み締めた奥歯が鳴る。
 ――俺がそれを判っているなんてことは当たり前なのだ。
 目の前にいる馬鹿にもそれを判らせないといけないのだ。
 それが俺の、次期皇帝たる東宮、鴒星(レイセイ)の役目だ。
「ええ、手前どもといたしましても元老院の裁可が取れた暁には、ギルドをあげて協力させていただく所存でして」
 ギルド長は頭を一層深く下げる。うつむいた顔で、この小僧めと舌を出しているのだろう。腰の佩刀へと指先が動きそうになるほどだ。
「くっ……」
「それでは、手前はこれで……」
 腰を上げたギルド長は好々爺然とした微笑を浮かべたまま、深く頭を下げると、女官の案内で出て行こうとする。
「あ、ギルド長様?」
 俺の後ろに控えていた内侍長が声をかける。スタイルの良い肢体を部下と同じ黒のお仕着せとレースのついた白い包で装った、眼鏡の才媛だ。
「来月の園遊会でございますが……」
「何ですかな? 内侍長」
 内侍長といえば役目はつまるところメイドの長である。東宮である俺のそば近く使えてはいるが、位は従六位といったところ。民間人でありながら貴族位に列されるギルド長からすれば格下だ。
 だが、ギルド長は皮膚の下に奇妙な緊張を走らせる。
「いえ、トルクレスト家の皆様が、新しい青磁のお披露目をすると。なんでも、南域経由で運び込まれたギルバニア産だそうでして」
「えっ……?」
「素晴らしい出来だそうですよ。帝国御用達の諾を得たいとか。後宮にもぜひ一式納めたいと申し付かっております」
 ギルド長の表情が緊張から驚愕、そして動揺へと変わっていく。
「そ、それは……」
「南方貿易もようやく軌道に乗ったのでしょうか。税のことについても新たに考えなければならぬ時期。なにとぞ、ギルドのほうでも論議をつくし、東宮の相談に乗っていただきたいものです」
 長い黒髪を頭部の後ろできっちりと丸くまとめた内侍長は、眼鏡の奥で穏やかな微笑を浮かべて、優雅に小首を傾げてみせる。
「そ、そうですな……。もちろんギルドは経済について帝を施政を補佐する助言機関でもありますゆえ」
「ええ」
 狼狽と微笑みの交差。
 しかし、それも数瞬。ギルド長は辞を告げると退去していった。


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//2

「お疲れのようですね、東宮さま」
「うっせー」
 俺は機嫌の悪いぶーたれた声を出す。指先でくるくると回してた冠布を投げ捨てて、盛大なため息。
「だっせぇし、バカだし、上手くいかねぇもんだなぁ」
 内侍長はポットから熱いお茶を注ぐと俺に差し出す。ふわりと熱く甘い香り。落ち着かせてくれる芳香だ。――ロンドの紅茶か。
「仕方ありません。それが政ですもの」
 穏やかな微笑でそっと茶菓子をすすめてくれる内侍長。その仕草があまりにも滑らかで、俺は釣られるように口に放り込んしまう。
 その甘さを感じてから、またしてもペースに乗せられそうになっていることに気がついて腹が立つ。
「つか。今の、なんですか?」
「――?」
 俺の詰問するような声に内侍長は目を細めて小首を傾げてみせる。
「今の交渉ですよ。トルクレスト家なんか引き合いに出して。次期ギルド選挙の動静をめぐった恫喝じゃないですかっつーの。おまけに税制まで引き合いに出してっ」
「うふふふ」
「『うふふふ』じゃないですよっ」
 昼寝する猫のように穏やかな微笑なんかに誤魔化されはしない。いや、実際には結構な確率で誤魔化されているとしてもだ。
「宮廷雀の噂話の一つですわ」
「それが黒いっつーの」
「あらあら。まぁまぁ。そんな、黒いだなんて……」
 どこから取り出したかハンカチで目頭をぬぐいながら泣き崩れる。うわっ。きったねー。さっきのギルド長の256倍はきったねーっ。
「いや、その。黒いっていうかっ、老獪っていうかっ」
「嗚呼っ! 東宮さまも私のことを年増だなんておっしゃるんですねっ」
 さらに泣き崩れる内侍長。女官の間で言われている噂話の愚痴をすすり泣きの合間に挟み込んで、いっそ出家などという小技まで効かせる。
「嫁ぐ先もない姥桜だとか、お局様だとかっ、先のつかえた中間管理職だとかっ」
 膝を崩して足を横に流した姿勢で、華麗なまでに泣きを入れてくる内侍長。なんという黒さだ。俺が結局は音を上げることを見切ってやがる。
 ――音なんて、上げるんだけどさ。
 べつに腹なんか立ててない。むしろ感謝してるくらいだ。
 この人を含めた数少ない味方がいなけりゃ小僧に過ぎない俺が帝国中枢に半日だって据わってられないことは良く判っている。
 だっせぇし、バカでやってられない。
 それほど腹が立つのは。
 俺自身にだ。

「れいせぇ様〜ぁ」
 沈みかけた俺を引きずり戻すような明るい声が執務室に響く。
「れぇ〜いせぇ〜ぃ様〜ぁ」
 まるでドップラー効果を引き起こすようなうねりを持った可愛らしい声が近づいて来て、その声の発生源、まだ幼い娘が俺に接触する。
 接触じゃなくて激突と云ったほうが良いだろうか。
「れいせぇ様っ」
 俺の胸に体当たりを仕掛けてきた質量がそのまま俺にしがみつく。
 まだ幼いといっていい年齢の娘だ。帝国風のどこへ出しても恥ずかしくない鮮やかな包衣には金糸の縫い取り、簪には緑石柱。その緑石柱と同じ異国情緒溢れる翠色の瞳が褐色の肌に映えて美しい。
 娘の穂をたれた小麦畑を思わせる金色の短い髪の上に、仔熊のような丸い耳が乗っている。この少女は獣牙族。――ギルド長の胸糞悪い言葉によれば『南蛮』からやってきた姫だった。
「れいせぇ様です。こんにちはです〜」
 紅鳩(ベニバト)は輝くような満面の笑みで俺に抱きついてくる。
 帝国の衣服は厚い。何重にも薄い絹を襲ねたうえに、彩り鮮やかな包衣を着るのが帝国の伝統的な宮中装束だ。
 その帝国の衣を着た紅鳩はまるで人形のようにも見えて、その実、南域にいたときの身軽さをちっとも失わない。貴婦人と同じような衣服にもかかわらず、風のように飛び跳ねては、くるくると笑い、あちこちで騒動を引き起こす。
 仕方のないやつだなと思うと苦笑めいたものがこぼれる。。
 故郷を遠く離れて帝国の中心までやってきたこの騒がしい娘は、俺の許嫁だ。正確には俺の三人いる許嫁の一人。帝国の皇室法によれば、妊娠してから婚儀によって夫婦となる。
 まぁ、俺にとってはまだまだ先の話だ。
 正直今は、毎日をどう切り抜けるかだけでいっぱいいっぱい。
 嫁だの婚儀だのを考える余裕なんてありゃしない。
 大体、婚約者だなどと云ったところで、俺が東宮になって親父が言うところの修行を開始した時に、一方的にあてがわれて宣言されただけなのだ。
 三人とも揃いも揃って問題山積み。とても甘い雰囲気になれるような関係じゃない。
 っていうか、諸悪の根源はどうしてるんだよ。
「親父……じゃねぇ。帝はなにをしてるんだ?」
 太陽の光を吸い込んで暖かくなった髪の毛を、俺の胸にこすり付けていた幼い紅鳩は顔を上げて答える。
「主上さまは、えっと、だんすぱあちーです」
「?」
 首をかしげる俺に内侍長はフォローを入れてくれる。
「ダンスパーティーだそうで。雅楽寮に粋人を集めて社交ダンスだとか……。奥様と一緒に老後の趣味を模索するのだそうです」
 糞親父。何が老後の趣味だ。ただの職場放棄じゃないか。
「奥様も大変乗り気でございました。赤のレスディア産ドレスで殿方を悩殺するとおっしゃってましたよ」
 微笑みながら詳しい解説をしてくれる内侍長には悪いが、心底げんなりする。
 母上、もうあんた50だろうっての。そんな婆さんが胸を半分出すようなドレスで何を悩殺するんだ。息子の身にもなってくれよ。
 もうだめだ。自殺したい。
「れいせぇ様、お顔に縦線ですぅ」
 紅鳩はきょとんとした顔で仔熊耳をぴょこぴょこゆらすと、小さな手で俺の頭をなでる。俺は藤の椅子に座ってるので、その膝によじ登って必死だ。
「いやね、ほんと。もう俺おしまいですわ」
「れいせぇ様、痛いの飛んでけぇ〜」
 幼い口調でのどかに祈る紅鳩。内侍長はころころと笑いながら追い討ちをかける。
「いけませんよ、紅鳩様。そこらに飛ばされると当たった人が迷惑ですから」
「ああぅ。そうだよねぇ。それじゃ、れいせぇ様の悩みが薄れて消えますようにぃ〜」
 神妙な顔でうなずくと、さらに俺の頭部をなでる紅鳩。
 いやね。
 君らいいコンビよ。
 人の話をまったく聞かないあたり。
「で、紅鳩。どうしたんだ? ……その手に持っているのは何だ?」
 俺はもう突っ込むのにも疲れて話をそらす。
 ちょうど会見が一段楽してお茶がが出るこの時間、紅鳩が乱入してくるのは珍しいことではないが、今日はどんな用事があって来たんだろう?
 まさか他の二人と共謀しての企みか? 俺はさりげなく四方を伺う。
 ――二人の姿は無いようだ。安堵の吐息をつきながら、俺は紅鳩に話の続きを促す。
「はあぅ?」
 紅鳩は片手に持っていた薄木造りの箱を見る。どうやら自分でも何の用事でやってきたのか忘れていたらしい。不思議そうに自分の手元の箱を見つめると、やがて思い出したのか、可愛らしい顔がくずれて全部口になってしまったような笑顔になる。
「れいせぇ様っ。あのね! すごいんだよ! キレイを捕まえたのっ」
 キレイを捕まえる? キレイなんて動物がいたか?
 紅鳩は膝の上で身体をくねらせてバランスのいい位置を見つけると、俺の目の前に差し出した箱をそっと開ける。
 玉手箱のように開かれた箱の中にいたのは、まるで宝石のような瑞々しい緑の輝きを持つアマガエル。
 ゲコ。
「キレイ! ね〜?」
 ゲコ。ゲコゲコ。
 ゲコゲコゲコゲコゲコゲコ。
 まるで無限増殖をしたように箱から跳ね出るアマガエル。おいおい何匹いるんだ? ぴょんぴょんと逃げ出す生まれたての宝石は、俺の執務室のそこかしこに飛び出してゆく。
 ゲコゲコゲコ。
 パニックになる女官や侍女。あちこちで悲鳴は上がるし、捕まえるために躍起になってモップを振り回すものもいる。
「紅鳩っ」
 俺はその悪戯に、さすがに紅鳩を叱ろうと眉を吊り上げる。
「れいせぇ様っ。キレイだよっ!」
 その俺に、お陽様の様な笑顔で箱を差し出す紅鳩。
 箱の中には、紫陽花の花に取り残されたようなエメラルド色のアマガエル。
「……れいせぇ、様?」
 ゲコ。
 ああ、もうまったく。
 東宮だってのに、誰一人にもかなわないのな。
 降参だ。


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//3

 深夜。
 俺は寝室にて寝返りをうっていた。
 天蓋つきの寝台は柔らかいのだが、広すぎて落ち着かない。いつもは気にならないことが夜中に目を覚ますと際限もなく気になるというあれだ。
 まいったな。
 俺は何度目になるか判らない寝返りをうつ。
 晩餐の席での口論がどこかに引っかかっているのだろうか。俺にむやみに噛み付いてくる婚約者の一人を思い出す。昔は仲良くやれていたのに。……理由や原因が判るだけにやりきれない。
 ――仕方ないよな。
 東宮となった以上、「ソレ」はすでに私事ではない。
 あちらにもあちらの気持ちがあるだろうが、こちらにもこちらの気持ちがある。その気持ちを抑えて先へ進むことが責務。課せられた使命。
 ことがことだけに、押し殺すのは難しい。
 人間はそこに人間がいれば触れ合いたい、判り合いたいと望むもの。
 ましてや俺は未熟者だ。
 自分の気持ちを隠し切ることも出来ない。しかし今すぐには無理にでも、乗り越えなくてはならぬ。
 そのための猶予時間。俺には今の関係が有難かった。
 ――きぃ。
 黒檀の扉が観音開きに開いてゆく。
 奥の暗闇から、白い影が浮かび上がってきた。
「……なにをしてるんだ? 紅鳩?」
 俺は文机の燭の灯りにうかぶ、幼い影に声をかけた。
「……きゅーり」
「……」
 何を言ってるんだ、こいつ。
 紅鳩は白い夜衣をまとっている。
 襟と袖口、裾に細い紅色のリボンをアクセントにした、上品だが子供らしい寝巻きだ。可愛らしいてるてる坊主のような格好で、自分の身長より大きそうな絹の枕を抱えて、ふらふらと揺れながら立っている。
「……うまうま。……はちみつけーきは……ひとり、いっこ」
「……」
 寝ぼけているのか。
 寝ぼけながらも蜂蜜菓子に執着するとは。子供ってのはすごいな。
「……せっか、むねー。むねー。……ばゆんばゆん?」
 どんな夢を見てるんだよ。
 俺はゆらゆらと頼りない足取りで進んでくる紅鳩に腕を差し出す。
「危ないな。ここはトイレじゃないぞ」
 呆れたようにつぶやくと、紅鳩は眠そうに目をこすりながら、それでも何とか意識を取り戻す。
「はやぁ。れいせぇ様〜」
「お目覚め。紅鳩」
 言っているそばから俺の腕の中でまどろみに落ちそうな紅鳩をゆする。
「……はやぁ? れいせぇ様〜」
「繰り返さなくて良いから」
「うぅーん。おトイレは行きました〜」
 夢見るように微笑む幼い紅鳩。小さな身体は動物のようにしなやかで、軽い。
「んじゃ、お部屋へ戻ろう。戻れるか? ……ここは紅鳩の部屋じゃないぞっつーか!?」
 紅鳩は俺の言葉なんか聴きもしないで、俺の布団の間にずるずるともぐりこむ。
「んぅ〜。ここでお休みなさいさせてください〜」
 紅鳩は身体をもぞもぞと動かして、居心地の良い布団のくぼみを作り出す。呼吸はあっという間に穏やかになっていく。
 まったく仕方ないな。
 俺は呆れたような諦めたような気分で、布団をかけると、紅鳩の隣に横たわる。
 子供らしい暖かい体温がすぐに布団を暖める。
 他人の温度か。
 俺の体温が、それと交じり合う。
 紅鳩の吐息を聞きながら、その混交を想う。
 ……経験が無いわけじゃないけれど、それは不思議な感覚だった。横になった俺に、紅鳩が擦り寄って抱きついてくる。
 こいつ、抱きつき癖があるのか。
 俺はくすぐったそうに顔をしかめる紅鳩の前髪を軽くかきあげてやる。
 まぶたに触れていたくすぐったい前髪がなくなったのが心地よいのか、紅鳩の顔が穏やかに微笑むような寝顔を見せる。聞き取れないようなむにゃむにゃという軽い呟きと共に、紅鳩は俺にしがみついて来る。
 俺は子守の経験なんか無いんだぞ。
 まったく面倒くさいことを俺のところに持ち込んでくれるなよ。
 それにしても小さいな。120あるのか、ないのか。軽く膝を曲げて、俺に抱きついてきているので、その華奢な身体の小ささが嫌でも判る。
 まいったな。俺自身には自覚は無いのだが、もし俺の寝相が悪かったらどうしよう?
 寝返りを打ったときに、紅鳩に体重をかけてしまったら潰してしまうのじゃなかろうか?
 いや、さすがに潰れるというのは無いだろうが、変な体勢で挟み込んだら腕の一本や二本は骨折させてしまうかもしれないぞ。そんな感想を持ってしまうほど、紅鳩の身体は華奢で軽やかなものだったのだ。
 だが、俺の悩みをよそに、紅鳩はすぴーすぴーと可愛らしいリズムで寝息を立てている。俺もまた、そのリズムを微笑ましい気持ちで聞いてるうちに、いつしか眠りに落ちていったのだった。


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//4

「次はお魚です〜」
 紅鳩が見るからに赤い魚の切り身を俺の小皿に取り分ける。
 もうこの城へ着て半年以上、帝国風の礼儀は身につけたのだが、浅黒い肌と異国風の金の髪、さらにはその幼い容姿のせいで、どうも人形じみた印象がぬぐえない。
 おまけにこうやって食事の世話を焼かれている様は、まるでおままごとだ。
 くすくすと笑う女官をぎろりと一瞥して、俺は口をへの字に魚をほうばる。
 うん。美味い。
 美味いが、辛いな。おまけに熱い。
 俺は水を飲みつつ魚をもう一口。
 辛味の中にいろんな野菜の味が隠れていて、なかなか美味だ。
 この料理は紅鳩の故郷のものだという。今日は朝から厨房にこもって、膳司の料理人と一緒にこれを作っていたらしい。給仕を引き連れて俺の昼食に現れると、俺の隣にべったりとくっついて世話をしているのだった。
「なかなか美味い。これは好きだな」
「れいせぇ様に好きになってもらえて、嬉し〜」
 俺の言葉に無邪気に微笑む。
 紅鳩は必死になって料理の説明をしてくれるのだが、そちらに素養の無い俺にはどうもぴんと来ない。南域の知識が欠けているせいではなく、そもそもも料理に関する知識が俺には圧倒的に欠けているのだ。
 だが紅鳩がこの料理を作るのに掛けた手間はなんとなく伝わった。
「ありがとうな」
「はぁう?」
 首をかしげる紅鳩。すぐに微笑んで、今度は小さな肉団子を浮かべたスープを勧めてくる。そのスープはさわやかな味で、なかなかに美味かった。
「まだまだ沢山あるの。れいせぇ様、いっぱい食べてね」
「うう。いや、さすがに昼からこの量は」
 パーティーでも開けそうな量に、やはり壁際で控えている女官どもからくすくす笑いが起きる。料理は悪くないが、全体としては晒し者だ。
「はぁう……」
 その言葉にちょっとだけしょぼんとした紅鳩は、すぐに気を取り直すと、持ち前の輝くような微笑を浮かべる。
「じゃぁ、でざーと!」
 取り出したのは、白と黄色が層を作った水菓子だった。夕焼けより濃い赤色のソースがとろりと載っていて、見た目も鮮やかでひんやりした感じだ。
「美味そうだな。……これはワイルドベリーか?」
 俺は尋ねる。腹はいっぱいで、正直はちきれそうなのだが、この水菓子の一個や二個なら余裕だろう。
「わィるべる?」
 聴きなれぬ言葉だったのか、紅鳩は小首をかしげる。
「いや、いいんだ。早速頂こうかな」
 正直俺だって素材当てなんか自信は無い。ワイルドベリーというのだって、たまたま俺が幼いころ散々つまみ食いしてお腹を壊したせいで覚えた小さくて赤い果実の名前なだけだ。一緒にお腹を壊した相手は、今はもう笑いかけてもくれないが。
 俺は視界の隅でスプーンを構えて瞳を輝かせる紅鳩を意識的に無視して、デザート用のスプーンを探す。俺のスプーンはどこだ?
「れいせぇ様っ」
 見当たらないな。
「れいせぇ様っ」
「なぁ、俺のデザート用のスプーンはどこだ?」
「れいせぇ様っ」
「……」
「あーん」
「……なぁ、俺のデザート用のスプーンは」
「れいせぇ様っ」
「……」
「あーん♪」
 侍女や女官の視線が痛い。
 晒しモノだなんて考えが甘かった。これじゃ公開羞恥刑だ。針のむしろだ。
 俺は救いを求めて見渡す。くそ、内侍長のヤツめ、巧みに俺の視線を避けやがって。
「れいせぇ様、あーん♪ だよ」
 だから子供は嫌いなんだっ!
 期待が裏切られるなんて露ほども思わないで安心しきった笑顔で見つめやがって。俺はもう自分の死刑判決に署名するような気持ちで口をあける。目は空ろに彷徨っていたと思う。
 俺はこれでも東宮なんだ。未来の帝だぞ! こんなんじゃ歴史上かつて無いほど威厳の無い支配者になりそうだ。
「え、あっ!? ぐぎゃらばでりばげどばぁっ!!??」
 しかし俺のそういった思考は熱量を伴った口内爆発によって断ち切られた。
 な、なんだこれは!? 眩暈がする。視界が歪む。なんだ、俺は泣いているのか!? 誰の襲撃だ!?
「ぎゃ、ぎゃぶっ!?」
 口を押さえてのた打ち回る俺を紅鳩は心配そうに覗き込む。
「びゅいずっ! びゅいずをぅっ(水、水をっ)!!」
「れいせぇ様。はぁう? あ、もうひとくち?」
「ぢびゃうっ、ぢびゃうっれ(違う、違うって!)」
「ぐぎりばげどばぁっ!!??」
 紅鳩がとろりとした水菓子を俺の口に流し込むと再び悶絶してしまう。視界が白くなっていく。思考が蒸発していく音が聞こえるほどだ。
 天に召されるほどの辛さ。この世にそんなものがあるとは想像もしなかったほどの辛さ。もはや辛さ以外の味覚の存在を許さない辛さ。神聖なほどの純粋性を持った辛さが俺を貫く。
「クウルウナナイロトウガラシなの♪」
 なんだその一子相伝の必殺拳のような物騒な名前の唐辛子は!?
 その後なんと三回もその危険なデザートを投入された俺は、ドクターストップの希望もむなしくノックダウンされるまでサンドバックのようにいたぶられ続けたのだった。


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//5

「うふふふ」
 優雅なしぐさで冷たい茶を差し出した内侍長は、小さな笑いを漏らす。
「それ以上笑うな」
 俺はふて腐れた声でぼやく。まったくひどい目にあった。
 夕食も風呂も終えて、もうそろそろ寝る時間だというのに、まだ唇が腫れて三倍の厚さを持ったように感じられる。
 今日一日の間、喋るたびに不明瞭になった自分の声とずきずきする唇がダメージが、信じられないほどの辛さを再確認させてくれたのだ。
 冷たいデザートにあそこまでの辛さを持たせるとは、まったく恐ろしい技術だ。料理だと説明されなければ、ある種の生物兵器の線を疑うところだよ。
「いえ、でも」
 ひとしきりくすくす笑いを漏らした内侍長は眼鏡の奥の瞳をほころばせて小首をかしげる。
「可愛らしいじゃありませんか。健気で」
 俺はその言葉には答えない。ただ、肩をすくめる。
「あんなに可愛らしいお姫様ですもの。鴒星様も慕われて悪い気はしないのでしょう?」
 年上らしいしっとりした声の響き。
 理解は出来るが、些細な棘が素直に頷かせてはくれない。
「……」
 その微妙な空気に目を細めていた内侍長は柔らかく微笑む。
「それでは、御用がないようでしたら、私はこれで下がらせていただきます」
「ん。遅くまで済まなかった。下がってくれ」
 俺は退出する内侍長を見送ってから、ベッドに身体を投げ出す。
 鬱屈としたものが胸にわだかまる。
 遠くから響く嫋々たる音に耳を澄ます。蒼羽宮のどこからか、かすかに笙の音がするのだ。
 その雅だがどこか物悲しい響きに心を乗せる。
 確かに悪い気はしないさ。
 子供は嫌いだが、紅鳩は悪い娘じゃない。たしかに今日の料理の件のような常識はずれなこともするけれど、それらは悪気があってしている訳じゃない。
 懐いてくれれば可愛いし、慕ってくれれば構いたくもなる。
 それはその通りさ。
 だが、本当に慕われているのかな?
 苦いものが胸に満ちる。
 紅鳩は南域最大の有力部族の族長の娘だ。南域は一応は帝国の版図となっているが、実質は帝国のコントロールを受けているとは言いがたい。独自の文化を独自の方針で維持している。それは彼らが強力な力を持っているからというよりは、帝国中枢部からの空間的な距離と交通の不便さのために長い間放置を受けていたからだ。
 しかし技術の進歩や人口増加によりその傾向も徐々に変わり始めた。
 今回の隣国内乱に端を発する難民問題も根は同一だ。
 南域は不安定な時代を迎えている。部族間の利権衝突や騒乱も起きるだろう。現にそういった報告も軍部からは受けている。
 そんな時代の流れの中で、帝国の跡継ぎである俺に召し上げられた紅鳩はいわば供物。人質、そして献上品だ。
 不快な苛立ちが手足の先を冷たくする。
 懐きもするだろう。
 この宮殿に紅鳩は一人だ。南域からは身の回りの世話をする侍女を数人しか同行を許されていない。それさえも、人質の紅鳩を見張る部族からの監視員を兼ねているのだろう。
 そしてそれ以外の全て、身の回りの全ては帝国の人間なのだ。
 この宮廷は、紅鳩が慣れ親しんだ故郷の森ではない。
 ここには紅鳩の繋がるべき頼りは、俺しかいない。
 俺がいなければ、俺に嫌われれば、紅鳩はまるで大海原に何の助けもなく放り出された小さい木の葉のようなものだろう。紅鳩は一人で何も出来ず、誰の気にも掛けられず、この冷たい宮廷の中でやがて陽の光から遮られた花のように萎むだろう。
 それならば頼りにするし、懐くし、慕いもするだろう。
 だってそれ以外にどうしようがあるというのだ?
 華美な包装で包まれていても、紅鳩は献上品だ。
 その政治的意図や効果は次期皇帝としては理解できる。
 名案だとさえ思う。
 今まで蔑視の対象となっていた『南蛮』出身の姫を正妃の一人として迎えれば、これ以上はない公平な姿勢として帝国の市民に受け入れられるだろう。南域の諸部族にも、帝国の一員としての安心感と責任を感じてもらえる。
 南域を軽んじていた貴族や豪商の視線を南域開発に向けるきっかけにもなるだろう。帝国百年の礎になる婚儀と云える計画だった。
 そんなことは政に少しでも関われば判ること。俺だってちゃんと理解できている。
 だけど。
 そう「だけど」。
 俺は未熟者なのだ。
 紅鳩は不憫だと思う。可愛そうだと思う。何とかしてやりたいとは思う。
 でも、思えば思うほど、それは俺には果てしなく高いハードルなのだ。
 俺しか選択肢が無い紅鳩に、俺は結局選択肢を与えることは出来ない。自由をあげることは出来ないのだ。
 自分と自分の部族を守るための必死のままごとに付き合うことしか、俺にはしてやれない。東宮とはなんと力の無い存在か。
 そして、その苛立ちを隠すことの出来ない俺はなんと言う未熟者か。
 まったく。
 我ながら
「かっこわりぃ……」


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//6

「ここだよっ! れいせぇ様ぁ」
 髪に引っかかった薔薇の小枝、服のあちこちに絡みつく蜘蛛の巣。
 俺は植え込みと生垣の狭い隙間を苦労して抜ける。
 まったくとんだ探検行だな。
 案内人を務める紅鳩はその小さな体格の利点を生かし、まるで野生のリスのようなすばしこさで先へ先へと俺を導く。
 なるほど、これでは護衛もついてはいけないはずだ。
 いつの間に宮殿のこんな裏道まで知り尽くしたのだろう?
 翡翠広場の噴水を抜けて、十八螺旋坂を斜めによぎる。荒れた緑青林を駆けると薔薇の生垣へ。楽しげな笑い声。精霊かと見まごうような身軽さ。
 狭く窮屈な穴倉のような薔薇の茂みの中を潜り抜けると、そこは街を見下ろす絶景だった。帝有森林の上に突き出したような崖の一角。蒼羽宮の尖塔さえも眼下に見える。
 いつの間にこんなにも上ってきたのだろう。
 だが確かに紅鳩の云ったとおり、いやそれ以上の眺めだった。
「ここなのぉ〜!」
 くるくると舞いながら微笑む紅鳩。小さな探検に息を切らすこともなく、すっかり満足の様子だった。日差しをはじく金色の髪が、まるで白い焔のように踊っている。
「ああ、すごいな」
 俺は紅鳩の頭を撫でる。
 その場所はまるで地上と空が口付けを交わす場所のように突き立った崖。俺達二人に強い風が吹いていた。
 空を白い雲が翔る。
 千切れて飛んでゆくその様は千変万化して見ている人の心を捉える。
「れいせぇ様ぁ」
 見上げてくる紅鳩の無邪気な笑顔。俺は半ば無意識に紅鳩を捕まえる。強い風とはいえ、まさか吹き飛ばされるほどではなかっただろうが、少し心配だったのだ。
 俺は紅鳩を包の胸元へ抱える。紅鳩は従順に俺に寄りかかり、俺が見ている空を同じように見上げる。
 西の空にある純白の綿菓子が、風にちぎられるように、一切れ、また一切れと渦巻きながら流されてゆくのだ。
「れいせぇ様、お空見てるの?」
「ああ。すごいな」
 俺は見上げたままつぶやいた。
 最近公務が忙しくてこんな風にただ空を見上げるなんてなかったことだ。ただ雲が流れていくだけの光景が、それだけで美しくて心に染みる。
 俺と紅鳩は、千切れては流れてゆく雲を飽きることなく眺め続ける。
 高く青い空。駆けてゆくのは白い雲。
「馬群が草原を駆け抜ける如き様だな」「お馬さんのかけっこでいっぱいなのぉ」
 俺と紅鳩は同時に同じ事を云う。
 腕の中を見下ろす俺。
 腕の中から俺を見上げる紅鳩。
 思わずこぼれた笑いが二人を結ぶ。
「れいせぇ様と同じ〜」
「ああ、同じだな」
 俺たちは笑いながら空を見上げた。少し肌寒いほどだったが、腕の中に抱えた紅鳩は温かく、楽しそうに小さく動く仔熊耳が好奇心をあらわしていて、俺には可愛らしく見えたのだ。
「れいせぇ様っ。あの子、早いねぇ〜」
 紅鳩が一片の雲のはぎれを指差して言う。その雲は上空の強い風に流されているのか、渦巻くように形を変えて東へと駆けてゆく。
「ああ、早い。あいつは名馬だな」
「うん、うんっ! 駆けっこなら一等賞だね〜」
 そんな他愛ない言葉を交わす。強い風と、白い雲。緑の木々と、足元に広がる帝都。他には何もいらない。強い風の中、寄り添う体温だけでわくわくする様なそんな時間だった。
 やがて陽はゆっくりと傾く。
 空は輝くような薔薇色と桜色のマーブルを見せる。
「……紅鳩」
「はぁう?」
 その色に照らされて、帝都も優しく染まってゆく。蒼羽宮、凱旋通り、西クタル河、大鐘楼、七つの橋と、七つの丘。俺は腕の中の紅鳩を感じながら尋ねる。
「紅鳩は、ここ、好きか?」
「……はいっ」
 明るい声。
「みんな優しくしてくれるの。ご本も沢山あるし、お布団ふかふかだし。雪加(セッカ)様も瑠璃鶲(ルリビタキ)様もキレイだよぅ。あとね、あとね。はちみつケーキっ」
 俺の腕の中で弾むような幼い身体が歌うように答えてくれる。
「そか」
 抱きしめる腕にちょっとだけ力を込める。
 その腕に、紅鳩の子供っぽいぷにぷにした頬がこすりつけられる。喉をこすりつける猫のような仕草。その柔らかい感触が切なくて、少しだけ痛い。
「れいせぇ様?」
「うん、ああ」
 紅鳩の問いかける声。
 薔薇色の夕暮れはフィナーレを迎えていた。地平線に去った馬の群れは金色の残照を運び去り、すみれ色のカーテンが藍色の夜をつれてくる。
「寒くなってくる。……帰るぞ、紅鳩」
「はいなのっ」
 じゃれ付くように腕にぶら下がってくる紅鳩。俺たちは東へと去った雲の旅団と別れて蒼羽宮へと戻っていった。


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//7

 季節がはじりじりとした速度で移っていった。
 紅鳩はあいも変わらず、あの太陽のような笑顔を振りまいて、宮廷に騒ぎを巻き起こしている。
 俺のほうはといえば、公務に忙殺されていた。
 どうも東宮の仕事というのは際限が無いらしい。何かをしようとすれば際限なく仕事が増えていくのだ。仕事が増えて、しかもそれらは伝統や慣習、既得権益でどろどろのがちがちに固定されている。ちっぽけな決め事ひとつを変更するのに、山をひとつ動かすほどの労力が必要とされることも少なくは無かった。
 逆に、手を抜いて投げ出すことを気にしなければこれほど楽な仕事も無いだろう。
 歴史ある帝国の機構と官僚組織は、俺がいなくなっても何の問題もなく帝国を運営していくことが出来る。しかし、それは腐敗の上に腐敗を塗り重ね、未来から希望を借金した上での運営だ。
 別にそれでも構わない。
 それを否定する理由は俺の中には何も無かった。
 帝国がそこまでして存在しなくてはいけない理由が地上には無いのと一緒だ。
 だが俺は意固地になって仕事にしがみつき、砕けぬ岩を砕き、掘れぬ道を掘りぬき、動かしようが無い慣習と取っ組み合いをして、毎日泥のように疲れては眠りにつく日々を過ごした。
 俺が俺に課した制約に従って。
 週に数回、紅鳩は俺の寝室に迷い込んできた。
 俺の部屋はどうやらトイレの帰り道にあるらしい。
 紅鳩付きの女官達は何をやってるんだ。
 紅鳩は白いすとんとした寝巻きに巨大な枕を抱えてふらふらと現れる。いつもの寝言じみた言葉をもぐもぐと呟くと、俺の布団にもぐりこんでくる。
 太陽の光を吸い込んだような香りに幼い甘さが混じる。
 高い体温に暖められた布団。
 紅鳩はもそもそと布団の中で細い手を動かすと、枕を探して俺に抱きついてくる。どんな夢を見ているのか、小さな仔熊耳を動かして、すんすんと鼻を鳴らしていたりする様は可愛らしい。
 懐かれているんだなと思う。
 その前髪をかきあげる。
 故郷を遠く離れて人身御供に捧げられ、その犯人一味に懐かなければ生きていけない境遇を思うと、凍ったような苛立ちが俺の手足をこわばらせた。
 眠りについた幼い笑顔が透明すぎて、床に落ちる月影が蟻の歩みよりも遅く動くのを見つめる夜もあった。
 紅鳩のしがみ付いてくる体温が心地良く思えて、
 それゆえに、そんな夜は酷く胸が軋んだ。


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//7

「ふむ」
 俺はぐるぐると肩を回しながら書類に署名を添えて決済済みの箱に突っ込んだ。
 箱の中の書類は十二束。少なく思えるかもしれないが、この箱の書類は一日三回は書司の者が運び去る。
「むぅーぅ。こんな時間か」
 執務机のお茶はすっかり冷めて、夜も更けていた。
 俺が眠らない以上、女官や侍従も眠ることは出来ない。主より早く起き、主よりも遅くまで仕事をする。帝国ではそれが召使の仕事のしきたりとされている。
 だが、それは不合理な慣習だ。人間そんなに長い間仕事をすれば集中力も落ちる。俺は俺の寝起きに関係なく、俺の身の回りの人員は三交代制を取るように指示していた。
 この時間は深夜番のものが詰めている。昼間の人員よりは少ないが不自由は感じないようになっているはずだ。
 俺は未決裁の書類をちらりと眺めると、熱い茶を頼もうと鈴を鳴らした。
 ぺらぺらと書類をめくってみる。
 ギルド間の調停。
 資源輸送の指示。
 新法案の起草書。
 近隣諸国の政情報告。
 無数にある職人組合の決算報告。
 部署ごとの人員報告と、経費の報告。
 目だったものはないがどれもこれも重要だ。……というか、まだまだ経験の浅い俺にはどれもひどく重要に思える。何か見落としてはいないかと何回も目を通すが、それでもとんでもない失敗をしやしないかと冷や汗が流れることも多い。
 親父が押し付けた仕事だ。
 そんなものは失敗しても親父の責任だ。
 そうは思っても、経験不足と未熟の悲しさ。萎縮した思考が焦りを呼ぶのを止めることが出来ない時も多い。まぁ、これでもここ半年でずいぶん慣れはしたのだ。
 最初のころは毎日が癇癪の連続だった。今では癇癪も悲嘆も物事を前に進めてはくれないと理解している。
 いや、癇癪を起こすだけの気力が擦り切れただけなのかもしれないが。

「ロンドの紅茶です。鴒星様」
 女官の一人が書類に視線を落としたままの俺に紅色の茶を差し出してくれる。俺は上の空でそれを受け取る。
「ああ、すまんな。夜遅くに」
「いえいえ」
 やわらかく落ち着いた声にふと視線を上げる。
「内侍長!? 何でこんな時間に。とっくに寝てるはずだろう?」
「それは鴒星様も一緒でしょう?」
 役職に合わせて潔癖なほど地味な装束をつけた昼間とは違い、それよりは少し砕けた、しかしやはり黒い包衣をまとった内侍長は、普段どおりの微笑を浮かべている。
「晩餐会の後、鍛冶ギルドの報告を聞いて『今日の仕事はここまでにしよう』と蔵人様にも私にもおっしゃったじゃないですか」
「あ、ああ。まぁ、そうなんだけどさ。気になる書類があるっつーか。終わらないっつーか」
 俺は頭を掻く。
 内侍長は俺の言葉には答えずにふわりと微笑むと、俺が決済済みに放り込んだ十二の書類をぺらぺらと確認していった。
 朝になれば、内務を取り仕切る蔵人や俺の詔を起草してくれる外記と俺自身の4人でもう一度確認することになる。今のところその三人が俺が完全に当てに出来る数少ない味方なのだ。
 あと6時間もすれば確認するはずの書類を、俺に数倍する早さで内侍長は読み通してゆく。穏やかな表情だが、眼鏡の奥の瞳は聡明な光を放っている。
「根を詰められましたね、鴒星様」
 そう微笑まれて、俺は肩の力が一気に抜ける。
 内侍長がこう云ってくれるということは、致命的なミスはなかったのだろう。対処のおおよその方向性も間違えてはいないということだ。
「良かった。宿題でどやされなかったような気分だ」
「私はそんなに厳しいお仕置きをしたりはしませんよ」
 内侍長はころころと笑う。
 俺は安心して次の書類を取り上げた。月が沈み、朝日が昇るまでにはまだ時間がある。この調子で頑張れば、朝までにはあと6つや7つの書類は片付けることが出来そうだ。

「――鴒星様?」
「ん?」
 その言葉にも俺は書類から視線を上げずに応える。
「お部屋にはお戻りになりませんの?」
「ああ、そこの寝椅子で十分だ。朝には風呂に入ってメシはくうよ。大丈夫、まだいけるって」
 気候もいいし、最低限の睡眠はとっている。まだまだ気力も持つつもりだった。
「……」
 ふと、内侍長の言葉が途切れる。
 その視線の先は、暗い窓の外。八つの針のような尖塔に串刺しにされた月を見上げている。
 ――月、か。長い間見上げてもいなかった気がするな。
「紅鳩様のことですか?」
 内侍長の一声で、空気が張り詰める。
 それは俺にとっては触れられたくないことだった。
「鴒星様?」
 いっそ優しげな内侍長の声が、軋むような痛みを思い出させる。だから俺の言葉には棘が含まれていたのだろう。それは未熟な俺が自身を覆う役にも立たない鎧。
「……関係ない」
 俺のふてくされた声。内侍長はゆっくりと振り向くと、俺のそばの床にふわりと座り、頭をたれた。
「ですが」
「私事だ。関係の無いことだ」
 たぶん俺のそれは癇癪だった。触れられたくないことに、後回しにしてきた問題を突かれた俺の八つ当たり。子供じみた意固地に過ぎなかった。
 だが、その意地はすぐにでも俺に突き返されるものでしかない。
「仰せのままに。過ぎたる詮議をお許しください。東宮の君」
 穏やかで優しい言葉。
 丁寧に頭を下げる仕草。
 俺個人ではなく、『東宮』に対して執られる礼。
 内侍長のその言葉にならない拒絶に俺の身体は締め付けられる。
 傷口に塩を塗りこまれるような慙愧が俺を貫く。東宮という言葉が隔てる距離感が、俺の心を凍るような虚無で食い荒らし始める。
「やめてくれよ。その『東宮』っつーのは。――それだけは勘弁してくれって、最初に言っただろうっ」
 声は荒げないで済んだが、俺の言葉は実際悲鳴に近かった。
 その言葉が俺から奪っていた幸せな時間と、その言葉が俺から奪っていった親しい人々の追憶が俺を苦しめる。納得をした。割り切ったはずの色んなものがあふれ出して暴れだす。
 その痛みは鮮明。その傷口には鮮血。
 要するに、割り切っただなんて、そう思い込もうとしていただけなのだと俺に思い知らせるのだ。
「……」
 視線を上げた内侍長が俺を見つめる。
「……」
 臣従の姿勢を崩さぬまま、俺に決断を迫る。
 俺は唇をかみ締める。
「済まない。甘えた事を言った。……何かあるなら聞かせて欲しい」
 俺は内侍長に告げる。
「……紅鳩様のことです。なぜお抱きにならないのです?」
「くっ」
 最短距離の問いかけだった。想定していた問答のほとんどすべてを省略して侍従長はただ真っ直ぐに尋ねてきた。
「紅鳩はまだ十三だ。そういうことをするには幼すぎる」
「だから遠ざけるのですか?」
「遠ざけてなどいないっ」
「……部屋で待っていらっしゃいますのに?」
 ふと立ち上がった内侍長は先ほど見上げていた月の見える窓際に俺を誘った。地面に近いせいか不思議なほど大きく見える月の明かりが、シルエットになった蒼羽宮の塔を照らし出している。
「鴒星様。紅鳩様付きの女官が、紅鳩様の夜のお出かけを知りもしないと?」
「……え?」
「この蒼羽宮にお迎えした姫君ですよ? 私達が化粧室も着いていないような寝所をご用意するとお考えですか?」
「え? あ……」
 内侍長は月を見上げたまま静かな声で俺に尋ねる。
 ……化粧室?
 そうだ。
 俺の寝室にだってトイレくらいついているぞ。
 客人の部屋のことは知らないが、それくらいの設備はあるのではないのか?
「いくら紅鳩様が幼いとはいえ、おねしょをするような年ではありませんよ」
「じゃぁ、何故」
「――部屋を追い出されるのです」
 ころりと転がった内侍長の言葉が俺に理解されるまで一瞬の時を要した。
「追い……出さ……?」
 ざわざわと音がする。
 ごうごうと音がする。
「判りませんか? 本当は判っているのですよね」
 内侍長が大きなはめ込み窓の前で振り返る。
 月を背負ったその姿は逆光に沈み定かには見えない。ただ、優しいとも無慈悲とも取れるアルカイックスマイルと静かな声で俺に告げるのだ。

「そうですよ。鴒星様。――あなたに」
 穏やかな優しいとさえ云える聞きなれた声で。
「――夜這いをしろと」
 逆巻くような、轟くような音。
「――女官に追い出されるのです」

 ざわざわと、ごうごうと、不快な異音が響く。
 それは俺の血の流れる音だった。
 俺の血管を血が巡る。肺が呼吸し、心臓が鼓動し、その血液が巡っている。その不快な真紅が視界を炙り、手足を痺れるように冷たくする。
 ――それは頼りにするし、懐くし、慕いもするだろう。
 ――だってそれ以外にどうしようがあるというのだ。
 ――華美な包装で包まれていても、紅鳩は献上品だ。
 耳鳴りのような血液の音が脳裏を覆い、コントラストを失った視界の中には強い視線で俺を見つめる内侍長だけが立ち尽くしている。
 つもりだった。……判っていたつもりだった。
 でもやはりそれは『つもり』でしかなかったのだ。
 阿呆か、俺は。
 救えない愚者とは俺のことだ。
「それじゃぁっ!」
 苛立ちがそのまま声に出る。
「そんなもの、余計に抱けるわけがないだろうっ! 上等の餌よろしく目の前にぶら下げてやったから食えと? それが南域の流儀か? それとも我が帝国の流儀なのかっ!?」
 机にたたきつけた拳の痛みさえ感じない。
 それを感じるにはこの音が邪魔すぎる。
 命を巡らすこの身体が邪魔すぎる。
「……」
「故郷を追い出して東宮の元に送れば、寂しさと義務感で東宮に股を開くだろうと? だから送ったのか。それを受け取ったのか? あれはっ! あの娘はっ!」
 食いしばった歯の間で言葉が停止する。
 あれは、違うのだと。
 紅鳩は、そんな娘ではないと?
 紅鳩は、そんな風に扱ってよい娘ではないと?
 どの口で言えるのだろう。その紅鳩を故郷から引き離した共犯者の俺が。
「鴒星様」
「……出来ない」
「出来なくはありません」
 それは神託を告げるような、恐ろしい声。
「出来ないんだ」
 俺の声は掠れて弱かった。
 ――逃げたかった。
 逃げられないとは判っていたのに。
 だがこの瞬間、臆病な俺は逃げ出したくてたまらなかった。
「選択肢はほかにはありません。――抱きなさい」
 穏やかないつもどおりの声。だけどそれは動かしがたい氷の衣をまとって響く。うつむいた表情。美しい前髪と眼鏡に隠れて内侍長の瞳の色はもう見えない。
「東宮、だからか……」
「そうです」
 一切の逃避も斟酌も許さない氷刃のような穏やかさ。
「ですが」
 そこに、願いのように小さな明かりが灯っている。
「願えば、その先にある選択肢は見出せるかもしれません」
 ――選択肢? そんなものはない。
 抱かれることでしかここにいることの出来ない紅鳩。
 抱くことでしか紅鳩への謝罪が出来ない俺。
 この先にどんな選択肢があるというのだ。
「……判った」
 自分でも驚くほど平静な声が出た。
 呼吸が息苦しい以外は、もう落ち着いたようだ。
 胸が硬く凝固して岩のように鈍くなる。だが、それしかないのなら、それをやらなければならない。
 俺がどう思おうと、それは関係ない。紅鳩がどう思おうともはや関係ない。
 紅鳩を犯して帝国の物にする。
 それが治世のためであれば、東宮の職務は一つだけ。
 内侍長の眉が曇り、何かを探すように白い指先が持ち上がった気がしたけれど、俺はもう歩き出していた。
 判決の槌の音を立てて、執務室の重い扉が閉まる。
 すべてを断ち切り、すべてを憎むように俺は自室への歩を進めていった。


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//8

「ん……はぁぅ……」
 薄いシーツがもそもそと揺れている。
 泣く様なか細い声。それは紅鳩の声。
 いつもどおりの白い寝巻き。襟を縁取る赤く細いリボンが今日は虜囚を戒める鎖に見える。
 紅鳩はすすり泣くような吐息を漏らすと、抱きしめた巨大な枕に顔を埋める。こすり付ける頭の動きに小麦色の髪が揺れて、わずかな月の光を照らし返す。
「うぅ……〜っ。……すん。……はぁぅ」
 俺は寝台の端に腰を下ろす。
 その揺れで気がついたのか紅鳩が顔を上げた。
 彷徨う視線。俺を認めて、呆けたようにぼんやりとする。
「――れいせぇ様?」
 夢うつつのような声。
 くてんと横になったままで、紅鳩の小さい手が俺の衣の端に触れる。
 ちょんちょん。
 まるで野生の動物を確認するかのように触れて、様子を伺う。
 蕩けた瞳はまだ夢の中にいるように潤んでいて、その指先の動きもどこか頼りない。
「――れいせぇ様だっ」
 とろんとしていた表情が、一気に赤く染まる。
 紅鳩は飛びのくように身体を起こすと、巨大な枕を抱きかかえるように正座をする。見ていて可哀想になるほど動揺して、枕の防壁から覗かせた瞳で、上目遣いに俺を見上げてくる。
「えっと、あの。……あのぅ、これは、違うです。違いますっ」
 わたわたと身をよじって説明しようとする紅鳩。
 必死になれば必死になるほど言葉が出てこなくなって、もごもごと口の中で言い訳を繰り返す。
 ――ああ。
 まったく適わないな。
 俺の身体からこわばったものが抜ける。
 俺の気持ちを鎧っていた強さが抜けてゆく。
 やはり紅鳩は紅鳩なのだ。俺がいくら汚すつもりでこの部屋へ戻ってきたとしても、この笑顔の前では痛みを感じないなんて出来ない。
 俺はどこか諦めたような穏やかさで微笑んだ。
「ごめんなさい、ごめんなさいですっ。あの、れいせぇ様っ。すぐ出て行くからっ〜」
 必死に小さくなって謝る紅鳩。彼女の頼りない華奢な体格に改めて気がつく。
「どこに行くんだ?」
「……はぁう。……お部屋?」
 紅鳩は相変わらず抱きかかえた絹の枕の陰から、怯えた小動物のようにこちらを見上げて答える。
「疑問形で答えてもダメ」
 俺の言葉に紅鳩はびくりと動揺する。目に見えるほどの狼狽。
 内侍長の言葉はやはり真実だったわけだ。癒える事の無い生傷のような痛みが、粘液質な不快さで俺の胸に広がる。
「――お庭」
 俺の無言を追求だと感じたのか。哀れなほど縮こまった紅鳩が答える。
「お庭のハオフゥの木はおっきいの。ゆさゆさの木で揺れて眠ると、涼しいんだもん」
「そんなところじゃ、背中が痛くなるぞ」
「そんなことは無いもん。紅鳩は、南の森ではそうやって寝ることもあったんだもの」
 俺のため息交じりの言葉に紅鳩は反論するが、言葉が途切れるとやはり萎縮する。
 その態度が紅鳩の苦境を俺に思い知らせる。
「はぁう〜」
「……」
 それでも、俺は言葉を捜せない。
 そんな紅鳩にかける上手い言葉などあるはずも無い。

「紅鳩」
「はい。れいせぇ様っ」
 諦めた俺は、ベッドの端に腰をかけたまま自分の隣をぽんぽんと軽く叩く。誘われた紅鳩はおずおずと子猫のように近づく。それでもちょっと怯えたように離れて正座する紅鳩に、再び隣を示す。
「れいせぇ様?」
 その頭を優しく撫でる。
 細い髪は月の光に晒された白金の色で、指からこぼれる。
 不思議そうな上目遣い。くすぐったそうに揺れる小さな仔熊耳。
「――れいせぇ様?」
 その額に、唇を押し当てる。
「ひゃぁぅっ」
 まるで熱いものを押し当てられたようにびっくりして縮こまる紅鳩を軽くかかえて、俺はその額の滑らかさを唇に感じる。僅かな汗でしっとりした幼い身体を抱いて祈るような瞬間を過ごす。
「――紅鳩」
「はぁう」
 抱きしめたまま囁く。
「するから」
 飾り気も何も無い言葉。
 何を云っても慰めになどならない。罪を重ねる意味しかないのなら、告げる言葉なんかない。そう思った俺は、結局突き放したような言い方しか出来なかった。
 直後から押し寄せる後悔。なのに紅鳩は嫌な顔ひとつしなかった。
 いつもはあんなに人の話も聞かず、無邪気で無鉄砲な大騒ぎばかりをやらかすくせに、このときは一言の問い返しもしなかった。
 紅鳩はただ黙って俺の腕の中で一瞬だけふわりと解ける
「……はい」
 緊張した蚊の鳴くような小さな声で云うと、紅鳩は抱えていた巨大な絹の枕を脇に手放す。伏せた視線のまま、俺の隣で身を硬くする。
 紅鳩の頬が赤い。
 俺の顔を見上げないように伏せた視線。恥ずかしいし、辛いのか。
 問い返さない所を見ると、おそらくそれなりの知識はあるのだろう。女官に教えられたものなのだろうか。本や噂で知ったものか。。
 俺はそんな紅鳩の額に再びキスをする。鼻先をくすぐるのは紅鳩の前髪。お陽様の光を吸い込んだ紅鳩の魂。僅かに篭る甘い香りは優しくて、俺は余計に罪悪感をえぐられる。
 髪の生え際を彷徨う俺の唇がくすぐったいのか、紅鳩の呼吸が不規則に浅くなる。
 軽く閉じたまぶたの上、柔らかい毛先の仔熊耳、頬、首筋。
 キスが辿り終わる頃、俺は巨大な寝台の中央で紅鳩を押し倒していた。
 上気した表情で紅鳩は俺を見上げてくる。緊張しているためか身体は縮こまっていたが、紅鳩は必死に俺に身をゆだねようとしていた。
 紅鳩は紅鳩の役目を必死に果たそうとしているのだと思うと、悲しいような悔しいような得体の知れない黒い感情が俺の腹腔を重く満たす。
「紅鳩……」
 首筋を撫でていた指先を下に向かわせる。
「はい、れいせぇ様」
 信じるような視線の紅鳩が一瞬身体を跳ねさせる。指先は小さい肩を越えて、すべらかな胸に届く。薄い紗の夜着を通して火照ったような温度と、薄いけれど僅かな柔らかさを秘めた胸の感触が伝わる。
「紅鳩……」
 繰り返し名前を囁きながら、俺は小さな真珠のボタンを外す。
 ひとつ、ひとつ、もうひとつ。
「……はぃ」
 大人しくされるがままになる紅鳩の小さな返事。
 あらわになった胸の稜線は信じられないほど滑らかで、優しい褐色の磁器のようにさえ見えた。青白い月の光に浮かび上がる幼い肌の艶やかな質感を傷をつけるのが怖くて、貴重品に触れる細心さで指先を触れさせる。
 こぼれる吐息。
 堪えるような僅かな乱れ。
 それが心配で名を呼ぶ。
「紅鳩?」
「は……いっ……」
 答えは短く乱れ始める呼吸の浅さを恥じるよう。それが俺の唇を誘う。
「はゆっ……ぅ……はっ……ぁっ……」
 膨らみとはいえない優しさを丁寧に唇で辿る。触れているだけで暴走しかけている紅鳩の鼓動が伝わる。
 小さな胸の内側にあるのが信じられないほど力強い鼓動の音が切ない。
 何度も繰り返すたびに、紅鳩の小さな声が濡れていく。
 次第に甘くなる吐息。出来る限り優しくしてあげたい。
 幼い紅鳩にとっては辛い経験にしかならないとしても、僅かでも罪滅ぼしをしたい。その願いが丹念さになって表れたのかもしれない。
 紅鳩の赤く実った乳首に辿りついた時には、紅鳩の瞳は潤んで湿った吐息を漏らすようになっていた。
「……」
 俺は一呼吸おくと紅鳩の残りの衣服も脱がそうと、身を離した。
 熱に浮かされたような瞳で見上げる紅鳩の視線と絡み合う。
 その瞬間、紅鳩の表情が歪んだ。

「やだぁっ」
 ――ぎゅっ!!
 しがみつく紅鳩。
「これじゃ、ダメだよぅ」
 紅鳩は混乱したように想いの高ぶった声を押し出す。震える言葉の激しさと、抱きつく細い腕の力強さに俺は驚いてしまう。
 紅鳩はがむしゃらな力で俺の胸に抱きついて、柔らかな髪を乱すように頭部をこすりつけてくる。
「――紅鳩?」
「紅鳩は、れいせぇ様にさわってもらって嬉しい。れいせぇ様に口付けされて、嬉しいよっ。でも、れいせぇ様はひとりぼっちだよぅ」
「……」
「れいせぇ様が一人ぼっちなのは嫌。そんなの、紅鳩はいらないもん」
 ――そんな事はない。
 そう云おうとした。
 だがその言葉は喉に粘りついたように出てこない。
「れいせぇ様が一人ぼっちなのは嫌なんだもの。それなら、紅鳩は、――紅鳩が寂しいほうがずっといいのだものっ」
 華奢な身体の生み出す力は高が知れていた。紅鳩がいくらしがみつこうと俺がその気になれば組み伏せることも引き剥がすことも簡単に出来ただろう。
 だが紅鳩の必死さが、むずがる子供のようながむしゃらさが、俺の身体を固まらせていた。
 紅鳩は幼いと思っていた。
 でも思い出してみれば、いつでも笑っていた紅鳩が子供らしい我侭をいうのを俺は聞いたことがない。無理な要求をして周囲を困らせているのを、俺は見たことがないのだ。
「紅鳩は嫌だもん……」
 華奢な肩が俺の腕の中で震えている。
 拙い言葉で必死に伝えようとするもどかしさが俺の腕の中にある。
「そんな事はないんだよ」
 絡み付くものを振り切って押し出した言葉はひび割れていた。紅鳩を安心させようと抱きしめた腕も頼りなかった。――自分で聞いても説得力なんかありはしない。
 だから容易く見抜かれてしまっていたのだ。
「れいせぇ様……」
 見上げてくる紅鳩の視線にも、もう弱さはなかった。いや、初めから無かったのかもしれない。
「れいせぇ様。――泣きそうな顔をしてる」
「――っ」
 紅鳩はいつだってそうだった真っ直ぐなひたむきさで俺を貫く。
「紅鳩は寂しかったよ。……れいせぇ様は優しいけれど、やっぱり紅鳩は遠いところから来た獣牙だから、れいせぇ様のこと判ってあげられないのかなと思ったの。れいせぇ様の好きな人は、雪加(セッカ)様みたいな胸の大きい人かなとか。瑠璃鶲(ルリビタキ)様みたいに可愛くてキレイな人かな、とか……」
 まだところどころでつかえる帝国公用語で紅鳩は必死に語る。
「れいせぇ様と一緒にいると、優しい気持ち。れいせぇ様を見てると頑張りたいと思うの。でも、紅鳩はれいせぇ様の役にはあんまり立ってない。――お稽古も、勉強も、あんまり出来まないし……」
 自分でも判りにくいとは思っているのだろう。
 だから紅鳩は拙い言葉で必死に繰り返す。
 そんな事はない。
 ちゃんと伝わっているのに。
「だから、れいせぇ様にくち……づけ、して貰えて」
 必死に説明しようとしている紅鳩が茹蛸のように染まる。困惑したような羞恥の表情。それさえも素直な紅鳩のままで。
「口付けしてもらえて嬉しかったの。れいせぇ様になら何でもしてあげたい。いっぱいぎゅーってされたいし、いっぱいぎゅーってしたいの。……本当はヒミツのこともいっぱいしたいの。そうしたらどんなにか幸せなの」
 紅鳩の困ったような悲しいような表情。
 ずっと見てきたはずなのに何にも判っていなかった。
 ずっと一緒にいたのに何も伝えていなかった。
 ちゃんと言葉に出来なかったのは俺のほうだ。
「……だけど、それでれいせぇ様が寂しくなるのだったら、紅鳩はいらない。ぎゅーも、ちゅぅも、嬉しいけど……幸せだけど。紅鳩はいらない。れいせぇ様が寂しいなら、やっぱり紅鳩も……」
 紅鳩の目じりから、必死に堪えてきた涙の粒が落ちる。
 震える声を必死に立て直して、それでも涙は耐え切れないのか、ぽろぽろと落ちるのも構わずに、紅鳩は息を吸って言葉を続ける。
「それは」
 紅鳩が、泣き笑いをしながら俺を見上げている。
 故郷を離れたこの幼い姫が、帝国の都で始めて云った、もしかしたら最後になるかもしれない、取るに足りない、ささやかな、でも勇気を振り絞った……。
「紅鳩が独りぼっちになるよりも、ずっと寂しいの」
 夜の帳で囁かれる、一生に一度のわがまま。


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//9

 今なら判る。
 内侍長が何故俺をこの部屋に戻らせたのか。
 俺に何を期待していたのか。俺が本当にしなきゃならないのは何なのか。
 ごめんなさい。
 俺はやっぱり馬鹿だった。
 馬鹿だったし甘えていた。
 みんなに迷惑をかけないとこんなに簡単な事も判らないほど愚か者だった。一番最初に判らなきゃならないことが、最後まで判らない阿呆だった。
 自分がされるのはあんなに嫌だった、肩書きや立場で見られること。『東宮』に縛られて俺を見てくれないのが寂しいということを、俺自身が他人にしていた。
 『南域からやってきた人身御供の許婚』として、紅鳩を遠ざけていた。
 紅鳩はいつだって俺を見ていてくれていたのに。
 紅鳩は自分を殺してでも俺の見つめる先を追ってくれていたのに。
「……紅鳩」
 流れる涙をぬぐいもせずに、紅鳩は何かを堪えるように口を引き結んでいる。
「お前さ、俺のトコに来いよ」
 挑むような怯えるような強い視線が俺にすがっている。
「……正直、いつポカしちまうか判らない東宮なんだけどさ。もしかしたらエらい大騒ぎとか、大事件で野垂れ死にしちゃうかもしれないけどさ。俺のトコに来いよ」
 問いかけるような表情で紅鳩は待っている。
「俺はかなり……いや。すごく馬鹿だから。苦労ばっかりかけちゃうかもだけどさ」
 俺の言葉を待ってくれている。今までだってずっと待っていてくれたんだ。
「忙しいし要領悪いから、あんまり構ってあげられないかもしれないけどさ。それでも寂しくないように頑張るからさ。俺のトコに来ちゃえよ」
 紅鳩がうなずく。
 泣き出す寸前の表情で、うなずく。
「だから。俺のお嫁さんになって、ずっと一緒にいようぜ」
「はいっ。れいせぇ様っ」
 涙で崩れた、それでも輝くような笑顔の紅鳩を強く抱きしめる。
 その身体を独り占めするように。紅鳩の中から不安も寂しさもなくなればいいと願って。俺一人のものにするという覚悟を込めて抱きしめる。
 その責任の重さと、喜びに頭がくらくらする。
 こんな小さな女の子を幸せにしたいという願いと責任は、帝国の東宮になったときのそれと殆ど同じ程で、俺はそれに不安を覚えると共に、なんだそんなものかと安堵した。
 紅鳩を幸せにするのなんて帝国を幸せにするのと同じことだったんだ。
 俺がびびってた罪の重さはこんなものだったんだ。
「れいせぇ様、いいニヨイ……」
 腕の中の紅鳩はくねるように身じろぎをすると、俺の胸の中の居心地のいい場所を見つけて収まりこむ。
 すっぽりと俺の胸の中に嵌まるなめらかな身体の温かさと壊れやすさ。でもそこに宿る想いの力強さに、眩暈を覚えるような嬉しさが湧き上がる。
 紅鳩だ。
 俺の腕の中に、あの小さな紅鳩がいる。
「馬鹿いうな。紅鳩のほうがいい匂いだ」
 俺は照れくさくて、紅鳩をぎゅっと抱きしめたままその髪の毛に顔をうずめる。紅鳩の動物的で柔らかな甘い香りがする。
「はやぁ……。あ。……ダメ。ダメっ。れいせぇ様っ」
 腕の中の紅鳩がじたばたと暴れる。
「なんでさ」
「はぁぅ……」
 曖昧にうめく紅鳩。それが楽しくて、俺はすんすんとその香りを吸い込む。
 紅鳩は何が恥ずかしいのか身をよじり逃げ出そうとし続けたが、視線を合わせるのも気恥ずかしくて俺は紅鳩を抱きしめたままその香りを嗅ぎ続けた。
「う。……うぅ〜。れいせぇ様ぁ、意地悪〜」
「なんでだよ」
 しばらく二人で抱きしめあったままじゃれあい続けると、さすがに諦めたのか、紅鳩がぐったりともたれてくる。
 疲れたのだろうと腕の力を緩めても、脱力したようにしがみついてくる。
「……うぅ〜。お月様が」
「うん。月が?」
「丸いの」
 それはそうだ。満月だからな。
 先ほど見上げた窓の外の月を思い出す。今もこの部屋の窓からは差し込む月光。月影は長くなり、夜もかなりふけていると思われた。
「あぁぅ〜。……あの。……うぅ」
 見るも哀れなほど真っ赤になった紅鳩は、上目遣いに俺をちらりと見ると、やはり恥ずかしがって俺の胸に顔を埋めてしまう。
 紅鳩ってこんなに可愛かったのか。
 腕の中でもじもじと身体を動かす紅鳩が愛しくて優しく背を撫でる。
「はぁぅ。はぅ〜っ。……れいせぇ様ぁ」
 やっぱり目線だけあげて、隠れながらこちらを伺う紅鳩。
「だから、何?」
 気になった俺は尋ねる。
 紅鳩は真っ赤に茹だった顔を埋めて、視線だけで見上げながら俺の手を掴むと、そろそろと自分の背中から腰へとおろしてゆく。
 贅肉のないすべすべの背中を越えると、かぼちゃのように膨らんだ寝巻きの下穿き。その裾をするりとめくりあげて、紅鳩の小さな手は俺を案内する。
「はぁぅ〜。……うぅー」
 可愛らしいお尻の狭間。つるんとした卵のようなさわり心地を越えると、ふわりと漂う甘い香りが強くなる。
 ――って!
 俺の体温が跳ね上がる。
 柔らかな紅鳩が抱きしめた俺の腕の中で、俺に体重をかけてくてんとなる。切なそうに揺らめかせる腰の奥、誘われた指先は紅鳩の太ももの付け根に触れて、くちゅりと濡れる。
「うっ。ひゃうっ! ……〜っ!」
 ぎゅっとしがみつく紅鳩。
 俺の指先にはあふれるほどの蜜が絡みつく。まるでお漏らしをしたみたいな、熱くて蕩けた粘液。――紅鳩の甘い香りの正体。
 自分より頭二つは小さく片手でも抱きしめられそうな少女のぬるみきった秘所に触れるのは背筋をしごかれるような背徳感を持っていた。
 ――うぅ〜。お月様が丸いの。
 その背徳感の中で、紅鳩の恥ずかしがる言葉を思い出す。俺の胸に隠れるように顔を埋めたまま切なそうにもじもじと腰を動かす仕草。……その意味するところに俺はようやく思い当たる。
「紅鳩。もしかしてお前……。サカリの時期なの、か?」
 紅鳩は俺の言葉に一瞬怯えたように萎縮するが、俺にしがみついたままこくこくと頷く。いつからこんな風になってたんだ? 初めて寝室に紅鳩が迷い込んできたのは、三ヶ月前。あの日も満月だったのだろうか。
 紅鳩は声を殺して浅い呼吸を繰り返すと、まるで消え入りたいと告げるように俺の胸の中で首筋を縮めて身を隠す。
 それでも一度指先が触れてしまった性器がむず痒いのか、ゆらゆらと腰を蠢かせている。その幼い媚態に俺は喉が渇ききって、唾を飲み込むことも出来ないほど煽られてしまう。
「つらいか?」
 こくりという頷き。
 言葉はないけれど、顔を隠すように埋めた胸の中で、その動きが感じられる。
 その仕草の愛らしさに俺のほうの頬も熱くなる。
 忍び込ませた指先は、まるで熱い蜂蜜をたっぷりとかけた蕩けるゼリーのような谷間を彷徨っている。どこまでもなめらかでどこまでも柔らかな小道を辿ると、信じられないほど熱を持った小さな蜜孔に辿りつく。
「ふやぅっ!!」
 紅鳩の声が可愛い。
 その声に苦痛が混じりこまないように。できれば甘く掠れ果てるように。俺は指先をその幼い秘裂に往復させる。
 ともすると握りつぶしてしまいたくなるような妖しい誘惑を振り切って、慎重に丁寧に滑らせるのだ。こすりあげるときはたっぷりと粘液の絡みついたぬるぬるの指の腹全部を使って、こすりおろすときは指先を触れるか触れないかの感触でくすぐる。
 紅鳩がいやいやをするように俺の胸の中に埋めた顔を振る。
 呼吸は荒くなり、我慢しきれない甘い呻きが部屋の中の闇にはじける。
「……すん。…はっ………はぁぅ」
 二本の指先で、ゼリーのような柔肉を少しだけ広げてやると、中に貯まっていた熱いハチミツが指先にどろりとこぼれる。蜜を受け取って絡めた指先を幼い孔に優しく差し入れる。
 火傷しそうなほど煮立った蜜孔に、指先だけの抽送。
「はぅ…。ひゃんっ……ゃ。……ゃ。……ぁんっ」
 甘く透き通ってくる紅鳩の小さな声。
 その声がもっと聞きたい。
 小さな紅鳩を独り占めしたい。そんな気持ちが膨らんで、押さえが利かなくなる。
 俺はとろとろした愛液でぐっしょりと蒸れた下着の中で、俺の指先は紅鳩が一番可愛い声で鳴いてくれる場所を探り出す。
「ひゃぁうっ!?」
 くるん。
 指先がその小さな真珠の頭を撫でると、紅鳩の身体に寒気にも似た緊張が結露するのが判る。一瞬の痙攣とそれを追いかける淫らな弛緩。
「ひゃぁんっ!!」
 くるん、と指先で触れる。
 滴り落ちるほどたっぷりと粘液を絡めた指先で、優しいキスを繰り返す。
「紅鳩」
「ひゃぁうっ!?」
 必死に隠れようとする紅鳩に声をかける。喉に絡みついた声に、俺は自分も紅鳩に負けないくらい興奮してしまっていることに気がつく。
「……紅鳩」
「ひゃぁんっ!! はぅ。……はぁう。れいせぇ様ぁ」
 紅鳩は必死に呼吸を整えようとしているが、哀れなほどに報われていない。潤んだ瞳で見上げてくれる紅鳩が可愛くて想いが溢れ出る。
「紅鳩のこと、欲しい」
 素直に出た言葉に、紅鳩は夢見るような瞳でこくりと頷いてくれる。
 緊張はしているけれど、その視線には信頼がある。体勢を入れ替えてシーツに横たえた身体。服も下着も取り去った乳褐色の身体はどこにも傷ひとつないほどになめらかで、描く描線の柔らかさに呼吸が止まりそうになる。
「綺麗だよ」
 ぽわっと紅鳩の頬が濃く染まる。あわてたように指先で探した絹の巨大な枕を抱きしめる。枕の上端から覗いた潤んだ瞳と、困ったような眉。抱きしめられた枕に隠されて見えない僅かな膨らみの胸と、すっきりとした腹部。
 羞恥のあまり身体を隠しているのに、枕の下端から覗いているのは、力なく広げられた太ももと、その間の桜色に発情した可愛らしい秘裂。
 そのアンバランスさに俺は眩暈がするほど魅せられる。
 幼孔からあふれる蜜をすくい、俺は腰をあてがう。
「……初めては痛いと思うけれど」
 紅鳩は枕に隠れるように俺を見上げたまま頷く。半分隠れたままなのに、俺を必死に見上げてくる。
 これ以上は俺のほうがおかしくなりそうだ。紅鳩のいじらしい仕草に自分でも問題を感じるほど欲情を覚えて俺は突き入れる。
 うう。変な趣味がついたら紅鳩の責任だ。
「んっ。……はゆぅっ! あっ! あぅっ! うぅっ!」
 ぎゅっと目をつぶった紅鳩。口元を枕に押し付け必死に声を噛み殺すけれど、衝撃と驚き、そして感じる痛みが声を絞り出す。
 だけど驚愕を感じているのは俺も一緒だった。
 先端を押し当てたときから感じていた湯のような熱さ。腰が震えそうなほどの快楽を伝えてくるとろりとした蜜。そして突き入れた狭すぎる紅鳩の蜜孔。
 我慢するようにきゅっと寄せられた紅鳩の眉と、瞑られた瞳、汗の浮いた額、震える仔熊耳。それらが押し寄せるように俺の心に入り込んで、暴風のように掻き乱す。
 みっしりと包み込まれ、捕らえられる感覚。
 その快楽は俺の下肢というよりは心そのものをぎゅっと捕らえる。一途にしがみついてくる紅鳩の熱さと健気な幼さそのもののように、危険なほどの快楽。
 正直に言えばその瞬間も良く判らなかった。
 絞るような狭さの秘裂を求める気持ちが強すぎて撃ち付けた腰の下で、紅鳩の下肢がガクガクと痙攣する。
「はゆぅっ! んっ! ……んっ……イ。……いにゃっ!」
 痛みを堪えるような紅鳩の表情、突き抜けたように滑り込む自分自身の動き。そして僅かな鉄の香りでそれを実感した。
 紅鳩の初めてを奪ったんだ。
 それは一抹の罪悪感を含んだしみじみとした嬉しさ。
 痛いくせに紅鳩は俺に身を任せている。そんな紅鳩の潤んだような瞳で気遣うように見上げられると、俺は蜜孔のなかでまた固くなるのを実感する。
「痛い、か?」
 紅鳩は枕の下で、ふるふると首を振る。
「嘘付け」
「……嘘じゃないもん」
 意地を張るような強がるような声。
「ここで終わっといたほうがいいな」
「ダメっ」
 その声と共に、きゅんと締め上げられる紅鳩の幼い膣。その甘い締め付けに、俺の背中にぞくりとした快感が走り抜ける。
「――無理すんな」
「無理じゃ、ないもん」
 拗ねた様なか細い声。紅鳩は細い腕で折れるほど抱きしめていた巨大な枕をおずおずと放す。怯えたような慎重さで、枕の陰になっていた紅鳩の裸身が露になる。
 泣きそうになほどの羞恥の表情で、シーツの上に横たわった紅鳩が俺のほうに手を伸ばす。その指先が汗の浮いた俺の頬に、首筋に触れる。
「大丈夫。……れいせぇ様ぁ、動いて」
「……」
 喉が詰まったように高鳴って、その裸身から視線を外せない。
 なだらかで薄い胸先で自己主張している乳首も、うっすらと浮いて見える肋骨も、柔らかそうな腹部も、薄い産毛の下の幼い秘裂も。
 俺より五つも年下の少女の脆い美しさに心臓を掴まれる。
「れいせぇ様の沢山欲しいの。……れいせぇ様の赤ちゃんのもとくださいっ」
 痛みがむずがゆい疼きに変わったのか、発情期の獣牙族の甘い体臭が強くなる。紅鳩の幼い声と、そのおねだりに脳が煮える。
「手加減、出来ないぞ」
 俺の言葉はもはや質問ではなかった。確認ですらない。それはただの宣言。
 その俺の言葉に、紅鳩はガクガクと頷く。
 最初の数回は気をつけていた抽送。だけど抑えようがない興奮でその速度は跳ね上がる。
 突き入れる。浅い感じの紅鳩の幼孔の突き当たり、行き止まりのような果実にこつんと俺は突き当たる。その度に紅鳩の下腹部から頭頂に向けて甘美な痺れが走るのが判る。
 その痺れが、繰り返すたびに紅鳩の心の衣を剥ぎ取ってゆく。
 蕩けたように潤んでいく瞳。
 閉じることの出来なくなって半ば開いた桜色の唇からはよだれがとろりとこぼれて、小さな舌が覗いている。
 荒い呼吸と定まらない視線。
 俺の腕の中の幼い少女を後戻りできないような天国に拉致するのだ。惚けた様に甘い声を漏らし続ける紅鳩がたまらなく愛しくて、繰り返しをやめることが出来ない。
 こつん、こつん。
 しかし抜き去ろうとするたびに引き止めるような強い締め付けが俺のことも追い詰める。
「れいせぇ様ぁ。れいせぇ様ぁ〜っ」
「紅鳩?」
「れいせぇ様がいっぱいだよぉ。紅鳩の中、れいせぇ様の熱いのであふれてるぅ」
 舌足らずの声で、紅鳩が俺に告げる。
「うん」
 俺は安心させるように紅鳩の胸にキスをする。たまらず跳ねる褐色の肌。
「……紅鳩。俺のところに来るか?」
 湧き上がる気持ち。穿った蜜音から共有されてゆくような喜び。
「はゆぅ、う、う。はいっ」
 抱きしめた紅鳩が俺の腕の中で狂いながら何度も何度も頷く。
 『こつん』を繰り返すたびに、強い悦びで紅鳩と俺が結び合わされる。こんな独占欲が俺の中にあったなんて今日まで知らなかった。
「俺のお嫁さんになってくれるか?」
「は、はぃっ!」
 紅鳩のためらいのなさが俺と紅鳩を結びつける。
 もう一瞬も閉じることの出来なくなった紅鳩の口からだらしのない甘い声が漏れるのが、愛しい。
「なるぅ。なりますぅ。……んっ。あぅっ!」
 もっと、もっとと言う可愛らしいおねだり。俺の腰を絡め取る様に回された足で、俺は今迄で一番深い紅鳩の秘裂の奥を押しつぶす。音にならない音。紅鳩の中で何か大事なものをぐちゅりと押しつぶす感覚。
 その瞬間紅鳩の瞳が現世を越えて悦びの国を見る。
 俺のほうも我慢の限界だった。
 紅鳩の幼い身体には毒じゃないか、なんてことを一瞬考える。
 しかしそんな躊躇は紅鳩の幼い秘裂のあたえてくる締め付けが一瞬で蒸発させてしまう。紅鳩が俺のものだという証拠を残したいという強い誘惑。その蟲惑に俺は逆らえない。ましてや紅鳩が呆けた表情で俺にしがみついているのだ。
「――だからっ。れいせぇ様、いっぱい注いでっ。れいせぇ様の赤ちゃん産ませてっ。あぅっ! ひゃうっ! れいせぇ様の、ものにしてくださいっ」
 うわ言みたいに俺の名前を呼び続ける紅鳩を抱きしめてその奥に解き放つ。注ぎ込む。一切を押し流すような白い濁流。
 汗で滑る指先を絡めあい、どこまでも高みに上り詰めた。


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//10
 ちゃぷん。
 ちゃぷん。
 水晶をはめ込んだ天窓からは朝の白い光。
 広い浴室には湯気が立ち込めて、白大理石で作られた滑らかな湯船にはスプーンを重ねたような俺と紅鳩。なんだか非常に照れくさい空気が漂っている。
 紅鳩との始めての交わりを終えたのはもう空も白む頃だった。
 指先を絡めたまま余韻と疲労の中、浅いまどろみにたゆたっていたけれど、俺たちはどちらともなく目を覚まして触れ合った。触れた指先も、交わす眼差しも、昨日までとは違う。安心するような求め合うようなくすぐったさ。
 そういえば、紅鳩は発情期だったのだと、鐘楼の澄んだ鐘の音が遠く響いたとき気がついた。
 案の定、シーツは酷い状態になっていた。
 甘いような香りを放つ蜜でどろどろ。普通の十倍も多い体液と二人の汗で、ベッドは一目瞭然の有様だった。紅鳩は真っ赤になって小さくなってしまう。俺だって表面上は取り繕っていたけれど、恥ずかしくて死にそうだった。
 もう一時間もすれば、女官が空気を通すために窓を開けに来るだろう。その後は起床の知らせ、着替え、シーツを変えに来るのも時間の問題だ。
 そこで俺は面倒くさい説明や気恥ずかしい対面を全部すっぽかして、紅鳩を浴室に拉致したという訳だった。
「はぁうぅ〜」
 俺が座った膝の間に抱き抱えられている紅鳩。
 もちろん一緒に風呂に入るのは初めてだ。先ほど見たとはいえ、湯を弾く乳褐色の肌が魅惑的で、俺はなんとなく視線をそらし続けている。
 紅鳩はそんな事はお構いなしで俺の腕や胸にもたれかかっている。まだ疲れが残っているのか、気だるいのか。ここまで歩いてくるのも億劫のようだった。
「気持ちいいか、紅鳩。……しみたりしないか?」
 水滴をつけた後ろ髪を撫でながら俺は尋ねる。
 紅鳩は身体をよじって俺を振り返り見上げると、じわりと頬を染めて蕩けた笑みを半分だけ見せる。
「うん、平気〜。はぁぅ、なんか恥ずかしいの〜」
 ちゃぷん。
 顔を半分お湯につける。
 照れたようにぷくぷくとお湯の中で吐息を泡に変える。
 恥ずかしいのはこっちも一緒だ。なんだか紅鳩が可愛く見えてしょうがない。真っ直ぐ見つめることも出来やしない程だ。
 俺は八つ当たりのように紅鳩の細い腰を抱き寄せる。その表情を光の差し込む天井にさらけ出すように、後ろ側の俺にもたれかけさせる。
 紅鳩はほんのりと酔ったような幸せな微笑を浮かべる。
 我慢しきれずに、その唇を奪う。とろりとした唾液、絡める舌先。
「れいせぇ様ぁ」
 惚けた甘声で紅鳩が俺の名を呼ぶ。
「ん?」
 恥ずかしいのに離したくない。あんなに求め合ったばかりだというのに、その味を覚えこんでしまった二人の肌が、相手の心地よい場所を探して擦りあわされる。
「はぁぅ〜」
 紅鳩は恥ずかしそうに視線を伏せながら、自分の小さな腹部を撫でる。
「まだ、れいせぇ様のでいっぱぁい。……れいせぇ様の赤ちゃん、出来ちゃったかなぁ」
「欲しいだけやるよ」
 勃ち上がりかけたモノを擦り付けるように紅鳩の背中に触れさせる。
 うう。だめだ。こいつの肌ってすべすべ過ぎて、習慣性がある。
 獣牙族の必殺技なのか。
 これじゃ宮中のみんなの笑いものになりかねないぞ。そう考えても勃ち上がった俺のものは自重する気配も見せない。
 少なくとも、今日は中止だ。だいたい紅鳩は初めてを散らしたばかりで痛い筈なんだぞ。もうちょっと相手のことを考えろ。俺。
「れいせぇ様♪」
 恥ずかしそうに半分身をひねって俺の肩口に顔をうずめた紅鳩は、湯の中に沈めた指先で俺の先端をきゅっと握る。その甘い刺激がぞくりと俺の意識を持っていきかける。
「紅鳩っ」
「れいせぇ様のこれ、赤ちゃんみたい〜」
 上目遣いの潤んだ瞳。顔を隠すような見上げる視線。
 羞恥に染まりながらも好奇心を隠さない紅鳩。
「〜〜っ。紅鳩っ。キミはまだ食べられちゃいたいみたいだね〜」
「れいせぇ様ぁ♪」
 湯を跳ね上げて逃れようとする褐色の魚のような紅鳩
 浴室に反響する笑い声。繋がりあう甘い囁き。
 俺達二人は会議をすっぽかし、オマケに浴室をたっぷり散らかしてしまい、内侍長のお説教を何時間も受けることになるのだった。


                           <紅鳩END>