僕の夏休み

「……陽子……」
バスから降りた僕が声を掛けると、そいつはにやりと笑った。
僕の母方の従姉妹――美月、星華、陽子の三姉妹の三女、陽子(ようこ)だ。
「おっす、生きてたか、彰!」
挨拶もそこそこに、いきなりの憎まれ口。
「お前こそ!」
今年高校に入ったばかり、同い年の従姉妹との会話は、ちっとも「いとこ同士」らしくない。
一緒に暮らしている兄妹──というよりは、まるっきり兄弟だ。
あながち、まちがってはいない。
僕に双子の弟が居たとしたら、多分それは、陽子みたいな存在になるんじゃないだろうか。
二卵性で見た目はちょっと似てないし、性格も得意なこともちがうけど、だれよりも近しい兄弟。
それが、僕が陽子に抱いているイメージだ。

──僕は、毎年夏休みの最初の日にここにやってきて、最後の日に帰る。
冬休みも、春休みも、ゴールデンウィークも。
そのことを不思議には思わなかった。物心ついた時からの習慣だったからだ。
そして陽子を実の兄妹――こいつはお転婆だから兄弟か──のように接していることにも。
陽子も、同じような気持ちで僕に接しているということにも。
……だけど。
だけど、今年の夏、僕はじめてそのことを意識した。
志津留(しづる)家の「お定め」を知った夏に──。
僕が当たり前に生きてきた世界が揺らいだ夏に──。

「……」
僕が何を言っていいかわからないまま立ち尽くしていると、
陽子は、ちょっと首を傾げてこちらを見ていたが、
やがて思い出したように手に持っていたものを僕に差し出した。
「はい、これ」
差し出されたものは──僕の麦わら帽子。
見慣れたそれを目にして、僕のなじんだ世界がすっと戻ってきた。
──今は。そう……今だけは。

「うん、彰は、それがなきゃはじまらないよな!」
陽子は、麦わら帽子をかぶった僕を見て、嬉しそうに笑った。
その笑顔につられて、僕も自然に笑顔が出た。
「毎年かぶってるからな」
「そうだなあ、こっちは、夏、暑いしね……」
「あっちだって夏は暑いよ。アスファルトの照り返しはきついし。
なんだか暑さの質がちがう……っていうか。こっちの暑さのほうがよっぽどいい」
「あはは」
陽子は屈託なく笑った。
ぱちり、と指を鳴らす──機嫌のいい時の陽子の癖。
「彰、どうする? 車、呼ぶ?」
「本家」のお屋敷は、バス停からさらに相当な距離がある。
バス停は山のふもとで、「本家」の本宅は山の中腹に建っているからだ。
というより、この山と、その背後に広がる森と、つまりこの辺一帯全部が志津留家のものだ。
あんまり広いので、携帯電話──ちょっと前まではバス停の横にある公衆電話から
お屋敷に電話をかけて、お手伝いのだれかに車をまわしてもらうかどうか、聞いているのだ。
ちなみに、駅まで車を回してもらうことはもちろんできるけど、僕はそうしたことは一度もない。
さっきまで乗ってきた、くたびれたバスにゆられてこのバス停に降り立つことこそが
「夏休みのはじまり」のような気がしてならないからだ。
そして、バスから降りた後の行動も決まっている。
「うーん。歩いていこうかな――まだ陽が強くないし」
朝早くに出発したおかげで、まだ昼までにはだいぶ時間がある。
エアコン熱やらビル熱やらがない自然の中にあっては、午前中はけっこう涼しい。
僕はその空気がとても好きだった。
「あははっ! そう言うと思った」
陽子は、もう一度指をならした。

「つーか、お前、重くない、そのバッグ?」
お屋敷に至る道すがら、僕は、陽子が肩から下げている大きなスポーツバッグが気になって聞いた。
「んー。毎日担いでるから全然気にならないよ」
「何入ってるんだ?」
「え……ユニフォームとか、タオルとか。色々」
「あー、お前、ソフトボール部に入った、とか言ってたな」
「おう! 今日も練習だったんだぜ」
陽子は日に焼けた顔をゆるめて、にしし、と笑った。
「あ、それで夏休みなのに学校の制服着ているのか……僕はてっきり……」
「てっきり?」
「――成績悪いんで、補習受けてたのかと思った。」
──ガツン。
「……いってえ! グーで殴りましたよ、グーで!」
「源龍天一郎直伝、鉄拳制裁グーパンチだ!」
陽子は大ファンになっているプロレスラーの名前を挙げた。
<漢の中の漢>といわれるそのレスラーは、まったくもって、この男女の趣味に似つかわしい。
──ドスッ!
「……い、いってえ! ゲホゲホッ……喉元に逆水平チョップはやめろ!」
「源龍チョップ! ふん、今、心の中であたしの悪口考えてたろ?」
す、鋭い。
なんでこいつは僕の頭の中を読めるんだろう?
「ぐっ、──だいたいなあ、ツッコミの逆水平というのは、胸板にやるのが基本だぞ。
源龍だって、タイトル戦とか、潰しあいとか、新人を鍛える試合しか、喉元ヴァージョンは使わないだろーが!」
「あ、あれっ?! そ、そうだったっけ?」
僕も陽子以上のプロレスファンだ。
「つーか、お前は全然プロレスというものが分かってない。説教してやる、ちょっとそこに正座しなさい!」
「い、いや、ここ、坂道だし……」
結局、僕は歩きながら陽子にプロレスのチョップについて熱く説明し始めた。

「――逆水平、つーかバックハンドチョップというのはだな、
斜めから入って、小指の面を当てた瞬間に、すぐに手首を返して手のひら全体をぶつけるんだ。
同時に踏み込んだ足でマットに大きな音を響かせて、会場を沸かせる。これが作法つーもんだ。
やってみろ!」

「こ、こうか?」
ぱん!
「ちがう! 最初から手のひら全体当てたんじゃ、痛みが客に伝わらない!」

「――こうか?」
ばん!
「踏み込みが甘い!」

「――こうか!」
バーン!
「それだ!」

合格を出すと同時に、僕は胸板を抑えてしゃがみこんだ。
「いてて……」
陽子の渾身のチョップを三発。いかに胸板とはいえ、これは効く。
……というか、道端で何やってるんだ、僕たちは?
「だ、大丈夫か、彰?」
陽子が慌ててのぞきこんできた。
お転婆で、口より先に手が出るタイプだが、こういうところは可愛い。
「だ、大丈夫だ。――今のタイミングを忘れるな!」
「おう! ……本当に大丈夫か? ごめん、調子に乗ってやりすぎた。
お返しに、彰も、三発チョップしていいから、さ……」
立ち上がった僕に、陽子はぐっと胸を突き出して言った。
「え゛!?」
予想外のことばに、僕は目を白黒させた。

(やりすぎたから、やりかえしていいよ)
──僕と陽子との間では、よくある会話だ。
美月ねえや星華ねえ相手とは違って、同い歳の僕たちの遊びは、いつも全力だし、本気だった。
何回もぶつかり合って、二人の間で自然に出来上がった決め事。
(やられすぎたら、やりかえす。やりすぎたら、やりかえされる)
(一方のやり逃げ、やり得は、許さない)
(二人の間が「ちょうど同じくらい」になるまで、物ごとを終わりにしない)
小学校入学の頃に取り決められたその不文律は、
ハンムラビ法典の太古から「最高の法律」とされるルールだ。
その不文律ができてから、僕と陽子の仲は以前にまして緊密になった。
(こいつは、逃げないし、ずるもしない奴だ)
子供心に、そうした信頼関係が生まれ、堅固になるのと、
僕たちのじゃれあいが一層激しくなるのとは同じ過程だった。

……でも、今回は……
「どうした、彰、やり返せよ」
陽子はぐっと胸板を押し出した。
いや、お前さんのそれは──胸板じゃない。
セーラー服の夏服を「むにっ」と押し上げている塊は、男には絶対にないものだ。
「い、いや、いいよ」
「なあに、遠慮してるんだ。――「やられすぎたら、やりかえす」のが、あたしたちのルールじゃん」
陽子は無造作に言ったけど、言ったけど……
「〜〜〜!!」
女性の身体にも、乳房の上、鎖骨の下辺りに、いわゆる胸元と呼ばれる部位がある。
そのあたりに手加減してチョップすればいいだけの話なのかもしれないけど、
──一度意識してしまった僕は、とても陽子に触れられない。
いわゆる「おっぱい」に手があたってしまったら……。
「なーにをまごついてるん……!?」
煮え切らない僕に詰め寄りかけた陽子の動きが止まった。
自分の胸元と、僕の顔を交互に見る。
「……」
「……」
何かを理解したような表情になった陽子は、顔を真っ赤にした。

──ここ数年、こんな感じだ。
まったくの五分の「兄弟」分として育ってきた僕たちは、
お互い成長し、身体が男女の差を見せるようになってきてから、時折こういう風になる。
小学生の頃、会うたびに比べあっていた身長は、
もう、それまでのようなデッドヒートを繰り返すことがなくなった。
僕のほうが、十センチ近く背が高くなってしまったから。
泥んこになって遊んだ後に、一緒にお風呂に入ることもなくなった。
陽子の胸はどんどん大きくなって、いつのまにか、スタイルも女らしくなってしまったから。
二人のじゃれあいも、口げんかで終わることが多くなってきた。
でも、僕も陽子も、そんな二人の関係に、正直戸惑っている。
もどかしい。
もっと近づきたい、昔のように屈託なく遊びたい、と思う気持ちはお互いが持っているだろう。
だけど、もうそれは、永遠に叶わないことなのかもしれない。

……それに、今年は──。

「……え、えーと、その、あははっ、い、行こうか……」
「あ、ああ、そうだな。道端で逆水平チョップ合戦に興じるところを警察に通報されても困る」
「彰がノリすぎるから、悪い」
「お前だってノリノリだったじゃないか」
「あ、あはは」
なんとなくぎこちない会話を続けながら、僕らは坂を上ろうとした。

坂が折れたところが、ちょっとした広場になっている。
お屋敷の車が道の途中ですれ違ったり、何かあった時に停車するのに使うスペースだ。
何箇所も作ってあるけど、坂の最初のそこは、
今通ってきた道や山の上のほうにも見晴らしがよい、僕らのお気に入りの場所だ。
陽子は、そこでふと足を止めた。
視線をちょっと上げて、向こうのほうを見つめる。――今登っている山の、七合目くらいを。
「……なあ、彰……」
「何だ、陽子……?」
「今年は、<上の神社>に行く?」
──僕の心臓はどきりとした。

「本家」がある山の七合目くらいには、神社がある。
街中にある神社と区別をつけるために<上の神社>と呼ばれているけど、
志津留の私有地の中にあって、「本家」が宮司を勤めていることになっている、誰も参拝に来ない神社だ。
ずっと昔は、陽子と何度も遊びに行ったものなんだけど、
あるとき、二人で夜中まで遊んで帰ってきたとき、お爺さんや美月ねえにものすごく怒られて以来、
僕たちはそこに行く事を禁止されていた。
もう十年近く前の話だから、今なら別に行っても怒られはしないだろうけど、
めちゃくちゃ優しい美月ねえが、涙をぽろぽろ流しながら激しく怒る姿を見て、
僕らは、子供心に、そこへ行く事を封印した。

「――いつか大人になって、美月ねえたちに心配かけないで済むようになったら、もう一回行こうな」
それは陽子との約束だったが、この数年、それを口にすることもなくなっていた。
だけど陽子は、ふいに、ほんとうにふいに、その話をした。
今年、僕に知らされた、僕と従姉妹が「やらなきゃならない」ことを知った今、
陽子があの神社のことを口に出したことに、――僕はちょっと大きな衝撃を受けた。

……なぜなら、僕らがあの日、神社に夜遅くまでいたのは……
……あの日、僕たちが見たものは……。

「――ふう」
それからは特に何があったわけでもなく、僕たちはお屋敷に着いた。
美月ねえは、さっき街のお祖父さんのところへ行った。
ここからちょっと離れた大学に行くのに独り暮らししている星華ねえは今日の夕方に帰ってくる予定だから、
僕は陽子とふたりで昼食を食べた。
──陽子がお肉をたっぷり入れた野菜炒めを作り、
──僕が冷蔵庫のあまり物を刻んでぶち込んだチャーハンを作る。
シンプルかつ、大雑把かつ、脂っぽい組み合わせだけど、
高校生の若い胃袋的には、ものすごくうまい。
はっきり言って、お手伝いさんの誰かが作ってくれる料理よりも。
本当なら、陽子は志津留「本家」のお嬢様だから、そんなことをする必要はない。
でも、こいつは、「お手伝いさんの手をわずらわすのもなんだから」と言って、
自分や僕――家族の分の食事は極力自分で作ろうとする。
そんな陽子を見て、僕も手伝うようになり、二人の時はお互い一品ずつ作って食べる習慣になった。
……まあ、白状すると、二人して料理を作るようになったのは、小学生の時に、
<マスター味っ娘>と言うアニメでやっていた料理対決をまねっこしようとしたのがきっかけだけど。
あの時、僕らの作ったカレーを食べた美月ねえと星華ねえは悶絶したけど、
その後で、徹底的に料理の基本を僕らに叩き込んでくれた。
おかげで、今の陽子と僕は、高校生にしてはかなり料理が上手いと思う。

チャーハンと野菜炒めをお腹一杯食べた後、僕は、客用の部屋──というと陽子は、怒る。
訂正──「僕の部屋」に荷物を入れ、昼寝をすることにした。
朝からの移動や、ここまで歩いたこと、それにこの間から気に掛かって仕方のない問題とか、
いろいろなことが重なって、涼しい風が入る部屋の中で、僕はすぐに寝入ってしまった。
そして、夢の中で、僕は数日前の事を思い出して、ひどくうなされた。

……。
……。
「――子供を作る?! ――陽子と、僕が?!」
夏休みに入る直前に、母さんから言いわたされたその話は、僕にとって青天の霹靂だった。

志津留(しづる)家は、平安から続く名門の支族で、この家自体も千年続いた名家だ。
公家侍の出で神官の家系と称して、お屋敷の近くの神社の宮司も兼ねているけど、
その本質は──もっと秘された存在。
それは、門外不出の「弓」の技を学んだ一族の人間には肌で感じ取れる。
……でも、その繁栄が、その総本家から分かれて以来連なる「血」の為せる業と言うのは、
「知っていた」けども、「理解していなかった」のかもしれない。
──平安の闇から生まれた七篠家と、その七つの支族は、
たった十数人の一族郎党で、強大な「敵」と戦うために、
一族を増やし、無理やりに「血」を重ねて強化することで力を得てきた。
怨敵を滅ぼした後もその「血」の力で、「ものの流れ」を感じ取り、操ることで一族は繁栄した。
志津留家の事業が成功してきたのも、その力によるところが大きい。
「力」を「血」に秘めた一族は、子供に血をつないでいくことでしか繁栄を得られない。
だからこそ、「本家」は薄まりつつある一族の「血」を再度結集することを決めたのだ。

──もっとも志津留の「血」を色濃く引き、そして一族の中で唯一の若い男である僕と、
現在の「本家」の三姉妹、その中でも僕と一番相性が良い、と判断された陽子とを交わらせることを。

「――志津留家の「血」は、他の六支族に比べて、だいぶ薄まっています。
本来、最も志津留の「血」が濃く出ていて、当主となる子を産むはずだった私が、
あなたのお父さんと結ばれるために家の外に出たせいで、本家に残った「血」は弱まってしまったのです」
目を伏せ、申し訳なさそうに説明した母さんは、いつもの母さんではなかった。
父さんと母さんが結婚するのに、「本家」との間でなにか揉め事があったのは、
子供心にも気付いていた。
夏休みや冬休みといった長期の休みの間中、僕が本家に行くようになっていたのも、
最初の一、二年以外は、両親がそれに付き添うことがなくなっていたのも、
何か理由があることなのだろうとは思っていた。
だけど、それがこんな荒唐無稽な話だったなんて……。

……だけど、僕は、そんな家のしがらみをすんなりと理解することが出来ていた。
なんとなく、志津留の家が普通とは「ちがう」ことはもうずっと前から気がついている。
それがどうやら、婚姻と血縁関係、つまり「血」の中にあるものだということも。
僕は──そして陽子たちも、見えないものが見えたり、見えてはいけないものが見えたりする。
感じ取れるはずのないものを感じ取り、時々、それを操ることさえできる。
それは、日常生活に差し支えのあるものではないから、気にしていないけれど、
もっと大きな「力」――一族の繁栄とかそういうものを含めて──に直結しているのは容易に想像がついた。
母さんから詳しく聞くまでもなく、その「力」のある人間が、当主として志津留の本拠地にいない限りは、
一族は衰退し、滅ぶしかないぎりぎりのところまで来てしまっている、ということも。

そして、その「力」のある当主とは、老いて衰えたお祖父さんではもうだめだし、
僕の母さんでも「力」が足りないし、陽子たち姉妹でも、僕でも「血」が薄い。
──僕と陽子との間に生まれた子供、ではじめて十分な「血」の濃さと「力」をもつことができる、ということも。

けれど、頭で理解していても、それが逃れられない宿命だとわかってしまっていても、
僕の心の中は複雑だった。
……陽子と、子供を作る?
生まれてからずっと兄妹のように育ち、仲良く遊んできた子と?
僕は、その話を聞かされたとき、足元の地面が崩れるような衝撃を受けた。
家族──実の妹と交われ。
そう命令された人間のように、僕はショックと本能的な嫌悪感を抱いた。

陽子。
僕は、こいつのことが大好きだ。
でも、それは、双子の妹とか、弟のような存在という意味で、であって、
夫婦だとか、子作りの相手とか、そういう生々しい行為の対象としてではない。
陽子。
いつでもいっしょに転げまわって遊んで、なんでも一緒にやって、
毎日喧嘩して、毎日仲直りして、こいつと二人なら何でもやれると思っていた親友以上の親友。
そんなそんな思い出ばかりがある相手。
僕にとって、もう一人の僕のような存在。
そんな奴と、獣のように交わって子供を作るだなんて、
──それは僕が今まで生きてきて築いた「良い思い出」を、すべてぶち壊してしまうようなものだ。

だけど、僕はその「お定め」から逃れられない自分を一瞬で悟ってしまっていた。
目を伏せた母さんが、ぽつぽつと語る、志津留家の話が本当のことだというのにも。
いままで漠然と感じていた不思議が、ジグソーパズルがぴたりとあてはまって完成したように
すべての答えに導かれたことで。
……けれど、頭で理解したって、心が納得しない。
納得しないまま、僕はここまで来てしまった。

……。
……。
僕が目を覚ましたとき、外はもうオレンジ色にそまりかけていた。
いつの間にか、夕方近くまで眠っていたらしい。
「彰、起きたか?」
しばらくして、ふすまの外から陽子の声がした。
「あ、うん」
「そう。疲れているみたいだから起こさなかったけど、……起きたんなら魚釣りにでも行かない?」
「ああ!」
僕はお腹にかけていたタオルケットを跳ね除けて立ち上がった。
魚釣りは、陽子との最高のゲームだ。
夕方の一時間は、朝釣りとはまた違った面白さがある。
汗で濡れたTシャツを着替えて、部屋の外に出た。

「にしし、今日は負けないぜ、彰」
僕とお揃いの麦藁帽子をかぶった陽子は、いつもの魚釣り道具を持って走り出した。
行き先は、近所の小川。
軽やかに走り出す陽子を追って、同じ格好の僕が駆け出す。
オレンジ色が濃くなり始めた光の中で、
それは、ずっと昔から変わらない風景だった。
ずっと、ずっと変わらない風景だった。

……これからもずっと……?

「……二人してボウズって、珍しいよね……」
「うーん、どっちかは一匹は釣ったもんなあ……」
一時間後、まだ夕日が沈みきらないうちに僕らは釣りを切り上げた。
なんとなく気がそぞろで、一匹も釣れなかったせいもあるけど、
夕焼けの中を帰るのは──けっこう好きだ。
昔、小学校の頃、陽子と遊ぶときは、いつもこれくらいに帰っていたので、
最初から夜まで遊ぶぞ、と決めていないときは、自然に今頃に足が屋敷を向く。
陽子と僕は、林の中の道を戻って、バス停のある公道まで戻った。
「……あれ?」
バス停に、誰かいる。
「――!」
「――!!」
「――――!!」
「――――――!!!」
なにやら声を強めて言い争っているのは、小学校の中学年くらいの男の子と、女の子だ。
男の子のほうには見覚えがある。
「ケン坊じゃないか……?」
それは、このバス停のあたりに家がある、お屋敷のお手伝いさんの子どもだった。
「あ、女の子の方も見たことあるなあ。
たしか街の方の子で、ときどきケン坊のところに遊びに来ている」
ピンクのポシェットを肩から下げた女の子は、大きな声でケン坊と言い争っているけど、
僕らは、そんな二人を止めようとは思わなかった。
あれは──仲がいい者同士のコミュニケーションだからだ。
気の強そうな女の子に、ちょっとケン坊が押され気味に見えるけど、ケン坊はもともとが優しい子だ。
結局は、女の子はそうしたところに惹かれてケン坊の家まで遊びについてきているのだろう。
ちょっとしたいさかいごとは──この子たちにとって空気と水とオヤツくらいの普通の出来事だ。
「……しかし、ケン坊も、なかなか隅に置けませんな!」
「置けませんな!」
「……これは、ちょっと詳細を知りたいものですな、ウヒヒ」
「知りたいものですな、ウヒヒ」
<ご近所の噂大好き奥様>モードに入った僕らは、こっそりバス停に近寄ろうとした。

「あ……お姉ちゃん、お兄ちゃん……!」
しかし、幼い痴話喧嘩の内容を聞き取る前にケン坊がこちらに気付いた。
正確に言うと、女の子の剣幕に押されてたじたじになって左右を見渡したところに僕らがいたのだ。
「よう、ケン坊!」
何食わぬ顔をして挨拶をする。
休みの間しかこっちに来ないとはいえ、お手伝いさんの子供のこの子とは僕も顔見知りで、
「末っ子」の陽子と僕にとっては(僕は一人っ子だけど)弟分のような感じで、しょっちゅう一緒に遊んでいる。
「〜〜〜!」
ケン坊に噛み付きそうな勢いだった女の子が、後ろの僕たちに気が付いてケン坊からぱっと離れる。
真っ赤になった顔が可愛い──というよりかなり美少女系の女の子だ。
こりゃ、大人になったら美人になるぞ。
ケン坊、隅に置けないどころか、大威張りでど真ん中に座ってていいぞ。
「何してたの?」
陽子が笑いながら(本人はニコニコのつもりだろうけど、傍からだとどう見てもニヤニヤだ)笑いながら声を掛ける。
「う……」
「な、なんでもないですっ……ねっ、ケンちゃん!」
「う、うん、あ、そうだ、バス! バスを待ってたんです!」
「そ、そう! バス待ってたの!」
ケン坊とそのガールフレンドは真っ赤なほっぺをさらに真っ赤にして答えた。
「んふー、バス待ちー? の、割にはぁ〜〜」
陽子が何か追求の一言を言おうとしたところで──。
ブオー。
バスが間抜けなクラクションの音を上げながら走ってきた。
「あっ、来た! 紗紀(さき)ちゃん、またねっ!」
「うん、ケンちゃん、またねっ!」
ぴったりと呼吸の合った、有無を言わせない勢いで二人は言い立てると、
紗紀ちゃんはダッシュでバスに乗り込んだ。
「……気をつけて帰るんだよ!」
50年をともにした夫婦もかくや、という阿吽の呼吸のコンビネーションの前には、
さしもの陽子もそういうのが精一杯だった。
「はぁい! ──ケンちゃん、また明日ねー!」
「うん、また明日ぁー!! お兄ちゃん、お姉ちゃん、バイバイっ!」
見送りが終わるやいなや、追及を避けてケン坊は駆け出し、僕らはバス停に取り残された。

「……若い者は、元気が良いですな」
「良いですな」
「何を話してたんだろうね?」
「……なんだろうねー?」
僕らは、くすくす笑いながら歩き出した。
「――そういや、ケン坊ってさ……」
僕は、何かを言おうとして、ことばを失った。
道は曲がり角に来ていて、ちょうど向こうの林の切れ目から、
「上の神社」の屋根がちょっと見えるところだった。
「――ケン坊がどうしたって? ……!!」
押し黙った僕を不思議そうに見た陽子が、僕と同じものを見て同じくことばを飲む。

……「上の神社」とケン坊。
誰にも言えない秘密だけど、陽子と僕にとっては、それは一つに重なった記憶だ。

──僕らが、「上の神社」に夜遅くまでいて怒られたのは、実は遊んでいて遅くなったのではない。
あの日、僕たちは、神社で<大人の逢引>を見てしまったんだ。

──その日、神社の裏のほうにある沢で、沢ガニを取っていた僕たちは、いつもより遅くなった。
暗くなり始めた時点で帰ろうとはしていたんだけど、
陽子が岩穴に引っ込んだ大物をどうしても取るんだと言い張って、
もう一度出てくるまで待っていたので、気がついたときには日は暮れてしまっていた。
「げ、早く帰らないと、美月ねえに怒られるよ」
「……怒られたら、陽子のせいだぞ!」
「うー。彰だって止めなかったじゃないかぁ。早く帰ろっ!」
それでも、狙った獲物をみごと捕獲した陽子は上機嫌で、
今にもスキップしそうな勢いで駆け出し──立ち止まった。
「お堂の前に、誰かいる」
僕たちは、顔を見合わせて反射的に隠れた。

「あれ――千穂さん?!」
「あっちは吉岡さんだ」
神社の前で、向かい合っている二人には見覚えがあった。
どちらも志津留に代々仕えるお手伝いさん──僕たちは「使用人」という言い方が好きでない──で、
千穂さんはお屋敷で御飯を作ったり、お掃除をしたりしていて、
吉岡さんは、街にあるお祖父さんの会社で働いている人だった。
僕たちにとって、どっちも見慣れた人たちだったけど、
千穂さんがいつもの割烹着ではなく浴衣、吉岡さんがいつものスーツではなく私服、というのは、
まるで見知らぬ人のように思えた。
──話している内容も。

「……どうしても、結婚のお話を受けてもらえないんですか」
「わ、私はあなたより五つも年上ですし、……それに一度離婚している身です」
「そんなことは関係ありません!」
「吉岡さんのご家族は、やっぱり反対されるでしょう」
「いいえ、親父やお袋は僕が説得します。たとえ勘当されても」
「いけません。私は、勝手に東京に出て、出戻ってきたところを
志津留の御前(ごぜん)様に世話していただいる身ですが、
あなたは、ずっと御前様にお仕えして、目をかけていただいてる方ではありませんか。
私のような女と関われば、御前様やお嬢様方はお気にされなくても、
家中から後ろ指をさされて、きっと出世にも響きます……」

千穂さんは、ここにある実家から出て東京に行って、そこで結婚したんだけど、
その旦那さんがひどい人で、離婚して戻ってきたという話を聞いたことがある。
離婚の前は、家にいることも出来ずに、旅館の住込み仲居をしていたというので、
お屋敷での仕事もてきぱきとしていて、皆に評判が良かった。
でも、美人で、都会戻りで、……おっぱいがすごく大きくて目立つ人だから、
女のお手伝いさんの中には、あれこれ言う人たちも何人かいた。
吉岡さんは、ずっと地元にいて、大学だけ東京に出て戻ってきた。
とっても頭がいい人で、お祖父さんから可愛がられ、卒業後は秘書のような仕事をしている。
「ゆくゆくは、会社のひとつくらい任せたい」
というのが、お祖父さんの口癖で、志津留家中ではいわばエリートだった。
二人がくっつけば、なるほど何か言われるかもしれない──というのは後で気がついたことだ。

「貴方が心配していることにはならないでしょうし、また、なっても覚悟は出来ています。
……それとも……貴女は、やっぱり、元の旦那さんのことが忘れられないのですか……?」
「!!」
千穂さんは、息を飲んだ。
それから、地面に視線を落としてぽつりぽつりと答えた。
「……もう忘れた、と言ったら嘘になるかもしれません。……あんな男でも、私の夫だった人間ですから。
憎しみもありますし、恨みもありますし、……愛し合っていた記憶も残っています。
……あれは、遊び人でしたから、私の女の身体に忘れられないものをいくつも刻んでしまいました。
ですから、そういうものも含めて、……私は吉岡さんにふさわしい女ではありません」
いつも陽気な感じの千穂さんからは、想像がつかない憂い顔だった。
だけど、吉岡さんのほうも、いつもの物静かで真面目一辺倒の吉岡さんではなかった。
「千穂さんっ!!」
吉岡さんは、普段とはまるで別人のように、情熱的に千穂さんに抱きついた。
「それでも──僕は貴女が欲しい!」
吉岡さんは、抱きすくめた千穂さんに口付けした。
「んんっ!」
千穂さんは目を大きく見開いたけど、やがてそれを閉じた。

「――うわあ、キスだ……」
陽子が、かすれた声でささやいた。
「だまって……見つかっちゃうよ」
僕らは、石造りの狛犬の陰に隠れて、その様子をうかがっていたんだけど、
想像もつかなかった展開を目の当たりにして、身体も頭も働かずに、
ただそれを食い入るように見ているだけだった。

「ふわ……だめです、いけません。
……吉岡さんはお若いですから、きっと欲情と愛情をごちゃまぜにしているだけです……」
「そ、そんなこと、……ありま……せん」
キスを終えたところに、千穂さんからそう言われて、吉岡さんは傍から見ても分かるくらいに戸惑った。
浮いた話ひとつない生真面目な社長秘書さんには、我を忘れた情熱の経験が少ないので、
言われたことに自信を持って反論できなかったのかもしれない。
「……でも、それは……私も同じかもしれません……」
目を伏せていた千穂さんは、もう一度目を上げて吉岡さんの顔を見つめたあと、ゆっくりとひざまずいた。

「ち、千穂さん……?」
「あなたに誘われたとき、私はとっても嬉しかった。
こっちに戻ってきてから、一番嬉しいできごとでした。
でも、きっと、私の抱いている感情も、欲情と愛情をごちゃまぜにした衝動です。
前の夫が開発していった、私の牝の身体がうずいているだけ……」
「千穂さん……」
「……だから、今はこうして慰めあいましょう。
ことが終わって冷静になれば、きっと考えも変わりますから……」
千穂さんは、持ってきた手ぬぐいを、自分の膝の下に敷いた。
それから、絶句している吉岡さんのズボンに手をかけると、馴れた手つきでそれを引き下ろした。
「……まあ、ご立派……」
薄暗がりの中でもはっきり分かるくらいに、大きなものが、ぶるんと勢い良く跳ね出した。
「ふふふ、前の夫のよりも、大きいですわよ、吉岡さん……」
舌なめずりした千穂さんは、普段の明るく小気味いい感じとはまるで別人だった。
「ち、千穂さん、そんなこと……」
「こんなことをするのが、私です。あの男は、セックスの前に必ず口でさせました」
「……!!」
絶句する吉岡さんの性器を掴んだ千穂さんは、それをためらいもなく口に含んだ。
ちゅるちゅる、ちゅう。
ぴちゃぴちゃ、ぺろり。
何メートルも離れているのに、粘液質な小さな音ははっきり僕たちの耳元に届いた。
「うわっ……千穂さんっ……」
「ふふふ、いいでしょう、これ。仕込んだ夫も私のフェラチオにはぞっこんでしたから。
──おかげで執着されて、離婚するのに時間がかかってしまいましたけれど……」
「……」
返事を待たずに、また咥えなおした千穂さんが、さらに唇と舌を使ったのだろう、
吉岡さんはことばを封じられて身もだえするだけだった。
やがて──。
「あ、駄目です。千穂さん、離してくださいっっ!」
吉岡さんががくがく震えながら小さく叫んだ。
千穂さんは、妖しく微笑んで、その声を無視してフェラチオを続けた。
そして、最後の瞬間に、ちゅるんと吉岡さんのおち×ちんから口を離したから、
吉岡さんの勢いの良い射精は、みんな千穂さんの顔にかかった。

「あ、ああっ、千穂さんっ……!」
吉岡さんのおち×ちんから、夜目にもあざやかな白い汁が噴き出した。
それは、千穂さんの顔にかかり、髪の毛までを汚した。
「ふわ……熱ぅい……。顔がやけどしちゃいそう……」
千穂さんは、うっとりとした表情で、射精したばかりの男性器に頬を寄せた。
ぬるぬるとした精液を擦り付けるように、吉岡さんのおち×ちんに頬ずりする。
「ち、千穂さん……」
「ふふふ、気持ちよかったでしょう? あの男もよく私の顔に精液をかけましたわ。
離婚の話がでたあと、それはいっそうひどくなりましたわ
こうすることで、私を自分の縄張りの中に縛るんだって……。離れた心までは縛れっこないのにね」
「……ち、ち──」
「ふふふ、吉岡さんったら、まだこんなにおち×ちんカチカチ。
でも若い男の人が、もう三十路のおばさんにこんなに欲情してはダメよ。
今日だけは、うんとさせてあげるから、帰ったら忘れなさいね……」
吉岡さんの顔を見ず、千穂さんはそう言い、持ってきた小さなバッグから何かを取り出した。
「あ……」
「ふふふ、こんなもの持ってきちゃいました。やっぱり私もこういうのを期待してここに来たのでしょうね。
……だったら、お互い後腐れのないセックスを楽しみましょう」
その時は分からなかったけど、千穂さんが取り出したのはコンドームだった。
いま出した精液がこびり付いているおち×ちんをぺろぺろと舐めて綺麗にした千穂さんは、
魔法のような器用さでそれを吉岡さんに付けてあげた。
「お堂の中に入りましょう、いいものがあるんですよ」
千穂さんは、半ば呆然としている吉岡さんの手を引いた。
志津留の家の関係者ならみな知っているけど、カギはお賽銭箱の下に収めてある小箱の中にある。
誰も参拝に来ない神社だし、大切な神具などはぜんぶお屋敷のほうにあって、
必要なときだけ運んでくるものだから、そうしておいたほうが便利なのだ。
千穂さんは、そのカギを使ってお堂の中に入った。

「……?」
「……!」
僕は陽子と目と目の会話をした。
意見が一致した僕らは、そおっとお堂のほうへ近づいた。

格子になっているお堂の扉から中を覗くと、千穂さんが奥の物入れから何かを運んでくるところだった。
「――ほら、お布団」
千穂さんがくすくす笑いながらそれを敷く。
「……なんでそんなものがここに……?」
吉岡さんの疑問は、僕らの疑問でもあった。
「ふふふ、昔から、ここは志津留の者たちの逢引場所なのですよ。
代々お布団を隠してて、古くなったら入れ替えると、私の母から聞きました」
たしかに、千穂さんが敷いたお布団はまだ新しかった。
「シーツは、使った人間が買い足しておくのがマナーですから、明日、補充しておきましょう」
千穂さんは、これも物入れから取り出してきた新品のシーツの包装を破りながらそう言い、
てきぱきと夜具の用意を整えた。
「それじゃ、──しましょうか。吉岡さん……」
千穂さんは、浴衣をはだけてお布団の上に座った。
「千穂さん……」
「……千穂って呼んでください。夫にそう呼ばれてましたから。――セックスの時は特に」
「ち、千穂……」
もじもじしている吉岡さんに、千穂さんは、さりげない動きで浴衣を自分からさらにはだけた。
──今の美月ねえもすごいけれど、千穂さんは当時も今もそれ以上だ。
お手伝いさんたちのなかでも群を抜いて大きい。
半ば露出した巨乳に、吉岡さんがごくりと唾を飲み込みながら手を出す。
ためらいがちなその手を掴んだ千穂さんが、それを自分の胸にぐいぐいと押し当てた。
「ふふふ、お乳を吸って……」
ことばに操られるように吉岡さんは千穂さんのおっぱいにむしゃぶりつき、
先ほどまでの勢いをすっかり取り戻した。
「ふわ……そうよ。そう。――そしたら、片手はこっち……」
千穂さんは吉岡さんの右手をどこかに導いたようだった。
「ほら、濡れているでしょう? いじってごらんなさい……」
「あ、ああっ……」
吉岡さんが手を動くたびに、千穂さんは熱い吐息をつき、二人の動きはどんどん積極的になってきた。
やがて、
「いいわ。――私の中にいらっしゃい」
千穂さんが吉岡さんの頭を抱きながら、耳元でささやいた。

「……こ、こう?」
「ううん、もうちょっと下。……ここ……」
「ああっ、は、入った……!」
月光が差し込むお堂の中で、白い千穂さんの身体の上に、吉岡さんの身体が重なった。
真新しいシーツの上に横たわって大きく足を広げた千穂さんの中に
吉岡さんの腰が沈み込んで行く。
「くっ……ん……」
「うん……くふっ……」
吉岡さんがあえぎ声をあげると、千穂さんが呼応したように吐息をつく。
青白い月の光の中で、二人はたちまちに高みに上った。
「ち、千穂っ……」
「いいわ。出して──」
吉岡さんが裸の上半身をのけぞらせる。
千穂さんは、目を閉じてそれを受け入れた。
やがて、吉岡さんは横に崩れるようにぐったりと布団に沈み込んだ。
千穂さんは、添い寝するような感じで、その頭をなでる。
「……吉岡さん、気持ちよかった?」
「……はい……」
「ふふふ、いっぱい出したのね。……コンドームの中、こんないっぱいよ」
「……」
志穂さんは、自分の中から抜け出した肉の先端を握りながら言った。
吉岡さんのおち×ちんをきゅっとしごくようにしてから避妊具を外す。
「ほら、こんなにたくさん……」
「……」
「ふふふ、前の夫も、絶倫で精子いっぱい出す人だったけど、吉岡さんのもすごく濃いのね。
スキン越しでも、ゼリーみたいにたぷたぷしてるのがわかるもの……」
「……」
「すっきりしたでしょ? ……もう一度する? 今夜だけは、何度でもしてあげるわよ」
「千穂さん……」
──答えは、抱き寄せての優しいキスだった。

「……よ、吉岡さん?!」
「――駄目ですよ、千穂……いいえ、千穂さん。下手な演技は……」
「!?」
「貴女は優しい人だから、僕が貴女をあきらめやすいように
わざと前の旦那の話を持ち出しているんでしょう……。
前の男に開発され尽くした女だって、僕に見せ付けてあきらめさせようとしているのでしょう」
「……!!」
「でも、僕は、そんな貴女が好きだから、それは全然意味がないんです。
貴女が僕のことを好きになっていてくれるのなら、それだけで十分なんです。
年の差とか、離婚暦とか、前の旦那のこととか、全部関係ないんです」
「……吉岡……さん……」
吉岡さんは、千穂さんのことを優しく抱きしめた。
吉岡さんの腕の中で、千穂さんのすすり泣く声が聞こえた。
しばらくして、千穂さんは、顔を上げた。
「……吉岡さん……私のお腹に何か当たってます……」
「ええと……その……千穂さんが、可愛くて……」
「まあ……」
千穂さんは真っ赤になって吉岡さんをぶつ真似をした。
「――千穂さん……その……もう一度いいですか……?」
「は、はい──きゃっ!」
吉岡さんは、千穂さんの承諾の返事を聞くや、ぱっとその身体を抱きかかえた。
普段や、ここまでの吉岡さんとは全く違った勢いだった。
逆に、今まで吉岡さんをリードしていた千穂さんが受身にまわっている。
「よ、吉岡さん、コンドームを……」
「要りません」
「で、でも私、今日は大丈夫な日じゃないんです……」
「かまいません。親父やお袋も、孫ができればあきらめるでしょう」
「そんな……」
「子供を盾にするんじゃありません。……千穂さんに、僕の子供を産んでもらいたいのです」
「ああっ……」
吉岡さんにしがみついた千穂さんは、どんなことばよりもはっきりと答えを示していた。
吉岡さんは、そんな千穂さんにもう一度キスをして、――もう一度千穂さんとつながった。

「ふわあっ! ……吉岡さん、すごいです、すごいですぅっ……!」
「ち、千穂さんもっ……!」
避妊具なしに交わり始めた二人は、先ほどの何倍も乱れて燃え上がっていた。
息を潜めて見つめ続ける僕らの前で、二人の神聖な痴態は長く長く続いた。
やがて……。
「ああっ、千穂さんっ、僕はもうっ……」
「来てっ、吉岡さんっ。私に、私にあなたをくださいっ……」
「――くうっ!」
「──ああっ……!!」
感極まったように二人が震え、お布団の上に崩れ落ちた。
薄暗がりの中、しばらく、はぁはぁと言う二人の荒い息だけが続いた。
「――ふふ、私の中、吉岡さんの精液でいっぱい……」
「――千穂さん……」
「吉岡さん、私、とっても気持ちよかった。――前の夫とした何百回のセックスより、ずっとずっと」
「千穂さん……!」
「だから、もう、あの人のことなんか、今夜で全部忘れました。
今から、千穂は全部丸ごと、吉岡さんの女――そう思っていいですか……?」
「もちろん!!」
吉岡さんはもう一度千穂さんの上に重なった。
「あ……また、してくれるのですか?」
「もっともっと、貴女が僕の子供を孕むまで、何度でも……!」
「うれしいっ!!」

結局、吉岡さんと千穂さんは、そのあと五回も交わって、
暗闇の中で息を殺して最後までそれを見つめていた僕たちは、
すっかり帰りが遅くなって美月ねえたちからさんざん叱られる羽目になった。

千穂さんは、その何ヶ月か後に妊娠したことがわかって、
ちょっとした騒動にはなったけれど、吉岡さんと再婚した。
すぐに子供──ケン坊が生まれたんだけど、
計算してみると、どう考えても、あの神社での一夜がもとだ。
ケン坊にはないしょだけど、陽子と僕は、ケン坊が「出来た」ところを目撃したのだ。

「……」
「……」
僕らは、同じことを思い出していたのだろう、顔を真っ赤にしていた。
あのときは、はっきりいってよくわからなかった
──ただ二人が何かいやらしくて真剣なことをしていたことだけはわかる──けれど、
幼い網膜に焼きついたものは鮮明で、「そういうこと」の知識が備わるにつれ、
僕たちの中でものすごい経験に変わった。
今でも、心の準備なしに吉岡さんや千穂さんに出くわすと、陽子と僕はどぎまぎする。
僕らにとって、「上の神社」は、そうした記憶の象徴だった。

そして、今年、子作りを命じられた僕らにとっては──それは生々しい「お手本」でもあった。

「あたしらも──これから、ああいうこと、するんだよね……」
不意に、陽子が呟いた。
「こ、子供……ケン坊みたいな……?」
ついさっき別れたばかりの小学生と、その誕生の記憶は、
ものすごいリアルな現実としてのしかかってきた。
従姉妹とのまじわりに、まだ心の準備のつかない僕の上に、ずっしりと。
「……陽子……」
「あのさっ……。いつまでも考えても、らちがあかないだろうから、今夜、しちゃわない?」
「えっ……!?」
陽子の意外な提案に、僕は絶句した。
「あははっ、こういうのは勢いだって、千穂さんたちも見せてくれたじゃん」
そっぽを向きながら、陽子はくすくすと笑った。
男の子みたいにさばけているとは思っていたけど、これほどまでとは──。
「彰は、嫌なの?」
「い、いや、そういうことでは──」
「じゃ、決まりね。お風呂は入ったら、彰の部屋に行くからっ──!!」
陽子は、言うだけ言って、不意に駆け出した。
──僕はその背中を呆然と見送るだけしか出来なかった。



部屋に戻った僕の心臓は、爆発寸前なまでにドキドキしていた。
酸素が足りない。息苦しい。
はあはあ、と、何度も深呼吸をしたが一向におさまらない。

みんなで食べた夕飯も、どこに入ったのかわからなかった。
久しぶりに顔を合わせた美月ねえや星華ねえとの挨拶も、まぼろしの中の出来事のようだった。
「彰ちゃん……?」
「……」
僕の顔を見て首をかしげた二人は、しかし、何も言わなかった。
陽子だけが、普段と変わらぬ調子で、御飯を平らげていた。
よく食べ、よく動き、よく笑う──いつもの陽子。
お前、こんなときに、よく平気でいられるな。
美月ねえに声を掛けられるたび、星華ねえが無言でこちらを見るたび、
僕は「お定め」のことを思い出して、箸を取り落としそうになるのに……。

美月ねえの作ったご馳走は、そりゃもうすごく美味しいのだけど、
今日ばかりは、砂か灰でも飲み込んだじゃないだろうか、という夕飯だった。
食事の後で、僕は、三姉妹の後に続いてお風呂に入った。
身体中をいつもよりもゴシゴシと丁寧に洗う。
おち×ちんを洗おうとして、僕は、それが固く膨らんでいることに気付いて狼狽した。
僕の性器は、アダルトビデオの中の男の人のように、獰猛に跳ね上がっている。
それは、これから女の子と性行為におよぶことへの期待に充血し、準備を整えていた。
「……お前、こんなときに、よくそんなになれるな……」
僕は、僕の意思とは無関係にそそり立った自分の性器を睨んだ。
ただただ性欲に忠実な器官が、従姉妹相手にも劣情を抱いていることは、僕にとって少なからずショックだった。
そう。
──陽子が、あんなにあっさりと僕との性交を口に出したことと同じくらい。
「……」
僕は、おち×ちんを刺激しないようにしながら、それでも、それをいつもの倍くらい丁寧に洗った。

湯船に入る。
なめらかなお湯の中に身を浸せば、いつもはリラックスできるのに、今日ばかりはダメだ。
身体は解きほぐれても、心のどこかが硬く凝り固まったように圧迫感がある。
何も考えないようにしよう。
そう思いながら、僕は、ふと目をあげて、どきりとした。
湯船の縁(ふち)に、髪の毛が一本。
誰のものだろうか。
お手伝いさん用のお風呂は、別にあるから、このお風呂には志津留の家族しか入らない。。
お祖父さんは今日も街から帰ってこないから、ここに入った人間は僕以外では三姉妹だけ。
その黒々として艶やかな髪の毛は、生まれて一度も髪を染めたことがない彼女たちのものだ。
そして──。
この長さは、美月ねえや星華ねえのものでは、ない。
僕よりもちょっと長い、この髪の毛は──。
(よ、陽子も、このお風呂に入ったんだ……)
考えたら当たり前の話だ。
今まで何百回も繰り返された日常。
でも、今日の僕にとって、それは、生々しい想像をともなって脳裏にはたらきかけてきた。
全裸の陽子が、いま僕のいるお風呂に入っているさまを。
ついさっきまで、陽子がここにいた。
陽子は、僕と同じように身体を洗ったのだろうか。
この湯船に浸かって、何を考えていたのだろうか。
湯船……?
今僕の浸かっているお湯に、陽子も入ったんだ……。
陽子の裸の胸や、あらわになった性器も、このお湯の中に──。
僕は、ふいに、自分の周りのお湯に陽子の体温が溶け込んでいるような錯覚を感じて過呼吸になった。
なまめかしい匂いをかいだような気さえする。
あわてて浴槽から立ち上がると、僕のおち×ちんは、下腹に張り付かんばかりの勢いでそそり立っていた。
馬鹿──この変態。
ぼくは、下卑た劣情しか詰まっていないそいつを切り落としたくなる衝動に耐えながら、お風呂を出た。

部屋に戻っても、ドキドキは収まらず、さらに増す一方だった。

──いつまでも考えても、らちがあかないだろうから、今夜、しちゃわない?
──じゃ、決まりね。お風呂入ったら、彰の部屋に行くからっ──!!

陽子の声が、何度も木霊する。
同時に、幼い頃に「上の神社」で見た吉岡さんと千穂さんのセックスが、生々しい映像として脳裏に浮かぶ。
汗まみれで絡み合う牡と牝は、あられもなく交わり続け、蕩けていく。
僕の頭の中で、白い裸身をさらす女の人は、いつのまにか、
千穂さんではなく陽子に変わり、吉岡さんは僕自身に変わっていた。
「うう……」
僕は、無意識のうちに自分の性器を握り締めていることに気付いて狼狽した。
陽子のことを考えてオナニーしていただなんて──。
そして、僕は、それが、今日はじめてのことではないことに深い自己嫌悪を抱いた。
射精への欲望に膨れ上がったおち×ちんから、無理やり手を放す。
「……」
いっそこのままオナニーを続けてしまおうか。
身のうちに溜まった獣欲のままに、陽子と交わることに僕は違和感と嫌悪感を抱いていたからだ。
(セックスって、もっと真剣で神聖なものなのではないか)
吉岡さんと千穂さんの交わりが、あんなに真剣で激しいものだったせいか、
僕は漠然とそう考えていたのだ。
ましてや、陽子と僕との間のセックスには──子供を作るという、
これ以上真剣で神聖なものはない行為がつながっている。
「……どうすりゃいいんだよ……」
僕は、一向に萎える気配のない男性器を眺めながら、途方にくれていた。

その時――。
「彰、入るよ」
ふすまの向こうから陽子の声がした。
「ちょっ、ま、待って……!」
僕はあわててパンツとズボンをあげ、真っ赤になりながらふすまを開けた。

「にっししー。志津留陽子、夜這いに参りました〜!
ふつつかものではございますが、よろしくお願いいたします〜!」
ことばとは裏腹に、元気一杯で飛び込んできた陽子に、僕は戸惑った。
どこまでもいつもの調子の陽子と、その話している内容とのギャップに。
陽子は、上下ともに長袖のパジャマ姿――これも見慣れた姿だ。
昼間や風呂上りはともかく、夜寝るときはTシャツに短パンというような格好はしない。
(――なんで陽子たちって、夜はそんなの着て寝るの? 暑くない?)
(――うーん、慣れてるから暑くないよ。
それに、婆ちゃんが、女はお腹を冷やしたら駄目だって言ってたもん)
いまどき逆にめずらしいかもしれない「年齢相応の格好」には、
旧家に脈々と続いている教えが溶け込んでいるのかもしれない。
「……」
僕が黙って立っていると、陽子はちょっと首をかしげて、部屋を見渡した。
「あー。彰ったら、全然準備してないー」
「あ、ああ、ご、ごめん……」
「お布団敷かなきゃ、ダメでしょ?」
「あ、う、うん……」
僕の部屋は、散らかりきっている。
リュックサック一つ、手提げ袋ひとつの中身でよくもまあ、というくらいに。
「しょーがないなー。ほら、ちょっと、そこ、どいて」
陽子は勝手知ったる我が家という感じで(実際、陽子の家なんだけど)部屋の中に入り、
さっさと荷物を片付け始めた。
意外だけど、陽子は、こうしたことが得意だ。
美月ねえと星華ねえという、二人の家事の達人に仕込まれたせいか、
料理以外にも、家事全般でできないことはないし、本人も好きだ。
「陽子は、世話女房になるわい」
とは、婆(ばば)さま──お祖父さんのお姉さんで、僕にとっては大伯母──のことばだ。
(……女房……?)
どきん、と僕の心臓が脈打った。
陽子と……その……セックスして、子作りしたら、当然、陽子と僕とは夫婦になる。
僕は自分の頭に浮かんだ単語が導き出す想像に狼狽した。
それは、四つん這いになって床に散らばったものを拾う陽子の、
パジャマに包まれた──形がくっきりと浮き上がったお尻が目に飛び込んできて、いっそうひどいものになった。

「着替えは風呂敷にまとめとくよ」
「あ、ああ、頼む……」
「彰ってば、あいかわらず風呂敷包み作れないんだ」
「う、うん……」
僕は「風呂敷に下着を包み、上できゅっと縛る」ことがどうしても出来ない。
母さんが包んでくれた風呂敷を一回あけてしまったが最後、
二度と同じようには包み直せないのだ。
いや、絶対に、中に入っているものの容量は、風呂敷の内部に納まるはずがない、
と僕はいつも思っているんだけど──陽子はなんでもないもののように見事に片付けた。
「はい、一丁上がり。……どうしたの?」
「い、いや……」
片付けものをしている間中、僕の視線が陽子のお尻に注がれていたなんて言えない。
パジャマに包まれた陽子のお尻は、昼間見るよりも、ずっと大きくて形がよかった。
黄緑色のパジャマ――特に取り決めたことではないだろうけど、三姉妹は、
美月ねえが白やピンク、星華ねえが青や水色、陽子が黄色や緑のものを揃えることが多かった──は、
色気も何もあったものじゃないデザインのはずだけど、陽子の胸やお尻は、
そんなものを突き破って僕に「女」を感じさせるものだった。
「……へんな、彰……」
陽子は小首をかしげて僕を見ると、最後に残ったリュックを部屋の片隅に持っていこうとした。

──その動きが、途中でぴたりと止まる。
「彰……これは何?」
陽子が、こっちを見た。
──陽子の手にあるのは、「明るい家族計画」。
従姉妹相手に子作り、という話に、どうしても納得いかない僕が、
新幹線に乗る前に駅前の薬局でこっそり買ってきたものだ。
それを使ってどうしようとか深く考えたわけではない。
準備と言うよりは、お守りのようなものだ。
でも、それを目にした陽子は、一瞬で状況を理解したようだ。
きりりとした眉が、つりあがった。

「……いや、あの、その、な?」
僕はしどろもどろに、訳のわからないことばを発して陽子をなだめようとする。
僕を見つめる陽子の瞳が、怒りに燃え上がっていた。
普段はどんなに喧嘩しても、殴られても、「じゃれあい」で済む。
お転婆で乱暴だが、三人の中である意味、性格的には一番普通かもしれない。
だけど、こういう目をしているときの陽子は、だめだ──僕の手に負えない。

もっとも、陽子とそんな状態になったのは、過去に二回だけだが。

一回目は、バレンタインにもらったチョコのことで、からかった時。
──あれが、陽子が朝四時から奮闘して作った手作りとは知らなかった。

二回目は、陽子がクラスメートからもらったラブレターについてからかったとき。
──これは今でもわからない。
「この先、そんな奇特な奴など現れないだろうから、いっそ、そいつと結婚しちまえよ」
と言っただけなのだが、陽子はなぜか激怒した。

陽子の最大級の怒りは、いちど沈黙してから一気に爆発する。
俗に言う<嵐の前の静けさ>というやつだ。
「……彰?」
そう、ちょうど今みたいに。
冷たく沈んだような声は、内面の怒りを隠しきれない。
「な、何かな?」
「……あたしと……するのに、これを使う気だったの?」
陽子の声と視線は、僕に(返事をしろ)と言っていた。
「あ、いや……その、だな……」
僕は舌をもつらせながら、やっと声を出した。
「……」
陽子はうつむいた。
僕は、次に来るだろう爆発の瞬間を予想して身体を縮ませた。
──だけど、爆発は、いつまでたってもこなかった。

「……」
爆発するかわりに、陽子はぽたぽたと涙を落としていた。
「よ、陽子……?!」
「……嫌いなんだ…」
「……え?」
「彰は、あたしのことが嫌いなんだ……」
「……ええっ?」
「彰は、あたしのことが嫌いだからこんなもの買ってきたんだ……。
あたしに、彰の子供を産ませたくないから、こんなもの買ってきたんだ……」
「……えええっ?!」
「う……」
「――?」
「ううっ……」
「――??」
「うわああああ〜〜〜っ!!!」
「――!!??」
突然、飛び上がるようにして立ち上がった陽子は、ふすまをばしーんと開けると、
ものすごい勢いで飛び出していってしまった。
「あ……ちょ、ちょっと、陽子――」
残された僕は、呆然とそれを見送るしかなかった。
「――」
一分も、突っ立っていただろうか。
我にかえった僕は、あわてて陽子を追いかけた。
陽子の部屋は、二階にある。
「――よ、陽子……?」
「……」
部屋のカギは堅く閉められ、中からは何の返事もない。
僕の記憶にある限り、この部屋のカギが閉められたのも、
陽子が僕の呼びかけに応えなかったのも、初めてのことだった。
「……陽子……」
僕は、そこで二時間も途方に暮れていた。

──翌朝。
一度、部屋に戻ったけど、僕はなかなか寝付かれなかった。
明け方にうつらうつらする僕は、夢を見た。

たわいのない、思い出。
春にお花見をしたり、
夏に川遊びしたり、
秋にどんぐり拾いをしたり、
冬に雪遊びをしたりする、夢。
思い出の中の小さな僕には、いつだって相棒がいて、
そいつといっしょに思いっきり笑い、泣き、遊び、学んだ。
日に焼けた顔をくしゃくしゃにして、毎日をいっしょに飛びっきり楽しんだ相棒の名前は──。

……僕は、汗びっしょりで目が覚めた。
荒い息をついて起き上がる。
「……」
パンツを突き破らんばかりの勢いで自己主張している股間を僕はにらみつけた。
陽子の夢を見て、なんでこんなことになるのだろう。
これは、生理現象だ。
そうにちがいない。

朝食に陽子は現れなかった。
呼びに行った美月ねえは、小首を傾げて「あの子、風邪ひいちゃったみたいね。寝てるって言ってた」
と言ったけど、僕はそれが本当のことではないことがわかっていた。
「……」
「……」
「……」
美月ねえと、星華ねえと、僕の三人の朝食の場は、静かだった。
昨日の晩よりも、さらに味気ない食事。
陽子のいない食卓は、実家ではいつものことのはずなのに、
今日は耐えられないくらいに寂しいものだった。

朝食が終わり、僕は、母屋を出て中庭とぶらぶらとした。
なんとなく、家の中には居辛かったし、かといって外に出る気にもならない。
そんな気持ちだった。
お屋敷の中庭は、むちゃくちゃ広い庭園になっていて、
ここを管理する植木屋さんだけで何人もいるくらいだ。
どこかの観光地の日本庭園にもまけないくらいに整備された庭をぼんやりと歩く。
刈り揃えられた植栽たちも、鯉がいっぱいいる池も僕の興味を引かなかった。
……いつもは、それはたくさんの魅力に満ち溢れたものだったはずだけど。
──不思議な形の木の実や蔓を取っては、新しい遊びを考え付く相棒がいない。
──ひとつまみのえさで、どちらが多く鯉を呼び寄せるか競争する相棒がいない。
僕は、僕の世界が、急に色あせてしまっていることを知った。

中庭の端にきた僕は、そこに置いてある物置の扉が少し開いていることに気付いた。
これは、職人さんたちの使う物置ではない。
美月ねえたちが「外の物置」と呼んでいる、家族がめったに使わなくなったものを入れておくやつだ。
なんで開いているのだろう。
僕はふらふらとそれに近寄って、扉を開けてみた。
「……あれ?」
僕は、入り口近くの棚に、見覚えのあるものを見つけた。
──陽子のスポーツバッグ。
昨日、あいつが僕の出迎えに来た時、しょっていたやつだ。
毎日使うものが、なんでここに──?
僕は、それを手に取ろうとして、その中が空っぽだということに気がついた。
「新しいバッグでも買ったから、物置にしまったのかな?」
そう呟いた僕は、しかし、そのバッグの中身が、となりのダンボール箱に入っているのも見つけてしまった。
ソフトボールで使う、グローブと、バットと、それらの手入れ道具。
それに、洗濯され、きちんと折りたたまれたユニフォーム。
陽子が、部活で毎日使うはずのもの。
「……これがなんで、「外の物置」に……?」
僕は、先ほどの問いをもう一度繰り返した。
答えてくれる人がいるわけがなかったが、別の声が聞こえた。

「――えっと……、玄関って、こっち?」
「わ、私に聞いたってわからないわよ、……」
「うわあ、すごいお庭。……入っちゃって本当によかったのかな……?」
「見つかったら、怒られそう……」
「正面から行ったほうがよかったんじゃないの?」
「あ、あんなすごい門から入れないわよう……」
「ど、どうします、キャプテン……?」
小声だが、しかしわいわいと喋っている声が耳に入って、僕は我にかえった。
「――?」
陽子のバッグを棚に戻して、物置を出る。
「わっ──人だ……」
「ご、ごめんなさい、あやしいものじゃないんです!」
突然現れた僕に、驚いた声を上げたのは、十人くらいの女の子だった。
僕と同じか、一つ二つ上の子。つまり、高校生──。
みなお揃いのユニフォームを着込んでいる。
──先ほど僕が見たばかりの、陽子のユニフォームと同じものを。
「……陽子の友達ですか?」
ちょっとしたパニックになった女の子たちに声を掛ける。
「あ、そ、そうです。こちらの家の方ですか」
「まあ、そうかな」
志津留の中では、僕は本家の人間扱いだけど、世間一般的にはただの親戚だ。
だから、あいまいな答えをしたけど、女の子たちは少しほっとした様子だった。
「あの──陽子……ちゃんに会いたいのですが……」
「え……?」
昨日の晩と、朝食のときのことを思い出して、僕はことばにつまった。
「――」
無言になった僕を見て、女の子たちが首をかしげる。
「……ひょっとして、あなたが──陽子の従兄弟って人?」
女の子たちの真ん中から、ひときわ背の高いがっしりした感じの子が一歩前に出た。
「え?」
なぜか強くにらみつけてくる女の子の視線に、僕は狼狽した。

「――まあ、まあ。陽子の部活の方たちでしたか。ようこそ、いらっしゃい」
十三人もいる女の子たちを入れても、まだだいぶ余る広い和室は、さすが本家のものだった。
にこやかに応対する美月ねえも。
「……」
はじめはきょろきょろしていた女の子たちも、しだいに気おされたように静かになる。

この部屋に来る前は、大変な騒ぎだった。
キャプテンだという娘からの、陽子の従姉妹かどうか、と言う問いに、
「そうだ」と答えた僕への返事は、悲鳴と非難の洪水だった。
「――あんたがっ!?」
「――陽子のっ!?」
「――この変態っ!」
「――陽子を返しなさいっ!!」
わけもわからずにその罵詈雑言を受けていると、美月ねえが顔を出した。
とにかく、屋敷の中へ──というわけで、今に至る。

「麦茶でも召し上がってください」
にこやかな笑みを絶やさない美月ねえは、
それだけで、火のついたような勢いの十三人を圧倒していた。
お茶の類を持ってきたお手伝いさんたちにも驚いた様子だった。
十五人分の麦茶を持ってくるのに、お揃いの和服の女性が五人も出てきたのだから当たり前かもしれない。
僕でさえ、たまに「ここはどこの旅館ですか?」と言いたくなるようなことがある。
この辺一帯を旧くから支配していた一族は、一切の示威を行なわなくても相手にそれと気付かせることができる。
三分と立たずに女に子たちは借りてきた猫のように大人しくなった。
一人を除いて。
「突然押しかけて申し訳ありません。陽子ちゃんのことで、お聞きしたいことがあります」
キャプテンの女の子が、美月ねえと僕とを交互に睨むようにして、ことばを発した。
「はい、なんですか?」
美月ねえが、(私に任せて)というように、僕を目で制した。
「――陽子が、部活を、いえ、学校を辞めるというのは本当なのですか?」
僕は、所在無さのまま手で弄んでいた麦茶のコップを取り落としそうになった。
「本当です。夏休み明けに、休学願いか、退学願いを出すことにしていますわ」
美月ねえは、あっさりと答え、キャプテンや女の子たち、そして僕は絶句した。

「なっ──そんなっ……」
キャプテンの反応は、僕の反応でもあった。
「当然です。陽子は、これから結婚して子供を作りますので、高校のほうはお休みか退学することになります。
学校のほうには、もう話は通してありますよ」
「そんな……子作りなんて……。よ、陽子ちゃんに会わせて下さいっ!
直接本人から話を聞かせてください!!」
「……申し訳ないけど、あの子、今日はひどい風邪で、誰とも会いたくないそうなんです」
「嘘っ! 昨日はあんなに元気だったのにっ!!」
食い下がるキャプテンを、美月ねえは静かな目で見据えた。
「……」
キャプテンが、息を飲んでことばを失う。
「――いずれにせよ、これは陽子本人が決め、保護者である私とお祖父様が了承したことです。
いくらお友達でも、口を挟む問題ではないと思いますわ」
穏やかだが、取り付く島もないという拒絶をはっきりとさせた口調に、キャプテンがうつむいた。
「……そうですか。……お邪魔しました」
「キャ、キャプテン……」
美月ねえは黙ってうなずくと、廊下に控えていたお手伝いさんを呼ぶ。
「みなさんは、これから学校で練習ですか?」
「……はい。練習前に、来ました」
「それでは、学校まで、お車をお出ししましょう。
マイクロバスなら、全員が乗れるはずですから乗っていってくださいな」
「……歩いて帰ります。それと──」
「それと?」
「陽子ちゃんに、伝言をしていただけますか?」
「はい」
「――今日の夜のお祭り、みんなで下の神社の境内で待ってるって……」
「承りました。必ず伝えますわ」
キャプテンは頭を下げると、僕に一瞥も与えずに立ち上がった。
ほかの部員たちもぞろぞろと従う。
美月ねえは玄関まで見送りに行ったけど、僕は麻痺したようにその場に座ったままでいた。

「――うふふ。いい娘さんたちだったわね。陽子も友達づきあいが良くて嬉しいわ」
ソフトボール部の女の子たちを見送ったあと、戻ってきた美月ねえは、麦茶を入れなおしながら笑った。
自分や家族だけが飲む席のために入れる分は、さっきのようにお手伝いさんたちに任せずに自分で入れる。
こうしたところは、三姉妹が決して譲らないこだわりだ。
「美月ねえ……」
僕は、コップの麦茶を一口飲んでこちらを見ている女(ひと)に何て言えばいいのか分からなかった。
「びっくりした? ――ああいうふうに敵意を持った人たちに囲まれたときは、
まず、弱みをみせずに自分のペースに引き込むものよ。
まあ、あの娘さんたちは、本当の敵意を持っていたわけじゃないけれど」
「え……」
「ふふふ、今みたいなことは、これからたくさん起こるわよ。
本当の敵意――どころか殺意に満ちた、もっともっと手ごわい敵に囲まれることも。
志津留の本家──その当主となる子の父親は、当主が十分に育つまで、
その座を代行しなければならないから……」
「……!!」
僕はびっくりして美月ねえを見た。
「――大丈夫。そうした時に、自分と、自分の奥さんと、子供を、守れるように色々教えてあげる。
敵と味方の見分け方、接し方。本当の弓の使い方。本当の術の使い方。
お金の増やし方、使い方。お手伝いさんたちの使い方。――力の……「志津留の本家」の、使い方。
星華と二人で、これから全部彰ちゃんに教えてあげるわね」
「み、美月ねえ……」
僕が絶句したのは、うすうすは感じていた、志津留という家の特殊性や、それと表裏一体の<闇>のことではなかった。
それについては、これもうすうすではあるが、もう覚悟は決めていた。
お祖父さんや、亡くなったお祖母さん、それに僕の母さんや美月ねえたちが、
僕や陽子の目に触れないところで、人間と、人間以外の何かと渡り合い、戦い、
そして僕らを守ってくれていること。
僕らも大きくなったら、大人になったら、当然、もっと年若な一族の人間のために
同じようにして志津留を守っていかなければならないこと──それは覚悟していた。
だけど、さっき、女の子たちに向かって言ったときのように、
美月ねえが、陽子と僕との子作りや結婚を、もう決まっていることのように扱い、
それに対する準備をどんどんとすすめていることに対する覚悟は、全然ついていなかった。
陽子が僕と交わって子供を作るためには高校をやめなければならない、ということにさえ今の今まで頭が回らなかったのだ。

「……」
僕は、その後の半日を、ソフトボール部の女に子達の応対に使った客間から動かずに過ごした。
ぼおーっと、中庭のほうを、眺める。
時々、隅っこに見える「外の物置」が目に入り、僕の心臓はちくりと痛んだ。
あの中には、陽子のソフトボールの道具とユニフォームがしまわれている。
僕と子作りをし、僕と結婚したら、おそらくはもう一生着ることのない、
「高校時代の部活のユニフォーム」が。
(……陽子……)
春休みに会ったとき、陽子は、高校でソフトボール部に入る、ということを大はしゃぎで僕に報告してきた。
もともと野球やソフトボールのたぐいが大好きな陽子は、
通っていた中学では部活がなかった(なんでもちょっと前に不祥事を起こして廃部になってしまったらしい)ことを
随分残念がっていたから、高校で念願の部に入れることを、ものすごく喜んでいた。
ゴールデンウィークに会ったときも、わざわざ僕にユニフォーム姿を披露してくれたくらいだ。
そんな楽しみにしていた部活も、一年の三分の一も過ごさないうちに辞めなくてはならない。
いや、ソフトボールだけじゃない。
高校生活という、多くの人にとって当たり前の世界が、陽子から失われてしまう。
「本家」とその本拠地を守るべく、当主となる子を産む──志津留家を保存するための役目のために。
兄弟のように暮らした、従兄弟の僕と交わって……。
それは、十六歳の普通の女の子にとって、文字通り「世界」が変わることのはずだった。

息苦しくなって、僕は「外の物置」からむりやり視線を外した。
「……」
どこからかまぎれこんだのか、芋虫が一匹、縁側をもぞもぞと這っているのに気がついた。
芋虫は、身体を縮こめたり、伸ばしたりして、一生懸命に動いていた。
時々、何かを探すように首を振って、周囲をうかがい、また動き始める。
餌となる葉も、つかまる小枝もない、縁側。
小さな身体にとって何十キロメートルの道のりにも等しい、不毛の道を、黙々と進む。
その進む先には、目的の草木はない。
「……」
その無知と無力さ──それは、まるで僕そのものだった。
──そして、僕は、自分がなぜ陽子と交わることに、反射的な嫌悪感を抱いているのかを悟った。

──陽子は、僕の過去のすべてだった。
あらゆる思い出を、いっしょに、対等の立場で経験して育った、
互いが互いを分身と呼べるまでに密接な存在。
それは、今まで生きてきた僕の過去──未熟な、子供の自分を思い出させるものでもあった。
そうした弱い自分のすべて──自分の<幼虫時代>を見られてきた相手では、
いくら覚悟を決めても、重い責任を負った大人の関係になれないような気がしてならなかったのだ。
(夫として、妻の陽子を守る)
僕が、そんなことを言ったら、陽子は笑い出してしまうかもしれない。
まわりの皆も。
これが、未熟な自分を積み重ねることで築いた今の僕(それでもまだまだ未熟だけど)だけど
交わらせることが出来る、まったくの他人ならば、僕はこうした恐れを抱かなかったのかもしれない。
陽子は、僕の弱さや未熟さを、僕と同じくらいに全部知っている女の子だった。
……そして、僕はそれを、どうしようもないくらいに恐れていたのだ。

心の中の闇を自覚した僕は、畳の上で、崩れるかと思うようだった。
お膳に手を着いて、ようやくか身体を支える。
「――あら、彰ちゃん、まだ支度していないの?」
美月ねえが、にこにこと笑いながら入ってきた。
「……支度?」
「今日はお祭りの日よ。神社のほうは準備ができているみたい」
「あ……」
今年はすっかり忘れていたが、今の時期、「下の神社」は夏祭りの盆踊りがあった。
キャプテンも帰りがけにそんなことを言っていたっけ。
今日のお祭りで待っているって言っていたな
(――今日の夜のお祭り、みんなで下の神社の境内で待ってる)って……。
「キャプテンさんのことばも、ちゃんと伝えといたわ。
そしたらね、あの子、浴衣着て、「神社に行く」ってさっき出て行ったわよ……」
そうか、陽子は、部活の友達と話さなきゃならないことがあるんだろうな……。
「……」
「――迷ってるの、彰ちゃん?」
不意に、美月ねえが、僕の顔を覗き込みながら質問した。
「――う……ん」
僕は、頭を振って、そしてうなずいた。

「……僕は、陽子と本当に「お定め」をしていいのか、わからないんだ……」
「あらあら……」
美月ねえはくすりと笑った。
「――笑い事じゃないよ、美月ねえ!」
僕は、美月ねえをにらみつけた。こんなことは、はじめてだった。
「ごめんなさい。――でも、なんだか彰ちゃんと陽子らしいな、と思って」
美月ねえは、和服のたもとで口元を覆いながらくすくすと笑い続けた。
「……ほんと、子供の頃から、二人とも全然変わらないのね」
「……そんなこと──」
僕は、ここ数年、陽子との間に横たわっているもどかしさを思い出して反論しようとした。
僕らは変わっていないどころか、変わりすぎていて、そしてそれに戸惑っているのだ。
でも、それを口にする前に、美月ねえが口を開いた。
「赤ちゃんの時も、幼稚園の時も、小学生の時も、中学生の時も、今の時も──。
そしてきっと二十歳の時も、五十歳の時も、百歳の時も──。
彰ちゃんと陽子は、お互いを求めてやまないんだろうなあ。……うらやましい話ね」
「……!!」
美月ねえのことばは、けっして僕の質問に答えるものではなかった。
どちらかと言うと、まるで脈絡のない、といってもいいことばだった。
でも僕は──それを理解した。
心の中の、絶対に解けそうにないと思っていた複雑なジグソーパズルが、突然すべて完成してしまったように。

ああ、僕は──陽子といっしょに居たいんだ。
ずっとずっと、いっしょに。
生まれたときから、死ぬときまで。

中学生、高校生になって、感じていたもどかしさ──。
僕は、それを、性差のせいで、以前のように「兄弟」のように密接に遊べなくなったもどかしさだと思っていた。
でも、違うんだ。
それは、そのせいで、陽子といっしょに居られることが少なくなってしまったことへのもどかしさだったんだ。
──六歳の僕が、六歳の陽子と、「一番いっしょにいられる」ためには、兄弟のように暮らせばいい。
──では、十六歳の僕が、十六歳の陽子と、「一番いっしょにいられる」ためには……?
──大人の男となる僕と、大人の女になる陽子が、これから「ずっとずっといっしょにいられる」ためには……?

「うふふ、相変わらず、彰ちゃんってば最初は鈍いのね。でも、最後にはちゃんと全部が分かる。
そして陽子は先走りすぎて、一番の大切なこと以外はよくわからないままに走り出しちゃう。
──だから彰ちゃんは、いつも走り出した陽子を見て、考えて、答えが分かったらおっかけて、捕まえて、
――行くべき道を二人でいっしょに行くの」
「……」
それは、今までの僕と陽子そのものだった。
そして、これからも──。
僕は、ふいにこれから僕のやるべきことをはっきり悟った。

「……あらあら、こんなところに迷子さん──」
美月ねえが、縁側に視線を向けながら言った。
さっきまで僕が見ていた芋虫だ。先ほどよりだいぶ前に進んでいる。
美月ねえは、正座からちょっと膝立ちになってするすると近づくと、白い手を芋虫の上に重ねた。
優しくくぼませた手のひらの中に芋虫を収める。
「うふふ、頑張り屋さんにちょっとお手伝いしちゃおうかしら。
星華や、まだ眠っている彰ちゃんほど強くないけれど、私もこれくらいはできるわよ」
美月ねえがそっと手を戻したとき、そこには緑色の芋虫の姿はなく、こげ茶色のサナギが居た。
「あ……」
そのサナギの背中が割れ、中から成体が身を引き出してくる。
美月ねえの手のひらから与えられた朧な光に包まれたそいつ──美しい揚羽蝶は、
普通よりもずっと早い速度で羽根を伸ばして乾かすと、夕暮れの空に飛び立った。
「……すごい……」
「うふふ、これも志津留の力のひとつ──でも、今のは全然すごくないわよ。
私は、あの迷子さんに探していた小枝のかわりをあげて、ちょっと羽根が乾くのを進めただけ。
芋虫さんからアゲハさんに変わるための、ものすごい力と、それを蓄えるための時間は、
全部、あの迷子さんが自分の中に持っていた物ですもの」
「美月ねえ……」
「――さあ、彰ちゃん。きっとどこかに、あなたが見つけるべき迷子さんがいるわよ。
彰ちゃんの手で──蝶々さんにしておあげなさい」
「――!!」
美月ねえのことばが終わるか終わらないかの内に、僕は部屋を飛び出していった。
陽子を、僕のものにするために。
僕を、陽子のものにするために。

お屋敷を出て、走る。
道は二つに分かれている。
ひとつはバス停に続いて、街――「下の神社」があるほうへ。
そしてもうひとつは、山頂のほう──七合目にある「上の神社」へ。
正反対に伸びる道を、しかし僕は迷うことなくひとつを選んでいた。
山道を駆け上る。
(神社に行く──)
陽子は、美月ねえにそう言った。
キャプテンの伝言を聞かせたといった美月ねえのことばを聞いたとき、
僕は、陽子が、「下の神社」のお祭りに行ったと思った。
「下の神社」で、ソフトボール部の友達と話し合うつもりだ、と思った。
でも、それは違う。
陽子は──自分がこれからどうするのか、とっくの昔に決めていたんだ。
だから、陽子の行った神社と言うのは──。

「……陽子……」
僕は、お社の電灯の下にたたずむ影に声をかけた。
「彰……」
赤と青と朝顔の柄をあしらった白い浴衣姿の陽子は、
びっくりするほど綺麗で、大人びていて、女らしくって──でも、陽子だった。
僕と、ずっとずっといっしょに居た子。
僕が、ずっとずっといっしょに居たい子。
僕は、駆け寄って、陽子を抱きしめた。
抱きしめて、キスをした。
男と女として初めての抱擁と口付けは、それまでの長い葛藤とかがウソのように、自然に、本当に自然にできた。
まるで最初からそうなることが定まっていたように。
いや。
本当に定まっていたのかもしれない。
陽子と僕がつがいになること──それが今の代の志津留にとっての「お定め」だから。

「やっぱり、来てくれたね……」
長い長いファーストキスが終わり唇を離すと、陽子は微笑んだ。
「うん……」
「いつも、そうだった。あたしがわけも分からず駆け出すと、彰が追いついてくれた。
走り出したあたしは、自分が何をしているかわからないけど、追いついた彰がちゃんと教えてくれた。
いつも、いつも──今回だって……」
「僕は、いつも陽子を追いかけてた。陽子を捕まえようとしてた。
僕は臆病で、駆け出す勇気はなかったけど、陽子が駆け出した理由を一生懸命考えてた。
──陽子を追いかけて、捕まえたかったから……」
「そして、いつもあたしは彰のものになる。今も──これからも」
陽子はにっこり笑って、今度は自分から唇を重ねた。
遠くから、祭囃子が聞こえてくる。
「下の神社」のお祭りの声だ。
「……あそこで、部活のみんなが待っているって言ってたよ……」
僕は、林の切れ目から見える、明るい光を見下ろしながら呟いた。
「ふふっ、待ちぼうけさせちゃって悪いな……」
陽子はくすりと笑った。
僕の胸に頬を寄せた陽子が、同じようにその光を見つめた。
「ごめんね、キャプテン、みんな。――部活も、高校も、みんなみんな大好きだったけど、
世界でひとつ、何かを選ばなきゃならないなら、あたしが選ぶものはいつも決まっているの」
「僕も、そうだよ。……世界で一番大切なものはいつも変わらなかった」
いつだって僕が欲しいものは決まっていた。
志津留家とか、「お定め」とか、運命だとか、人生だとか、
それら全ては、一つの目的のためのものでしかなかった。
──陽子といっしょに居るための手段。
もし、陽子と離れ離れにならなければならないのならば、
僕は志津留家だろうが何だろうか、全てを敵に回したってそれを阻止しようとするだろう。
僕にとっては、世界そのものでさえも、一人の女の子といっしょにいるための器だった。
だから、志津留家の「お定め」が、僕と陽子が一生いっしょに居るために必要なものならば、
陽子と僕は、喜んでそれを受け入れるのだ。

僕たちは手と手を取り合い、ゆっくりと社へと入った。



「えへへ、変わってないね。ここも」
お社の中は、たしかに記憶の中のままだった。
月光が差し込む古い建物の中は、手入れもよく行き届いている。
お屋敷のお手伝いさんたちが定期的にお掃除をしてくれているおかげだけど、それだけではない。
このお社のもう一つの貌は、お屋敷の人たちの逢引場所。
誰もが一度はお世話になったことがあると言われる場所を、綺麗にしておかない人はいない。
物入れを開けると、真新しい布団とまだビニールに包装されたままのシーツが納まっていた。
その上に、ティッシュの箱が鎮座している。
用意のいいことに、蚊取り線香の缶が二つとライターまで揃えてあった。
「うわあ。お布団、誰かが代えたばっかりだね……」
「なんだか、気恥ずかしいな。これを置いた誰かに「しっかりやりなよ」って言われているようで」
「あはは。きっとその誰かさんに祝福してもらってるんだよ」
陽子が頬を染めながら、僕のことばをポジティブに言い直した
まったく、こいつにはかなわない。
缶のふたを開けて、これも新しい蚊取り線香に火をつける。
なつかしい煙と匂いが、お社の中を満たしていく。
「――あ、これはいらないよね、……私たちには」
物入れの中には、もう一つ、置いてあるものがあった。
<明るい家族計画>――それも、僕が駅で買ってきたものと同じもの。
昨日のこだわりやいさかいの原因は、しかし、今日は僕らにとって、もうなんでもないものだった。
「うん。――陽子に、僕の子供、産んでほしいもん。これはいらない」
「あたしも、彰の子供、産みたい……。じゃ、これは次の人に使ってもらおうね」
陽子は、僕のことばに真っ赤になりながら、コンドームの箱を物入れの隅っこに置き直した。

「ん……うむぅ……」
物入れから取り出した布団を敷き、シーツをかぶせるのももどかしく、僕らはもう一度唇を重ねる。
陽子の桜色の唇はどこまでも甘く、柔らかかった。
口を開けて舌を出そうとすると、陽子のほうも口を大きく開けて待っていた。
お互いに相手が何をしたいのかが、わかる。
僕は陽子の、陽子は僕の舌を求め合った。

唾液にまみれた桃色の肉塊は、それ自体が生命と意思を持っているように絡み合う。
もし、陽子と僕の舌が根元から切り落とされたら、
──きっとこいつらは、新しい生き物として生きていくだろう。
生れ落ちてすぐにつがいとなる相手は見つかるから、どんどん増えるに違いない。
僕と陽子と、これから生まれる僕らの間の子のように。
ぼんやりとする頭でそんなことを考えたのは、二人の舌が、何百枚もあるように
お互いの口腔内をなぶりあっていたからかもしれない。
「ふうぅ……ん」
長い長いディープキスを交わしてから唇を離すと、陽子が、甘いため息をつく。
名残惜しそうに僕の唇を見つめる、その蕩けたような表情は、はじめて見るものだ。
だけどそれは、僕がずっとずっと前から知っている陽子だった。
陽子が、僕を何もかも全部知っているように、
僕も、陽子の何もかも全部知っていた。
今まで見たことはない、キスに火照った陽子は、そうした陽子の一部だ。
首筋に唇を這わせた僕を、戸惑いながら受け入れる陽子も。
胸乳に伸ばした僕の手を、上から自分の手を重ねていっしょに揉みしだく陽子も。
月光の下、布団の上。
浴衣をはだけて横たわる白い裸身──それは、僕が無意識のうちでずっと求めていた陽子だった。

陽子の乳房を掴む。
「……」
「どうしたの、彰?」
「お、大きいなって思って……」
「ば、馬鹿……」
陽子の頬に、朱がさす。
僕は、それをとっても可愛いと思った。
「……おっぱいは大きいほうが、いいんでしょ……?」
上目遣いに、僕を見る陽子も、とても可愛い。
「うん!」
「あははっ、やっぱり。……これでも、胸にはけっこう自信があるんだ。
中学の頃から腕立てとか、いろいろやってきたし。――彰、おっぱい大きい子が好きだから」
くすくすと笑う陽子も、もちろん可愛い。

「えええ……、ばれてたの……?」
「わからないわけないでしょ。彰って、ちっちゃな頃から
美月ねえとか、千穂さんとかおっぱい大きな女の人が大好きだったもん」
「……」
やっぱり、こいつは、僕のことを裏の裏まで全部知っている。
「――だから、あたしも、そういう女の子になろうと思ったんだ」
そして、それを空気でも吸うかのように受け入れる。
僕のほうも、もちろんそのつもりだけど、
こういうことについては、陽子は、いつも僕の一歩先にいる。
僕は、お釈迦様の手のひらの上の孫悟空のような気分になった。
あったかい手のひらの上。
僕は一生その上から逃れられない──もちろん、逃れるつもりもない。
僕は、陽子の胸を揉み始めた。
なめらかな肌の下にたっぷりとつまった瑞々しい肉が、弾力感をもって僕の指に応える。
浴衣の胸元を広げる。
小さなフリルがつつましやかな、純白の下着。
「あ、あはは。いつもはスポーツブラとかなんだけど、今日は──」
「……」
「お、おかしい? に、似合わないかな……」
「……最高にかわいい!」
「!!」
多分、これが、陽子がひそかに一番のお気に入りにしているのものだと、僕は分かっていた。
おとなしめの、でも、いかにも女の子っぽいこれを、今日という日に着けてきた
──これが、陽子の「勝負下着」だった。
きっとあれこれ迷いながら、陽子はこの下着を手に取ったのだろう。
僕はその布きれさえも愛おしく感じて、ブラジャーをしたままの陽子の胸に顔をうずめた。
ふうわりと、やさしい香りがする。
ひなたの匂い──陽子の匂い。
すんすんと鼻をならしてその香りを胸いっぱいに吸い込む。
「あっ、わっ、ちょっ──彰っ?!」
陽子が慌てた声を上げる。

「いい匂い」
「ちょっ……あ…きら……。に、匂い、かがないでってば……」
「んんー、やだ。陽子の匂い、好きだもん」
「!! ……で、でもここに来るまでにちょっと汗かいちゃったし……」
「そんなことないよ。お湯のいい匂いもする」
「そ、それは……出る前にお風呂入ったから……。あ……」
匂いをかがれているのと、出掛けに「準備」をしてきたことを口に出したことで、
陽子は恥ずかしがって真っ赤になった。
――胸に顔をうずめている僕には見えないけど、見なくたって分かるんだ。
陽子の香りと、ブラジャーと、恥ずかしがる様を十分に堪能した僕は、「次のこと」に進むことにした。
顔を上げて、陽子のブラに手をかける。
ちょっと手間取ったけど、うまく外せた。
「ははっ……」
「どうしたの? 何か、変?」
突然くすくす笑い出した僕に、陽子が小首をかしげた。
「いや……、一昨年(おととし)の冬のこと、覚えてる?」
「え?」
「みんなでこたつで話してたら、何かの拍子にフロントホックのブラジャーの話になってさ。
僕が「フロントホックって、前で<外す>やつ?」って聞いたら、星華ねえが「そう、前で<止める>やつ」って言ってさ。
──それ聞いた陽子が「外すことを真っ先に思い付くなんて、彰のスケベ」って言って、僕と大ゲンカになったじゃん」
「あ、あははっ……」
「でも、考えてみりゃ、女の子にとっては「止めて着けるもの」でも、
男にとっては「外して脱がすもの」だよね、やっぱり。僕の論理は間違っていなかった、と思う」
「んんー。そこ、真面目な顔でしみじみ言わない!」
陽子は僕の下で横たわったまま、ぶつまねをした。
それから、僕に負けず劣らずくすくすと笑い出した。
「まあ、でも、考えてみればそうだよね。彰にとって、あたしのブラは「外して脱がす」ものになっちゃったし。
これからは、フロントホックは<前で外すもの>って言ってもいいよ。……あたしのブラ限定で」
「……」
「で、彰。――男の子の論理に従って「外して脱がした」感想は?」
「……中身のほうが百倍くらい、いい!」
言うなり、僕は、陽子の乳房に吸い付いた。

薄桃色の乳首に唇を這わせると、攻守が逆転した。
ブラジャーの話では一枚も二枚も上手だった女の子が、急に可愛い声であえぎ始める。
「ひあっ……そ、そんな、い、いきなり……」
陽子がびくんと身体を反らせた。
大きく口をあけて、陽子のおっぱいを口に含む。
交互に吸いたてると、陽子は身もだえして感じ始めた。
「……」
ひとしきり胸を吸いたてたあと、僕は陽子の浴衣の裾を割った。
「あ……」
何をしようとしているのか悟った陽子が、狼狽してさらに顔を赤らめる。
「見ても、いい?」
「……うん」
陽子は、両手で顔を覆いながら承諾した。
ブラジャーとお揃いのショーツは、これも陽子のお気に入りなのだろう。
そっと手をかけて、ゆっくりと下ろす。
陽子がちょっと腰を浮かして脱がしやすいようにしてくれたので、
僕は抵抗なくそれを引き下ろすことに成功した。
「……!!」
「〜〜〜!!」
見る側と、見られる側。
陽子と僕は、お互い無言で息を飲んだ。
「これが……陽子の……」
日焼けしている分、水着の跡はなまめかしいほど白い太ももの奥で、
陽子の性器が僕の視線を待っていた。
肌の色よりちょっとだけ色づいた薄桃色。
可憐な花園は、文字通り、まだ誰にも荒らされたことのない処女地だった。
子供の頃、陽子とは、何度もいっしょにお風呂に入ったけど、
こうしてまじまじと見るのは、もちろんはじめてだ。
「……ぬ、濡れてる……」
僕は、脱がしかけたショーツの内側から透明な粘液が糸を引いて伝っているのに気がついた。
「は、はずかしいこと言わないでよぉ……」
感触で自分でも気が付いたのだろう、陽子が消え入りそうな声で答えた。

「感じやすいのかな、陽子は……?」
陽子は両手で顔を覆ったまま、「あ、彰の馬鹿……」と呟いた。
指の間から、真っ赤な頬と、潤んだ瞳がちらちらと見える。
視線が合った瞬間、僕は強い衝動に取り付かれた。
広げた太ももの合わせ目に、顔をうずめる。
「なっ、あっ……きゃあっ……」
陽子があわてて膝を閉じようとするが、僕の動きのほうが早かった。
僕は、陽子のあそこに口付けをした。
「〜〜〜!!」
陽子は、腰の辺りを魚のように跳ねさせたが、すぐにその動きは小さくなった。
僕の舌が陽子の性器をなぞる。
陽子の動きは、動きではなく、小さな痙攣に似たものにかわった。
ぴちゃぴちゃ。
ちゅぷちゅぷ。
子猫がミルクを舐めるときのような音を立て、僕の唇と舌が陽子の大事なところを這った。
女の子のあそこを舐める。
──子供の頃からいっしょに育った僕らは、いわゆる悪ガキ時代にそんなことを何度も話題にしたことがある。
「ちんこ、まんこ」は小学生のらくがきの常連だし、セックスと言うものを知らない子供にとって、
第一の性衝動は、異性のあそこ──自分の持ってない性器への好奇心だ。
「大人になったら、男の子は女の子のあそこを舐めるんだって!」
陽子が無邪気な様子で言い放った「大人の秘密」に衝撃を受けたのはいつの頃だったろうか。
その日の夜、ちょっとどきどきした僕が夢想した「大人になってあそこを舐める相手」は、
憧れの美月ねえでも星華ねえでもなく、――陽子だった。
それは、今、現実になっていた。
陽子の匂い、陽子の味。
それは、僕の嗅ぎなれた陽子の体の匂いを何百倍にも濃密にしたものだった。
「あっ……あっ……。あ…きら、だめ、恥ずかしいよぉ……」
僕にあそこを舐められている陽子は、身体を小刻みに震わせながら小声で呟いた。
「……」
僕はそれに答えず、代わりに陽子の中に舌を深く差し入れた。

「ひっ……あああっ……」
陽子がびくっと身体を震わせる。
口を大きく開けて、陽子のあそこにぴったりと合わせる。
じゅるちゅるちゅるじゅる。
「ひあああっ……!!」
陽子の内側にたまった透明な蜜をすすりたてると、陽子は僕の頭を掴んで身体をのけぞらせた。
「あ、あうぅぅ……」
はぁはぁと息を切らせる陽子は、陥落寸前だった。
僕は、仕上げに取っておいた部分に唇を向かわせた。
「……そ、そこは、だめぇ……」
陽子はいやいやをするように首を振った。
でも、それが拒否のものでないことを、陽子は口以外の体のすべてで表現していた。
ゆっくりと僕はそこに顔を近づける。
薄いピンク色の、柔肉で出来た真珠に口付けをした。
「あっ、やっ、……ひぃっ!!」
陽子が浮かせた腰をがくがくと震わせる。
真珠を包み込んで守る、柔らかな甘皮ごと舌先で転がすと、その震えは全身に広がった。
「だ、だめっ……あ…きら、わ、わたしっ……」
「──いいよ、陽子。僕の前でイって見せて……」
「ぁああぁっっっ!!」
シーツを握り締めた陽子の身体に力が入り、がくっと抜ける。
僕は、僕の可愛い陽子が達する姿をはじめて目にして、うっとりとなった。
もっともっと陽子を歓ばせたい。
僕は陽子の性器から口を離した。
一度絶頂に達した陽子の負担にならないように、
マッサージのようにゆっくりとした全身への愛撫に動きを切り替える。
太ももや、わき腹や、首筋に手を伸ばす。
髪の毛を梳くと、陽子は「ああ……」と切なげな声を上げた。
今にして思えば、どうして「今はそういう愛撫のほうがいい」ということがわかったのだろうか。
──不思議なことではないのかもしれない。
僕と陽子は、何でも──知らないはずのことでさえも──お互いがわかっている。
自分で行なう自慰と同じくらいに、相手の身体がどうすれば歓ぶのかがわかるのだ。

「ふわ……イっちゃった……イかされちゃったよぉ……」
とろりと潤んだ瞳で、陽子が僕を見つめる。
「……陽子……」
「なぁに、彰……?」
「すごく可愛かったよ」
「ば、馬鹿ぁ……」
焦点の合いはじめた目で僕を軽くにらんだ陽子は、僕の股間へ手を伸ばした。
「おかえし──えいっ!」
陽子の手でズボンの上からきゅっと掴まれて、僕の背筋に電気が走った。
「うわっ、ちょ、ちょっとタイムっ……!」
「だぁめ。タイムなーし。やられたら、やりかえす。――それがあたしたちのルールでしょ?」
「そ、それは、そうだけどっ!」
まさかここで、絶対不可変の掟を持ち出してくるとは思わなかった。
陽子が、自分の上にのしかかる体勢の僕のズボンを器用に脱がせて行く。
僕は、腰を引いて逃げようとしたけど、かえってそれが脱がしやすくしてしまった。
「あはっ、彰、すごく元気……!!」
パンツを突き破らんばかりにいきり立っている僕の股間を見て、陽子がくすくす笑った。
「しょ、しょうがないだろっ……」
「うふふ、嬉しい。あたしのを見て、そんなになってくれてるのね」
陽子は心底嬉しそうに笑った。――図星。僕は真っ赤になった。
「しょ、しょうがないだろっ……」
もういちど、同じことを呟く。
そう。しょうがないことだ。
世界で一番好きな女が、裸になって目の前にいるんだ。
交わって、子作りしていい、と言っているのだ。
男のあそこがいきり立つのもしょうがない。
僕のおち×ちんは、僕よりもずっと素直で表現がストレートなんだ。
僕が僕の気持ちに気がつく前、ことの一番はじめから、こいつは、
「そうするべきだ!」と自己主張して止まないでいた。
いよいよというこの時、限界をふたつみっつぶっちぎっていてもおかしくない。
「熱い……それにすごく硬いのね……」
パンツ越しにさすりながら、陽子が戸惑いと興味のないまぜになった視線を送る。
愛しの姫君に見つめられた騎士は、もう一段階限界を突破したかのように鎧を硬くした。

「……パ、パンツ脱がしてもいい?」
「うん……」
陽子は僕のトランクスを脱がそうとしたけど、
天を向いてそそり立つおち×ちんに引っかかってなかなか脱がすことが出来なかった。
「あ、脱げたっ……」
やっとのことでパンツを下ろすと、僕の性器は下腹にくっつかんばかりの勢いでそそり立った。
「……」
「……ど、どうしたの?」
「お、大きいのね……」
「そ、そう?」
「前にお風呂で見たときのと全然違う……」
「いや、あの頃は子供だったし……」
「か、形も全然違うのね」
「いや、まあその……」
「触ってもいい?」
「うん……」
僕の脈打つ分身に陽子の手が触れる。
「うわあ……」
陽子が感嘆の声を上げた。
「い、石みたい……男の人のこれって、こんなになるんだ……」
「うう」
陽子の柔らかな手は暖かいけれど、火を噴出さんばかりに熱を帯びた僕の性器にとっては
それはひんやりとした心地よい感触を与えた。
「……」
「……」
「……し、しよっか?」
「うん……」
うなずいた陽子は、ひどく真剣な顔で僕の性器を握りしめた。
「あたしの中に、これが入るんだね──」
「こわい?」
「ううん。――だって、これも彰だもん……」
くすりと笑った陽子は、僕のおち×ちんの先端にちゅっとキスをした。

「……」
「……えへへ」
いつのまにか浴衣を脱ぎ捨てていた陽子は、布団の上に身体を横たえた。
腿を立てて大きく開く。
僕もTシャツを脱ぎ捨て全裸になった。
「来て──彰……」
「うん」
僕は陽子の裸体の上に重なった。
「ここ、かな……?」
「うんっ……そこ……」
「陽子、い、いくよ……」
「彰、来て……」
つるり、とした感触とともに、僕の先端は陽子の中に沈み込んでいた。
「あうっ!」
陽子の中は、たっぷりと蜜で潤っていたけど、途中で肉の抗(あらが)いに会った。
「だ、大丈夫か、陽子」
「んふうっ……だ、大丈夫……」
陽子は、目を閉じ、ちょっと眉をしかめて深呼吸した。
はぁ、ふぅ。はぁ、ふぅ。
何度目かの深呼吸の後で、陽子は目を開いた。
僕のお尻に手をまわすと、ぎゅっとそれをひきつける。
同時に自分でも足を突っ張らせて腰を浮かせて、僕の下半身に密着した。
潤んだ肉を割って、僕は、陽子の一番奥へ入り込んだ。
「よ、陽子……」
「えへへ──志津留陽子、たった今、志津留彰のお嫁さんになっちゃいました!
──末永くよろしくね、旦那様!」
「陽子……!!」
照れたようなその笑顔に、狂おしいほどの愛おしさを感じて僕は陽子に口付けした。
「ん…む……ああっ……」
甘く溶ける吐息は、すでに破瓜の痛みを凌駕する快感をにじませている。
僕たちはつながったままお互いをむさぼり始めた。

「ああっ……くふうっ……」
「んんっ……つぁあ……」
ひとつがいの若い牡と牝は、初めての交歓に身のうちが震えるほどに昂ぶっていた。
世界中のどこを探しても他にいない、互いの最高のパートナー。
その相手と、何もさえぎるものもなくつながる歓びは、それまでの人生で味わったことのないものだった。
僕の硬くそそり立った男性器は、陽子の蕩けきった女性器に絡め取られ、
蜜と粘膜と快楽の海の中で溺れていた。
陽子の甘やかな柔肉は、はじめてだというのに、これ以上はないという巧みな動きで僕の先端をなぶった。
「ううっ……ああっ……」
僕は思わず声を上げた。
「彰……気持ちいい……?」
熱い息を吐きながら、陽子が下からささやく。
「うんっ……すごくっ……気持ちいいっ……!!」
セックスがこんなに気持ちいいものだなんて──。
いや、ちがう。
これは、陽子とのセックスだから、こんなに気持ちいいんだ。
しびれるような頭で、僕はぼんやりとそう考えた。
「私もっ……すごく、気持ちいいっ!!」
陽子がぎゅっと抱きついてきた。
同じくらい強く抱きしめ返す。
固い抱擁で大きな動きはできなくなったけど、僕らは、それを解こうとは思わなかった。
わずかに動かせる腰を小刻みに突き動かして快楽をむさぼり、高みを目指す。
火照った肌がそのまま溶けて一つになる感覚。
「あ……。よ、陽子、僕もうっ……!!」
「んんっ……。彰、キスしてっ……!!」
再び口付けをしたとき、僕も陽子も限界に達した。
「〜〜〜っ!!」
「〜〜〜っ!!」
お互いの唇の中に、絶頂のあえぎを吹き込む。
僕の性器はどくどくと脈打ち、陽子の中に大量の子種を送り込んだ。
今日という日を待ち焦がれた精子たちが、愛しい女の胎内へ流れ込んで行く。
今日という日を待ち焦がれた子宮は、愛しい男のほとばしりを全て受け止める。
僕らは、一つになって一番高いところへ上り詰めた。

唇を離したのは、窒息寸前までお互いの唇をむさぼった後だった。
「……はぁあ……彰のせーえき、あたたかいよぅ……」
荒い息をつきながら、陽子が蕩けた声をあげる。
「……陽子の中もあったかい……」
僕らは、お互いの体温を感じてうっとりとなった。
「えへへ……赤ちゃん、できたかな……?」
「たぶん。……僕ら、相性いいし」
「うふふ。嬉しいなあ。――あたし、彰の赤ちゃん、産めるんだ……。
彰と結婚して、ずっとずっといっしょにいられるんだ……」
「陽子……」
僕は最愛の妻の身体を抱きしめた。
これから何千回も、何万回も、もっともっと多くの数抱きしめる強さで。
「彰、ずっとずっといっしょにいようね」
「うん! 死ぬまでいっしょにいよう!!」
「絶対だよっ!!」
「うんっ!!」
──陽子と僕は、互いの約束を破らない。
だから、僕らは、ずっとずっといっしょだ。
──幼い時から求めていたように。

「んふうっ……」
息を整えた僕は、ゆっくりと陽子の上から身を起こした。
ずるりと音を立てて僕のおち×ちんが、陽子の中から引き抜かれる。
陽子は枕をたぐり寄せると、それを自分のお尻の下に敷いて腰を持ち上げた。
膝の裏側で足を抱えこむ。――俗に言う「カエルさんのポーズ」だ。
性器の入り口を水平よりも高い位置にしたので、
僕の精液は、ほとんどこぼれることなく陽子の膣の中に留まった。
「こうやって、せーえきがこぼれないよう、大事にお腹の中にためておくと、妊娠しやすいんだって」
「ど、どこで、そういうの覚えるの?」
「ん。お祖母ちゃんから教わったよ」
「そ、そうなんだ……」
あからさまな姿勢の陽子に、射精したばかりだというのに、僕はどぎまぎした。

ちらちらと、陽子を見ていると、
「……彰のすけべ……」
布団の上に「カエルさんのポーズ」で横たわった陽子からにらまれた。
「ごめん……」
足を抱え込んだ陽子は、相当無防備な格好で、つまり、性器とか肛門とかが丸見えだ。
その姿勢が、精液が子宮の奥へ流れ込みやすい──つまり妊娠率を高める真面目な意味があるとはいえ、
目の前にそういうものが見えると、ついつい視線がいってしまう。
「お、男の性(さが)だよ……」
「まったく、しょうがない旦那さまね。――こっち来て」
陽子はため息をついて、手招きをした。
「???」
「よっと……これなら大丈夫、かな?」
陽子は体勢を入れ替えた。
四つん這いになって、頭を布団の上に低く伏せ、お尻をぴょこんと突き上げる。
腿をぴっちりと締めると、女性器は貝のように入り口を閉じた。
「ん……この姿勢なら、カエルさんほどじゃないけど、こぼれにくいから──してもいいよ」
月光にてらてらと光る白いお尻で、後背位のお誘いだ。
奥方様のご好意と許可に、僕の性器は喜んで跳ね上がった。

──こりゃ一生、尻にしかれそうだなあ。
──悪くない。この安産型の大きなお尻になら、いくらでもしかれたい。

僕はなめらかなお尻を抱きかかえて、人生二回目のセックスに没頭し始めた。
僕の奥さんは、僕と同じくらいにすけべな女の子だったので、
結局僕たちは、この一晩で六回も交わって──最初の子供たちを授かった。

「――ええーと、サイン、コサイン、タンジェント?」
「……そこはただの連立不等式よ」
渋い顔の(と言っても他の人には全然区別の付かない無表情だけど)星華ねえが指摘する。
「あ、あれー、おかしいな……」
「いや、式を見れば全然違うじゃん、彰。しっかりしてよー」
意外なことに数学は得意な陽子が、僕の不手際にぷぅっと頬を膨らませる。
「……こほん。陽子、そういうあなたも、……源氏物語の作者が琵琶法師っていうのは、何?」
こめかみを指で押さえながら美月ねえが質問すると、陽子はあわてて自分の解答用紙を見た。
「えっ?! 源氏物語って、「祇園精舎の鐘の声……」のお話じゃないのっ!?」
「……それは平家物語!」
「だ、だって平家のライバルが源氏なんでしょ?」
「それはまちがってないけど、この源氏はそれとは違う源氏なの!」
「あはは、陽子もダメダメじゃん」
「えへへ……」
「夫婦そろってダメダメでどうするの!」
美月ねえの一喝に、僕らは首をすくめた。
──オギャー、オギャー!
その声で目が覚めたのか、一菜(かずな)と一葉(かずは)
――僕と陽子の長女と次女である双子が目を覚まして泣き出した。
「あらら、――おしめ?」
「よしっ、まかせろ!」
僕は部屋の隅に寝かせた愛し子たちのもとにすっとんでいった。
言っちゃなんだけど、今、僕は、日本で一番おしめのとりかえが上手い十七歳男子だと思う。
でも、今回は僕の出番ではなかったらしい。
「……おしめ、濡れてないみたい」
「あ、じゃ、おっぱいかな? そろそろ時間だし」
陽子がブラウスをはだけながら近寄ってくる。すっかり手馴れたものだ。
「はい、ごはんですよ〜」
最近とみに大きくなって、今では美月ねえにも負けないくらいになった陽子の胸に、
一菜と一葉は喜んで吸い付いた。
夢中になっておっぱいをのむ双子を眺めていると、陽子はちょっと目を上げ、くすりと笑う。
「パパには、夜中にあげるからね」
……よくできた女房です、はい。

陽子と僕は、夏休みの間中、ずっと交わり続けた。
交わるたびに、お屋敷のある御山──志津留の力と連動している霊山でもある──の具合は良くなり、
秋口に陽子の妊娠が分かった頃には、それはお祖父さんの全盛期の頃のように安定していた。
一菜と一葉という、十分に血の濃い、力をもった双子の当主は、
胎児の時点ですでにそれだけの力を持っているのだ。

九月に入ったときは休学扱いにしてもらっていた陽子は、妊娠が正式に分かった時点で
(もっとも陽子も、僕も、最初に交わったあの一夜の時に子供が出来たことをすでに確信していたけど)高校を退学した。
部活や高校のみんなは、やっぱり説得しようと思ったようだけど、陽子の決意は揺るがなかった。
そして僕も、同じく高校をやめてお屋敷に引っ越してきた。
新しく父親と母親になった二人は、双子を育てながら、お屋敷で勉強し、大検を受けることにした。
「志津留の当主代行をするにしても、まずは大学には行ってもらわないと」
御山の力のタイムリミットに追われて、子作りは迫られていたけど、
当主代行としての修行は、社会人になってからでも遅くない、という美月ねえの判断によるものだ。
古文はじめ文系科目についてはエキスパートの美月ねえと、
化学はじめ理系科目については県下一だった星華ねえの二人を家庭教師に、
僕らは在宅で大学をめざすことにした。
双子を育てながらの生活にも都合がいい。
もっとも、美月ねえたちに言わせると、「二人とも相当頑張らないと大学行けないかも……」だそうだ。
それはちょっと困るけど、――まあ、なんとかなるような気がする。
僕も陽子もやるときはやるし、――二人そろっていれば、誰にも何にも負けはしないとも思う。
ましてや、今の僕らには、お互いと同じくらいに大切な「守るべき存在」がいる。
この子たちのためになるのなら、大検でも大学でも、その先の志津留の運命でさえも
どうにかしてしまえるだろう──絶対の信頼を置けるパートナーとともに歩む限り、僕らに恐いものなどない。

「ね、彰。この子たちの子育てが一段落したら、あたし、ママさんソフトボールにでも入ろうかなあ」
満腹になった双子にげっぷをさせてから寝かしつけた陽子は、屈託のない笑顔で言った。
「……いいね! 僕も応援するよ」
子供たちとお弁当を持って、陽子の試合を応援する未来を想像して、僕はにっこりと笑った。
でも、陽子は、そういう未来図でさえ、僕の予想のはるか上を行っていた。
「あ、でも、あたし、たくさん彰の子供産みたいから、いつまでたっても子育て終わらないかも……」
「そしたら、親子でソフトボールすればいい」
「あ! それいいねっ! 親子で2チーム作って試合しようよ! お父さんチームとお母さんチーム!」
「えーと、1チーム九人で、2チームで十八人、陽子と僕とを引いて、……じゅ、十六人子供作るの!?」
「それくらい軽い、軽い!!」
うーん、たしかに、陽子とならそれくらい作れそうな気がする……。
顔を見合わせてくすくす笑いをした僕らは、「今夜も、<仲良く>しよっか?」と目と目で会話した。
「――こほん」
その背後に、こめかみを押さえた美月ねえと星華ねえが立っていた。
「……一菜と一葉の弟か妹を作る前に、まずはしっかりお勉強していただきたいのですが、ご両人?」
「は……はぁーい……」

──時は八月。
強い日差しに全てが輝く季節の中、僕と陽子と子供たちは、
いずれ歩む志津留の運命の中、一日一日を大切に生きている。
この日々が、未来の幸せの礎(いしずえ)になることを知っているから。

              FIN


→おまけお社秘話