殺気を感じたのは、社殿への参拝を終えた後だった。ほんの幽かな気の流れ。どうやら気配を押し殺すことに、相当手馴れているらしい。
 ……誰かは知らないが、売られたケンカは買ってやる。
 とはいえ相手の位置がわからぬでは話にならない。
 階段を降りながら、何気なく周囲を見渡す。
 風の動き。日差しの向き。それらを駆使して敵の位置を推定する。
そして師匠の口癖を思い出、て反芻する。
『集中じゃよ集中。にゃむ。
 目に見えぬ者を追うに、目に感覚を向けさせることなどいらん。
 ただ、隠れ潜む者の意識だけに、心を研ぎ澄ませるのじゃ。にゃむ』
 ……。
 平静を装いながら足を進め、鳥居の陰を越えたところで<ゆらぎ>に気づいた。
 そこか!
 鳥居の手前、欅の大木の陰、茂みの中。
 なるほど、太陽を背にし鳥居の陰に乗じて背後からオレを襲うって寸法か。理には適っているが……、そこは、ダメだろ。
 狙いが定まった以上、無防備なままでいる必要は無い。
 翻ると同時にナイフを茂みに投げ込む。
 ひゅ。
 一本目は敵を誘い出すため。
 ひゅん。
 もう一度空気を切り裂く。
 二本目は、敵を補足するため。
 やっこさん、壁を背後、幹を右手すぐそばにしていたせいか、反撃できずに飛び出してきた。
 一瞬の判断に躊躇したのか。この、大まぬけが。
 思わず笑みが浮かぶ。
 そのまま横から体当たりを食らわせ、地面に倒すと馬乗りになる。
「がッ」
 悲鳴が上がる。
 隠し持つ武器を手にできないよう、右の手の平を思いっきり踏み込んだからだ。もちろん左手には左手を回し、首元を巻くように上部へと捻り挙げて。
 やや斜めになった頭部が、そこはかとなく哀れを誘う気もしないでもない。だがそんな誘惑を断ち切り、右手の親指をその首に押し当てた。
 ごり。
 咽喉を少し圧迫し、抵抗心を弱めさせる。息ができなきゃオダブツだからな。
「悪いな。ナイフはもう品切れなんでね」
「……!」
 足をバタつかせたところで、ロクな抵抗にもなりやしない。
 一瞬はそんな無駄な抵抗を見せたが、バカでもないのかすぐに足の運動は止んだ。
 それが正解ってもんだ。
 しかし……。
 女ってえのは意外だったな。
 こちらを睨み付ける形相はいただけないが、悪いカオカタチはしていない。髪は短く、化粧は何一つナシ。スッピンだ。アクセも何も無い。今時口紅すらしない女がいるとは、驚きを通り越して感心するぜ。
 女か……。
 改めて確認する。
 母親の記憶が無いせいか、オレは無性に女に入れ込んでしまうことがある。女は母性と切ることのできない関係であり、どうもその辺のことが影響しているのか、女を見ると母というものを我知らず求めているのかもしれない。
 今も、この女を見て、何らかの感情を覚えたのは確かだった。
 だが、今――この場は、放置すべき事柄だろう。
「どこだ?」
 誰かに命を狙われる理由がオレにはある。恨み辛みも大いに大歓迎してやるよ。
「おっと。咽喉に手を当ててたら答えられないか」
 一瞬安堵の顔を浮かべそうになる女だったが、その予想に反してオレは指の圧迫を強めた。
「先に言っておくぜ?
 ――答えないなら殺す」
「!?」
「ただの脅しとは取らないほうがいい。
 後悔したきゃ、そうしてもいいけど。

 ……後悔する頃にはあの世にいるかもしれないけどさ」
 そう言って、笑う。
 笑えないジョークだな。
 そうして指を下げてやった。
 コホッと軽い咳が漏れる。
「……。
 ありがたいけど、お断りよ」
 へえ。
「ふーん。随分と忠誠心が篤いな」
「忠誠? 
 はん。笑わせないで」
 ほお。
 所属組織の名は明かさないが、忠誠も無いと。
 面白いことを言う女だな。
「殺したいなら、殺せば?」
「……」
 ほっほぉ。
 マジで、面白いかもしれない。――この女。
 そんな風に返されると、興味が湧いてくるというものだ。
 左手も手放して自由にしてやる。
「おまえ……、面白いな。
 気が変わった」
 右手を踏んでいた足もどけてやる。
「……?」
「ついてこい。
 おまえみたいな女、嫌いじゃねえ」
「はぁ?」
「おまえは任務に失敗したんだ。失敗した奴は消されるのが当たり前だろ? じゃ、おまえはもう死んだも同然じゃねーか」
「……」
「ま、任務を続けたいなら、いつでも続けていいけどな」
 ニヤリ。
「……」
 オレは女を背ろにして、そのまま歩き始めた。
 殺気は無い。
 鎮守の森を抜け、国道に出たところで振り返る。
 ……やっぱ、おもしれえわコイツ。
 視線の先には、こちらに歩きつつある女の姿があった。