私は多分、今日という日を一生忘れないと思う。
 私は魔法使いにあったのだ。
 その人は一本の刀を持ってやって来た。白い髪の毛なのでおじ
いさんだと思ったけど、顔をよく見ると若い人だった。魔法使い
のすることはわからない。
 その人はドアを蹴破ってい部屋の中に入ってくると、突然消え
た。次に姿を現したときには、お父さんの仲間のおじさんたちは
ばらばらになっていた。
 お父さんは驚いていたけど、拳銃でその人を撃った。でもその
人に弾丸は当たらない。魔法使いに銃は効かないらしい。
 その人がお父さんの頭を掴むとお父さんの白い髭の生えた顔は
まるで私の嫌いなトマトのように簡単に潰れてしまった。
 その人は顔の無くなったお父さんを足で退けると私に向かって
刀を突きつけた。魔法使いの目はとても怖かった。
(きっと、殺されるんだろうな)
 そう思うと涙が出てきた。私が泣き出すと、怖かった目がほん
の少しだけ優しくなった気がした。
 結局、魔法使いは私を殺さずに帰って行った。最後に舌打ちを
して『くだらねえ』と呟いた声はなんだか哀しそうだった。

 いつもの廃ビルに帰って来た。安堵感は欠片も無い。俺はここ
十年近く、一つ例外はあるが、そんなものを感じたことは無い。
 風が吹いて、長い白髪が靡く。もとは黒髪だったが、俺の髪の
色素は人間らしい感情と一緒にすっかり抜け落ちてしまった。
 階段を上って自分の部屋のドアを叩く。この建物はマンション
だったらしく生活する上ではかなり便利だ。
「フィアナ。俺だ」
 暫く待ってもあるはずの返事が無い。疑問には思ったがドアを
開けて中に入った。

 殺風景な部屋の中に人の気配は無い。いつもは必ず待っている
のだが、どこかへ出ているのだろうか。
 大きなベッドの傍まで来ると突然背後に気配を感じた。
(・・・!)
 反射的に手にした刀を抜き払った。
「な・・・っ!」
 あわや首を刎ね飛ばそうというところで刀を止める。綺麗な
金髪が数本切り落とされた。
 あと一歩で死んでいたというのにそいつはぺろっと舌を出して
「失敗失敗」
などと言っている。
 刀を鞘に収めながら嘆息した。長い金髪が濡れているあたり、
シャワーでも浴びていたのだろう。
「何をするつもりだった?」
 俺はまともな答えが返ってくることは期待せずに尋ねた。こい
つはそういう奴なのだ。出会った頃から変わらぬままでいられる
こいつにも、それにどこか安心している自分にも腹が立つ。
「目隠しして『だ〜れだ』ってやつ。やっぱシン相手じゃ無理だ
ったかぁ」
 俺は鞘に収めた刀をもう一度抜きたい衝動をすんでのところで
堪えることが出来た。シンというのはあだ名だが、こいつがそう
呼び続けるせいで仲間内ではすっかり広まってしまった。
「二度とこういうくだらないことをするんじゃない」
 怒気も露に言うがこいつには暖簾に腕押しだ。
「んん〜一回してみたかったんだけどなあ」
「死ぬとこだったんだぞ・・・」
 殺しかけた俺にも非はあるが、こいつのけろりとした態度に腹
が立った。
「シンは私を殺したりしないよ。それになんかの間違いで殺され
ちゃっても、シンに殺されるならいいかなって」
「くだらねえことを言うんじゃねえ」
「ん。それよりさ、今日は何処行ってたの?」
 ついさっき死に掛けたとは思えない無邪気な光を放つ瞳で聞い
てくる。フィアナは女性としては平均的な身長だが俺が長身なた
めその視線はかなり見上げる形になる。
「ごみ掃除」
 簡潔な答えだがこれで十分伝わる。
「一人で?ハヤテとかダブルエイトとかは?」
「今日は一緒じゃない」
 俺たちは目的を共にする仲間だが、俺が行動する時は大抵一人
かその二人のいずれかと二人でだった。今までずっと単独で行動
してきたため今更大人数と組む気にはならない。
 もっとも、俺たちが全員集まっても五人だから大人数と言える
かどうかは微妙だが。
「だって明後日でしょ?そろそろ皆で集まって行動しなきゃまず
くない?」
 明後日。そうだ、明後日で全て終わる。
「そうだな。ハヤテはどこだ?明日の打ち合わせがしたい」

 五人全員が揃うのは久々だ。リーダー格の東洋人ハヤテ、赤髪
で童顔の女ダブルエイト、大柄な黒人のジェイ、それに俺とフィ
アナ。
 俺たちは半年前まである組織で働いていた。仕事内容は至極簡
単。対象及び障害の抹殺。
 殺した者たちにどんな事情があるのかは結局わからずじまいだ
った。興味も無いが。
 俺は幼い頃マフィア同士の抗争に巻き込まれて死んだ両親と妹、
それに家族同然だったフィアナの両親の仇を討つため、人を殺す
ことだけを磨いていた。十の頃から、五年もそんなことを続けて
いると面白いことができるようになった。
 体内の力の流れみたいなものを操作して瞬間的に絶大な速度と
膂力を得ることが出来るのだ。東方では『練気法』と呼ばれてい
るらしい。
 『練気法』を身に付けた俺は実行犯を殺し、腹の虫が治まらな
かったのでついでにマフィア自体を潰した。
 達成感などはなく、ただ空虚が心を支配した。
 目標を失っていた俺は組織からの誘いを二つ返事で受けた。
 他の連中が組織にいた経緯は知らないし、知る必要も無い。
 俺たちはただ人を殺すことためだけにいたのだから。殺人技術
を高める訓練と身体能力を高める薬物とがそこの全てだった。二
年はいたはずだが、なんの思い出も無い。
 だが、組織は俺たちを捨てた。何故かは知らないが俺たちの必
要性がなくなったらしい。俺たちを消そうとした組織から逃げ出
せたのはここにいる五人だけだ。
 そして俺たちは復讐を決意した。どうせむこうも俺たちを殺そ
うとしているのだ。やられる前にやる≠ヘセオリーだろう。
 明後日には俺たちの直属の上司だったホプキンスという男のア
ジトに殴りこむ。
「俺とジェイが囮で、シンとダブルが突っ込む。作戦は以上!」
 ハヤテが作戦とも言えない作戦を非常に簡潔に説明する。
「めったくそだなオイ」
 品の無い口調はダブルエイトのものだ。黙っていればそれなりに
可愛らしい姿形なのだが、勿体無い。
「・・・」
 ジェイは渋い顔で黙っている。
 ダブルエイト(被験者番号が88だったためこの名が付いた)の言う
とおり出鱈目だが、それくらいの作戦しか立てられないだろう。
「あれー?私は?」
 隣に座ったフィアナが疑問の声を上げる。
「フィアナは留守番」
「ええっ!なんでなんで?」
「俺がハヤテに頼んだ。フィアナは留守番だ」
 フィアナはいかにも不満そうな顔をしたが俺がじっと大きな眼
を見つめると黙って顔を背けた。
 フィアナの戦闘力は正直重要だ。長い付き合いのおかげか、俺
とのコンビネーションはかなりのものになる。だがそれでも、フ
ィアナを連れて行くことはできない。
「んじゃ解散!明日はゆっくり休むこと」

「ねえシン」
 隣で横になっているフィアナが話しかけてきた。まだ起きてい
たのか。
「なんで私を置いていくの?」
「今度の戦いは正直かなり絶望的だ。お前を守る自信は無い」
 しばしの沈黙。フィアナは俺に背を向けたままこっちをむかな
い。
「私がいないなら、シンは思う存分戦える?」
「・・・多分な」
「私が大人しくしてたら、シンは死なない?ちゃんと私のところ
に帰って来れる?」
「・・・多分な」
 フィアナは初めて俺のほうを向いた。その顔は今にも泣き出し
そうだった。
「絶対、だよ。絶対帰って来るって言ってよ」
「そんな不確かなことは言えない」
「絶対帰って来るって言って。でなきゃ私、言うこと聞かないよ」
 俺は深く嘆息した。
「わかった。絶対生きて帰って来る」
「うん!約束だよ!」
 フィアナは笑顔でそう言って握り拳を突き出してきた。俺はそ
の小さな拳に自分の拳を合わせる。子供の頃から変わらない、俺
たちの誓いの儀式だった。
「付き合っといてなんだが、くだらねえな」
「そう?私は好きだけどな。これやると安心できるもん」
 こんな約束、無意味にも程がある。人間死ぬ時は死ぬのだ。
「約束破ったら、すっごく怒るからね」
 しかし、こいつの笑顔が見れただけ無価値では無いか。

「そうか。わかった」
 部下の一人が殺された。自宅を襲撃されたらしい。数十いるは
ずの護衛は何をしていたのか。おそらくは何も出来ずに死んだの
だろう。
 私はそれができる者を知っている。
 あの冬の湖よりなお冷たく暗く、猛獣のように獰猛で、それで
いて人形のように感情の無い瞳。私はそれを銃口のようだと思っ
た。
 あの白髪は彼の人生の凄惨さを如実に物語り、銃口の瞳は歪ん
だ精神の具現だった。
 あの男が来る。それをどこか心待ちにしている自分は狂ってい
るのだろうか。もっとも他人を研究対象としてしか見ていない人
間がまともなはずはないか。
 自らの最高傑作、白い死神の手によって殺される。これ以上幸
福な死があるものか。
 人生最期の瞬間を夢想していると、不意に可愛らしいノックの
音がした。
「入れ」
 入ってきたのは年端もいかぬ少女だった。寵愛を受けてきたの
が一目でわかる。フランス人形のような顔は緊張と怯えで強張っ
ていた。
 あの男と出会っていながら今なお生きている少女。部下の一人
娘だった。
「私の名はホプキンス。君の名はなんというんだい?」
 なるべく優しい声を出したつもりだったが、少女はますます怯
えて声も出せないようだった。
 まあいい、と思った。どうせこれからは被験者番号でしか彼女
を呼ぶことはないのだから。


「ねえねえ、外出よっ!」
 唐突にフィアナがそんなことを言い出した。
「かまわんが」
 元から今日は一日中こいつに付き合うと決めていた。どこへで
も行くつもりだ。
 フィアナは飛ぶように階段を駆け下りていった。とてもじゃな
いが俺と同い年とは思えない。まあ俺もかなり一般からは外れた
存在ではあるが。
「シン早くーっ」
 フィアナが俺を連れてきたのはビルの裏庭だった。雑草が伸び
放題でとても好き好んで来るような場所じゃないと思うのだが、
何故こんなところに来たのだろう。
「シン、ここ見て。ここ」
 フィアナが指差した場所には、小さな花が咲いていた。冬の寒
さに負けずに咲いているその花には見覚えがあった。
「これ見せたかったんだ〜。覚えてる?この花」
「ああ、覚えてるさ」
 これはフィアナの家に咲いていた花だった。この花が咲いてい
た庭の中、俺とフィアナと妹のサラ、三人でよく遊んだものだ。
(そういえば、昨日見逃した子供はどうしたか)
 あのサラによく似た少女はあのあとどうしたのだろう。組織に
保護されたか、どこぞを彷徨っているか。
(くだらない)
 あの子供がどうなろうと俺には関係ない。思えば見逃したのも
くだらないことだったかもしれない。
 ただあの泣き顔を見た時、泣き虫でいつも俺に引っ付いていた
サラの顔が脳裏によぎってしまった。
「サラちゃん、この花好きだったよね」
 そうだ。あいつはこの花が好きだった。いつもこの花を飽きる
ことなく眺めていた。そして俺がその隣でサラと話していると決
まってフィアナがふてくされるのだ。
「・・・部屋に帰ろう。少し冷えた」
 それ以上ここにいると昔を思い出しそうだった。もう戻れるこ
とは無いのに、いやだからこそ、思い出は美しいのか。
(くだらねえ)
 いくら最期の日とはいえそんなことを考えるような頭ではない
だろうに。


 最期の日といっても、普段とさして変わらなかった。ただいつ
もより皆と話した気がする。そしていつものようにフィアナとベ
ッドに入る。
「本当に、行っちゃうの?」
 フィアナが消えそうな声で言った。昼の快活な声と同じ人間が
出しているとは思えない。
 俺はその問いに沈黙で答える。フィアナは身を起こして俺のほ
うを向いた。泣いているのかと思ったが、その顔に浮かんでいた
のは微笑だった。
「ねえシン。お願いしても、いい?」
「何だ?」
 どんな願いでも叶えてやるつもりだった。俺にはできることは
少ないが、生きているうちに少しでも多くフィアナの笑顔が見た
かった。
「ええと、ね。なんていうか、抱いて欲しいんだけど」
 なんだ、そんなことか。
 俺は上体を起こしてフィアナに手を伸ばす、が
「あ!ええと、そうじゃなくてね・・・ええと、その」
 何が言いたいのか。
「ええとだから私に、私にシンの子供を産ませて下さいっ!」
「何言ってるんだ?お前」
 俺が呆れた声で言うとフィアナは全身を硬直させた。
「本気か?」
「本気に決まってるでしょっっっ!!」
 耳元で馬鹿でかい声を出されて耳鳴りがした。
「冗談でこんなこと言うわけない!馬鹿じゃないの!?」
「馬鹿・・・なのかもな」
 でも無理も無いだろう。何年も同じ布団で寝ていながら行為は
おろか、そういう雰囲気になったことすらないのだ。それがいき
なり子供とは。
「シンは嫌なの?私は、シンの子供が欲しいよ」
「嫌、とかそういうんじゃないんだ。だって俺は・・・」
「帰って来るんでしょ?」
 明日死ぬかもしれない、とは言わせないつもりらしい。俺は一
度深く溜息をついた。
「俺は子供とか考えられない。だって、今まで殺すことしかして
こなかったんだ。そんな俺が、子供なんて。笑い話にもなりゃし
ない」
 俺に人を幸せに出来るとは思えない。たった一人の妹も守れな
いのだ。きっとフィアナを幸せにするなんてできやしない。
「できるよ。シンは優しいから」
 俺にはこいつの言ってることがわからなかった。俺のどこが優
しいというのか。
「お前も馬鹿だな。そんなわけないだろう」
「ううん、馬鹿なのはシンだよ。
 シンは優しいよ。誰も知らない、自分でもわかってないみたい
だけど、私だけは知ってるんだ」
 こいつがそういうのなら、そうなのかもしれない俺のことをこ
の世で一番知ってるのは俺じゃなく、目の前にいる大切な女なの
だから。

「だからシンは大丈夫。ちゃんと私のところに帰って来て、私も
生まれてくる子も、ハヤテもジェイもダブルも皆幸せにしてくれ
る」
 言いながらフィアナは俺の顔を抱きしめた。こいつは、俺の自
意識を悉く破壊してくれる。
 フィアナの心臓の音が聞こえる。
「フィアナ・・・」
 この世で一番大切なものの名前を呼ぶ。
「何?」
 呼べば答えてくれる、優しい声。
「服、脱げよ」
 こいつこそ、皆を幸せに出来る。
「うんっ!」
 たとえ、俺がいなくても。

「まいったな」
「どうしたの?」
 裸を見るのはお互い初めてではないが、意識して見るのは初め
てだ。
 見慣れたはずの幼さが残る顔立ちさえ眩しく見える。
 豊かな乳房といい、綺麗な桜色の淫裂といい、なんでも知って
いると思っていたフィアナがこんな妖しい色気を放つとは。
「お前・・・こんなに綺麗だったんだな」
「え?あぅ・・・そ、そう?」
 しかし照れた顔はやはり俺のフィアナのそれだ。
「シン・・・キスして」
「ん・・・」
 柔らかい。あの艶やかな唇はこんな感触がするものだったのか。
「やっぱり、順番が大事だからね」
 フィアナの顔があまりに嬉しそうだったので思わず笑んでしま
った。
 豊かな乳房をゆっくり揉む。
「ぁ・・・」
 熱い吐息が顔にかかった。
 小さな乳首を指で摘むと「ん・・・っ」と声を出して身を振る
わせた。
「そんなに感じるものなのか?」
 フィアナは恥ずかしそうに答えた。
「うん・・・シンが相手だからかな?すごく感じるよ」
 愛する女を悦ばせられるのはなかなかに嬉しいものだ。
 股間に手を伸ばすとすでに濡れていた。
「なんだ、もう濡れてるのか」
「だ、だって私・・・他の人に触られるの初めてで」
「自分では触ってるのか?」
「ぁ・・・う、うん」
 嘘がつけないのか、つくつもりが無いのか。正直に答えるフィ
アナがとても愛しかった。
 割れ目をなぞるとフィアナは喘ぎながら身をくねらせた。
 優しく愛撫を続ける。
「ぁ・・・ぁふ・・・」
 水っぽい音がはっきり耳に届くようになってきた。そろそろか。
「入れるぞ、フィアナ」

 足を開いてその間に自分の体を入れる。
「う、うん」
 やや緊張した声。けど緊張してるのは俺も同じだ。初めて人を
殺した時もここまできんちょうしたかどうか。
「えと・・・私初めてだからさ、優しくしてくれるといいな、な
んて・・・」
 何を今更。そんなこと知ってるさ。
「俺だって初めてだ」
「え?そうなの?」
「意外か?」
「誰かと一回くらい経験あると思ってた」
 俺が外に出るのは誰かを殺しに行ってるんで犯すためじゃない
のだがな。
「じゃあ・・・いくぞ」
 入り口に俺の先端が触れて水音が聞こえた。
 そこから一気に根元まで押し込んだ。
「はぅぅっっ」
 フィアナの中はきつい。それに熱い。動かなくとも達してしま
いそうだ。
「痛むか?」
「だい、じょうぶだょ・・・思ったほどじゃない」
 大丈夫ではなさそうだが、だからといってここでやめるわけに
もいかない。
 『また今度』は永遠に来ないだろうし、何より俺はもうどうに
も歯止めが利きそうに無い。
「動くぞ」
 ゆっくり腰を引いて、ゆっくり押し入れる。
「あふぅ・・・んぁ・・・」
 フィアナの口から漏れた吐息が顔にかかる。
 情けない話だががもう限界が近い。
「フィアナ、出すよ」
「うん、きて。私に、シンの子供産ませて」
 腰の動きを早める。
「ぁっ・・・ぁあっうぁっ」
 もう限界だ―――そう感じた時、俺は腰を思い切りフィアナに
打ち付けた。
「ぁっ・・・あぁぁあぁああぁぁ!」
 陰嚢の中身を全て出し切るつもりで射精した。
「ぁ・・・ぁうう」
 フィアナの切なそうな声を聞きながら俺は未だ彼女の中に精を
出し続けている。
 例え安全日でも孕むんじゃなかろうか、というほどの量と濃度。
 長い射精が終わって、二人で重なって荒い呼吸を繰り返した。
「ねえ・・・できたかな?」
 呼吸が整って、フィアナが耳元で囁いた。
「ああ。きっとできた。幸せにしてやらないとな」
「うん・・・二人で、幸せにしてあげようね」


 月が沈んだ。出発の時間だ。
 隣で安らかな寝息を立てているフィアナの金の髪を指で梳いた。
 この顔を見るのも、髪を触るのも、これが最後か。
 俺はベッドから降りて黒いコートを羽織って刀を手にした。
 彼女の『優しいシン』は冷酷な殺人鬼へと姿を変える。
 振り返って、もう一度フィアナの顔を見た。
 小さい手を握ると、とても暖かかった。
 俺とは違う、人を幸せに出来る手だ。
 最後にもう一度柔らかい唇にキスをして、一番言いたかった言葉
を言った。
「今までありがとう・・・愛してるよ、フィアナ」

 ホプキンスのアジトに着いたのは夜明け前、予定通りだった。
「さて、じゃあ行きますか」
 ハヤテがあくまで自然に明るい声を出す。底抜けの明るさで皆を
引っ張ってくれるハヤテ。組織から逃げた俺たちが集まれたのは彼
のおかげだ。
「ぜってー生きて帰るからな!お前らも死ぬなよ!」
 子供のように無邪気なダブルエイト。こいつがいれば笑いが絶え
ることはないだろう。もう少しおしとやかになれば言うことは無い。
「・・・」
 寡黙だが頼りがいのあるジェイ。こいつらといればフィアナはき
っと幸せでいられる。それに生まれてくる子供も・・・
 俺は目の前のダブルエイトの首に手刀を打ち込んだ。ダブルエイ
トは声もなく倒れ伏した。
「シン!?」
 驚きの声を上げるハヤテのほうを振り返って言った。
「お前たちは帰れ」
 ダブルエイトを片手で持ち上げてジェイに渡した。
「ここで逃げても、ホプキンスは俺たちを狙い続けるぞ」
「ああ、ホプキンスは俺が責任持って殺す。安心しろ」
「馬鹿かてめえっ!」
 叫び声を上げて掴みかかろうとしたハヤテをジェイが制した。
「わかってやれ」
 俺はそれを見て彼らに背を向けた。それから振り返らずに歩みだ
す。
「もし死にやがったら許さねえからな」
「ああ・・・約束は守らないとな」


 いつものようにドアを蹴破って侵入する。いや、侵略か。
 玄関付近にいた護衛がこちらを向く前に居合いの一撃を繰り出す。
 人薙ぎで三つの体が両断された光景を他の者はどのような心境で
見たのだろうか。
 手の届く範囲の護衛を片っ端から切り伏せながら周りを窺う。
 大きな正面階段の上に幾人かの護衛がいる。手にしているのはい
ずれもマシンガンだ。
(ちっ)
 内心で舌打ちする。拳銃や散弾銃ならともかくあればかりはかわ
しようがない。
 手ごろな死体を引っ張り上げて盾にする。軽快な銃声が響いて手
にした死体が穴だらけになった。
 さすがに貫通はしてこないが、長く耐え切れるものではない。
 刀を手放す。空いた右手でもう一つ死体を掴んで力を込める。
 階段の上に死体を放り投げた。
 重量七十キロ程の死体が高速で飛んできたのだ。たまったもので
はないだろう。弾幕が途切れた。
 盾にしていた死体を捨てて刀を拾う。一度の跳躍で階段の上にた
どり着き、倒れていた護衛を皆殺しにした。
 これで玄関付近は静かになった。
 さすがにあの投擲は無茶だったか、右腕が痛んだが動きに支障が
出るほどのことでもない。
(さて、ホプキンスは何処だ?)

(いい加減しつこい)
 拳銃などは俺の前では全くの無力だというのがまだわからないの
か。
 廊下の向こうから三人がかりで拳銃を乱発しているが俺の体には
傷一つついていない。相手の目線と銃口を見れば弾道はたやすく予
測できる。そうなればたとえ亜音速の弾丸だろうと刀で叩き落すの
は造作も無い。
 しかし弾切れを待つのは面倒だ。
 まず壁を足がかりにして体を反転させた。次に天井を蹴って相手
の後ろに回りこむ。直線の動きしか想定していなかったのだろう。
予想外の事態に狼狽する三人を一刹那で細切れにした。

 息つく間もなく百九十センチ近くある俺より背が高い熊のような
体格の男が現れた。
 マシンガンを持っているがいかんせん二人は近すぎた。距離にし
て約七メートル。俺を相手にするならばこの倍の距離がいる。
 大きく踏み込んで反応すら出来ない男の胴を横に薙ぐ。
 鈍い音がして根元から折れた刀身が宙を舞う。
(くそったれ!)
 服の下に装甲を仕込んでいたらしい。先の疲れか、いつもなら装
甲ごと真っ二つにしてやれるのだが。
 男は下卑た笑いを浮かべて巨大なマシンガンで殴りかかってきた。
 かわすのはたやすかったが、こちらには武器がない。敗北は明ら
かだ。
 普通なら。
 俺は男の太い首を掴んで、気を右腕に集中する。
 絞め殺す、などと生易しくは無い。そのまま首を握りつぶした。
 俺の瞬間の握力は三百を軽く越す。人間の体などカステラに等し
い。こいつは俺に近づいた時点で死んでいたのだ。
 声を出すべき器官を潰され大男はひゅーひゅーと音を立ててくず
おれた。
 廊下の奥の部屋から場違いな拍手の音がした。
 ドアを蹴破ると、ホプキンスがそこにいた。
「さすがだな七十四番。あの中には君らの後輩もいたのだが」
 俺は戯言にには付き合わず、老いた男の前に立った。
「最期に握手でもせんか?我が最高傑作の手を握りたい」
 俺は黙って手を差し出した。老人は笑顔でその手を握った。
 冷たい。俺と同じ手だ。
 俺は満足げな老人の顔を掴んで、一息に握りつぶした。

 椅子の上には顔の無い死体。
 建物内に生き残ったものはいないだろう。
(なんだ、生きてるじゃないか)
 思わず笑いそうになる。終わってみればなんてことは無い。
(さあ、帰ろう)
 皆が、フィアナが待ってる。怒っているだろうか。帰ったら
思う存分説教を聞いてやろう。

 踵を返そうとした俺の耳に乾いた音が入った。
「・・・あ?」
 音のしたほうには拳銃を握った少女。
 あの時、逃がしたやつか。目に涙を溜めた顔がサラを思い
起こさせる少女。
 なるほどホプキンスの被験者になる予定だったらしい。ま
た彼女を救うことになったようだ。
 しかしなぜフランス人形のような外見に不似合いな拳銃な
ど持っているのか。
 それまで呆けていた少女が悲鳴を上げて走り去っていった
時、俺は背中に痛みを感じた。
 痛む箇所を手で押さえると濡れた感じがした。頭の中の冷
静な部分が撃たれたことを認識する。
 下を見るとすでに床は赤く濡れていた。
 今度こそ俺は声を上げて笑った。
「ははは、はは」
 なんだこれは。笑いが止まらない。
 ―――やれやれ、全く持って。
「くだらねえ」


 春の花が咲いて、日差しが厳しくなってきても、あいつは
帰って来なかった。
 ハヤテが恐れていた刺客も来ず、私たちは平穏な生活を送
っていた。
 私たちが普通の生活に戻れるはずはなく、今でも人には言
えないような仕事を続けている。
 私はそろそろ動くのが辛くなるくらいに大きくなったお腹
をさすりながらあいつの話を我が子に聞かせて過ごしている。
(早く帰って来ないと、色々恥ずかしいことも教えちゃうぞ)
 私はあいつのことを世界で一番知っている。本人よりも。
もちろん子供時代の恥ずかしい思い出もだ。
 私は楽観主義者じゃない。あいつが生きてる可能性が絶
望的に低いことだってわかってる。それでも待ってる。
 だって、約束したんだから。
 あいつは約束を破るようなやつじゃない。
 待つのは慣れてる。あいつが帰って来たら、皆でたっぷり
お説教してやろう。ハヤテとジェイとダブルと私、もしかし
たらこの子も一緒かもしれない。
「ふふっ」
 今から楽しみでしょうがない。初めて会った子供に説教さ
れたらあいつはどんな顔をするだろう。
「早く帰って来ないかな、あいつ」
 窓から外を見る。月明かりだけでは裏庭はほとんど見えな
いけど、私は見えなくてもそれがどこにあるかわかる。
 あの花がもう一度咲く頃には、帰って来るだろうか。
 一瞬、白い月光の中にあいつの姿が見えた気がした。


                        FIN



元ネタ
450 名前:名無しさん@ピンキー[sage] 投稿日:2006/09/30(土) 16:25:35 ID:AUq2cqsM
599886R…開発コードみたいなIDだな。
それで思ったんだが特殊な施設(戦闘員養成場)みたいな所で育った
幼馴染コンビとゆーネタもいいかも知れん。
仕事の相性も、夜の相性もピッタリみたいなw
誰か書かねぇ?