「兄貴! おれと子供作って!」

 まず声。ついでどすんという衝撃と重さ。
 安穏とした眠りの淵からそんなもんにイキナリ胸ぐら掴まれて引きずり出された俺の頭は、おかげで思いっきり処理落ち状態のまま半覚醒させられた。
 ていうかここは誰? 私はどこ?

 ……OK、順番に状況を整理しよう。
 俺は金森辰也、29歳独身、さそり座のB型。周りからの呼ばれ方はおもに辰とか辰さんとか。
 職業は極道、平たく言えばヤクザの構成員。
 まあそうは言っても俺が所属する原益組は超ド田舎の零細組織だから、日頃ニュースで聞くようなハジキだとか薬だとかそういう派手なシノギとはとんと縁がない。
せいぜい神社の縁日や花火大会の夜店でショバ代集めたり色付きヒヨコ売ったりするのがいいところだ。
 だもんで任侠映画みたいな出入りとか抗争とかもサッパリ別世界の話に近く、親父から長ドスもらった記念とか言って調子こいて背中に入れた倶利伽羅紋々も披露する機会は皆無、それでもいっちょまえに銭湯なんかじゃ入湯拒否されたりするから風呂付きの物件探さなきゃならない羽目に陥った。
 若かったとは言え我ながらアホな事をしたもんだと思うが、コレも俺の人生の軌跡なので医療用レーザーとかで消したりはしない。つーかあんなに痛かったのに勿体ねえ。
 そしてここは俺の家。六畳一間に一応風呂トイレ台所付きのアパート(築35年)、2階の一番突き当たり。
 隣は昔首吊り自殺した住人の幽霊が出るとかで一週間以上入居者がい続けた例しがない格安部屋、階下は毎日決まった時間にお祈りする外国の人が10人ほどぎゅうぎゅう詰めに住んでいるみたいだが俺が挨拶とか立ち話とかしたことがあるのはその内2人か3人くらいだけ。

「重てぇ…」
 ショボショボする目を億劫ながら開いてその謎の加重がかかっている場所を見れば、俺の腰と布団の上に乗っかってるジーンズの股。
 更に上へ視線を移動させると中身にサイズが合ってなくてダボッとした和柄アロハの中で水墨画っぽい鯉が悠々と泳いでいる。更にもっと上を見ると細っこい首の上に人の頭。
 ざくざくと大雑把に短くされた髪に囲まれた輪郭はそんなすごく丸顔というわけじゃないが、いつ見てもほっぺたの辺りがむにっと柔らかそうなお陰で実際の歳よりもムチャクチャ童顔に見える。
 そんでいくらか小さめの鼻とデカい目で駄目押しだ。もうハタチはとっくに過ぎてるってのに、飲み屋街を歩けば毎度毎度お巡りに補導されそうになるのも無理はない。


「…ンだよアキラ、朝っぱらから……」
「もう昼前だよ、兄貴」
 兄貴とか言ってるが別に俺の血縁者じゃあない。俺が三下だった頃に面倒見てくれた人の忘れ形見で、たまたまその人が奥さん共々交通事故で鬼籍の人となった時、他に身寄りがないってんで仕方ねえから当時中学3年生だったこいつの面倒を見てやった(と言っても生活費とかは親御さんの遺産だの保険だのからイザって時の遺言で俺に委託されてたんでこれといって大した自腹を切ったわけでもなく、出来たことと言えばただ一緒に飯を食ったりとか学校の父兄参観に顔を出したりとかくらいだ)結果、何がどうなってそう言う結論に達したのかは解らないが、こいつは勝手に俺の舎弟気取りでこっちの世界に入って来ちまった。
 はじめの内は仕事場までついてきたら頭突き喰らわしてさっさとカタギに戻れと追い返してたわけだがこれが思いの外に強情な奴で、追っ払っても追っ払っても年がら年中カルガモのお引っ越しよろしく俺の後にくっついてきて離れない。
 それを見た親父が「ガタガタ騒いでねえでそのうち飽きるまで付き合ってやれ」とか無責任な事言うもんだから、なし崩しに今でもこいつはハンパなヤクザごっこを続行中だ。
 まあそれはしょうがないにしても無理矢理似合ってもねえアロハとか着てんじゃねえよ。
こんな田舎の服屋にレディースサイズのアロハなんか置いてるわけないからってお前はなんで男物のMばっか買うんだ。Sでも一回りデカいだろうが。

 気が付いたらだんだん下半身が痺れて来た。
 いくらアキラが年の割にちんまりしてるにしろ、こうどっしりと腰というか下っ腹の上に延々鎮座ましまされててはかなわない。
「どけよ」
 そう言ってよっこいせと上半身を起こすとアキラは少しケツをずらして俺の太股の上くらいに移動する。
いやだから完全にどいてくれ、つーか何でお前は兄貴分の寝込みを襲って上に乗っかったりしてんだ。

 アレ? そういやこいつ、最初に、何か変なことを──

「…お前、さっき何つった」
「え? ぁ、うん、兄貴おれと子供作って」
 耳で確かに聞いたはずの言葉が脳味噌に入ってこない。
 代わりにぷしゅー、てな感じで何となく漫画っぽい表現として自分の頭から煙が出る音が聞こえた気もする。
「……何言ってんだお前」
「だから子供…」
 プツリ。今度は多分こめかみ辺りの血管が切れる音だ。
「ワケの解んねェ事抜かしてんじゃねえ────! つーかアホかお前! いやお前はアホだ!!」
 俺がいきなり布団を蹴飛ばしてがばっと跳ね起きたせいで、脚の上に乗っていたアキラはころころと後ろに転げ落ちる。
 そのまま畳の上で一回転してぺたんと座り込むと、崩した正座の脚の間に両手をついた体勢で、敷き布団の上に肩をいからせて立ってる俺をじっと見上げて来た。
 黒目がちのデカい眼がくりっとこっちを凝視していて、それはどこからどう見てもマジな雰囲気しか湛えてないからすごく困る。
「……いいかアキラ、いくらお前がアホでも学校で保健体育くらいは習ってきただろ? 
オトコとオンナが一緒の布団にお寝んねしてりゃあコウノトリが風呂敷に包んだ赤ん坊持ってきてくれるってワケじゃあねえんだぞ」
「今どき小学生でもコウノトリとか言わないよ兄貴。おれ、ちゃんと解ってるし真面目な話なんだけど」
「なお悪ぃわ! ガキがガキ産んでどうなるか本当に解ってんのか? 
手前ェの面倒もまだロクすっぽ見れてねえような奴にゃ無理に決まってんだろが!! だいたい何で俺だ!?」
 混乱と逆ギレに任せて怒鳴り飛ばすと、アキラは見るからにしゅんと萎れて元々小さい図体を更に小さく縮こめる。
 薄い肩がふるっと揺れて、首を折るように俯いた顔からぽたりと何かの滴が落ちた。

 あ、ヤバイ。
 泣いた。


 唐突に、ダムが決壊するようにわんわんと泣き出したアキラのつっかえつっかえな言葉から、ひとまず嗚咽と鼻水をすすり上げる音をさっ引いて、洟声でナニ言ってんだか解らないところはだいたいの見当で補い、寝起きの頭に重労働を強いて俺がようやく飲み込めた事情は要するにこういうことだった。

 アキラが中学生の時に旦那もろとも交通事故で無くなったお袋さん、覚えてる限りじゃかなり控え目な雰囲気の、すげえ美人とまでは言わなくとも気だてが良くて感じのいい人だった彼女が、意外や今回の事の発端だ。
 その葬式の時にも身寄りらしい身寄りは現れなかったんで係累が誰もいないのかと思っていたが実はさにあらず、俺らの縄張りがあるこの一帯とは私鉄の線路を挟んで隣合う街
(ここよりはちょっとばかし賑やかで洒落ている)をシメている組の親分の末の娘だったらしい。
 20数年前に余所の男と手に手を取って駆け落ちした娘の行方を結構遠くまで探していた割には灯台もと暗し、最初の駆け落ちの相手とはわりと早々に切れ、その後ほんと隣の町で、しかも多少は付き合いのある組のモンとつましいながらも幸せな所帯を持って子供までこさえて、その上探り当てたときにはとうにこの世からオサラバしてたもんだから、トサカに来たその親分はそんなこんなでこないだ俺達の親父の所へ話をネジ込んできたらしい。
 驚いた親父はアキラを呼んで、そう言った事情の数々を説明した上で、ようやっと生き別れの孫娘と祖父との感動のご対面と相成ったというわけだ。
 そういや先週末くらいに親父の右腕の小田さんが俺のとこにアキラの居所を訊きに来てたがそういう用件だったのか。

「そっ゛、それ゛でっ、祖父ちゃんはおれに自分とこ来てほじいっで、こ、こっぢの世界にい゛、いたいならあそこのわ゛、若衆頭を婿に貰って組を継いだらいい゛っで……」
 ずびー、と鼻水が許容量を超えたアキラに街金のポケットティッシュを押し付けて鼻をかませてやりつつ、俺はアキラの祖父さんの勇み足ぶりに軽く頭痛を覚えた。
 娘の忘れ形見に手許にいてほしいまではいいとして、いきなり婿を取って跡継げはねえだろう。人間、老い先短くなるとせっかちになっていけねえ。
「お、おれ、トラなんかとけ、結婚するの、やだもん」
 トラ、と何だか野良猫か明治生まれの婆さんみたいな呼び方をされたのは向こうの若衆頭で平田寅彦、俺とそれほど年は違わないが、腕がいいのか要領がいいのかあちらでは結構なシノギを任されていてそんなご大層な地位にある。それがなんで余所の組の三下に気安くアダ名で呼ばれてるのかというとそこら辺また込み入った昔話があるのだが今は置いとくとして。
 まあとにかく奴と俺とはとことん馬が合わないんで、どっかでバッタリ会えば必ず険悪な雰囲気になるし、個人的に(ここ大事)何回か殴り合った事もあれば、互いの舎弟同士がつまらねえ事で揉めるなんてのもよくある事だった。
 勿論、俺に常々金魚のフンみてえにくっついてるアキラなんかは奴から完璧に面を覚えられてて、向こうはこいつが俺の付属品だと思ってるから恒例のケンカの前フリとして俺をバカにするダシに使うのにも遠慮がない。

「あの野郎も面食らうだろうなァ、年中ツラ見れば小猿だのハムスターだの言ってた余所の下っ端が実は手前ェんとこのお嬢さんで、しかも組継がせてやるから嫁にもらえとか言われたら」
 思わずしみじみと呟いた俺にアキラがむっと頬を膨らます。
 お前、毎回からかわれてそんな顔するからハムスターとか言われんだぞ、解ってんのか?
「だから、おれ、やだって…」
「……で、要するにお前、祖父さんの縁談を断る口実にガキ作っちまおうとか言いだしたわけか」
 布団の上に胡座をかき直して確認するように問えば、正面にちんまりと正座していたアキラがびくりと身を硬くする。
 どう見てもまるっきり親とかに叱られてるチビっこの風情でしかなくて、コレと子作り──なんて、タチの悪い冗談以外の何者でもありゃしねえ。
「つ、付き合ってる人がいる、くらいじゃ別れろって言われるかもしれなかったから」
 正直そこら辺はその祖父さんの懐の深さ如何なのでどんなもんだかいまいち見当が付かないが、そこからいきなり究極の既成事実を作り上げて縁談を回避しようなんて発想に辿り着いた
アキラの思考回路の方が俺には驚きだった。
 こいつがとりわけ突飛なアタマなだけなのか?
 それとも女って生き物は表から解らねえだけで本当はみんなそうなのか?


「……堕ろせって言われるかも知れねーぞ」
「…祖父ちゃ……そこ、まで…ひどいこと…は……言わない……」
 最悪の仮定を突き付けてみれば、一瞬びくっと肩を震わせはしたものの意外とはっきりした口調で否定が返る。
 どうやら実際に話してみて既に祖父さんが強く出られる度合いの線引きを把握したらしい。
全く、普段はどんだけ頭の中身がお天気なのかってくらいぽやぽやしてるくせに女ってなぁおっかねえ。

「けどよ、仮に本気でデキちまったとしてその後はどうするんだ? 
お前の祖父さんは当然、相手の男が誰なのか調べるだろうがそれで俺、つーか親父の組のモンだって解りゃあ一度ならず二度までもって感じで怒り狂うかも知れねえ。
まさか行きずりの恋でございなんて白を切り通せるとか思ってるわけじゃねえだろ。よく考えろ、アキラ」
 やや厳しい口調でビシッと言ってやったはずが、何故かアキラは落ち着かない素振りで、どういうわけか微妙にほんのりとした目元で、そわそわ明後日の方向を見ながら畳の上に指でのの字を書き始める。
 アレ? なんだこの嫌な予感。

「そ、それは、育った環境を考えたらしょうがないかもって……お父さんとお母さんが亡くなったあとずっとお兄ちゃんみたいに面倒見てくれた人だって言ったら一遍ちゃんと挨拶したいってふぎゃっ!?」
 話の途中でガスッと頭突きを喰らわすとアキラが尻尾を踏まれた猫みたいな声を上げたがそれは無視する。
 そのままゴリゴリと額を突き合わせつつずいと身を乗り出せば、従ってアキラの体も後ろに圧されて正座の尻がこてんと床に落ちた。
 顔が近すぎてピントがよく合わないが、今更ハッとしたらしい血の気の引いた顔の中でちょっと涙目。
いやむしろ俺の方が泣きてえ。

「お前ェ、事後承諾って言葉を…………」
「ごっ、ごめんなさい!!」
 いきなり、がくんと首と肩に重さが掛かる。
 首っ玉にかじりつかれたと理解する間もなく形勢が逆転、気が付けば背中に布団、腹から胸の上にかけてアキラの重さ。肩口あたりに服が湿ったような感触。
「…あのなあ、何でも泣きゃイイって訳じゃねえぞ」
 俺の首に抱きついて押し倒しながら(見た目的には多分コアラが木にしがみついてる格好に近いような気がするが)またもやしゃくり上げ始めたアキラの頭をぽふぽふと撫でれば、首筋に埋まった顔が小さく頷いたのが解る。
「お前、急に祖父さんが出てきたり縁談が持ち上がったりで頭がこんがらかってんだろ、たぶん。
けどだからって手近なところで間に合わせようとすんな。こいつぁお前の一生の問題なんだぞ? 
ちゃんと落ち着いて、よーっく考えてだな……」
「……ちがうもん」
 耳のすぐ下あたりで蚊の鳴くような声。
 弱々しい音量ながら、声音の硬さに何か歴とした意志の強さが含まれているのをなんらかの感覚で嗅ぎ取って、俺の全身は無意識のうちにじんわりと緊張する。

 ダメだ。それ以上言うな。


「兄貴じゃなきゃ、いやなの」
 ゆっくりと、俺の顔の両側に手をついて上体を起こし、のし掛かるような姿勢で覗き込んでくるアキラの顔がよく見えない。
 いや、勿論目に入って見えてはいるんだが、急に知らない女みたいな表情になったこいつを、アキラだと思って見ることをおそらく俺の頭が拒否している。
「ずっと前から、お父さん達がいなくなっちゃう前からずっとずっと好きだったの」
「……よせ、アキラ」
「ずっと一緒にいられるなら、舎弟でもオマケでもなんでも良かったけど、でももう、そうじゃなくなっちゃう、から」
「止めてくれ、俺は、お前の親父さん達に……」
 呻くように絞り出した声を摘み取る風に、アキラの唇が俺の口を塞いだ。

 加減もなしにぐいぐい押し付けてくる、まるで鳥につつかれてるみたいな下手くそなキスが、それなのに俺のなけなしの予防線を情け容赦なく踏み倒し、ひとつ残らず引っぺがす。
 俺がずっと、亡き人に恩義のある保護者代わりだとか面倒見のいい兄貴分だとかいう体面の下に、自分でも気付かないよう押し込めてたみっともない欲を無理矢理引きずり出して見せつけられる。

「……おれのこと、きらい?」
 ちくしょう、なんでそんな簡単にうんとかいいやとか答えられない言葉を選んで訊きやがるんだこの野郎。
 上手く答えろ俺、嫌いじゃないけどむしろ好きだけどお前は大事な預かりものだしちゃんとした堅気の家庭を持って幸せになってもらいてえから女として見る気はないとか要点を全部まとめて手短に簡潔に。

 ああ。

 なのに、どうして俺は一言もなしにアキラの腕をひっ掴んで引き寄せて、犬が噛み付くみたいな乱暴さで今度はこっちから唇を奪ったりしてるのか。しかも舌まで突っ込んで。

 小さく鼻を鳴らし、やや息苦しげに眉を寄せつつそれでも心底嬉しそうに目を閉じるアキラの顔を至近距離に見ながら、俺の脳裏にはあの世この世の色々な人たちへの謝罪とか言い訳とか、あとあと確実に起こるであろう面倒な事態への対策だとかがあぶくのように浮かんでは流れ去っていった。


「…ん、んぅ……っ……」
 口を塞がれっぱなしで流石に苦しくなってきたのか、アキラがくぐもる微かな声を洩らしながら身を捩る。
 それでも俺はアキラを解放しない。どころか横に転がるように体勢を入れ替えて布団の上に細っこい体を抑え込み、反射的に、なのか弱々しく俺の肩を押し返そうとした両手を掴みまとめてそれ以上の抵抗を封じ込む。
 もう片方の手をだぼついたアロハの裾からたくし上げるようにして服の中へと侵入させれば、布地の下で男の手にじかに触れられた肌がびくりと緊張するのが伝わってくる。
 俺に舌を突っ込まれていいように蹂躙されていた口腔内もやにわに震え、苦しい息と一緒にぐちゃぐちゃに混ぜ合わされていた唾液を無理に嚥下したらしい喉がくっと鳴らされた。
 目尻に薄く涙を浮かべながら見上げてくる怯えたような表情は、普通だったら罪悪感とか庇護欲とかをそそるソレなんだろうが今は完全に逆効果だ。

 一生番犬でいようと決めていたのに、それを狼に戻しちまったのは他でもねえ、お前なんだからな、アキラ。

「あ…に、き……」
 息継ぎのために、一旦離した唇から蚊の鳴くほどの声が這い出してくる。
 普段はキャンキャンと、ポメラニアンとかが吠えるみたいなけたたましさでオチとか何もねえ取り留めのないトークをだだ流すばかりのアキラの唇は、今は唾液でてらりと濡れて光って、ふるふると微かに震えながらなんとも悩ましげな吐息をこぼしていた。
 その縁をじっとりと舐めて口の端から垂れてるヨダレを舌先で拭ってやれば、腕の中の体はびくりと身じろいでどことなく逃げ出したそうに捩られる。
 顔を逸らしたせいで露わになった首筋がやけに白い。
 喉元から舐め上げるようにして唇で辿り、軽く歯を立てると小さく掠れた悲鳴が俺の耳を刺した。

 が、どんなに哀れっぽい様子を見せられようと、一度こうなっちまったからには逃がしゃしねえ。
 ムラムラした気持ちが行き過ぎてひどく嗜虐的になっている俺の心を見透かしでもしたのか、押さえつける俺の手から必死で逃れたアキラの両手が俺の肩口にしがみつき、ぐっと力を込めた。
 なぜか自分の方へ引き寄せる向きで。

 結果として俺の上体に縋りつく姿勢になりながら、アキラの潤んだ目は落ち着かなく俺の顔とあさっての方向を行き来し、震える唇が幾度かの空回りの末に一生懸命言葉を送り出す。
「…あの、ね……お、おれ……はじ…めて、だから……怖く、しない、で………」
 囁くような、変に幼い口調の懇願に、はっと胸を突かれたような心持ちで頭が幾ばくかの正気を取り戻す。
 そうだ、アキラはまだてんでガキなのに、俺は何を。

「……はじめてか、そうだな…………はじめて…………」
 言われてみれば、自慢じゃないが俺だって素人童貞だ。
 こいつに風俗のねーちゃん並みの手間のいらなさは端ッから望むべくもないとして、しかしそれにしたって正真正銘のバージンなんて代物はどう扱っていいのやらこんな俺にはサッパリで、つか、素人童貞と処女がフツーの男女交際とかデートとかその他諸々をすっ飛ばしていきなり子作りに突入って正直どうなんだこのシチュエーション?

 しばしの間抜けなお見合いの末に、俺はひとつ深呼吸をして頭の中を整理した。つられて無意識になのか、俺の下敷きになっているアキラも口を開けてすう、と息をする。
 途端に双方やたらと気恥ずかしい気持ちに襲われたための微妙な沈黙を、努めて俺の方から断ち切った。

「…本当にしちまうぞ、子作り」

「う…うん……」
 途端に顔中をぽっと真っ赤に染めたアキラがこくこくと、どっかの土産物みたいに首を縦に振る。
 とりあえず、内心バカみたいにおたつく頭を落ち着かせるよう、一つ一つゆっくりとボタンを外してトボケた鯉が泳ぐアロハをするりと脱がせば、これホントに着ける必要あるのか?
 と疑りたくなるほどちっちゃなブラが目に入った。
 エロ本で見かけるような、レースがヒラヒラの如何にもなデザインじゃないものの、それなりに可愛いというか水着代わりに着てもバレねえんじゃねーかってくらいには洒落てるソレの背中側を探れば、ホックと思しき手触りが指先に当たる。
「ふなっ…」
 留め具を外して締め付けの弛んだ下着と肌の間に手を滑り込ませるとアキラは猫みたいな声を出してくすぐったそうに身をくねらせる。

 案の定、ブラを外したところでそこにあるのはオッパイとかいうのも憚られるくらいにボリュームのない、しかし一応むにっと柔らかい感触の慎ましやかな膨らみだ。
「…メシくらいはちゃんと食わせてきたのになぁ」
 こいつの喋りや身なりが男みたいになったのはたぶん間違いなく俺のせいだ。いつでもどこでもアヒルの雛みたいに俺の後をついて来ようとするたび、ヤクザの仕事に女なんか連れて歩けるかと追い返し続けていたらいつの間にやらこうなった。
 けど、ここまで胸やケツがぺったんこな理由はそれとは関係ないだろうからいくら何でも責任は取れない。
本当に、成長期に食わせてきた栄養とかどこに回しちまったんだ?

「も、揉んでもらったら大きくなるって麻美ちゃんが言ってたもん…」
 知り合いのホステスの名前を出したアキラが顔を真っ赤にしながら上目遣いに見上げてくる。
 恨むぜ麻美ちゃん、自分がボインバインだからって適当なこと吹き込んでくれて。ていうか揉もうにもとっかかりが無いだろコレ。
 仕方なしに、そのなだらかすぎる曲面に掌を当てて下から押し上げるようにゆっくりと力を込める。思いの外に弾力を返して指の腹を受け止めたそこを、数度確かめるように手首から先を回して圧すとアキラの口からやけに湿っぽい溜息が洩れるのが聞こえた。
 掌の下に熱が集まって、心なしか吸い付くような手触りになってきた膨らみを何かの生地でも捏ねるようにぐいぐいと揉み回していると、俺の下でアキラの体がかたかたと震え出す。
 上がってきた息を押し込めるみたいに無理矢理への字に唇を引き結び、眉を寄せてはいるが目尻はすっかり淡く染まって、うっすらと涙まで浮かんでいる。
「力抜けよ、ほれ」
 あまりに頼りない様子に思わずぎゅっと抱き寄せて頭を撫でてやれば、腕の中で強張っていた体が僅かに弛む。
 短くされていても充分に柔らかい感触の髪をわしわしと掻き混ぜ、背中をさすって落ち着かせると更にくたりと力が抜けて、アキラが顔を埋めた俺の肩口の辺りで長く細く息が吐き出される音がやけに生々しく聞こえた。
 柔らかくて温かい体がくっついてくるのは子供か猫を抱いてるみたいでこれはこれで気持ちいいんだがやっぱり少々やりづらい。

 体を起こして布団の上に胡坐をかく姿勢になり、一緒に引っ張り寄せたアキラの体をその膝の上に乗せ、背後から抱きかかえる体勢にすると再びすべすべとした肌の上に手を滑らせる。
「あっ、あ、ぁあに…っ、ひぅっ!?」
 急に入れ替わった体勢に、背後から胸を揉み上げる手の動きに泡を食っていたアキラの声が、胸のてっぺんで小さく立ち上がっていた二つの尖りをきゅっと抓んだ途端に高く跳ね上がった。
 ぷくりと充血したそれは既に固くしこりはじめていて、俺の親指と人差し指の間でぐみの実にも似た感触を返す。
 軽く引っ張り、圧し、紙縒を作るみたいに捻り、時々先端を爪の先で引っ掻くように苛めればその度に、膝の上でがくがくと揺れる体からは押し殺しきれない甘い声がこぼれ出してきた。
「…なんだお前、女みてえな声出すじゃねえか」
「みっ…みたいな、じゃなく、て、女…だよぅ……ふゃあっ!」
 冗談にマジで返すくらいには余裕が無くなっているアキラの薄い耳朶に軽く歯を立てれば、その全身はいっそ気の毒なくらいにびくびくとわななく。
 うっすらと付けた歯形をこそげるように耳の縁を舐めながら胸は左手だけで弄るようにし、もう片方の手は腹へと撫で落としてジーンズのウェスト部分から服の中へ侵入させた。
 予めボタンは外してあったが座る姿勢になっているせいもあってかだいぶ狭い。窮屈な隙間を辿る指先で薄い布地を探り当てると、その下に隠された場所へと指を送り込む。

「……っ! あっ、やだ……!!」
「……うっ」
 もはや反射的に抗いもがくアキラの体を半ば押さえ込むようにしながらその脚の間へ指を這わせた俺は予想外の触感にちょっと固まる。既に結構濡れて来てるのはいい。それはいいんだがなんていうか。

「お前…その年でほとんど生えてな」
「うにゃあぁ! 兄貴のバカー!!」
 一応気にはしていたのか、急に駄々っ子よろしく手足をじたばたさせて暴れ出したアキラの体を膝に抱えていられなくなり、再度布団の上に押し付けるようにして上からのし掛かる。そのままジーンズと下着を引っぺがせば、胸同様薄べったいがそれなりに丸みを帯びた白い尻と、その陰でひっそりと湿り気を帯び始めた陰部が露わになった。
 しかし、まさかと思っていたが本当に産毛以上のモンが生えてねえ。
「…いよいよ犯罪者の気分になってきたぜ」
 下手してもロリコンのケなんぞ微塵も無いと思っていたのに意外や意外、見下ろすつるんぺたんな肢体に萎えるどころか妙な昂ぶりを覚えてる自分に内心驚愕しながらも、喉の奥まで迫り上がって来る欲情だか緊張だかに乾く唇を舐めて湿らせる。
 端から見たらガキの裸に舌なめずりする変態に見えるかもしれない。いや、多分弁解のしようもなくそう見える絶対。

「あ…にき……」
 そんな疚しさ極まる内心を知ってか知らずか、肩越しに見上げてきているアキラの目がひどく不安そうに揺れている。
 宥めるように背中を軽く撫でながら、上に屈み込んでその頬と髪の生え際に唇を落とす。
「名前で呼べよ」
「ぇ…?」
「そんなんじゃ近親相姦モノのエロビデオみてぇじゃねーか。もっと何つーかあれだ、恋人とかっぽく呼んでみな」
 一瞬きょとんとしたアキラの顔の中でいくつかの表情が複雑にくるくると入れ替わり、最終的に真っ赤に染まったかなり恥ずかしそうな顔が、もごもごと口を動かしてその音を紡いだ。
「た、た…辰也……さん……?」
「ぶぁははは! 何だ、えれぇこそばゆいな!」
 耳慣れない呼ばれ方につい爆笑する俺の首に、するりと白くて温かいものが絡みついてきた。

 俺の下で体の向きを変えたアキラが、首に腕を回して来たんだと頭が理解する前に、寄せられた小さく柔らかい唇が、ちゅ、と音を立てて俺のそれに押し当てられる。
 考えるより早く浮かされた背中の下に腕を滑り込ませてアキラの体を掴まえ、重なった唇をより深く角度を変えて貪りながら、俺達は布団の上にもつれるようにして倒れ込んだ。


 猫が鳴いてる。春先でもねえのにひどく色っぽい声で。

 いや違う、この鼻にかかって掠れた、どっか辛そうな声を出してるのは俺の下にいるアキラで、こんな声を出させているのは他でもない俺だ。
 二人分の体が動くせいですっかり敷き布団からずれてヨレヨレになったシーツの上には所々に点々と赤黒い染みが散っていて、後で洗濯が厄介だなとか初めては血が出るってのは本当だったんだなとか、あれこれ取り留めのない感想を俺に抱かせる。

 ここは、血が出るほどの事をしたんだから痛いだろうにとアキラを気遣うべきなんだろうが悲しいかな、俺にもあんまり余裕はない。
 緊張と経験不足から来る手際の悪さを如何なく発揮した結果、ろくに慣らしもしないで突っ込んだ俺の息子はアキラの、その見た目の細っこさを裏切らない狭さの内側にギリギリと喰い締められて、少し動くだけでも奥に呑み込まれた先っぽがもげちまいそうにキツイ。

「…っ、ハ……」
 情けなくも上擦った息を漏らしながら不意に視線を下ろすと、目のふちに涙を溜めたアキラがじっと俺を見上げている。
 それまでギュッとシーツを握りしめていた両手がそろそろと持ち上がって、ひたりと俺の顔に触れた。顎から頬を撫で上げる指先の優しさに、途端、下半身じゃない場所がずきりと痛む。
「…馬鹿、手前ェだって苦しいってのに俺のことなんか気遣ってどうすんだよ」
 お返しのようにアキラの顔に片手を触れ、涙と汗に濡れている頬っぺたをさわさわと撫でる。そのまま耳元から頭へ指を滑らせ短い髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜながら頭を撫で、首から肩、背中へとアキラの体と布団の間に入り込んだ手を下げていく。
 もう片方の手は反対側の肩から腕をさすり、その薄い皮膚の下で心臓がまるでネズミみたいな速さでドキドキと打ってる胸にそっと触れてから薄いオッパイをむにむにと揉み、つんと立った先っぽを軽く捏ねる。

 背中から脇腹から尻へ、太腿へと手当たり次第に撫で回すうち、ずっと痛みに強張っていたアキラの体から少しずつ緊張が抜けていくのがなんとなく感じられた。
 同時に、アキラの内側も随分と慣れてきたのが解る。

 最初の食いちぎられそうな締め付けは弛んで、しかし格段に潤いを増した粘膜は俺の分身の形を覚えようとでもするかのようにひたひたと隙間無く包み込んでくる。温かく吸い付くような柔肉の感触に思わず身じろいだ俺の下で、まだ少し苦しげな、しかし如実に蕩けた表情に変わってきたアキラが、は、と濡れた息を吐き出した。
「…そろそろ、動いていいか」
 涙で濡れた目をやや恥ずかしげに伏せてこくりと頷く様子が無性にいじらしいというか可愛くて、思わず掴みかかるようにその上体を抱き寄せてはキスをする。
 抗いもしないで素直に開いた唇の奥へ舌を差し込み、口内の粘膜や歯の裏や相手の舌を舐めたり絡め取ったりと忙しく蹂躙する一方で、下半身は別の生き物みたいに勝手に動いて、アキラの中から一旦抜け出そうと腰を退く。
「ふぁ……っ!」
 すっかり膨張しきったカリ首が粘膜をこそげる感触にアキラの体はびくりとしなって、俺に塞がれた口から上擦って甘い声と涎をこぼした。
 抜け落ちそうになるギリギリまで退いた腰を、次の瞬間ぐっと進めて再び奥まで突き入れる。ぐちゅりと粘った水音とキュウキュウ絡み付いてくる熱いぬかるみに、耳をくすぐる小さな悲鳴と肩に縋り付いてくる小さな手の温かさに、遂に頭の中で何かの箍が外れた。

 もはや俺の体が俺のものじゃ無いみたいに歯止めが利かない。
 がつがつと腰を前後させてアキラの中を責め立てる都度、小刻みに跳ね上がる声が耳を刺す。
 俺の腕に組み敷かれた肢体は桜色に上気して突き上げるたび艶めかしく踊り、眉を顰めて何かに耐えてるような顔は汗と涙と涎でびしょびしょだってのに何でか無性に色っぽい。
 体と体を繋げた場所からは体内で掻き混ぜられた愛液と先走りの汁が泡立ってこぼれ出し、僅かな隙間から入り込んだ空気の立てる音と相まってぐちょぐちょと湿った卑猥な響きを鳴らし続けている。
 それと競い合うように上がる途切れ途切れの嬌声と、はぁはぁ獣じみた俺の呼吸音、更にはこのボロアパートの床と畳が激しい運動に耐えかねて軋む音とが部屋の中を埋め尽くし、耳の中で混ざって鳴り響いてはどんどん意識をぼやけさせて行く。

「…ッあ、あに……っ、………た、つ…やさん……っ」
 切羽詰まったような顔で喘ぎながらもアキラは健気に俺の言ったことを守ろうとする。
 そのいじらしさに胸がずくりと疼き、同時に下半身が更に滾るのを感じながら、アキラの汗と涙で湿った髪を撫で梳いて露わにした額に、瞼の上に、鼻の頭に頬に耳元に、めくら滅法にキスをしまくった。
 すると肩に縋り付いていた手がおずおずと滑り上がって、熱い掌が背中でぎゅっと力を込める。
「…どうした、辛ぇのか」
「ちが……な、なんか、へん……なの…ふわふわって、して、あたま…おかしく、なりそ……」
 涙の膜の張った目が俺を見上げ、舌っ足らずな言葉が生まれて初めて感じたに違いない快楽を訴える。俺の中で憐憫の情とでもいうようなものと、それと同時にもっとこいつを滅茶苦茶にしてしまいたいという残酷さにも似たものが短い時間せめぎ合い、僅かに良からぬ心の方が勝って俺はアキラの両膝の裏を手ですくい上げるようにして細っこい体を布団の上に折り曲げた。

「…ぁ…っ、な、に……す……ひゃあ!?」
「もっと、おかしく…して、やるよ」
 赤ん坊のオムツを替える時みたいに脚を開かれ、股間ばかりを高々と晒す格好になったアキラに乗り上げるようにして腰を突き入れる。
 角度と体重のせいでさっきよりも深々と俺を咥え込むことになった狭い割れ目はびくりと震えて、内部のぬめった壁がキチキチと俺の分身へ食いついた。
「うぁ、あ、やぁあっ! ふゃあ! お、お腹……おくま、で…来ちゃ……っ!!」
「ガキ孕みたいんだろ…っ、なら、奥で…出した方が、いい、じゃねぇ……かっ」
「ひぁん! あ、あぁっ、こわ、れちゃ……ぃあっ、あああ!!」
 嵩に掛かって腰を振り立て、アキラの中を激しく抉り回しつつも実際のところ俺にも余裕はあんまりない。
 ぬるついた粘膜はその持ち主の意思とは既に関係なく迎え入れたモノを包み込んでは舐めしゃぶり、逃すものかと言わんばかりにねっとりと絡みつく。
 さんざん歓待されて限界まで膨れ上がった一物はもはや、あとひと撫でされれば一気に弾けてしまいそうだった。

 不意に、それまで自分の体に振り回されてぼろぼろ泣いているばかりだったアキラが俺を見据え、同時にその脚が俺の腰に絡みついてくる。
 真っ赤に染まった顔の中で、涙と…たぶん情欲に潤んだ目が俺をじっと射抜いた。
 細い腕が首と背中に回って顔が近付く。もう逃げられない。

 ぐっと押し付けるように、俺のそれに触れた唇が動いて、ひどく甘ったるい声が耳に流し込まれてくる。
「…ちょうだい……お、奥に、あにきの……赤ちゃん………」
 それとほぼ同時にきゅっと強く収縮した柔襞が俺を喰い締め、耐えきれなくなった分身はあっさりと決壊した。
 どくどくと、音の立ちそうなほどに勢い良く迸った精液が狭い空間を満たしていっぱいに注がれ、いくらかは収まりきらずに繋がった場所から溢れ出す。
「あぅ…おなか……熱……い、よぉ……」
 呆然と、しかしどこか恍惚とした顔で呟いたアキラの体から、急激にくたり、力が抜けた。
 俺の首や腰に巻き付いていた腕や脚が解けて布団の上に投げ出され、まだ俺のモノを咥えたままの下っ腹がひくりと痙攣する。

 そのすべすべした腹をそろりと撫でながら、こいつに宿るガキの父親になるって事がどういう事なのか考えようとして、全身を重たくするダルさと眠気に次第と抗うことが出来なくなってきたことに気が付く。

 とりあえず、色々と面倒臭ぇ事は後で考えよう。

 ずるりとアキラの中から抜け出し、シーツもぐちゃぐちゃのままの布団にドサッと転がった俺は温かくて柔らかいその体を両腕の中に引き寄せて抱え込むと、あっという間に眠りの国へ旅立った。


「んー、やっぱり大安の日はどこも塞がっちゃってるなあ…」
 床一面に結婚式場のパンフを広げた真ん中に座り込み、片手に携帯電話を握ったままのアキラが困ったようにぽりぽりと頭を掻いた。
「仏滅じゃなきゃ構わねえだろ、んなもんは。大体一ヶ月前でいきなりイイ日の予約が取れたらその式場はちょっとヤベエぞ」
「兄貴も真面目に探してよぅ。これでどこも見つからなかったら、祖父ちゃん家のお座敷で三三九度なんだよ?」
 ソレは真剣にぞっとしない。
 いや、それを回避したところで式場が二組分のスジ者で埋まる事態はどうしたって避けようがないわけだが。
「そりゃまあ、兄貴のお嫁さんになれるんなら場所がどこだってドレスだって着物だって構わないんだけど」
 パンフレットから顔を上げてにへへ、と笑ったアキラの顔は最近ぐっと女らしくなってきた。
 心なしか胸もケツもふっくらしてきた気がするし、何と言っても表情に色気が出てきた。
何かありゃあ女は変わるってのは本当の話らしい。
「少しは構えよ、ウェディングドレスなんざ一生に何度も着れる代物じゃねえんだ、腹が出っ張る前にとっとと着て祖父さんに見せてやれ」
「うん! 兄貴もタキシード着るよね! 絶対カッコイイ!!」
「いや……そりゃあねえだろ、常識的に考えて」
 どう想像してもトウの立ちすぎた七五三にしかならない気がしてその辺は今から気が重い。結婚式で着飾るのは女だけでいいって法律を誰か作りゃあいいのに。

 ヤッちまったが運の尽き、というわけじゃあないがあれから事態は加速度的に進展し、ある程度予想はされていた通りに関係者の面々を怒らせたり困らせたり呆れさせたりした末、俺達は事実に形式を追随させることに──要するに出来ちゃった婚とシャレ込むことに──相なった。
 結局あの後、親父から「手ェ出してたんならもっと早く言え」と張り倒されたり、若ェ奴らから
「辰さんはロリコンじゃないって信じてたのに五千円損したじゃないですか」とかナメたことを言われたり、アキラの祖父さんとこに出向いてコメツキバッタみてえに土下座したりと正直散々な目を見たわけだが、しかし我ながら驚くことに、今の状況をそれほど悪くもないと思ってる俺がいる。
 家(あれから、周りも交えて色々話し合った末に俺の方がアパートを引き払ってアキラの、というかアキラの両親が遺した家に移ることになった)に帰れば待ってる奴がいて、一緒にTV見ながら飯食って他愛ない会話をしたり、布団の中でくっついて眠ったり、とかそんなありきたりの所帯なんてシロモノを持つつもりは一生無かったはずのこの俺が。
 まさに人生何が起こるか解らねえってヤツだ。
 
「兄貴ってば、どうしたの? やっぱり紋付き袴のほうがいい?」
 結構ボケッと考え込んでたらしく、気が付くと鼻の頭がくっつくほど近くに寄ってきたアキラが俺の目をじっと覗き込んでいた。
 やや思案げに眉を寄せて唇はほんの少し尖らせ気味に、小首を傾げる仕草がなんでかヤケに可愛く見える。
 薄べったい肩が俺の腕に押し付けられて、服地越しの体温があったかい。オマケに石鹸か何か、いい匂いがふわりと鼻をくすぐって、妙に落ち着かない気分になった俺はアキラの頭を猫でも撫でるみたいにガシガシと掻き混ぜた。少し伸びた髪がふわふわと指に絡んでくすぐったい。
「…兄貴は止せつっただろが。お前はもう、俺の舎弟じゃねェんだぜ?」
 そう言ってやればデカい目をぱちくりと瞬いて、アキラは俺をまじまじと見、それからいかにも幸せそうなツラで蕩けるように微笑った。

「…辰也、さん」
「おう」
「……今まで、おれの兄貴でいてくれてありがとう」
「……おう」
「これからも、一緒にいてくれるよね」

 嬉しげに潤む黒目がちのきらきらした目で見上げられて、何故だか泣き出したいような、無闇に外へ飛び出して崖から海に向かって叫びたいような、そんな正体不明の気持ちに突如として襲われた俺は半分無意識的にアキラの体を抱きしめ、柔らかくてあったかくていい匂いのするそれに優しく抱き返されながら、今自分がみっともねえ洟声になってないだろうかとボンヤリ気にしつつ、ものすごく間抜けな一言を口にした。

「ふ、ふつつかものですが、こちらこそ宜しく……」