「お主、俺の妻になってはもらえぬか」

 現在のところは大きな仕事もなく、暇を持て余した傭兵ギルドの成員たちがたむろするばかりの
ギルド直営食堂兼酒場「牝鹿亭」で夕食を摂っていた最中に、ギルドの同僚であるヴォズ・ティゲレンより
そんな単刀直入の求婚を受けた女傭兵シオン・ラスケスは、短めのポニーテールに括った藍色の髪を
逆立ててテーブルを叩いた。
「ふざけンな、このクソ毛皮が! あたしが獣人嫌いだってなァてめえも知ってるだろうが!! 殺すぞ!!」
 流れるような罵声にシオンと相席で食事をしていた傭兵隊付きシスターのニーナ・ジルウェットは
思わず首をすくめ、周囲の卓から冷やかしの野次なぞ飛ばそうとした同業者たちも多くは出鼻を挫かれた。
 つい空気を読みそこなったキース・ヘイズの鳴らした口笛だけが、間抜けにも沈黙を切り裂いていく。

 個々人の過去については詮索などしない、というのが傭兵の仲間内で共有される了解ではあったが、
シオンはまだ十歳にもならない幼さでギルドに転がり込んで来たこと、女の身でシスターや事務方ではなく
ひとかどの剣士だというもの珍しさも手伝って、その身の上はこのギルドに所属している者ならば大抵は知っていた。
 シオンの一家が営んでいた商隊が獣人を主とした野党の群に襲われ壊滅したこと、叔父のとっさの機転で
馬車の残骸の下に押し込まれた彼女が惨殺されていく親兄弟や親族を為す術なく見ているしかなかったこと。
勿論、人間やその他の種族が全て同じではないように獣人にもそれぞれ別のある事は今や成人している
シオンにはもう解っていて、ギルド内や街中には知己と言っていい間柄の獣人だっている。
 しかしそれでも、伴侶にと言われれば、やはり全く話は別だろう。
「だが俺はお主の強さと美しさに惚れている。俺の妻となってくれ、シオン」
 言葉の中身は歯の浮くような愛の囁きではあったが、声音は今日の訓練の時間割を告げるのにも似た
無骨な口調で淡々と告げたヴォズは表情の一つも変えず──多くの獣人は元々、あまり感情を顔に表せる
筋肉の働きを持たない──ただ、金褐色と黒の縞模様に彩られた尻尾をぱたりと振った。

 その、話題の内容にも周囲の状況にも全くそぐわない態度がいよいよシオンの頭に血を上らせ、全身が
かたかたと怒りに震え出す友人の様子を見かねたニーナが困ったように周囲を見渡しはじめ、見物人の間でも
「そろそろヤバいんじゃないのか」という懸念が囁かれだした折、天の声とも言うべき采配が二階の桟敷席から
降りてきた。
「ギルド内での私闘は認めんし、この店の中でやらかした奴は皮を剥いで樽に漬けて売り飛ばしてやる。
互いの誇りに拘わることなら決闘の手続きを取りな」
 傭兵ギルドの長であり「牝鹿亭」女将の夫でもあるガス・バクスターの言葉に、ざわついていた店内は
水を打ったように静まり返り、シオンも入店時に預けた剣の代わりにと握りしめていたステーキ用のナイフを
大人しくテーブルに置く。
 人間であってもほとんど体格負けしていないガスの分厚い掌で肩を叩かれ、「お前も変わった趣味だな」と
声を掛けられたヴォズだけが、どうしてこんな騒動になったのかわからない、と言わんばかりの低い喉鳴りと共に
両耳を小さく動かした。

     *      *      *

 晩春の僅かにけぶったような青空に、時折ヒバリの鳴き声が響き渡る。
 辺りは見渡す限り、地平まで拡がる農地や果樹林といった牧歌的風景そればかりで唯一の違いはと言えば、
自分たちの進行方向にのみ小高い山の影が見え始めていることだった。
 駅便馬車も通わないような、こんな田舎の更に山奥へ自分が嫁入りすることになろうとは、とシオンの溜め息も
旅立ってから十数回以上を数える。

 一ヶ月前、傭兵ギルドの練兵場で行われた決闘は、まあ善戦しただろうと誰もが言ってくれはしたが、
早い話が完敗だった。
 元来人間は体力や瞬発力などの点で獣人には生まれつき水をあけられているものだし、獣人の中でも
ヴォズのような虎人族は抜きん出て力強く、頑健で、その上俊敏だ。人間で、しかも女のシオンが
最初の七合ほどを受けきれただけでも大したことには違いない。
 結局、八合目で愛剣を叩き折られたシオンはブーツから隠し短剣を引き抜いたところを虎人の大きな手で
両腕ともまとめ上げられるように引っ掴まれ、厳正なる決闘の結果としてその場でヴォズの妻となることを
承諾せざるを得なかった。
 友人のニーナや同僚たちは口々に「ヴォズは虎だけどいい奴だから……」などと慰め半分の祝福を
してくれたものだが、それで納得できるようならそもそも決闘などしていない。
 その上、ヴォズがギルドの置かれている街を離れて故郷である虎人の集落へ戻るのだなどと言い出し、
ガスも諸手を挙げて賛成という顔ではなかったが昨今の平和続きによる傭兵需要の低さも手伝ってか
「まあ気が向いたら戻ってこいよ」程度の餞であっさり送り出されたのもあって、今こうしてシオンは「夫」と二人、
田舎道をひたすら歩き続ける羽目に陥っている。

「この山を越えると、俺たちの森がある」
「……それは聞いた。あたしが訊きたいのは……」
 何故、山の入口に『立ち入るな! 危険種出没注意!』といった主旨の立て看板が立っていて、
獣道と見まごうみすぼらしさの山道の登り口には頑丈な鎖を張った柵が渡されているのか。
 そして既に日も傾きかけた時刻だというのに、この虎は気にする様子もなく山に踏み入ろうとしているのか。
「この山には野犬以上の危険種などおらぬ。おそらくは、俺の血族【クラン】の若い連中あたりが問題を起こしたのだろう」
 不信感を露わにしたシオンの質問に対する解答も、彼女の疑念をいっこうに払拭するものではなかった。
 野犬くらいはいるような山道をこれから本当に登る気なのか、とか、部族の若いのが危険種扱いとは
虎人の村はどれだけ物騒なところなんだ、などなどと胸に渦巻く疑念も、突然ヴォズの逞しい両腕が
体を抱え上げ、次にその全身が軽々と空を舞って柵の向こう側へあっさりと連れ込まれてしまったことで
口に出す機会もなく、代わりに何だか言葉にもなりきらない妙な悲鳴だけが鬱蒼とした山林に呑み込まれていった。

     *      *      *

「ヴォズ、よく帰ってきたね。立派になって」
「おお、山の向こうで嫁っこを見つけてきたのかい」
「少し小さいが丈夫そうな娘だね。いい仔を産めそうだ」

 一昼夜の間山を駆け、麓の森を抜けた先、突然木立が開けたような広場にヴォズのクランの集落はあった。
 出迎えたのは当たり前だが虎人ばかりで、一度に同種族の獣人を複数見る機会の無かったシオンには
皆目、目鼻立ちの区別もさっぱり付かない。
 ただ、皆一様にヴォズに対しては馴れ馴れしげで、ヴォズの態度もどことなくかしこまっているのを見るに、
親戚や近所の年輩者であろうことは想像できる。自分の幼い頃を知っている身内というのはどんな種族でも、
どこの土地でも似たようなものなのだ。
 しかし、だからといってヴォズが連れ帰ってきた自分に対してまで、こう不躾な視線や言葉を走らされるのは
些か承伏しかねる、とそっぽを向いて辺りの様子を観察しはじめたシオンはふと、とんでもない事に気が付いた。
 辺りにはヴォズの親戚だろう連中の他にも、他の村人と思しき大小さまざまな虎人たちが寄ってきて
久々の帰郷者と、その連れ帰ってきた人間の女をしげしげと眺めている。
 その人垣の中にも、またそこらに建っている木造りの簡素な家々から顔を出している者たちの中にも、
何故か女の姿を見かけないのだ。いくらシオンが虎人の個体個体を識別できないとはいえ、殆どの住人が
上半身を剥き出しにした半裸同然の装いしかしていない以上は男と女の区別くらい容易に付く。

 いや、「女」もいることはいた。
 いるのだが、そのどれもが例外なく、虎ではない。
 わらわらと集まっている虎たちの隙間からちらほらと、縞模様以外を纏った者の姿が見える。それは
猫や犬の獣人であったり、森エルフであったり、はたまた自分と同じ人間であったり──とにかく、
虎以外の女しか目に入る範囲にはいない。
 しかも全ての女が、随分と露出度の高い、具体的に言えば胸部と腹部の露わとなる衣装を身に纏っている。
半裸なのは男も同様、この村の風俗なのだと言われればそれまでだが、しかし、女の衣装には男のそれに
ない物がある。
 色白いもの、浅黒いもの、毛並みに覆われているもの、全ての首元に、かっちりと填められた金属と革で
出来たような装飾品、いや、どう見ても首輪としか思えない代物が。

「シオン、俺の家へ。この集落のことも説明しよう」
 表情を強張らせているシオンの肩に「夫」の手が触れる。
 瞬間、それを力の限り払いのけたいという衝動を無理矢理に抑え込んで、シオンは無言で頷いた。

     *      *      *

「先々代くらいの頃からか、俺たちのクランにも、近隣の虎人のクランにも、全くと言っていいほど
女の虎人が生まれなくなった」
 集落のはずれ、やや森との境目に食い込んだような片隅にヴォズの家はあり、永らく留守としていた割には
近隣の者が手入れしてくれていたのか意外とこざっぱり整った室内で、植物の葉を厚く編んだらしい敷物に
直接座らされたシオンに対して虎人は淡々と語り始めた。
「それで父祖たちは周囲に住まう異種族に妻を求め、娶った。幸いにして種族が異なっても大抵は
子を為すことが出来たが、それでもやはり女の虎は生まれない。おかしなことに、妻の側の形を引き継ぐ仔も
滅多に生まれはしなかった。その内、虎人に娘を嫁がせれば喰われて帰ってくる者が無いという
誤った噂まで立ちはじめ、俺たちは付近で妻を得ることができなくなった」

 道理で、山向こうの農村が虎人の若い連中を危険種扱いしていたわけだ。
 シオンの腹の中では苦り切った表情を隠す努力も、一応夫である相手への気遣いも、既に底を尽かせていた。
「つまりはあんたも、街まで女漁りに来てたってわけ」
「うむ、なるべくは虎人の噂の届かぬ場所で妻を求めようという算段はあった。傭兵ギルドならば
俺の能力を活かせもし、身体壮健な女と巡り会う機会もあろうと思い加入したが、それも間違いではなかった」
 後ろ暗いところが全くないのか、嫌味が嫌味として通用しないことにシオンは苛つき、語調には棘が混ざりだす。
「それで勝負に負けたからってのこのこついてきたあたしを、不細工な首輪なんか填めて飼おうっていうのか!? 
妻とか言ってるけど、あれじゃあどう見ても家畜じゃねえか、この糞っ虎野郎!!」

「仕方ないのだ、シオン」
 激昂して立ち上がりかけたところを、大きな手で腕を掴まれ座れと促される。渋々と敷物に尻を付けたところで、
ヴォズは荷物の中から幾重にも布でくるまれた何かを掴み出す。
 包みが解かれたそこには、ある程度予想していた通りに鈍い光沢を持ったひとつの輪が鎮座していた。
「外から連れてくればいいとはいえ、クランの中で妻を得られる者はやはりごく一部でしかない。男児が
産まれる際、その臍の緒を材の一部としてまじない師に作らせるこの輪を着けて誰の妻であるかを明らかに
していなければ、妻を持てない男たちの間で奪い合われ、最悪の場合は暴行の末に命を落とす怖れもある」
 その説明が、いかにも怖がらせるためにおどろおどろしく語られたものならば、シオンも不意打ちで
ヴォズの頭に膝蹴りを喰らわして森に飛び出して行ったかもしれない。しかし、語り口はあくまでも淡々としていて、
それは却ってそのような出来事が実際にここであったのだと、嫌でも納得させられるものだった。

 つまりはここでヴォズに首輪を填められるか、出て行って女日照りの有象無象共に輪姦されるか、
選択肢はたったの二つというわけだ。
「全くありがたくて、涙が出そうだね……」
 せめての最後の抵抗に、とばかり毒づいてみせる声にもさして勢いはなく、代わりにシオンの胸の内は
今更ながらに運命の神への罵倒で溢れかえった。

(……でも、本当を言えば、あたしはヴォズをそんなに嫌いじゃない)
 家族の仇である獣人とは種族も何もかも違う別人とはいえ、最初にギルドで顔を合わせた頃には
心の底から毛嫌いしていた。
 その金褐色と黒の縞模様の毛皮も、その下に巌のごとく隆起している筋肉も、感情の見えにくい金色の眼も、
強い麝香のような体臭も、口の端から覗く鋭い牙も、物音や空気の流れに反応してぴくぴくと動く耳も、
どっしりした本体とは裏腹にくねくねと動く尻尾も何もかもが気に入らず、同じミッションに従事して絶妙の
フォローを入れてもらった時も、泥沼気味の戦場で孤立しかけたところを助けてもらった時も、労いのひとつ、
礼のひとつも言わなかった。
 それでいて、視界の端にその巨躯が入り込めば思わず目で追ってしまう自分がいることも心の底では解っている。
 その人間には望むべくもない剛健さとしなやかさを具えた肉体が、戦士として羨望に値する実力が
そうさせているのだと思い、いやいや図体に似合わぬ尻尾や耳の動きが意外な可愛さで見てしまうのだとも
思いながら自分を誤魔化していたところに、件の求婚をされた日、激怒しながらも遂に気付いてしまったのだ。
 この無骨で無愛想な虎の男に、己も惚れてしまっていることを。

「……なあ、どうしてあたしを選んだの」
 不意に口をついて出た質問に、ヴォズはぱちりと目を瞬いて「何をいきなり」と言いたげな顔をした。
 体が丈夫そうだから、というのは解る。というかさっき村の入口でさんざん言われた。
 でも、あの街には丈夫そうな女なら結構いただろう。
 傭兵ギルドが一番の稼ぎ頭なだけあって、直接戦場に出て戦う兵士でなくとも、芯が強くて逞しい女の
多い所だった。花のように愛らしく優しいニーナだって、あれで結構腕っ節は強い。ニーナを選べば良かったのに、
とはまず思わないが、健康な子供を産み育てられそうな、有り体に言えばもっと肉付きの良い女は他に
まだいたはずなのだ。
 思わず、自分の多少は盛り上がっているがその多くは筋肉が占めていそうな胸へと落としてしまった
視線の更に先で、ヴォズの膝がのっそりとこちらへの距離を詰めたのが見える。
「お主だからだ。前にそう言わなかったか」
 両肩に手を置いて、真正面から覗き込む虎の顔を、間近からかかるその息の匂いを、もはや毛ほども
疎ましく思えない己にシオンは諦めの溜め息を一つ吐き、見事な縞模様の飾る首へと腕を回して抱きついた。

 近付いた唇と口吻が重なり合う寸前、ヴォズは場違いなほど真面目くさった声音で
「人間式は…確かこうだったな」と呟き、シオンはそれに弾けるような笑い声と軽く音の立つ口付けを返してやった。

     *      *      *

 その日から、シオンはヴォズと夫婦になった。
 格式ばったセレモニーなどはなく、集落の中央にある集会所で、幾人かの立会人の前でヴォズの手ずから
例の首輪を受け、ぴたりと首に――ひとたび身に帯びれば、まじないの効か首の皮の一部になったように
張り付き、伴侶が死ぬまで外れはしないと聞かされた――巻きついたそれを披露して祝福を受けるのみの
ささやかな儀式。
 その後開かれた酒宴は人間の世界でも多くがそうであるように、当事者以外の客ばかりがいい気分で
終いには祝いの主旨も忘れて盛り上がる馬鹿騒ぎと化し、そのさなか、ヴォズはシオンを連れて座を抜け出し
彼ら夫婦の家へと戻った。

「……いいのか、おっさんたち放り出して帰ってきて」
「なに、皆、俺の顔より酒瓶の方が愛しかろう」
 そう言うヴォズの声にも普段のような重さはなく、見た目からは判らないが、多少の酒気を帯びて
ふわふわといい気分になってはいるようだ。
 ギルドにいる時はどれだけ呑んでもヴォズが酔っ払う事など無いように思えていたが、虎人の造る酒は
街のものより相当強いのかもしれない、と先ほど勧められた杯に口を付けただけで舌が焼けそうな思いを
させられたシオンは内心ひそかに納得する。

 並んで大きな寝台に腰掛けた二人の間をぬるい夜風が通り抜け、手持ち無沙汰に夫を見上げたシオンの
眼には、薄闇の中でもぼうっと光る虎の双眸が、常よりもとろりと熱を帯びて妻を見つめるヴォズの眼が映った。
 どちらからともなく伸ばした手が互いの腕に触れただけで、電流を受けたような錯覚が背を貫く。
 次の瞬間、虎の男は低い唸りを上げて人間の女を寝台に組み伏せ、その身に纏う衣服を鋭い爪で
引き裂かんばかりに剥ぎ取った。
 女は悲鳴というには甘い声を上げ、虎の首に腕を巻きつかせてふさふさとした頬の毛並みに顔を埋める。
 掻き抱き合い、撫で合い、舐め合ううちに二頭の獣と化した男と女は寝台の上で激しくもつれ合って転がった。

     *      *      *

 翌日、シオンは昼を過ぎても薄い上掛けの中に丸まったままで、寝台から出ることが出来なかった。
 なんなれば、夜も更けるまで夫と睦みあっていたからであり、加えて昨夜に破瓜を迎えたばかりの陰処には
虎人の逸物は巨大すぎ、しかも多量の精を放ち終えるのに半時近くもかかるという体の作りもあって、
無理を強いられた彼女の足腰は、動けば軋みを上げそうなほどにくたびれきってしまっていた。

「粥を作ったが、食えるか」
 戸口から顔を出したヴォズの方はといえば悔しいくらいに平然としていて、下手をすると小鳥か幼児のように
給餌されてしまいそうだと危ぶんだシオンは精一杯意地を張って上体だけを何とか起こし、木の椀と匙を
ひったくっては何をむきになる事があるのか、といった勢いで麦粥を平らげはじめる。
 足腰が立たないだけでそれ以外の不調などは無いのだと主張するような食べっぷりを、黙してじっと
眺めている虎の眼は優しげで、それが却ってシオンの心の隅にあった劣等感じみたものにちくりと火を点けた。
「……その、悪かったな」
 唐突にそう呟いて俯いた妻に、ヴォズは些か面食らった風情で耳を震わせる。
「何がだ?」
「だから……その、あたし、狭くて、下手で、ちっともよくなかっただろ……やってる最中に気絶して、
朝飯も作れないような女だし……」
 咳き込むようにまくし立て、最後は尻すぼみに消えていくシオンの声に、ヴォズは「ふむ」と鼻を鳴らすと
顎の下の毛並みを掻いた。
 いよいよ腑に落ちぬ、といった反応に自分は何か変なことを言ったのかとシオンが不安を覚えかけた刹那、
虎人は再び口を開く。
「……人間の街ではそうだったかも知れぬが、ここでは飯を作るのは男の仕事だ。狩った獲物には
最後まで己で責任を取らねばならぬのが慣わしゆえな。女の仕事は仔を産み、育てる事だ。
お主が負い目に思うような事は何もない」
 いまいち話の焦点がずれているような受け答えに、シオンはつい、口に匙を咥えたままむっとしてしまった。
 あんなにひどい新床でも、夜通し泣いたり騒いだりと煩くて、ろくに夫のものを喜ばせてやれない女でも、
子供さえ産めればどうでもいいのだと言われたような気がして、勿論それは被害妄想なのだが眉間には
些かの皺が寄る。

 にわかに剣呑な表情となったその顔を、やおら虎人の大きな掌がそろりと撫で上げたため、シオンの肩は
びくりと身じろいだ。
「それに、俺はむしろお主のもの慣れぬ様が愛しくて仕方がなかった。お主がまだ男を知らなかったことにすら
無闇に昂ぶって、随分と気遣いの足らぬ真似を」
「は…っ、恥ずかしいことをべらべら喋んな!!」
 膨れっ面から一転、額から首筋までもを茹でられたように真っ赤にしたシオンは思い切り目の前の虎頭を
ひっぱたいたが、金褐色と白と黒の毛並みに覆われた顔はさしたる痛痒も感じていないといった様子で
自分の横面を張った人間の手を上から包み込むようにして握り、逆に頬を擦り寄せる。
「すぐにはよくならんだろうが、交わる内にいずれは体も馴染もう。焦らずとも、時間を掛けて慣れていけばいい」
 温かな手触りと穏やかな言葉に、シオンは知らず、己の肩肘に入っていた力みをふっと抜いた。
 ヴォズの頬に触れている掌から、低い声が顎の骨を震わせる感触に混じって、ごろごろと喉を鳴らすような
音も伝わってくる。
 そのうち慣れるということは、慣れるまであの思い出すだけで股が外れそうな代物を何度も出し入れされる
という事に他ならないが、それでも――それでも構わない。

「あ……あたしは、早く慣れたいよ? どうせやるなら、気持ち良くないと……損だし……」
 今度は頬を染めて俯いた女の頭を、大きな手がゆったりと優しく撫でた。
「ああ、それが良いな。お主が辛そうでは俺も心苦しい」

     *      *      *

 朝、虎の男たちはいくつかのグループごとに分かれ、それぞれ狩場や畑、その他の持ち場へと出かけて行く。
 食物や薪など必需品の調達、クランの領域の見回りなどはすべて男の役目であり、彼らが一仕事終えて
戻ってくるまでは年寄りや留守居役、家の中に仕事場のある幾ばくかの職人を除けば集落内には虎人の姿は
あらかた見えなくなってしまう。

 その間、彼らの「妻」たちはもっぱら水汲み場の脇に設えられた女小屋に集まるのがいつもの慣わしだった。
 水際で衣服や器を洗う者もいるが、殆どは四阿造りの小屋の内に思い思いに寛ぎながらお喋りや
手仕事に興じている。
 そして現在の格好の話の種はといえば、当然ながら新入りの女であるシオンのことだった。

「そう、シオンは傭兵だったのね。どうりで背筋が伸びて動きもきびきびしていると思ったわ」
 穏やかな笑顔で手ずから淹れた花茶を勧める、艶やかなブルネットと緑の瞳が美しい森エルフ族の
アナーリヤはどうやらこの中で一番の古株のようだった。
 床敷きのクッションにゆったりと預けられた肢体はいかにもエルフ族らしくほっそりとして、ただ、
件の衣装から露わにされた乳房と腹ばかりが豊かに膨らんで手足の細さにはまるでそぐわない。
 ふと、シオンは同じような服を着ている女たちがみな、程度の差はあれ仔を宿した孕み腹を誇示するような
そぶりである事に気が付いた。
「ここじゃ仔を産む女は大事にされるからね、亭主たちは嫁の腹が膨らんできたらこういう服を着せて自慢するのさ」
 同様に被毛の薄い乳房と腹部を大きく露出した猫獣人族のカリナが、シオンの前にあった菓子鉢から
干し棗をつまみつつその疑問に答える。
 彼女たちのうち誰ひとり、件の衣服はともかくとして自分の首に巻きついているものを気にする様子が
ないことにシオンは意外さを感じ、しかし「首輪を着けられて嫌じゃないのか」などと直截的な質問をするのも
微妙に気が咎めて、しばし迷った後にだいぶ遠回しな表現を選び口を開いた。
「あの、さ……あんたたちは、みんな……どういう風にここに嫁いできたの」

 シオンの問いに虎の妻たちは目を瞬いたり小首を傾げたりなどそれぞれの反応を見せる。真っ先に
口を開いたのは、やはりアナーリヤだった。
「私の時はね、故郷の森がたちの悪い魔物に襲われた時、集落の守りにたまたま通りすがった今の夫が
助太刀を買って出てくれたの。それで感謝の宴の真っ最中に、あのひとったらまるでバラッドの中の
騎士みたいに跪いて私に求婚したのよ。うちの家族は少し渋っていたけど、私は自分の人生にこんな
ドラマチックな出来事はそうそうないと思ったから、つい勢いで申し出を受けてしまったわ」
 おしなべて思慮深いとされるエルフ族らしからぬ、ずいぶんと情熱的な馴れ初め話にシオンは素直に驚き、
他の女たちも口々に冷やかし交じりの感嘆を漏らす。
「アナーリヤが羨ましい、私なんか、山に入って薪を拾ってる最中にいきなり出くわしたうちの人に引っ掴まれて、
呆然としてる間にここまで連れて来られたんだもの。手紙で故郷の家族に事情を説明したり、護民騎士隊に
訴えるって言うのを説き伏せたりするのに骨が折れたわ」
「あたしは村が不作の頃に人買いに売り飛ばされて、娼館にいたところを客でやって来た今の亭主に
身請けされたの。って言っても、出てく時に館主や用心棒がボコボコだったのを見るに、お金じゃなくて
拳固にものを言わせたみたいだけどね」
 ユーミィと名乗った人間の女とカリナに続いて他の妻たちも口々に夫との出会いを語り、それらのちょっとした
ロマンスであったりなかったりする様々な経緯に、そしてわりと残念な内容であってもあっけらかんと明るい
語り口調の女が幾人もいることに、シオンは目を丸くしてただ聞き入るしかなかった。

「ここには普通に求婚されて嫁いできた女も、半ば攫われるみたいにして連れてこられた女もいるけれど、
でも腹が膨らむまで村に残っているのはみんな、自分でここに居たがってる女ばかりよ。理由はまあ……
色々あるでしょうけどね、元いた所の方がひどかったとか、ここの暮らしや虎の夫が気に入ったとか」
 にこにこと話をまとめるアナーリヤや女たちに、それでもシオンはまだどこか引っかかりのようなものを覚えてしまう。
「けど、これとか……気に、なんないの」
 納得が行かない、という顔で己の喉元を指差す新入りに先輩たちからはくすくすと明るい笑いが上がり、
ひときわ陽気な笑い声を弾けさせたカリナがシオンの肩を抱いてぐっと顔を近づけた。
「この首輪のまじないはね、男の方には……確か、他の男の女房とやったら種無しになるとか縞模様が
不細工になるとか色んなお仕置きがあるらしいけど、実は着けている女自身には何の縛めも無いの。
あ、もちろん着けた男が死ぬまで外れないって言うのは別にしてね。だから、本当に嫌だったら首輪を
填めたままでもここを出て行くのはご自由にってわけ。でも、殆どの女は首輪なんか目じゃないくらいの
呪いにかかってるんだけどね……」
「の、呪い……!?」
 咄嗟に身構えたシオンの眼前で、猫獣人の縦に瞳孔が切れ込んだ双眸がにやりと細められ、
吐息にも似た囁きが耳元をくすぐっていく。

「虎人のアレってすごいでしょ。亭主としてみて……悦すぎて病みつきになっちゃう女もけっこう多いって話」

 尾篭に過ぎる「呪い」の正体に鼻白みもし、しかしながら確かに「すごかった」夫との交合をつい顧みも
してしまったシオンは目に見えて真っ赤になり、顔から湯気の上がりそうな思いで身を竦めた。
 そのうぶな様子に一層、微笑ましいと言わんばかりの笑い声を湧かせた他の女たちはいよいよ身を乗り出し、
おそらく今日の本題だったに違いない質問をぶつけてくる。
「ところでヴォズはどう? よくしてくれるの?」

 なんでも、このクランの中でもヴォズは子供の頃からとりわけ朴念仁な方で、実直だがいつもむっつりと
している彼が首尾良く妻を娶ったのも意外なら、夜どんな顔をして睦み合うものかも想像が付かない、と
専らの噂話の種らしい。
 随分とあけすけな問いに些か辟易しながらも、シオンは先程脳裏に浮かべたばかりのヴォズとの閨、
夜毎に自分を可愛がる夫の手管を思うだけで、既に赤らんでいた顔が更に耳の先や首筋まで熱くなるのを
押し止めようもなかった。

 あの初夜の床でシオンに負担を掛けてしまったことを気にしてか、ここ幾夜かのヴォズはとかく丁寧に
妻の体を訪ってくる。
 褥に共に横たわり、昼間あったことやギルドにいた頃のことなど、他愛の無い会話を交わしながら
じっくりと肌を撫でて心身がほぐれるのを待ち、シオンが快さげに目を細めればやおら口での愛撫をはじめ、
少しざらざらとした感触の大きな舌であたかも親猫が仔猫を毛づくろうように、あるいは捕まえた獲物の
味見をするよう体中至るところを舐めて、肌の内側に快楽の火を点していく。
 両脚の間に辿り着いた舌は既に潤み始めている女陰へ忍び込み、とろりと蜜を溢れさせる泉を
味わいながら肉のこわばりを蕩かし尽くし、そしてついには──

「ふふ、とっても気持ち良くしてもらっている、って顔ね」
 悪戯っぽく笑ったアナーリヤが恥ずかしさのあまり傍らのクッションに突っ伏してしまったシオンの頭を
優しく撫で、皆が笑いさざめく声がそれに続いた。

     *      *      *

 婚礼の夜には爪の先の如くだった月はすっかりと太り、白銀の円盤めいて夜空を飾っていた。

「あぁ…っ、はぁっ、ぁはあ……っ!」
 褥に伏せ、四つ足で這うような姿勢を取ったシオンは背後から圧し掛かる夫に貫かれ、咽び泣くような、
しかし明らかに喜悦の滲んだ声で吠え、高く掲げた腰を振る。
 以前よりふっくりと柔らかさを増した尻肌は激しく打ち付けられる動きにもやんわりと応え、太逞しい雄の肉を
呑み込んでいる場所は柔軟に拡がってその質量を余すところなく受け止めつつも、弛みすぎもせず、溢れる
蜜を纏わせて吸い付くように夫の分身を撫で回した。
「……ぁんっ、ヴォズぅ………いい…っ、いいよぉ……!」
 甘えた嬌声が息と共に弾み、口の端からは涎が透明な糸を引くが、女はいっこうに頓着しない様子で
背後からの突き上げに歓喜する。
 太逞しい陽根に押し広げられ擦られ続ける入口も、茎の表面に浮き上がった血管で執拗にこそげられる
中ほども、硬く猛った先端で間断なくノックされる最奥も、全ての粘膜が鮮やかな珊瑚色に染まり、細胞の
一つ一つまでが快楽に咽び泣くようなざわめきに支配されていた。
「どこが悦い、シオン?」
「いっ……いりぐちも…なかも、おくもいいの……っ! おっき…ので、ごりごりって……ふぁ、そこ……
そこも、いい…っ………っゃ、あ……も…あたまおかしくなりそ……っ……」
「近頃はもうどこも痛がらんな。すっかり俺のものに馴染んだか」
 打ち付ける動きから、じっくりと回すような動きに切り替えた虎人は妻の背に覆い被さるよう屈み込み、
しなやかな背筋をつうっと舐める。ぞくぞくと肌が跳ね、汗みずくの肢体を伝った震えが肉洞の内を断続的に
締め付けるのを確かめると今度は首筋に舌を這わせ、浮いた胸の下へ滑り込ませた手で乳房を弄びながら
耳元に声を吹き込んだ。
「乳も随分と膨らんで、近頃は捏ねやすい」
「ぅん、うん…っ……あたし、ヴォズに…ちょうど、よく、なりたいの……おっぱいも、赤ちゃん産むところも、ぜんぶ…」
 女の声は熱に浮かされたようにふわふわと、蕩けた響きで閨に満ちる。
 ゆらゆらと揺り動かされる腰は繋がった場所から淫らな水音を立てながら互いを貪った。
「……ねぇ、ヴォズ…あたし…ぜんぶ……あなたの、もの…よ……」
 甘い囁きに理性を熔かされた獣は一層深く、シオンの奥へ己を突き立てる。

 誘うような鳴き声ときつい締め付けに急かされ放ちはじめた精は、半時ばかりを掛けて女の胎内に満ちていった。

     *      *      *

「ね、これ、どう……? 似合う?」
 新しく拵えてやった服を身に着け、くるりと回って見せた妻に、ヴォズはうっそりと頷いた。

 クランの女たちが纏う衣装、肩と腰は覆って胸と腹部を露出するこの装いは、仔を孕んだ女の美しさ、
そして神聖さをより引き立てるものと彼らの眼には映る。
 自ら狩ってなめした若鹿とウサギの毛皮で仕立てたスカートと襟の部分がシオンのすらりとした肢体に映え、
膨らみはじめた腹部と、ますます張りを増した乳房を飾る様子を認めた虎の男は満足そうに喉を鳴らし、
妻を膝の上に差し招いた。
「あたし、最近重くなったんじゃない……?」
 いざなわれるまま素直に腰を下ろしながらも、少し気恥ずかしそうに見上げてくるシオンは確かに
ここへ来た時よりも随分と肉付きを良くして目方も増えてはいたが、ヴォズにとってはさして堪える
負荷でもないし、なによりこれは我が子と二人分のいわば幸せの重さだ。些かの否やもあろうはずが無い。
「それほどでもない。却って、俺にとっては収まりが良くなったと思えるくらいだ」
 言いながらその背から腰へ腕を回し、実にしっくりと馴染むまろやかな曲線と量感を抱き寄せれば、
くすぐったそうに笑うシオンの声が耳と肌から同時に伝わって来る。
「ふふ、それもそうか……ここも、こっちも、ヴォズに可愛がられてこんなに大きくなったんだものね」
 蕩けるような笑顔の中にも、どこか悪戯っぽい、挑発めかした目つきで片側の乳房を持ち上げ、
反対側の手で膨らんだ腹を撫でて見せる妻に、虎人の喉奥からはいっそう愉しげな唸りが漏れ出した。
「綺麗だ、シオン。あとで村の皆にも見せてやろう」
「自慢してやろう、の間違い、だろ」
 しなやかな両腕を毛皮に覆われた首へ巻きつけ、いっそう体を寄せ合ったシオンの顎を夫の
無骨な手がそっと撫でる。
 女が促されるままに顔を仰向けて視線を絡め、次いで目を閉じ、僅かに唇を突き出すようにして
口付けをねだれば毛皮と髭でややちくちくとする口吻がやんわりとそこを訪った。
「……違いない」
 キスも、笑顔も、声も体臭も何もかもが甘く五感をくすぐる自慢の妻と戯れ合いながら、ヴォズは
いつも通りのむっつりとした表情のままぼそりと呟く。

 その背の後ろで、縞模様の尾がいかにも上機嫌といった調子にぱたぱたと揺れていた。