時計を見る。──そろそろだ。
夕食を終え、会計を済まし、外に出た頃だろう。
その後の行動を意識し、躊躇し、逡巡しているところを、相手がモーションを掛けてくるタイミング。
鋭く研ぎ澄まされた勘が、何十キロも離れている光景を、時間も空間も完全に脳裏に映像化させる。
私は電話を取った。
もちろん短縮ダイヤルにも登録してあるが、こういう時は使わない。
指先が覚えている。──夫の携帯の番号は。
呼び出し音は二回でつながった。
私からの電話を無視したり、切らないところに、夫のスタンスがわかる。
家庭を──私を裏切るつもりは、ない。だが、相手はそれを知って仕掛けてくるしたたかな敵だ。
だが、夫もまだ飲み込まれきってはいない。これも予想通りだ。
「──もしもし?」
「あなた?」
「美佐子か。……うん、どうした?」
「早く帰ってらっしゃい。……私が焼きもち妬いてあげてる間にね。
今すぐ戻ってきたら、いっぱい、いい子いい子してあげるわよ。
でも、これ以上、香織といちゃついて遅くなるようだったら、……私にも考えがあるわ」
「──!」
「お夕飯はいらないわよね。<煉瓦亭>のフルコースでお腹いっぱいでしょうし」
「──!!」
「そこからまっすぐ帰ったら、10時半には家に着くわよね。門限はそうしておくわ」
返事を待たずに電話を切った。
普段はもちろん、夫に門限など切りはしない。
が、金曜の夜に定時に上がって、女に誘われるまま夕食を取った男には、多少きつめの対応が必要だ。
私は時計をちらりと見た。
残り一時間半。──自分の夕食と水周りの片付け物は終わっている。
少し掃除をしておくかな。メイクの直しもしておこう。

──午後10時25分。
おもむろにガムを取り出して口の中に放り込む。
ミント味は私の趣味ではない。夫の好みだ。
鏡をちらりと見る。何度か軽く微笑んでみる。すぐに納得できる微笑が作れた。
気持ちが浮つきかけた夫への妻からの特効薬は、嫉妬と怒りではなく笑顔だ。
十分に噛んでからガムを吐き出し、紙にくるんで捨てたときに電話が鳴った──夫からだ。
「はい?」
「あ、ああ、お、俺だけど、今、バス降りた。──これから走るから!」
玄関の時計を見る。10時29分。バス停からでは絶対に10時半には間に合わない。
「そう、──気をつけてね」
わざと感情をこめない声で答えた。夫は私の心中を読めずに焦っていることだろう。
まあ、バス停から家までの歩いて5分、走って3分の距離は車の通行もほとんどない安全な道だ。
この僅かな時間は、不安に駆られてもらうことにしよう。
私はくすりと笑って時計に手を伸ばした。
操作をし終え、元の位置に戻したときに、チャイムが鳴った。鍵とチェーンを開けて出迎える。
汗だくの顔は、ハンサムとは言いがたいが、それなりに魅力的だ。
私より二歳年下の夫だが、某大手企業で、年齢なりの仕事が勤まるくらいの能力と人間性は掛け値なしに、ある。
もっとも、そのどちらも内助の功あってのものだ、ということは、本人も十分承知しているはずだ。
それは上ずった第一声にしっかり反映されていた。
「──たっ、ただいま!」
「はい、お帰りなさい──10時29分、ぎりぎりセーフね」
わざとらしく時計を見つめてからジャッジを下すと、夫は、蒼白な顔に驚き表情を浮かべた。
本当の時間は10時32分。間に合わなかったことに動揺しきっていた顔に、安堵が広がる。
──門限の時間に間に合うかどうかは、実のところどうでもいいことだった。
動転しきった夫は、駅からタクシーに乗ることも思いつかなかっただろうが、別に10分早くつこうが
あるいは10分遅れてこようが、私の電話から全速で帰ってきたならば、私の反応は同じだった。
妻の、「敵」に対する勝利条件は、門限の遵守で得られるものではない。
と言うよりも、まさにこの瞬間から、この場にいない「浮気相手」と私の女の戦いが幕を開けるのだ。

「門限、守ってくれたのね。──うれしいわ」
言うなり抱きついた。
いきなり怒られるのかと身を硬くしていた夫がびっくりする暇を与えずにキスをする。
ミント味の「お帰りのキス」は、日課だ。
だが、たっぷりと押し付けた後、唇を離してから至近距離で顔をじっとみつめてからの展開は、いつもと少し違う
「やっぱり、<煉瓦亭>ね。仔鴨のソテー。香織も趣味が変わらない子だこと」
「!!」
メニューまで特定されて、夫は可哀想なくらいうろたえた。
別に、夫が悪いわけではない。
香織──私の妹は、子供の頃から、私のものをなんでも欲しがるのだ。
相談に乗ってくれませんか……。食事でもしながら……。飲みすぎちゃった、ちょっとそこで休憩しませんか……。
──香織の描くシナリオは恐ろしくワンパターンで幼稚だ。
だが、私と瓜二つの顔と身体を持つ女なら、それで大抵の男を落とせる。
「い、いや、香織君が、相談に乗ってくれって言うから……」
無邪気な夫は、困惑しきった表情で弁解し始めた。
夫は、私が妹と仲が悪いのも知っている。私が嫉妬深いのも身に染みてわかっている。
私が電話を掛けたのも、それほど深刻な背景があるとは夢にも思ってはいない。
香織が本気で不倫するつもりで誘いをかけていた、ということを知れば、仰天するだろう。
だが、それは、夫が知らなくてもいいことだ。
私に黙って他の女と食事をしたことの罪悪感のレベルで全てを処理する。
それが一番賢いやり方だし、香織の自尊心にも一番ダメージを与えられる。
私はあくまで、「私に黙って義妹と二人で夕食を取ったこと」だけを問題視すればいい。
小心者の夫は、それだけで十分罪悪感を感じているだろう。
──押しどころと、引きどころは心得ている。
顔を近づけたまま、至近距離で軽く睨んで、押しの部分は終わり。
あとはたっぷりと引いて、男を立ててやればいい。
私は玄関にひざまずいた。

「美佐子…さん。何を? …ちょっと……」
ズボンに手をかけた私に、夫はうろたえた声を上げた。敬語まで使っている。可笑しいこと。
新婚時代から何百回としていることだ、私が何をしようとしているかは分かったらしい。
「──かぼちゃのサラダと、けんちん汁と、菜の花のおひたし」
「……え?」
「今日の私の夕御飯」
「──そ、それは」
一万円のコース料理を食べてきた身としては、つつましい食事を取った妻に責められると思ったのだろう、夫は身を硬くした。
「ふふ、別に怒ってないわよ。──ただ、たんぱく質が足りないなあ、と思って」
「──え?」
「ご馳走食べてきた人に、埋め合わせしてもらってもいいわよね」
言い終えると同時に、パンツを引き下ろす。夫は玄関で下半身をむき出しにされた。
「わわっ──!」
ちぢみあがっているモノを口に含むと、夫の動揺は激しくなった。
激怒しているとばかり思っていた妻が、いきなり玄関先でフェラチオを始めたのだ、さぞかし不意を突かれただろう。
「汚いよ、まだシャワー浴びてないし──」
「そんなこと気にする仲じゃない、でしょ?」
たしかに私はそういうことを気にしない。
二年前に夫が事故で大怪我をしてしばらく入院したときも、看病のかたわら、毎日口で慰めてやったものだ。
風呂に入れないので、濡れたタオルで身体をぬぐうのだが、男根は拭く前に口に含んだ。
汗と恥垢ですえた匂いがするモノをしゃぶられるたび、夫はすまながり、恥ずかしがったが、
同時に男として、妻の従属と奉仕に興奮し、満足しているのも手に取るように感じた。
その証拠に、あの時の私の口の中への射精は、普段より量が多く、味も濃かった。
夫は、痛い思いをしている自分へのいたわりと思っていただろうが、実のところ、理由としては半分だ。
後の半分は、<○○会社の若手エリート>の肩書きを知った看護婦が、夫の部屋周りをうろちょろし始め、
そのうちの一人が患者とすぐに寝るタイプの女だということを、友人の女医から忠告されたからだ。
その女の巡回時を見計い、わざとカーテン細めに開けてフェラチオに励んで、口でいかせる瞬間を見せつけ、
精液を飲み込みながら睨みつけてやると、淫乱なナースもやっとあきらめた。

夫のペニスは小さく縮こまっていた。
もともと気が小さいタイプだ。
その代わり、妻がたっぷりと愛情を示し、励まし、おだてて自信を持たせると伸びる、私が一番扱いやすいタイプの男。
精神と同様、男性器も扱いやすい。
いったん口の中から吐き出し、優しく息を吹きかけながら指の腹でなでつけると、おそるおそる、と言う感じで大きくなり始める。
「今すぐ戻ってきたら、いっぱい、いい子いい子してあげる」──そう約束してあった。
夫は匂いを気にしていたが、実際にはほとんど匂いはなかった。
夕食に行く前に「万が一を考えて」というよりも、「なんとなく」トイレでウェットティッシュで汚れをぬぐったのだろう。
夫のペニスは綺麗なものだった。
息せき切って走ってきた証の新しい汗と、ごく微量の先走り汁の匂いしかしない。
香織が食事中に、夫が勃起するほどきわどい会話を織り交ぜてモーションを仕掛けたことが手に取るようにわかって
私は笑い出したいのを堪えるのに苦労した。
先端を改めて口に含み、鈴口を吸ってやる。ペニスはぴくんと反応してたちまち硬度を高めた。
「玄関、鍵閉めなきゃ」
「んんっ──そう言えば、今日くらいに回覧板回ってくるかも」
「そ、それはまずい」
夫は背後のドアに施錠していないことが気になるらしい。
横目で見ようとするが、50センチ後方のドアにはこの体勢では手が届かないし、視線も届かない。
「──あら、何がまずいのかしら。自分の奥さんにフェラチオされて何か困ることあるの?」
「い、いや、そういうことではなくて……」
夫はうろたえたが、ペニスは大きく固くなる一方だ。
羞恥のスパイスは男にも有効である。
実際には、誰かが来たとして、門のインターフォンを押さないでくることはまずありえない。
お盛んなご夫婦として無責任なご近所さんたちの評判になるのは、私とて遠慮したい。
完全に勃起した──ここからは二分で済む。
指と舌と唇を総動員する。いつものテクニックに、普段使わないテクニックを程よく混ぜるのがコツだ。
(あなたの奥さんは、今日はちょっと本気だぞ)
言葉に出さなくても、夫にそう伝えることはできる。

「あ……いきそうだ…」
夫がスーツのままの上半身を震わせた。
「いいわよ、……出して」
容認の言葉を投げかけてから再度口に含むと、夫は私の頭を両手で軽く掴んだ。
されるままに固定されると、夫のほうから腰を激しく降り始める。フィニッシュはイラマチオになった。
「ううっ!」
口の中でペニスが力強く脈動してはじけた。
大量の精液が私の中に吐き出される。舌の上に降りかかるおなじみの感触と匂い。
最初に射精したものはゼリー状で、だんだんと粘液に変わる。
今日始めての射精に間違いない。──おまけに体調はベストだ。
いや、それはわかっていたことだが。
最後の脈動が収まった。夫は余韻に身を浸している。
精液を口の中に溜めながら尿道に残った分を吸うのはなかなか難しいが、何度もやったことだ。失敗はしない。
十分に間を取って、私は立ち上がった。
「あ……」
何か言おうとする夫に、にっこりと笑いかける。
「んふふっ──」
口を閉じたまま笑うと、口の中の精液の匂いが鼻に抜けた。今日は一段とまた濃厚のようだ。
私は夫に抱きついた。耳元に顔を寄せる。
くちゃくちゃ。
ぐちゃぐちゃ。
口の中の精液をどう扱っているのか、音をたてて耳元でたっぷりと聞かせる。
生臭い男の汁を、目の前の女が、唾液と混ぜ合わせ、舌の上でよく味わっている音を。
夫はびくっと身体を震わせた。
──ごくん。
飲んだ音も聞かせる。ためらいもなく、一滴残さず、全部。
「──ふう、ごちそうさまでした──美味しかったわよ、あなた」
耳元でささやく。顔を見なくても、夫が完全に陥落したのは背中に回した手の感触だけでわかった。

「また汗かいちゃったわね。──お風呂入りましょうか、一緒に?」
玄関の鍵を閉め、チェーンもしっかりかけてから振り向いて笑いかける。
すぐに頷くかと思ったが、夫は複雑な表情でこっちを見つめている。
ああ、このタイミングで来るか、随分素直だな。──心の中の夫メモを修正する。
「美佐子さん、その……ごめん」
夫は、頭を下げた。もう弁明も言い訳もない。本気で謝ります、のモードだ。
予想では二人でお風呂に入って洗いっこしたくらいで来るかな、と思っていたが、不意を突かれた。
ああ、可愛いな、私の旦那様は。一生この男だけでいいや、私は。
これからするつもりのサービス、全部二割増しにしてあげよう。
まあ、言うべきことは言っておかなければ。
「悪いと思ってる?」
「うん……ごめん──ごめんなさい」
「ふうん。そう。じゃ、約束して」
「約束?」
「──あきらめる、って」
「え?」
「他の女の子と仲良くしたり、メールしたり、二人でご飯食べたり、デートしたり、あわよくばエッチしたりすること。
たくさんの女にちやほやされたり、いちゃいちゃしたり、個人的な好意を持たれたりすること、全部あきらめるって」
「──」
「世界には30億くらい女性がいるけど、他の29億9999万9999人からは好かれようと思わないで。
でも、それができたら、残りの一人は、30億人分たっぷり貴方を愛してあげる」
「──」
「貴方は、一生、私ひとりにちやほやされていればいいのよ」
「──はい」
夫は神妙な顔で頷いた。こちらはこれで万事完了だ。──香織のことは、後日きっちり片をつければいい。
「よろしい……お風呂、入りましょ。──その後は、ベッドでたっぷり<仲直り>してね」
「あ、ああ!」
こくこくと頭を振る夫の手を引いて、部屋の中に入った。
今夜は金曜だ。<仲直り>にたっぷり時間を掛けられる。
──今晩だけでなく、土曜と日曜を丸々ベッドの中で過ごすのも悪くないかも知れない。




「髪を乾かしてくるから、ゆっくり温まっててね」
軽くキスをしてから湯船から出ると、夫は実に名残惜しそうな視線を向けた。
シャワーを浴びながらいちゃついたから、下半身はとっくに回復している。
その元気はベッドの中で発揮してもらおう。
バスタオルで身体を拭きながら、リビングに戻る。
ドライヤーを手にする前に、夫の鞄を開ける。──あるとすれば、この小物入れの部分。
……あった。薄っぺらな正方形の包みを取り出す。──<明るい家族計画>だ。
随分とお洒落な包装には、見覚えはない。
我が家では、この手の物を買ってくるのは私の役目だから、これは香織が仕込んだものだ。
浮気相手の女は、男の持ち物に自分の痕跡を残す事を好むという。目的は、本妻への挑発だ。
あらゆる点でステレオタイプな妹に、私は苦笑した。
そのままリビングのゴミ箱へ──はよくない。夫の目に留まるかもしれない。
すでに用意してあった紙袋に入れて、私の部屋のゴミ箱へ──これが正解。
代わりに、戸棚から我が家ご指定のコンドーム君を取り出す。
二人で色々試したが、夫はこれが一番合っていると言う。香織はリサーチが足りない。
もっとも、リサーチのしようがないだろうが。
「……ふむ」小箱を片手に考え込む。
ここ一、二年ほど、夫婦最大の懸案事項だったことが頭の中をよぎる。
二人でたっぷりと話し合い、問題は一つ一つクリアしてきた。貯金も計画も万全だ。
最後に残ったのは、決断だけ。──いい機会かもしれない。
私は、小箱を戸棚に戻した。しばらくこの「今度産む」君とはお別れだ。
腹はくくったが、胸はドキドキしている。深呼吸三つ。
今まで、その資格が十分あるにもかかわらず、手に入れていなかったものを今晩手にするのだ。
「──ん……」
そう考えただけで、少し濡れた。
さっき、玄関で夫のしぐさにドキリとしてから、感じっぱなしだ。
風呂場で、興奮しきっている夫をあしらいながら洗いっこだけで済ませるのは、実はこちらのほうが大変だった。
私は結構、セックス──というより「夫婦生活」に積極的な女なのだ。

手早く髪を乾かし、裸にバスタオルを巻きつけた格好で寝室に入る。
夫もバスタオルを腰に巻きつけただけの姿だ。──股間の部分が大きく盛り上がっている。
「おまたせ」
「あ、ああ、うん」
バスタオルに包まれた私の胸元に視線をさまよわせながら夫は返事をした。
この数年間、さんざん生で拝んでいるはずなのに、まだ飽き足りないらしい。巨乳好きは因果な性癖だ。
まあ、先ほど、これ以外のおっぱいとは一生涯無縁の人生を送る、と誓わせたばかりだ。
多少いやらしい目つきで見ても許してやろう。それくらいは亭主の特権だ。
──ちなみに、私と香織は体型も似ているが、バストだけは私のほうが5センチ大きい。
その辺も、香織が私を気に入らないところなのだろう。
「……じゃ、<仲直り>しよっか、けー君?」
夫──敬介をあだ名で呼びかける。
普段の呼び方は「あなた」だ。人前で説明するときには「主人」。夫の親類の前では「敬介さん」。
基本的に夫を立てる呼び方をしている。
男の世界には色々あることは理解しているつもりだ。
ただし、家の中──特にベッドの上では立場が逆転していることが多い。
「けー君」と呼ぶときは、付き合い始めた頃の、会社の先輩後輩時代の雰囲気が色濃く残っている。
私が磨きあがる前の、ちょっともっさりとした晩生の男の子の呼び名だ。
私に童貞を捧げた、かわいい男の子。
──私も処女だったが、まあ二つも年上で先に社会にも出ていた女は、臆病な男の子よりも色々知識がある。
私の家には、十五の頃から男をとっかえひっかえしていた、ふしだらな妹もいたことだし。
それがただの耳年増ということを悟られないうちに、二人で色々と実践したが、ベッド内での力関係は逆転しなかった。
「──う、うん」
けー君はこっくりと頷いた。あいかわらず可愛い。
「それじゃ、そこに寝ましょうね。──あ、目隠ししてあげる」
手に持ってきたタオルをゆるく縛り付け、夫の視界を奪う。
けー君は、ダブルベッドの上に大人しく横たわった。
「ふふふ、今夜はお姉さんがたっぷりいじめてあげるわよ」
──あれ、仲良くするんじゃなかったっけ? まあ、どちらでも同じことか。
私は仰向けになった夫の横に添い寝した。

天井を向いた夫の唇に、自分の唇を軽く重ねる。
片手で夫の髪をすいてやる。もう一方の手は、胸や腹や太ももを軽くなでまわしている。
「ん……」
目隠しのせいで触感が鋭敏になっているのだろう、夫は吐息をかみ殺した。
「うふ、かわいいわよ、けー君」
耳元でささやく。夫は、びくっと身体を震わせる。
その反応に恋人時代のことを思い出して、心臓が高鳴る。夫も同じくらいドキドキしていることだろう。
──いいことを思い出した。
こういうとき、一番いい<仲直り>の仕方があった。
「ねえ、けー君──私、けー君に聞きたいことがあるんだけど?」
「何?」
「けー君は……どんな女の子が好きなの?」
「え、え?」
夫は、突然の質問にとまどっているようだ。
忘れちゃったかな? あのやり方を。しばらくやっていなかったし。
「それは──みさ……んんっ?」
私の名前を言おうとしたところを、キスで口をふさいだ。──そうじゃないでしょ。
唇を割って、舌を絡めあう。たっぷりとディープキスを楽しんでから、唇を離す。
考える時間を与えると、しばらくして、あ、と言うような表情を浮かべた。──よし、再チャレンジ。
「うふふ、もう一度──けー君は、どんな女の子が好みなのかな?」
「──うーん……髪の毛が長い女の子が、いいなぁ……」
夫はこのゲームの<ルール>を思い出したようだ。
感心感心、さすが私の旦那様。あとは以心伝心だ。
「ふぅ…ん。髪の毛はどれくらいの長さがいいの? うんと長いロング?」
「ううん、セミロングくらいがいいなあ。──あ、絶対に黒髪! 僕、黒髪の人、大好き!」
学生時代から、私の髪型はずっとセミロングだ。髪を染めたことは、一度もない。
「ふうん、そうなんだ。じゃ、色白のおっとりした子と、小麦色の活発な子とどっちが好き?」
「──そりゃ、もちろん。色白の大和撫子!」
あは、これは少し照れる。
色は間違いなく白いほうだ。大和撫子のほうはどうだろう。少なくとも、外ではそれで通ってはいるが。

「そう。──おっぱいは大きいのが好き? 小さいのが好き?」
「お、大きいほうがいいなあ……」
「やん、けー君ったらマザコン?」
「そ、そんなことないよぉ……」
真っ赤になった表情が可愛いから、ご褒美をあげよう。
右手を取って私の胸元に導く。夫はすぐに私の胸を揉みはじめた。
「わあ、お姉さんのおっぱい、大きいなあ」
「これくらいの大きさがいいの?」
「うん! それにすっごく柔らかくて張りがあって……」
「……やっぱり、けー君、マザコンだぁ」
「ち、ち、ちがうってば!」
うん。たしかに私の旦那様は、姑より嫁を優先する優良亭主だ。
もう少しご褒美。ベッドの上で身体を上にずらして、夫の上にのしかかる。
目隠しをした顔に、自慢のおっぱいを押し付ける。心底嬉しそうな夫の笑顔が、私の白い乳房で隠れる。
口元に乳首をあてがうと、夫は無心に吸い付いた。たっぷりと乳房を吸わせた後、今度は、身体を下の方にずらせる。
「あ……ひ…」
唇を離すとき、いかにも名残惜しそうにしていた甘えん坊さんが、女の子のような声を上げた。
私が、夫の乳首に舌を這わせたからだ。おっぱいの次は、おっぱいだ。
「んふ、けー君ったら乳首弱いね。──こういうの好き?」
「う、うん、──大好き」
「そぉ──甘えんぼさんね」
ちろちろと舐め上げながら股間に手を伸ばす。バスタオルの中身は、布地を突き破らんばかりに猛っている。
生地の上から軽くしごくと、夫はびくびくと身を震わせた。
怒張したペニスに、タオル生地の感触は、けっこう効くらしい。
──ちなみに、私のショーツだと、もっと「いい」らしい。
たまに脱ぎたてのショーツにくるんでしごいてあげると、それはもう、気持ちよさそうな声を出して射精する。
新婚以来、出張のときには、お見送りの玄関で下を脱いで渡している。
夫は、出張先で風俗やキャバクラに一切付き合わない固い男、として社内で有名らしいが、
その実、宿泊先のホテルで妻の下着でオナニーに耽る変態さんだと言うことは
──私しか知らないし、私しか知らなくていい。

──先日の一週間の海外出張のときは、ショーツを三枚も渡してやったのに、見事に三枚とも使い尽くしてきた。
散々精液を吸い込んで固いシミになった上に、さらに何層も精液をかけられたショーツは、もちろん再利用不可だった。
ビニール袋に厳重に包んで持ち帰ったそれが税関で調べられなかったのは幸いだ。
会社の人間に知られたら、完全に変態扱いされるだろう。
──もっとも、新旧の精液にまみれて返ってきたそのショーツを、捨てる前に散々おもちゃにしたあげく、
思わず穿いてみたり、あげくの果てに穿いたままでオナニーに耽ってしまった私も、十分変態だ。
あれは、ものすごく興奮した。
まあ、同行した夫のライバルが主張先での買春で性病をうつされ、入院と離婚騒動を起こしたあげく、
子会社に左遷されていったのに比べると、我が家はずっと平和で健全(?)だ。
三枚のショーツが翌年の昇進のカギになったとは誰も思うまい。──家庭円満、万歳。
そんなことを思い出しながらゆるゆるとこすっていると、夫がうめき声をもらした。
いけない。調子に乗りすぎた。慌てて手を緩める。
今日は、これで出してもらっては困るのだ。
見事にそそり立ち、びくびくと脈打っているペニスから手を離すと、夫は、はぁはぁと荒い息をついた。
よく我慢しました。えらいぞ、旦那様。
後で、もっといいところで射精させてあげる。
私は言葉責めのペースを変えた。
次々に夫の好みの女性像を告白させる。
興奮を抑えるために、いったん色っぽいことから離れた話題から入り直す。
……ふむふむ。
けー君の理想の女性は、
──いわゆる良妻賢母で、夫を立てる女性らしい。
常識的な価値観と貞操観念を持ち、控えめだが頭が良くて、夫を手の平の上で転がすことが得意な女。
それでいて、ベッドの中では積極的なほうがいいらしい。
……贅沢だぞ、けー君。
そんな女、このご時勢でそうそう見つかると思っているのか。
一生のうちに一人出会えるかどうかもあやしいぞ。
──まあ、君の場合は、もう、その一人を見事射止めてしまっているが。
夫が持ち直したところで、再び言葉責めは色っぽい方へと向かう。

女の子にフェラチオされるの、好き? 
──大好き!
お顔に掛けたいの? それともセーエキ飲ませたいの? 
──飲んでもらうのが好きだけど、たまにはお顔にも掛けさせてくれると嬉しいな。
ふぅん、エッチな女の子が好きなんだ?
──うん、エッチなお姉さんにいぢめられるの、好き!
そう。じゃ、風俗のお姉さんとかにこんなことされたいんだ?
──ううん、そういうのは苦手……。
ええ? なんで?
──僕をいぢめるお姉さんには、僕以外の男の子とエッチしてほしくないんだもん。
あらあ、贅沢な子ねえ。
──だって、だって……。
……それって、君のお相手のお姉さんは、一生、君以外の男の子とエッチするなってことでしょ?
──ぼ、僕も一生、そのお姉さんとしかエッチしないよぉ……。
ほんと?
──ほんと、ほんとだよぅ……。
ほんとに、ほんと?
──ほんと!!
じゃあ、君はそのお姉さんと結婚するしかないね。
──け、結婚!?
そ、結婚すれば、奥さんは一生君のもの。君も一生奥さんのもの。
──そ、そっかあ!!
それに結婚しちゃえば、大好きな女の子に君の子供産ませられるわよ。
──!!
うふふ、夫婦だったら、赤ちゃんができちゃう日にエッチしてもいいんだよ。
もちろんコンドームなんか使わないで、大好きなお姉さんのおなかの中に
君のセーエキをいっぱいドピュドピュして、セーシを種付けしてもいいんだよ?
──!!!
二人で子供作っちゃってもいいんだよ?
──夫は、私の意図を完全に理解したようだった。

夫の腰のバスタオルを剥ぎ取る。──私のほうのバスタオルはとっくに脱ぎ捨てて全裸になっている。
夫のペニスは、これ以上ないと言うくらいに膨れ上がっていた。
ゆっくりとそれをしごき始めながら、夫の目隠しをそっと外した。──<仲直り>の儀式は大詰めだ。
いつもはここから、「けー君は、美佐子さんと結婚したいです」「はい、一生、仲良くしましょうね」
という〆のことばにむかって一直線になる。──ちなみに、プロポーズの言葉もそれだった。
だが、今夜の最終目的はちがう。私は夫にキスをしながら、耳元でささやいた。
「──ほら、けー君のお×んちん、石みたいに硬いよぉ。タマタマもぱんぱん……。
こうやってしごくと、けー君のセーシ、どんどん濃くなっちゃうね。
──女の子のおなかの中に出したら、きっと一回で妊娠しちゃうよぉ?」
「う…あ……」
「……このまま、お姉さんのお手々でイっちゃおうか?
きっと気持ちいいよぉ? ──ねえ、けー君、セーシどぴゅどぴゅ出しちゃおうよ」
「……や、やだぁ…」
「イヤなの? どうして?」
「僕……セーシは、奥さんのおなかの中に……出したい」
びくびくと震えながら、夫がかすれた声を上げた。
「ええー、そんなことしたら、赤ちゃんできちゃうよー?」
「──赤ちゃん、……作りたい。僕の子供、美佐子に産ませたい……」
ふいに、夫の声の調子が変わった。
甘えきった年下の彼氏の声から、一家の大黒柱たる男の声に。
「──本当?」
私の声も変わる。年上の彼女から、家を守る妻の声に。
我が家には不文律がある。重要なことはきちんと二人で言葉にして話し合い、宣言する。
その場合、決断宣言は夫のほうが言い出すことになっていた。
プロポーズも、さんざん私が先回りし、お膳立てはしておいたが、言ったのは夫から私への形を取っている。
子作りも、そうするべきことだろう。
「子供、作ろう──」
「──はい、あなた」
儀式が終わった。──後は実践だ。
──そのとき、携帯電話が無粋な音を立てた。




夫が大きなため息をついた。
「電話──出ていいよ。こんな夜中に掛けて来るんだもの、急ぎの用かもしれないし」
「うん、──ごめん」
これ以上ないと言うくらいに済まなさそうな顔をして、夫が枕元の携帯を手に取る。
まあ、相手は誰だかわかっている。
「もしもし……あ……香織君か? ……ああ、こんばんは。何か用?」
仕事関係の緊急事態でないと分かって、夫は複雑な表情になった。
仲のいい同期の女、しかも美人で有名な義妹からであっても、機嫌が悪くなるのは当然だろう。
何しろ人生最高のセックスをいただき損ねた直後だ。
香織からの声は聞こえないが、明らかに不機嫌な夫に戸惑っているのは容易にわかる。
夫は普段、温厚な人間だ。こんな声を出すことはめったにない。
香織君、減点50点。──食べ物とセックスの恨みは大きいのよ。
だから賢い妻は、まず食卓と寝室とをしっかりと抑える。
男の食欲と性欲の両方をきちんと餌付けできれば、亭主にとって自分の家が一番居心地のよい場所になる。
──香織も母さんからそう教わっていたはずなんだけどな。
「え? ──別にいいよ、お礼なんて」
とりあえずは食事の礼をしているようだ。あわよくば、お返しにかこつけて再チャンスを狙う、と言うところか。
定石どおりとは言え、なかなか効率的な攻めだ。でも、今回は全然逆効果よ。
しかし香織もしぶとい。なんだか色々と言葉をつなげて粘っているようだ。
夫の眉のあたりがだんだん険しくなってきた。
私も、そろそろ腹が立ってきた。
──んふふ。
いい事を思いついてしまった。ちょっと──いや、かなり意地悪な復讐方法。
香織、あなたが悪いんだからね。
私は、ベッドの縁に腰掛けて電話をしている夫の横に腰掛けた。
夫は携帯を右耳に押し当てている。私はその逆、左隣に座った。
ぴたっと身体を寄り添わせる。夫の肩に頭を乗せた。
触れ合う面積は大きく、掛ける体重は多からず少なからず。
絶妙のバランスは百回や二百回では身体が覚えない。スキンシップは毎日やることに意義があるのだ。
「──」
夫がちょっとびっくりしたようにこちらを横目で見る。
にっこりと笑いかえした。
電話の向こうにはぐずぐずと言い訳する女、すぐ隣には飛びっきりの微笑を浮かべて寄り添う女。
どちらに興味がわくかは一目瞭然。
しかも私は──夫もだが──全裸だ。
夫の左腕に、私のおっぱいが押し当てられている。
生乳の感触を求めて、夫が左腕をもぞもぞ動かした。
──すけべめ。私はもっと胸を押し付けた。私も同じくらいすけべだ。いや、もっとかな?
私の手は、夫の内腿のあたりを撫でさすってから、すぐにペニスに伸びているから。
「──!」
男性器を優しく触れられて、夫が絶句する。
電話の向こうの香織は何か喋っているようだが、──残念。それ全然聞いてないようですよ。
けー君は、奥さんのお手々の動きに夢中です。
先ほど限界まで膨張していたペニスは、不本意な中断を受けても、完全には萎え切ってはいなかった。
容易く諦めたりせず、あるかどうかわからない次のチャンスに備えて、半勃ちの状態を保って耐えている。
世の中は甘くない。そういう涙ぐましい努力が報われないことのほうが多い。
最近の幸運の女神サマはあまり優しくないのだ。地味で我慢強い男の子はたいてい無視される時代。
──でも、そういう男の子が大好きな女もいる。
少なくとも、君の隣に座っているのは、そうだよ。
何度かこすり上げると、ペニスはたちまち硬度を取り戻した。
反り返った怒張は、十代の若者のように下腹にぴたりと張り付く。ものすごく元気だ。
ちなみに、けー君は、元はそれほど精力家ではなかった。
一日二回でギブアップしていた男の子を一晩の最高記録八回の男に変えたのは、規則正しい生活と健康的な三食の積み重ねだ。
けー君の専属コックは、非常にマメで仕事熱心な性格をしている。
ついでにいうと、その女は、けー君専属のセックスカウンセラーも兼任している。
こっちのほうには、もっとマメで仕事熱心だ。
前にも劣らぬ勢いでそそり立った男性自身に、夫は鼻息を荒くした。
「……ん、ああ、──なんでもない。こっちの話」
香織相手の相槌は可哀想なくらいにおざなりになっている。

こすこすと、しごき続けると、夫の電話がどんどんとあやしくなった。
「ああ、うん? ──そうだね、…いや、ちがう」
それでもなんとか会話が続いているところがすごい。
夫の切羽詰ってからの強さには、時々本当に驚嘆する。いざというときは本当に頼りになる人だ。
だけど、セックスに関してはちょっと弱いところがあったほうが可愛い。
──今みたいに、あえぎ声を漏らすまいと必死になっている表情なんか最高だ。
「……い、いや、何にもしていないよ。ちょっと…うん、ちょっとね」
そ、けー君は何もしていないよ、香織。
ただ、おち×ちんをおっきくしているだけ。後はお姉さんが色々してるの。
あ、でも、けー君のタマタマは今フル稼働中ね。
奥さんのおなかの中に出したり、飲ませたり、お顔に掛けたりするセーエキ大増産。
ちなみに、どんなに作っても独占契約先が全部引き受けるから、貴女には一滴も回らないわよ。
「…ぅゎ……な、なんでもない。話を続けて……」
ついに声が漏れた。
ああ、これいいなあ。ゾクゾクする。
「──男の人が興奮する不倫セックスのシチェーションは、
他人の奥さんとセックスしながら、奥さんに旦那さんへ電話させることなんだって!
奥さんは背徳感で燃えるし、男は他人の女奪ってる実感沸いて二人とも、そりゃもぉコーフンしまくりなんだって!
あ、セックスするのが普段旦那さんとイタシてる寝室だと、もっと最高!」
エロ小説とエロ漫画の収集に命を掛けている私の耳年増仲間が、以前力説してくれたっけ。
髪の毛さらさらの美人で、性格も悪くなくて、ものすごい巨乳の持ち主なのに、いまだに処女なのはあの趣味のせいだ。
しかし、彼女から聞かされる知識は結構役に立つ。
人のものを奪うことに至上の価値感を見出している男女が、そういうので燃えるのなら、
私のように自分のものを守ることが最優先の女は、こういうのがいいかな、と思っていた。見事に正解だった。
夫を狙っている女に、妻がいかに慈しんで大事にしてやっているか、夫がそれでどれだけ幸せになっているか、見せつける。
うん、最高。
とろんとした目になってきた可愛いけー君を、香織に見せてやりたいくらいだ。
でも駄目。夫のこの表情は、私が独占するもの。
香織によく言われたっけ。
「──お姉ちゃんは、ケチだ」
そう。私は自分の大切な物は、絶対に他人に触れさせない主義だ。
だから、夫は他の女に触らせない。
けー君は、ずっと私のものだ。
上体をかがみこませた。夫の太ももの上に私の髪の毛がかかる。
「──ん」
亀頭の先端に優しくキスした。
夫が身体を震わせる。
先ほどのピロートークのときと同じくらい興奮してきたのが伝わる。
こちらのテンションも急速に上がってきた。
私だって、さっきのセックスを中断されたのは大いに不満だった。ましてや香織にやられたのは。
その証拠に、夫の男性器をいじっているだけなのに、私の女の部分はたっぷりと濡れてきている。
けー君は射精する準備ができているし、私もそれを受け入れる準備ができている。
言葉は交わしていないが、二人の間で意思は疎通していた。
(今度は、最後までしよう──何があっても!)
ちゅっ。
先端をちょっとだけ咥えた。鈴口を吸う。
口の中で、先走りの汁が私の唾液に混じって広がった。
夫の味と、匂い──。
──あ、理性が飛んだ。これはもう、収まらないや。
生殖本能、全開。今から、子作りします。
がばっと上体を起こして、けー君に抱きついた。
そのまま、巴投げの要領で後ろに倒れこむように、ひきつける。
ころん。
夫が上、私が下になった。両足でけー君の腰の辺りを挟み込む。
うん。記念すべきセックスは、やっぱりこれがいいな。私は正常位が一番好きだ。
大地(今はベッドだけど)と、愛する男に挟まれる安心感。
太ももを大きく開いて夫を受け入れ、精液を注ぎ込まれる。
人間のオスとメスが子孫を作るのに一番使っている体位は、やっぱり子作りにふさわしい。
「──!!」
夫が、私の中に、入ってきた。

「──んんーっ……」
声を殺して、下から抱きついた。
私はじゅうぶん潤っていたから挿入はスムーズだったが、興奮しきった夫の性器は、石のように硬くて重かった。
硬さも重さも普段の十倍くらい──は錯覚だろうが、私の女性器はそう感じていた。
それにこの感触と熱さ。ゴム一枚でこんなにも違うかな。
(今、射精されたら、赤ちゃんができる)
そんな意識が雌の本能を燃え上がらせる。
私は、私の女性器が、さらに敏感になり、液を分泌して夫の男性器を受け入れやすくしているのを感じた。
こんなに硬いものを受け入れているのに、自分の内部が異物感を感じることなく対応していることに対して、
今更ながら驚きかけたが、驚愕は不意に消えた。
──ああ、そうだ。
私のここは、結局、けー君のセーシを受け止めるための器官なんだっけ。
けー君のあそこは、私にセーシを注ぎ込むための器官。
だからこんなにぴったりと相性がいいんだ。

倒れこむときにけー君が放り出した携帯は、ベッドの上のどこかに転がっているらしい。
ひょっとして、私の耳元かな?
──香織が何か叫んでいる声がわずかに聞こえる。
(何、何? どうしたの?)
ああ、おかまいなく。夫婦で仲良くしているところです。
香織がなんか叫んでいるみたい。ちょっとうるさいけど、もう気にならない。
私も夫も、もう声を全開にしてセックスに没頭しているから。
あえぎ声と、すすり泣きと、愛してる、と、気持ちいい、と……そういう声と言葉で寝室が満ち溢れている。
ほら、けー君が、私の中でこんなにふくれあがって──。
あれ、携帯切れたのかな。香織の声が聞こえない。
じゃ、もっと大きな声で叫んじゃえ。
「けー君、だーい好きー!!」
「美佐子さん、大好きー!!」
あは、やっぱり夫婦だ、同じタイミング。
ほら、イくときも一緒だ。
私が上り詰めるのと、夫が射精を始めるのは同時だった。
「あ、イく、イくよ、美佐子さん!!」
「来て、けー君!!」
熱い粘液が私の膣を充たしていく。
セーシのいっぱいこもったザーメンが私の子宮に注ぎ込まれる。
やがて、夫の元気な精子君が、待ち構えていた私の卵子ちゃんに出会って……
律動がゆっくりおさまりはじめ、私の上で荒い息をつくけー君の体温を感じながら、私は失神した。

目が覚めたとき、太陽はかなりの高さにあった。
数年ぶりに寝過ごしたが、今日は休みだ。何も問題ない。つくづく私は用意周到だ。
結局、昨日は一晩中イタシテしまった。
回数は覚えていないが、夫は興奮のあまり、最後はアナルにまで……いや、これは子作りに関係ない。
でもまあ、あれだけすれば、確実にヒットしているはずだ。
私の予感では、たぶん、最初の一回目ので妊娠しているはず。
今日も明日も同じくらい「する」予定だし、どの交わりで妊娠するのかなんてわからないけど、そう思いたい。
軽く寝息を立てている夫にそっとキスをすると、私はベッドから起き上がった。
床に下りると、つま先に硬いものが当たった。──夫の携帯だ。
私はそれを拾い上げて部屋を出た。
「──うん、壊れてはいないようね」
軽くシャワーを浴び、新しいバスタオルを身体に巻いてリビングのソファに腰掛けた。
夫も起き出してトイレを済ませ、私と入れ違いにシャワーを浴び始めている。
着信履歴を見る。──香織から、何回か入っていたようだった。
くすくす笑いながら、掛ける。
私と違って朝に弱い妹も、今の時間なら起きだしている頃だ。
「──もしもし。敬介さん!?」
どんな声を出せばいいのか、判断付きかねる、というような声音が耳元から流れた。
駄目だぞ、香織。私とよく似たいい声なんだから、もっと可愛く使わなきゃ。
「残念、私でした」
「──姉さん!?」
どんな反応をすればいいのか、もっと混乱した声が返ってきた。

香織がペースを取り戻す前に、私が先手を打つ。
うんと機嫌のいい声で──夫にたっぷり愛された次の日の若妻は、こういう声を出す。
「あ、香織、昨日はありがとね」
「──え?」
「けー君に、なんかお祝いしてくれたんでしょ?」
香織は、食事の前に、なんかちょっとしたものをプレゼントすることが多い。
昨晩は探らなかったが、たぶん、夫のスーツのポケットにハンカチか何かがあるはずだ。
もしあげてなくても、昨日捨てたコンドームのことを言っていると解釈するだろう。
「──どんぴしゃ。ちょうど当日に前祝いくれるなんて、さすが妹ね」
「前祝い?」
「うん。昨日、あの後ね、けー君、パパになったんだよ」
電話の向こうで、香織の頭に百万トンの重りがぶつかる音が聞こえたような気がした。
「……そう。昨晩はお楽しみだったというわけね。──でも勘違いとか、ヌカ喜びってこともあるわよね?」
お、反撃してきた。
「うーん。ウチの女は妊娠しやすい家系だし、こういう時に直感が働くから、たぶん間違いないと思う」
私の実家は、平安から続く妙な家の傍流だ。私の勘が鋭く、色んなことに先回りできるのもそのせいだと教えてもらったことがある。
「そう。──姉さん、ナナシノの血が濃かったもんね」
そして、香織が私を目の敵にする最大の原因もそのへんの嫉妬からだった。
だが、本来、平凡な主婦とOLには何の意味のない話だ。こだわる香織がおかしい。
孕みやすい体質と言うのは、私にとってはとてもありがたいが。
「まあ、それはどうでもいいわ」
どうでもよくなさそうな声で、香織が言う。反撃の一言を思いついたようだ。
「……姉さん、知ってる?」
「なあに?」
「──男の人って、奥さんが妊娠しているときに一番浮気しやすいんだって。
妊娠中は、旦那さんのことをあんまり構ってあげられなくなるから、寂しくなっちゃうそうよ」
「ふぅん。──気をつけないとね」
「──女と違って、男の人って子供が産まれるまで父親の自覚が生まれないんだって。
おなかの中で赤ちゃん育ててる母親と、ちょっと自覚の時期がズレるそうよ。だから喧嘩も多くなっちゃうんだって」
「ふぅん。恐いわね」
「ええ。気をつけたほうがいいわよ……。あ、私、今日買い物に行くから。敬介さんに、よろしくね」
「うん、伝えとくわ」
電話が切られた。宣戦布告。私の妊娠中にけー君にちょっかい掛ける、と宣言されちゃいました。
悲しいことだが、妻の妊娠中の夫の浮気が多いのは事実だ。
男と女は、親になることをしっかり意識する時期にズレがあることも。
香織にしては、上出来な戦略ね。変なことばっかり覚える子だ。──まあ、その辺もちゃんと考えてはいる。
「──あれ、どうしたの、俺の携帯?」
シャワーを浴びてもまだぼんやりとしている夫が声を掛けてきた。
「んー、香織が昨日掛けてきたみたいだから、気になってかけてみたの。──私から言っといた方がいいかな、と思って」
話中にセックスを始めちゃったことを思い出して、夫が顔を赤らめた。
たしかに、本人よりも、姉の私からフォローの電話を入れておいたほうが無難だ。
「あ、ありがと。──その…香織君、昨日のこと、なんか言ってた?」
私と香織があんな会話をしていたとは夢にも思うまい。
「うーん、オメデタならご祝儀はずむわよって」
「そ、そう……」
「あ、あと男の人は、父親になる自覚を持つのが遅いから、今からしっかり教育しておきなさいって」
前半は嘘、後半は半分だけ本当。でも辻褄は合っている。
「──だからね、私、ちょっと考えたの」
私は夫の前にひざまずいた。昨日あれほど射精したのに、朝になるとまた元気になっている。
「わわ、何を──」
「んふふ、けー君、セーシ飲ませて」
「ええ?!」
「セーシって、とっても良質なたんぱく質なんだって。おなかの赤ちゃんの身体作るのに最適なのよ。
だから、私、これから毎日けー君のセーシ飲むわね。──おなかが大きくなってもフェラチオはできるし」
私は、わざとらしくおなかをさすった。まだ細胞分裂前の精子と卵子にむかって。
「ね。パパが毎日栄養くれるから、キミは丈夫な身体を作るんだよ。ママも頑張るから、元気で生まれてきてね。
──とりあえず、今日の分、パパから貰おうね」
私は目を白黒させている夫の男根を口に含んだ。
これから毎日こうやって、夫婦二人の共同作業と言う事を刷り込んでいけば、父親の自覚も浮気の防止にもなるだろう。
香織。私の旦那には、こういう女じゃないとダメなのよ。あきらめなさい。