←僕の夏休み −
美月編
「いってらっしゃい。――今夜は早く帰ってきてくださいね」
「ごめんね。今日は学園祭の初日だから、やっぱり遅いよ。
たぶん、お店やりながら並行して明日の分もやらなきゃ間に合わないっぽいし……」
「ええっ……も、もう一週間も、準備などで帰りが遅いのに……」
門の前で美月さまと彰さまとが話しこんでいる。
彰さまの登校前の風景だ。
次期当主の父親とはいえ、まだ高校生の彰さまは毎日学校へ行かなければならない。
それを見送るのが美月さまの日課だ。
いけない。
はやくこの場を立ち去らないと。
――美月さまは、彰さまと二人きりだと、自分を覆う鎧を脱ぎ捨てる。
自分の夫に、徹底的に甘えるのだ。
その様子をはじめて目にした時は、唖然とした。
御前(ごぜん)さまの補佐として志津留の本家を切り盛りし、
最近では双子の娘――次期党首である一菜(かずな)さま、一葉(ひとは)さまの母親としても、
成熟した、落ち着いた女性の美月さまが、八つも年下の彰さまと過ごすときは、
まるで小娘のような甘えぶりを見せる。
妹の星華さまや、陽子さまは薄々知っているようだが、
秘書役をつとめる私でさえ知らなかった、当主代行の別人のような一面。
「あうぅ……。できるだけ、早く帰ってきてくださいね。
今夜こそ、美月を縛って(ごにょごにょ)してください」
「あれは準備に時間かかるからムリだよ」
「そ、そんな……、もう二週間も(ごにょごにょ)していただいてないのに……」
「ほ、他のことはしてるじゃん、毎晩……」
「でも、先週から彰さん、いつも遅くて、三回くらいずつしか……」
「明日……は、後片付けがあるから駄目か。あさってから早く帰ってこれるよ」
「……あさって……長いですよぅ……」
「んー。じゃ、これ、手付け!」
「あ……」
彰さまが美月さまの手を引っ張って、門の脇の松の木の裏に連れ込む。
お屋敷からは見えなくなったが、私のいる場所からは丸見えだ。
だが、私がここにいることなど知らないお二人は、
他の人間には決して見せない、若夫婦のコミュニケーションを始める。
美月さまの唇に、彰さまの唇が重ねる。
いってらっしゃいのキスは、家族の前でもしているが、これは――。
「んっ、あむ……」
絡み合う舌と唾液の音さえ聞こえてきそうな
みるみるうちに美月さまの表情が蕩ける。
「んむうっ……」
唇を奪いながら、彰さまは、美月さまの着物の前を割った。
まだ幼さを残す顔立ちからは想像できないくらいの強引さで、
美月さまの両の太ももの間に手を差し込む。
「〜〜〜っ!!」
目を見開いた美月さまの抗いを許さず、乱暴なまでに激しく手を動かす。
(この女の全ては、自分のものだ)
その傲慢なまでの自信は、――すべて正しかった。
秘所を嬲られた妻は、夫にしがみつく。
(もっと激しく、乱暴に、貪って――あなたのものであることを確かめて)
女としての自分を、丸ごと自分の男に差し出す、快感と充足感。
若妻は、夫の指でたちまち達した。
がくがくと膝を震わせながら、彰さまにすがりついて、かろうじて身体を支える。
彰さまは、その耳元で何か、密(みそか)ごとをささやいた。
ぎゅっと目をつぶった美月さまは、二度、三度うなずく。
彰さまに抱きしめられたその体が、同じ回数、びくんびくんと痙攣するように震える。
――陥落した。
潤んだ目を見開いて最愛の男を見つめる女は、もう、年下の夫の言うままだ。
さらに――ダメ押し。
彰さまが、美月さまの唇にやさしくキスをする。
――これで、年上の妻は、彰さまに絶対服従だ。
「――あ、バスが来ちゃう。ゴメン、美月さん、また後でっ……! いってきまーす!」
「あ……、いってらっしゃい……」
二人だけの魔法が解け、世界と時間が戻る。
彰さまが全速力で飛び出していくのを、美月さまは姿が見えなくなるまで見送った。
彰さまの姿が完全に見えなくなっても、門のところにたたずんで、何か物思いに耽っている。
その背中は、同性の私が見ても、ぞくぞくするくらいに色っぽい。
ディープキスと、手での愛撫。
屋外で絶頂を迎えさせられた若妻は、エロスそのものだ。
先日、「憂いを含んだ若妻の魅力」について熱心に語った阿呆がいたが、たしかにそれは言えているかもしれない。
――だからと言って、梅久(うめひさ)から没収したアダルトビデオを返してやる気は毛頭ないが。
だいたい、あの男は不謹慎すぎる。
自分の家ならともかく、事務所の休憩室にあんなものを置いておくなど言語道断だ。
こないだなど、柳町に色っぽい女が入っただのなんだの噂話をしていたので、
もう少しで首を刎ねてやるところだった。
……あのバカ。
貴様の言っていた「一回お相手してもらいたい」……その……ソ、ソープ嬢は、
お前の息の根を止めかけたバケモノ狐だと知っているのか。
いや、あいつのことだ、気にしないどころか、ますます興味を持って行きたがるだろう。
なんとかして阻止しないと。
そういえば、奴は今日、非番だったな。
まずい。携帯にメールを打ってけん制しておかねば。
私は早番だから、早めの夕飯をいっしょに取るようにすれば、大丈夫だろうか。
來々軒のエビチリ定食にするか、フランス料理の「黒猫館」にするか。
いや、たまには食材を買い込んで料理と言うのも……しばらく梅久のアパートにも行っていないし……。
いかん、いかん。
こんな事を考えている場合ではない。
はやくここを立ち去らないと。
最近、何かと欲求不満なところに、美月さまのあんなところを目撃してしまって、変な具合だ。
だから梅久のことなんかが浮かんでくるのだろう。
……あ…やば…濡れた。なんで梅久の顔思い出して濡れるんだ、私は。
……仕事に戻る前に、ショーツ、取り替えなきゃな……。
――そこまで考えて我に返った私は、戦慄した。
いつの間にか、美月さまが、私の目の前にいた。
……炎(フレア)のようなオーラ身にまとわせながら。
「――あら、小夜(さや)さん、おはようございます」
美月さまは、にこやかに挨拶をした。
菩薩さまが泣いて謝りそうなくらい穏やかな笑顔だ。
「……お、おお、おはようございます……」
私は震え声で返事をした。
「……見た?」
にこやかさを消さず、美月さまが質問した。
「い、いい、いいえ、何も見てません……」
世界が揺れる。いや、私ががくがくとい震えてるせいだ。
「……ということは、見たのね?」
マリア様が裸足で逃げ出しそうなくらいなにこやかさで、美月さまが断言した。
ゴゴゴゴゴ、という山鳴りが聞こえる。
ああ、御山の力が反応しているのだな。――当主の母親に。
「じゃあ、ちょっと手伝ってもらえないことがあるんですけれど……」
──私は、死よりも過酷な判決が下されるのを覚悟した。
「――それでね、彰さんは「今はちょっとガマンしててね」って言って、キスしてくれたんだけど……」
「……」
「「今は」って、別に「夜まで」って意味じゃないかもしれないでしょ?」
「……」
「だってほら、彰さんだって「忙しくてゴメン、僕も早く帰りたいんだけど……」って言ってるんですもの」
「……」
「だから、私のほうから会いに行けばいいんじゃないかなって思いついたの」
「……」
「今日は彰さんの学校、学園祭の日だし。前に「美月さんも見に来てきなよ」って言われてたし……」
「……」
「……小夜さん?」
「は、はいいいぃぃぃ……?! 聞いてます、聞いてますぅっ!!」
「ま、前見て……」
キキィッッ!!
黒塗りのベンツが横合いから出てくるのを慌てて避ける。
怒声をあげた若い衆が飛び出してくる。
「……!!」
ひと睨みで、チンピラは大人しくなった。
こいつら程度なら、たとえ長巻を持っていなくても十人や二十人、物の数ではない。
何より、命がかかっていると言っても過言ではない今の私は、手負いの虎だ。
……後部座席には、虎どころじゃない恐ろしい人が乗っているけど。
「……?!」
ベンツから、やくざの兄貴分が降りてきてなにやら言ってくる。
私はかまわずにハンドルを動かし、車の位置を道の真ん中に戻した。
わめきかけた兄貴分は、これが志津留家の車であることに気がついたようで、慌てて下がった。
県でも有数の有力者である旧家は、政治家や暗黒街にも顔が利く。
向こうの後部座席から、冷や汗をかきながら転がり出てきた、でっぷりとした親分も、
御前様の会社に挨拶にきてコメツキバッタのようにはいつくばっているのを見かけたことがある。
「はい。こんにちは。――では、ごきげんよう」
美月さまが、なにやら弁明し始めた親分ににこやかに挨拶をして、車を出すように指図する。
ゼロヨンレース並みの加速で私はスタートした。
やくざたちは、何も言ってくるまい。
志津留家の力を恐れてと言うより、今の美月さまの迫力を見たら、動物的本能がかかわりあいを避ける。
「……着きました……」
「ありがとう、小夜さん。開場に間に合ったみたいね」
まだ正門が開かれていないのを見て、美月さまが満足そうな表情でうなずいた。
しかし、その細い身体にみなぎる気合と決意は、いささかも揺らぎがない。
私は冷や汗が止まらなかった。
美月さまは、バッグの中から携帯電話を取り出すと、かけはじめた。
「……もしもし、志摩さん? 一菜と一葉は……?そう、寝てるのですか。
はい……はい……。すぐ帰りますから、それまでお願いします……」
志摩さんは、女中頭の最古参の一人だ。
まだ四十になったかならないかだけど、十人の子供を産んだつわものだ。
子守と子育てにかけては、志津留の家中でも右に出る者はいない。
愛するわが子たちに何の心配もないことを確認した美月さまは、パタンと音を立てて、携帯を折りたたんだ。
電話の間、母親の顔になっていた美貌が、妻の──女の顔に戻る。
「では、支度をして、行きましょうか、小夜さん……」
「い、いいいい行くんですか、私も?」
「当然です。小夜さんは、私の秘書ですもの」
「そ、それはいいのですが、わ、私も……あ、あれで……?」
私はぶるぶる震えながら、美月さまが後部座席に持ち込んだ紙袋を見つめた。
「もちろん、ですわ。私が着て行くのに、いっしょにいる小夜さんがその格好じゃ目立ってしまいますもの」
私は、我ながらびしっとした三つ揃えのスーツを恨めしげに眺めた。
「さ、ウインドウを暗くしてくださる? はやく着替えなくっちゃ。
──開場前に、彰さんの教室に行けるように」
うきうきした声で美月さまは命じ、私の分の「それ」を手渡す。
私は、覚悟を決めて、恐ろしい運命を受け入れた。
──美月さまが用意した、この高校の女生徒用の制服を……。
十分後、学校内の平均年齢は、たしかに上がった。
二十五歳の女主人と、二十六歳の女秘書が化けた、ブレザー姿の女子生徒によって。
「――女子高生みたいに制服を着て、彰さんと学園祭でデートしたい」
それが、欲求不満気味の美月さまが思いついた願望だった。
この恐ろしい若妻が、抑圧された欲望を解き放ったとき、何が起こるのか……。
私は、変装用の眼鏡の下できらきらと目を輝かせる美女──いや、美少女? に、これ以上ないくらいに戦慄していた。
「おーい、紙コップここに置いといたの、どこやったー?」
「砂糖の袋、足りないんじゃねーの?」
「廊下の看板、はがれてるぞー。トンカチ貸せー」
開場直前だというのに、わがクラスの出し物、<メイド喫茶店>はまだ準備が終わっていなかった。
サボリ魔が多いというより、部活のほうの出し物に参加する者が多くて人手不足な上に、
衣装などに凝ってしまったのが原因だ。
「あーん、制服、破けちゃったー。陽子ちゃん、なんとかしてー!」
「あ、ヨーコぉ、こっちもー! 袖のところ、弱いのよね……」
元はといえば、最初の衣装合わせのときに、陽子がプロ顔負けの手縫いのメイド服を持ち込んだことから始まる。
「何これー、超かわいいー!」
「すごーい、これ、すごいよー!」
元気印100%娘の意外な才能を前に、わいわいとさわいでいた女子たちは、
「あたしも作るー!」
「あ、私もー!」
と、当初の「作るのかったるいから、既製品のを買ってくる」予定を変更してメイド服の自作に取り掛かった。
だが──。
はっきり言って、「陽子が作れるんなら、私も」という考えは、間違い──それも大間違いだ。
クラスのみんなにとっては意外なことだろうけど、陽子の裁縫の腕はケタがちがう。
何しろ、千年の伝統を誇る旧家、
それも「歴代でも屈指の家事の達人」と呼ばれたお祖母さんから基礎を叩き込まれ、
お祖母さん亡き後は、これまた達人級の美月さんや星華ねえに仕込まれた陽子の裁縫術は、
下手すると、家庭科の先生よりも上かもしれない。
かくてドツボにはまった女子たちは、開場寸前までメイド服の準備に追われ、
当然それ以外の準備を手伝う時間はなくて、男子どもがフル回転している現状にある。
最後の最後、不器用な女子たちから作成や調整を頼まれ、
大量のメイド服のできそこないと布切れを持ち帰ってお屋敷を
「ここはどこの家内制手工業のおうちですか?」状態の陽子を見かねた星華ねえの出馬によって
どうにかここまでこぎつけたが、今日に入ってから、自分で縫ってきた組の不具合が出まくりになり、
陽子は朝からてんてこまいの状態だ。
「おっはよー! 陽子ちゃーん! 元気―!?」
ドアが勢いよく開けられて、ニッコニコ顔の女の子が入ってきた。
「げ、マサキマキ……」
僕は、弓道着姿を見てげんなりした。
「ちょっとー。何よ、いきなりその呼び捨ては? あなた二年生でしょ?
私は三年生よ、さいじょーきゅーせいよ。正木先輩と呼びなさい、正木先輩と!」
「ストーカー女にゃ、マサキマキで十分だ! つーか、準備中だ、部外者は入ってくるな」
文句をつけてきた弓道部部長、兼、化学部幽霊部員にむかって、ひらひらと手を振りながら僕は答えた。
その間中、トンテンカントンテンカンと看板にクギを打っているところが我ながらいじましい。
「ぬぬぬー。何よー。可愛くないぃーっ!
まったく、どーやったら志津留先輩の親戚に、こんな生物が生まれるのかしら?」
「すでに生物扱いかよっ!」
ぽかーんとしているクラスメイトたちを尻目に、マサキマキとの舌戦は過熱した。
このアホな女先輩とは、1年生の2学期にこの学校に転向してきて以来、
陽子や星華ねえを巻き込んで、いろいろあって今に至る。
その経緯は──思い出したくない。
とにかく、黙っていれば容姿端麗、文武両道、校内にけっこうファンもいるけど、
中身はちょっと……どころか相当アレなこの女は、僕の宿敵だ。
……ルビには「とも」とはつけないぞ。
「……真紀。やっぱり帰ろう……」
マサキマキの後ろで、大きな身体を居心地悪そうに縮めている女生徒が言った。
「何よー。聖子だってさっきまでノリ気だったじゃないのー!」
「いや、それはそうだったけど……。やっぱり忙しそうだし……」
聖子と呼ばれた、男子並に背が高くてがっしりした女の子は、あせったように言い訳した。
あー。
ソフトボール部の部長さん、聖子さんって言うんだ。
陽子の入っている部活の主将とは面識があったけど、名前ははじめて聞いた。
なぜかコンビを組んでいる愛方のマサキマキのインパクトが強すぎるから目立たないのかもしれない。
「だいたい、陽子ちゃんの様子を見たいから2年の教室に行こうって……むぐうっ!」
「だだだっだだだだ、だまれ」
「……むぐ、むぐ、むぐうっ!!」
聖子さんは、20センチくらい背が低い相方の口を大きな手でふさぎ、ついでにもう片方の手で首を絞めた。
マサキマキの顔はみるみるうちに紫になる。
「……げほっ、げほっ……何するのよぉ、この馬鹿ヂカラ女ぁ……」
「いや、よくやってくれました、聖子先輩ッ! 惜しむらくは止めをさすべきでした!」
「あ、あなたは黙ってなさいっ!」
入り口でぎゃあぎゃあ騒いでいると、
「――あー! もう、うるさいわね! 何やってるのよ!」
と陽子がカーテン(これで店と裏方を仕切っている)の裏から出てきた。
「あ……部長。それに正木先輩……」
闖入者をみとめて、ちょっとぎょっとする。
「陽子ちゃん、おはよう!」
「……おはよう、陽子……」
マサキマキは元気に挨拶し、先ほどまで雌熊のごとき勢いだった聖子さんがちょっともじもじと続く。
「あ、お、おはようございます……」
陽子が、(これはどういう状況なの?)と目で問いかけてくる。
……僕に聞くな。
「――それで、志津留先輩は何時ころに来るのっ? やっぱり妹さんと馬鹿従兄弟の教室には来るわよね。
化学部の実験室も後輩を張らせているけど、やっぱり本命はこっちだと思うの」
幸い、マサキマキが先に目的をバラしてくれた。
「……星華ねえなら、来ないよ?」
「え……? 何それ……」
「星華ねえ、昨日から、二泊三日で九州に行ってるんです。ちょっと親戚筋の用事で……」
「……な、なにそれぇ……」
へたへたと崩れ落ちるマサキマキ。
ふっ。悪の栄えたためしなし、とは良くぞ言ったものよ。
「……だったら……」
床の上から呪詛のごとき声があがった。
「……だったら、先輩の縫ったメイド服を出しなさいっ!! 今日はソレにすりすりしてガマンするわっ!」
「な、なんだとーっ!」
「さあっ! 先輩手縫いのメイド服を着ている子は全員脱ぎなさいっ!」
弓道部部長は突如、剥ぎ取り魔になってクラスの女子に飛び掛った。
「きゃ、きゃ、きゃあああっ!!」
逃げ惑う女子たち。
「こ、この馬鹿おんなあっ〜!!」
僕と、聖子先輩の絶叫が響き渡り、教室は阿鼻叫喚の騒ぎとなった。
「……ふいー。な、なんとか、ふんじばった……」
「……協力、感謝する。こいつは私が責任持って、遠くに捨ててくる……」
聖子先輩は、ガムテープでぐるぐる巻きにされているマサキマキをひょいと肩に担いだ。
「あわわ、待って待って、10時に模範演舞の初回なのよ、私……」
マサキマキが泣き声をあげる。
陽子も僕も、聞こえないふりをする。
──廃棄物の不法投棄は重罪だが、今回に限り、許す。
「……げっ、もう開場15分前!?」
僕は時計を見て、愕然とした。
「邪魔をした。――こ、この埋め合わせは後日、必ずする」
聖子さんは、教室の皆にも頭を下げた。
意外といい人だ。
県大会制覇、全国大会出場の常連の部の有名人部長に頭を下げられ、
忙しい時間帯を騒動に費やされた皆も、あわてて
「いや、そんな……」「気にしないでください」と口々に答える。
ソフトボール部部長はもういちど頭を下げてドアに手をかけた。
なんでまた、こんな出来た人がマサキマキなんかとコンビを組んでいるのだろう?
僕は、疑問に思ったが、それは、聖子さんがドアを開けた瞬間に忘れてしまった。
「――校門前だって!」
「なんかすげえことになってるらしいぞ!」
「3年の千葉と桃井がぶっとばされたって」
「男谷もボッコボコだって……!」
「やったの、女子生徒だってさ!」
「しかも、すっげえ美人だって」
「そんな女子、いたっけ?」
廊下を駆け回る生徒と、噂話の声に、僕らは顔を見合わせた。
「……千葉と桃井、それに男谷……あの不良どもか」
聖子さんは眉根を寄せた。
「あー。剣道部廃部にしちゃった奴ら? あいつら、やな奴なんだよねー。」
その肩の上で、ぷらぷらゆれながらマサキマキが答える。
三人の不良の話は、僕も聞いたことがある。
もともと剣道部にいた連中で、マサキマキの言うとおり、素行不良その他もろもろの悪行で
在籍していた剣道部を廃部に追い込み、その後、停学と復学を繰り返していた連中だ。
──もっとも、僕や陽子には接点がなかったので、あまり気にしていなかったけど。
「って言うより、木刀持ったら相当ヤバいよ、あいつら。誰がやったの?」
聖子さんの肩の上で、ぷーらぷらとイモ虫……というよりミノ虫のようにゆれながらマサキマキが言った。
……なんだかゆれてるのが楽しそうな感じだ。
「……ヤクザでもつれてこないと無理な話だ」
聖子さんが答える。
「ふうん。でもやったの女の子だって。……まあ志津留先輩ならあいつらだって一発だろうけど。
……って、やっぱり先輩来たのかなっ、来たのかなっ!?」
たしかに、星華ねえは、クールに見えてそういう輩を許さないタイプだ。
実際、星華ねえが在籍中は、校内に不良などはいなかったらしい。
マサキマキが熱く語ってくれたから、覚えている。
「ま……退治されたんならいい話なんじゃない? それより、それを片付けちゃいましょうよ」
「うむ。……まかせろ」
「それ扱いするなー!」
ぶらんぶらんゆれながら抗議の声をあげるマサキマキを無視して、聖子さんは廊下を歩き始めた。
「あはっ……あははっ、お気をつけて〜」
表情の選択に困って生ぬるい笑顔を浮かべている陽子といっしょにそれを見送った僕は、
ふと、廊下の窓から外を見た。
2年の教室の窓からは中庭が一望できる。
僕が、「その人」と視線が合ったのは、虫の知らせとか、第六感とか、そういうものの類だったのかもしれない。
──いや。
これほど、ものすごい質量の視線を感じていたら、誰でも振り返ってしまうか。
「……」
僕はたっぷり三秒間、「その人」を見つめて絶句した。
「――!」
僕が振り返ったことに、嬉しそうに手を振って応えた、ブレザー姿の女の人が。
「……!!??」
水も含んでいないのに、ぶぅっ、と盛大に噴き出した──笑いの表現ではない、驚愕の表現だ──僕は、
目をゴシゴシこすってもう一度見たけど、そこにいる人は目の錯覚ではなかった。
──わが校の女生徒の格好をした僕の妻、美月さんがそこにいた……。
「……うふふ。ブレザーってはじめて着ます。私が通っていたころは、まだセーラー服だったんですよ」
「……」
「今考えると、ちょっと野暮ったい感じのセーラー服だったから、こんなおしゃれなの着れてうれしいな」
「……」
「あ、でも、私、セーラー服も好きでしたわよ。いつだったかなー。
彰さんと陽子がね、お昼寝している私の制服のスカートにいたずらして、茶巾絞りにしたの。
あの時は、目を覚ましたら目の前は真っ暗だわ、上半身は窮屈で身動きが取れないわ、で大変でしたの……」
「……」
「この制服だと、ちょっと丈が短いから。茶巾絞りとかできませんわねー」
「……」
「……聞いてます? 小夜さん?」
「は、はぃい〜……」
隣を歩いている「世界一デンジャラスな若妻」のにこやかで恐ろしい質問にも、
私は、小さな声でしか答えられなかった。
全身から、汗がふき出る。
むろん、冷や汗だ。
すれ違う生徒たちが、驚いたように振りかえってよこす視線が痛い。
当然といえば、当然だ。
<にじゅうごさい>と<にじゅうろくさい>が女子高生の制服を着て歩いているのだから。
しかも、美月様は、近隣に才色兼備を知られた美貌の持ち主、
私だって……そのほどほどにイケているとは思う。
街で飲んでいるとけっこう声も掛けられるし、梅久も……待てよ、あいつは女に関して見境がない。
……い、いや、そんなことはどうでもいい。
今のところ、変装はバレてていないが、もしバレたりしたら……。
そう思うと、冷や汗はとめどなく流れてくるのだ。
で、できるだけ目立たないようにしなければ……。
美月さまは、目的を達するまで引かないことは先刻承知だ。
ならば、一目につかぬよう、可及的速やかにことを終わらせるのが現状で許された最善の手だ。
だから──
「あら、どちらさまでしょうか?」
目の前に現れた、三人の不良どもと、そいつらが集めた皆の視線を前にして、
私は……ブチ切れた。
「――よう、姉ちゃんたち、どこのクラ……」
ずん。
飛び込んでみぞおちに肘鉄一閃。標的は声もなく崩れ落ちる。
「――見たことない顔だけど、」
身を翻して、首筋に手刀。当身の要領で、意識を弾き飛ばす。
「――なっ……亜wせdrftgyふじこlp;@!?」
一歩下がった位置にいた最後のひとりが大声でわめいてしまった。
うるさい、黙れ。
……皆が注目するだろうがああああっっっ!!
掌底を顎に食らわせ、気絶させる。
白目を剥いてくずれ落ちそうになる顎をもう一発肘でかちあげたのは、苛立ちのせいだ。
浮き上がった巨体に、正中線正券四段突きを入れたのは、やりすぎだったかもしれない。
とどめに側頭部に上段右回し蹴りを入れたのも。
まあ、十分手加減はしたから、死んではないだろう。
声を上げたのが悪い。
「……」
はっと気が付くと、――その「皆」は、呆然と私たちを見ているところだった。
「……ま、参りましょうか、美月さま……」
私は振り返って、――皆が注目しているのが「私たち」ではなく、「私」一人だったことに気がついた。
……美月さまは、私が不良どもを蹴散らす、ほんの数秒の間に消えていた。
──おそらくは、彰さまを見つけたに違いない。
そういう場合、あのお方は<無敵モード>だ。
どんな手段を持ってしても止められないどころか、瞬間移動に近い芸当までやってのける。
「……」
それはともかく、皆の視線を四方八方からあびた私は、滝のようにどおっと冷や汗が吹き出るのを自覚した。
まずい、これでは化粧が落ちてしまう。
いや、今日はナチュラルメイクで、それもさきほど車の中で限界ギリギリまで落としてきたから、
これだけ冷や汗かいても、少しは持つだろう、……とか、そういう問題じゃない。
もし、変装がばれたら、一生外を歩けない。里にも帰れない。
──というか、もともと里には帰れない身だけれど、そんな恥をかいたら嫁の貰い手さえもなくなる。
……今、梅久の顔が浮かんだのはなぜだ……?
「……彼女、えらい別嬪さんだねー。ちょっとお茶しない?」
振り向き様の裏拳一閃。
──かわされた!?
いや、今の声は……?
「おわっと、な、何、危ないじゃんっ、彼女っ……」
下に沈みこみ、大仰に頭をかかえた男は、上目遣いで私を見て、ぽかんと口をあけた。
おそらくは、私も同じ表情だったろう。
「……さ、小夜……?」
「……う、梅久……?」
私よりも、梅久のほうが我に返るのは早かった。
しゃがんでいた状態から立ち上がる。
「な、なに、その格好。ブレザーって……女子高生って……」
「〜〜〜ッッ!!」
私は、砂煙を上げて踏み込み、逆側の足を膝蹴りで振り上げた。
「――!!!」
不意を突かれて──というより、私相手だから動きに先ほどのキレがなかっただろう、
梅久の股間に、私の膝が差し込まれていた。
ストッキングなしの生足に、Gパン越しの体温が伝わる。
「……!!!」
「何も言うな。協力しろ。――さもないと、これを潰す……」
「――! ――!」
梅久は、爪先立ちになっているから、私が肩をがっしりと掴むともうこれ以上は逃げられない。
……安心しろ、本気で潰すつもりはない。
お前のこれを潰したら……そ、その、なんだ……わ、私だって困るからな。
郷里にはもう父も母もいないが、今でも私のことを心配してくれている伯母さまには、
生まれる子供の写真くらいは送ってやりたいし……って、そんなことはどうでもいい!!
「……要点だけを言う。美月さまが、彰さまに会いにきた。――女子高生の格好で。
大事になる前に、目的を達してもらって撤収する。お前の休暇はキャンセルだ」
こくこくと頷く梅久の手を掴んで、猛ダッシュで私は駆け出した。
とりあえずは、この場を離れないと。
あまりにも目立ちすぎた。正体がばれずに行動するのが、いっそうむずかしくなった。
まあ、いい。その代わりに梅久が協力してくれるなら、お釣りがくる。
「あああああ、あのさ……」
途中引っ張られている梅久が声を掛けてきた。
「なんだ……?」
「け、けっこう似合ってるぞ、それ……」
「なっ……」
私は立ち止まった。
幸い、人影のない校舎裏まで来ていた。
「そ、それはっ……ど、どどど、どういう意味だっ……!?」
「いや、お前って何着ても美人だなーって思っただけ……」
「そ、そそそ、そんなっ……」
ま、まずい。
頭の中が沸騰している。
想定外のことばに、脳が、体が、心がパニックになっている。
一刻も早く、美月さまを見つけて、彰さまとつがいのワンセットで、
人目のつかないところに拉致しなければならないというのに。
しかし、私の魂の奥底で、この会話の続きを聞きたい私がいる。
ど、どど、どうすればいいのだ……?
「……ど、どのあたりが良いの……だ?」
意識とは別に唇が動いた。
まて、この流れだとのっぴきのならない状況に陥ることが予想されるぞ。
きょ、今日は安全な日じゃない。
しまった、万が一そうなってしまった時用のコンドームは
今日は夕食までに用意しておけばいいと思って、今は持っていないぞ。
と言うか、処女をなくすのが、こんな屋外でいいのか、私っ?
……い、いや、まあ、梅久しだいでは……。
こういうのは勢いと言うらしいしな……。
「あー。さっきのハイキックとか……」
「……え?」
「いやー。いいもの見せてもらいました。ブレザーでパンチラキックとは、
小夜もなかなかマニアックな……」
──どげしっ!
我ながら惚れ惚れするくらいの右の正拳突きがこの世で一番の愚か者の顔面にめり込む。
……はやくミッションを遂行しなければ。
梅久、いつまで死んでいる? さっさと起きろ!
「あっ! 彰っ! どこ行くのよっ!」
突然走り出した僕を見て、陽子が驚いた声をあげるが、
それはたちまちはるか後方のものとなった。
(な、なんで美月さんが……?!)
頭の中はパニック状態だけど、……僕はもう答えが分かっていた。
朝、出掛けに交わした会話とキスと「あれ」──。
熱っぽい瞳と、潤んだような表情。
最近、僕の帰りが遅くてさびしがっていた美月さん。
(美月さん、僕に会いに来たんだ)
最愛の妻の考えていることは、痛いくらいによくわかった。
くそ。
なんで、そういうのって、もっと前にわからないのかなあ。
昨日の晩とかに、それに思い当たっていたら、
今日は絶対、美月さんをさびしがらせたりしなかったのに。
こんなことをしでかす前に、美月さんをたっぷり安心させてあげたのに。
走りながら出なければ、僕は絶対に自分の頭を自分でぶん殴っていただろう。
階段を三段抜かしで駆け下る。
4階、3階、2階……僕の走るスピードは、
1階の最後の踊り場のあたりでは、ものすごいことになっていた。
手すりをつかんで、ぐるっと回り、最後の階段を一気に飛び降りる。
着地の音は意外に小さい。
都会っ子とはいえ、子供のころから休みになればこっちに帰省して、
野山を駆け回っていた僕は、けっこう身が軽いのだ。
階段を降りきった廊下。
右に曲がれば、昇降口だ。だが──。
「とりゃっ!」
僕は、まっすぐ突き当たりの窓が開いているのを見て取ると、
そのままジャンプしてそれをくぐった。
すぐ下にある植栽のツツジにさえ気をつければ、
中庭には、ここから飛び出るのが一番のショートカットだ。
「……」
うまく着地した僕は、あたりをきょろきょろと見渡した。
中庭には、たくさんの人たちがいた。
もう会場の時間になっていたから、父兄や近所の人たちなどが構内に入ってきているからだ。
そのうちの何人かは、窓から飛び出してきた僕を見て驚いたような表情になっている。
「……いない……」
上から見たときには確かに中庭にいた美月さんは、どこにもいなかった。
──すれちがいになったか。
あわてて渡り廊下に駆け込んで校舎の中に戻ろうとして、ひらめいた。
普通、教室に向かおうとしたら行くところは──。
息せき切って、昇降口のほうへ向かう──そこで足が止まった。
──薄暗い建物の中に外から差し込む陽光にさえも、艶々と輝いて見える黒い髪。
──穏やかな挙措で歩をすすめ、立ち止まっては何かを探している様子は、可憐の一言に尽きる。
──古びた下駄箱が立ち並ぶ殺風景の中で、そこだけ別世界のような──。
「……美月さん……」
思わず、声が漏れる。
僕に気がついたその女(ひと)が振り返った。
恥ずかしそうに、微笑む。
「えへへ……来ちゃいました」
その笑顔は、とても八歳上の人のものには思えないくらいに可愛くて、僕はごくりとツバを飲み込んだ。
ブレザー服、女子高生の格好は、どう考えたっておかしい。
美月さんは、僕よりずっと年上で、人妻で(もっとも夫は僕だけど)、しかも双子の母親だ。
でも、こんなに可憐で可愛い。
きらきらと輝く瞳に、僕は魅入られた。
「えっと……その……」
「うふふ」
どう声を掛けていいのか、わからなくて混乱している僕に、美月さんはにっこりと笑いかけた。
「……」
ことばはでなくても、すっと、気持ちが楽になる。
ああ。
この人の笑顔には、そういう力があるんだ。
「えっと……な、何してたの、美月さん?」
僕は何かを探している様子だった美月さんを不思議に思って聞いた。
「えへへ……ちょっと……」
美月さんは、なぜか、ぽっと顔を赤らめた。
「……?」
「……」
ちょっと疑問に思ったけど、それを口にする前に──。
「あーっ、だ、誰、その人っ……!?」
後ろから声がかかった。
「げっ、マサキマキっ!?」
振り向くと、さっき聖子先輩に担がれて連れ去られたはずのマサキマキがいた。
「お、お前、山奥に埋められたんじゃ……」
「勝手に人を不法投棄するんじゃないわよ! 聖子なら眠らせたわ」
「何いっ!?」
意外だ。果てしなく意外だ。
マサキマキもかなり運動神経がいいけれど、はっきりいって聖子先輩とは体力差がありすぎるはずだ。
「ふっふっふっ。化学部幽霊部員を舐めないで欲しいわね。即効性睡眠薬でイチコロよっ!」
マサキマキはあやしげな液体の入った小瓶を振って見せた。
……お前、それ犯罪だぞ。
「――と言うより、ちょっとっ!」
マサキマキは僕の手を取ると、ぐんと廊下の脇に引っ張る。
小声になって、ささやく。
「……あ、あの娘、誰よ! 紹介しなさいっ!」
「……な、なんだとっ!?」
ちらちらと美月さんを盗み見るマサキマキの眼は、獰猛な肉食獣の輝きを放っていた。
「す、すごい美人じゃないの。私の好みから言うとクールさが足りないけど、
それを補ってあり余る可憐さと清楚さ! ……知り合いなら紹介しなさいっ!」
……こいつは真性のレズだった。
「しかも、節操なしかよ!」
「な、な、なっ! わ、私は志津留先輩が本命よっ! でも……綺麗な人見るとクラクラ来ちゃう……。
ああっ、志津留先輩、こんないけない私を許してください……。
タイプは違うけど、どこか先輩に似た雰囲気なんです、あの娘……」
げっ、鋭い。
マサキマキがぞっこんな星華ねえと美月さんは、言うまでもなく姉妹だ。
性格はまるで違うように見えて、「原材料」は100%同じ二人が似ていないはずがない。
「……それに、あの娘、どこかで見たことがあるような……」
去年、マサキマキは、「下の神社」の流鏑馬に出るための練習に、志津留家の馬場に毎日通っていた。
生粋の地元っ子でもあるし、美月さんを見かけたことはあるだろう。
まずい。
美月さんの変装が見破られてしまうかも……。
僕はあせったが、その時、救いの手が差し伸べられた。
「おっ、真紀ちゃんじゃないの?」
聞き覚えのある声がして、僕とマサキマキは振り向いた。
「あ、宍戸さん……」
「げっ! ……し、宍戸さんっ!?」
二人は正反対の反応を示して、同じ名前を口にした。
「いえーす、あいあーむ!!」
ピースサインを作ってみせる、皮ジャン、Gパンの男の人は、
志津留家で働いている宍戸梅久さんだ。
何気ない様子で、宍戸さんは近寄り、マサキマキは一歩下がった。
「いやー。開場前から乗り込んだけど、やっぱいいなー、女子高はー」
「宍戸さん、ここ共学、共学……」
「あ、そうだっけ。俺、女の子しか目に入らないから。彰っちのことも見えない、見えない」
「あはは、ひどいや、宍戸さん」
宍戸さんは、志津留家の「郎党」だけど、僕にとっては馬術やその他スポーツの師匠だ。
いろいろないたずらも教わり、男の兄弟がいなかった僕と陽子は、兄貴分として慕っている。
だから、堅苦しい席でなければ、敬語は抜きで会話してくれるように頼んでいる。
ちっちゃな時は「アキラ」で、最近では、「彰っち」になったけど。
「ところで、げっ、って何よ。ひどいなー、真紀ちゃんは……」
「うっ、くっ……。い、いえ、おほほほほ……」
マサキマキは、生ぬるい笑みを貼り付けてまた一歩下がった。
ああ、馬場の管理人もしているから、マサキマキとも顔見知りなんだな。
言いながら、宍戸さんは何気ない動きで、マサキマキが下がった一歩分を無造作に詰めた。
すげえ、宍戸さん、あのマサキマキがたじたじだ。
さすがスーパー好色魔人(志津留家お手伝い女性陣からの命名)、頼もしい援護だ。
だが――。
「なあああにをしているのよっ!!」
どげしっ!
背後からの一撃!
宍戸さんはぶっ飛んで廊下の壁に貼りついた。
「――!?」
目を丸くする僕とマサキマキの前に現れたのは……。
「突然いなくなったと思ったら、こんなところでナンパしていたのねっ、こ、この浮気者っ!!」
制服姿にオーラをまとわりつかせた美女。
「……って、さ、」
小夜さん……と言いかけた僕は、ギンと睨みつけられて口ごもった。
「……って、あれ、彰さま……?」
やっぱり、宍戸さんと同じく志津留家の「郎党」をしている、双奈木小夜さんだ。
でも、なんで制服……。
「な、なんでもありませんわ、おほほ」
冷や汗をだらだら流しながら、小夜さんは、(何も聞かないでください)と目で訴えた。
よく見れば、ちょっと涙目だ。
何か、深い事情があるにちがいない。――たぶん、めちゃくちゃ恐ろしい類の。
僕は声なき声に言われたとおり、黙っていることにした。
――だけど、空気が読めない人間と言うのは存在する。
「……お姉さまと呼ばせてくださいっ!」
小夜さんに飛びついた影は――マサキマキだ。
「ちょ、な、何ですか、あなた!?」
「ファンです、今、お姉さまの大ファンになったマサキマキと申します!
ぜひ、これからお茶でもごいっしょに……!!」
「――お前、模範演武あるんじゃないんかよ……」
僕のツッコミを無視して、マサキマキは小夜さんにまとわりつく。
まあ、小夜さんは、こいつ好みのいわゆるクールビューティーな顔立ちと雰囲気の人だ。
ブレザー姿と宍戸さんへの激怒のせいで現状、すっかり台無しだけど、目を見張るほどの美人なところは変らない。
マサキマキのレーダーが反応するのは当然かもしれない。
「ちょ、ちょっと梅久、見てないで何とかしてっ……!」
「おおおー、女二人の生カラミっ! これはッ! 貴重ッ!」
「わっ、バカ! 携帯で撮るなっ!!」
……宍戸さん……。
「ってゆーか、お姉さま、宍戸さんの彼女ですかー?」
「えっ、えっ、……えええっ!?」
「やめといたほうがいいですわ! この人すごい浮気性ですよー。
すっごい美人の彼女さんがいるのに、あっちこっちに手を出して、私にも声かけるんですもん」
「えっ、やっぱり私って周りから見ても梅久の彼女に見えるの?
――って、そうじゃなくて、貴女にも声を掛けたぁ〜っ!?」
一瞬、ぱっと顔を輝かせた小夜さんは、宍戸さんの浮気問題に気がついて般若の表情になった。
「ま、まて、ちょっと落ち着け!」
宍戸さんが生命の危機を感じて後ずさる。
「だから、私とごいっしょにお茶でも、お弁当でも、しっぽりと……うっふーん」
マサキマキが小夜さんにしがみついて甘えた声を上げる。
「ちょ、ちょっと。……梅久は逃げるな!」
困惑と激怒の狭間にゆれる小夜さん。
すでに事態は収拾がつかないレベルまで飛んでいってしまった。
お釈迦様でも閻魔様でもどうにもならないだろう。
だけど――。
「あらあら、皆さん、仲がよろしいのですね……」
すっと、場の雰囲気が変った。
正確に言えば、その女(ひと)が歩を進めた瞬間、場の「中心」が彼女に移ったのだ。
「……」
「……」
「……」
喧騒の只中にいた三人が一瞬で沈黙する。
昇降口からあがってきた美女……いや、「美少女」の登場で。
ただの美少女じゃない、とびっきりの美少女だ。
それが、誰にも冒せない清浄な雰囲気であらわれると、
沸騰しそうだった空気が涼しげな穏やかさを取り戻す。
「……」
宍戸さんのあごがカクンと落ちた。
さすが生まれたときからの志津留家の「郎党」。変装くらいではごまかされない。
宍戸さんは、美月さんと小夜さんを交互に見ながら、何か言いたそうに口をパクパクさせた。
……まあ、無理ないよな。知っている人が見たらびっくりするどころの騒ぎじゃない。
「あっ、こ、こっちのお姉さまを忘れてた……」
マサキマキが慌てたような声をあげる。
相変わらず、空気が読めない奴だ。
「うふふ、楽しい娘に好かれたみたいね、さっちゃん」
「……さ、さ、さっちゃん?!」
突然付けられたニックネームに、小夜さんが驚きの声をあげる。
「な、な、何を……みづ……」
「みっちゃん、――でしょ?」
美月さま、といいかけた小夜さんに、唇に人差し指を当てた美月さんが先回りする。
「……」
「みっちゃん、――ね?」
穏やかなことばの強制力は、絶対的だ。
「は、はいぃ……みっちゃん……」
消え入りそうな声で、女子高生らしい呼び名を口にした小夜さん――いや、「さっちゃん」。
「じゃ、私たちはこれで。後はお任せしますわ……」
美月さんはにっこり笑って、僕の腕をとった。
くるりときびすを返して、昇降口から外へ出る。
「あ……ちょ……」
美月さんの言う「後」の内容が、自分にしがみついているマサキマキだということに気がついた小夜さんは、
慌てて声をかけようとしたようだけど、ことばを飲み込んだ。
最後にちらっと振り返ったとき、小夜さんは、ひしとしがみつくマサキマキを引き剥がそうとするのと、
その様子を嬉しそうに眺めながら周りをグルグルまわる宍戸さんをぽかすか殴るのに
ものすごいパワーを使っているところだった。
……なんとなく、小夜さんが血の涙でも流しているような気がして、僕は片手でそっと拝んだ。
「わあ。最近はすごいんですねえ……」
模擬店が並ぶ小運動場の区画に入ると、美月さんは感嘆の声をあげた。
たしかに、色とりどりの看板と売り子の声がかわされる模擬店は、
開場直後と言うのにかなり盛り上がっている。
「なんだか、生協の人がすっごく協力してくれてるみたいだよ」
「うふふ。黒石さん、でしょ?」
「あ、知ってるの?」
「ええ、私が在籍していたころも、ずいぶん手助けしていただいたもの」
高校にしてはめずらしく生協がある我が校の名物は、「生協の黒石さん」だ。
正体不明、年齢不詳の美女は、あらゆる場所にあらわれて学生生活をサポートする。
一説には、「黒石さん」は複数いるとも、生協が科学技術の粋を集めて生み出した
精緻な女性型アンドロイドだとも噂される。
もう十年近く、まったくかわらぬ容姿で闊歩する美女を見れば、
あながち冗談ではないかもしれない。
しかし、美月さんの時代から変らないというのは──驚きだ。
「うふふ。私のころは、学園祭じゃなくて、まだ文化祭って言っていたなー」
美月さんは懐かしそうに目を細めた。
「うん……」
美月さんが高校生のころ僕はまだ小学生で、星華ねえたちに連れて行ってもらったことがある。
美月ねえ(そのころ、まだ僕は美月さんをそう呼んでいた)は、
茶道とか華道とか、その手のものはみな免許皆伝の本職だから、色んな部からひっぱりだこで、
美月ねえが出る各部の催しものを見て回るだけで、一日がつぶれた。実に有意義に。
「ええと……どうしよう」
とりあえず、にぎやかなところに来ちゃったけど、
これからどうすればいいか、全然考えてなかった。
人目に付くところはまずい、という気もしていたけど、
きらきらとした表情であたりを見回している美月さんを見ると、そうは言い出せなかった。
かといって、友達や知り合いもいっぱい並んでいるところに美月さんを連れて行ったら、
目だってしょうがないし、あるいは、美月さんを知っている人が変装を見破ってしまうかもしれない。
僕は、これからの行動を決めかねて、模擬店コーナーの周りでうろうろした。
「……」
そんな僕を、美月さんは小首を傾げて見つめていたけど、
それから、すっと、視線を流して少し考え、またこっちを向いた。
ちょんちょんと、僕の肘の辺りをつつく。
「なに、美月さん?」
「……あれ、ほしい……」
美月さんが指差したのは、コーナーの端っこに店を出している綿あめ屋だった。
「――はい、どうぞ」
一個五十円の、ふわふわした夢の塊を二つ買ってきて、一個を渡す。
「ありがとうございます」
綿雨を手にすると、美月さんはにっこりと笑った。
童女のようなあどけない表情に、僕はどきりとする。
「うふふ。……じゃ、どこかそのへんで、ゆっくり食べましょう」
片方の手で綿あめを、もう片方の手で僕の手を引く。
校舎の裏手にちょっとした丘があって、そこは寄贈された植栽などを植えるスペースになっている。
今日みたいな日、特に皆が忙しく動き回る午前中は、誰も寄り付かない場所だ。
美月さんは、そこに僕を連れて行った。
植栽の合間、芝生の植わった場所に来ると、美月さんはそこに腰を下ろした。
「うふふ。ここ、まだ昔のまんま。――私、この場所、好きだったんです」
「あ……」
不意に、僕は、美月さんが何で綿あめを買ってくれるように頼んだのかが、分かったからだ。
美月さんが他人に対して、何かをねだることはめったにない。皆無に等しいといっていいだろう。
姉として、旧家の当主代行として、いつも美月さんは与える側の人間だった。
今、五十円の綿あめをねだったのだって、僕が人目につかないように思案しているのを悟って
あの場所を離れるきっかけを自分から作ってくれたのだ。
僕は、不意に切なくなった。
美月さんは、僕と夫婦になって、僕にうんと甘えられるようになったけど、
やっぱり僕よりも年上で、色々と気を使ってくれている。
優しくて、他人思いの美月さん。
「――ごめん……」
「……え?」
「ごめんね。いつも……」
気がつけば、僕はそんなことばを口にしていた。
でも、何が、ごめんなのか、それ以上うまく言えなくて……。
「ふふふ。――美月は幸せですよ、彰さん」
……僕を見つめてにっこりと笑った美月さんには、全部伝わっていた。
「美月さん……」
「美月は、幸せ。とっても幸せ。……私、彰さんと、こういうデートしたかったんです」
そういえば、僕は、美月さんとこうした「デート」したことはそんなに多くない。
家ではいつもいっしょに居るけど、まだ法的には正式に結婚していないこともあって、
二人でいっしょに外出することは、なんとなく控えていた。
「デート」と言うと、街で買い物したり、外で食事したり、といったイメージがあって、敷居が高かったし、
正直に言うと、大人の女性でしかも素封家の当主補佐をしている美月さんとそうしたことをするのに、
まだ学生の僕ができることには限界があるって勝手に思いこんでいたんだ。
──でも。
美月さんが望んでいたのは、雑誌に載るようなセレブなレストランやデートスポットじゃなくて……。
僕らは寄り添って、綿あめをちょっとずつかじった。
穏やかな甘さが、二人の口の中に広がって──僕らは自然と、もっと甘いキスを交わした。
「ごめんね。……これから、もっともっといっしょにデートしよう。こういう、デート」
「はい。……彰さんと二人で、御山の神社とか、馬場とかに行くだけだっていいんですよ。
私、何かをしたいんじゃないんです。……彰さんと、したいんです……」
美月さんは、頬を染めて言った。
「美月さん……」
僕は、その肩をぎゅっと抱きしめた。
「えへへ……。でも、こういう「学校でデート」というのも、してみたかったんですよ。
彰さんとは歳が離れているから、できないと思っていたけど、今日、できちゃいましたね」
美月さんは、さらに顔を赤らめながら言った。
「美月さん……」
「こうして<彰さんの恋人>になるの、私のあこがれだったんですよ……」
──僕と美月さんは八歳差だ。
美月さんが高校三年生の時、僕はまだ小学生だった。
だから、美月さんがどんなに望んでも、あの時、そういう関係にはなれなかった。
美月さんが、僕を男として好きになったきっかけになった事件の時でさえも、僕はまだ小学生だった。
「……美月さん……」
「うふふ。そんな顔、しないでください。……私、<彰さんの恋人>よりも、もっとなりたかったものがあるんですもの」
「……え?」
「――<彰さんのお嫁さん>。それには、ちゃあんとなれましたから、──美月は世界で一番幸せです」
美月さんはにっこりと微笑んだ。
──それは、今日見た美月さんの中で、一番素敵な笑顔だった。
突然、狂おしいほどの衝動に駆られ、僕は美月さんの唇を奪った。
さきほどの「恋人同士のキス」よりも、もっと激しく、深い「夫婦のキス」。
「あ……駄目です……こんな…ところでは……」
頬を真っ赤に染める美月さん。
僕は、身体の中にずうんと響く本能のまま、美月さんの手を取り、立ち上がった。
「――行こっ!」
「はい……」
こういうとき、美月さんは、「どこへ?」なんて聞かない。
手を引かれるまま、美月さんは僕についてきてくれる。
──僕が向かったのは、旧部室棟の裏手にある倉庫だった。
旧部室棟自体が来年取り壊される予定で、その裏手の倉庫に近づく人間はめったにいない。
ましてや、こんな忙しい日には。
倉庫は、思ったとおり、誰もいなかった。
「んっ……ちゅ……」
さびて重たい鉄の扉を閉めるのももどかしく、ぼくは美月さんともう一度口付けをかわす。
目を閉じた美月さんは、制服姿とあいまって、あどけないほどに可憐だ。
僕は、同い年の美少女とキスをしているような錯覚を抱いた。
「ふわ……彰さん……」
美月さんの潤んだ瞳やしっとりとした黒髪は、
倉庫の窓から入り込む、秋の午前のやわらかな陽光に、宝石のように輝いて見えた。
「……」
ごくりとつばを飲みこんだ僕は、美月さんの胸元に手を伸ばした。
清楚な美少女には似つかわしくないくらいに、大きく実った胸乳は、
ブレザーをぱんぱんに押し上げている。
こうしてみてみると、やっぱり美月さんは胸が大きい。
──昨日の晩、たっぷりこの中身を見せてもらったばかりだというのに、
僕の好奇心と欲望は、まるではじめて触れるもののような熱心さでそれを揉むことを命じた。
「んんっ……」
布地越しにゆっくりと触れると、美月さんはびくんと身体を震わせた。
力をこめすぎないように注意しながらきゅっと掴むと、もっと強く反応する。
美月さんのおっぱいは、すごく柔らかいのに、すごく張りがあるんだ。
僕の手は、ゴムまりのような弾力と、つきたてのお餅のような柔らかさを感じ取っていた。
「だめ……おっぱい、そんなに揉んじゃ……私……」
美月さんが身をよじった。
声が甘くかすれている。
「……濡れちゃう?」
僕が意地悪に聞いた。
「……!!」
美月さんが、顔を真っ赤にしてうつむく。
眼鏡越しのその表情は、はじめて見る、そして誰よりもよく知っているものだ。
「あれれ〜。返事がないよ〜、どうしたのかな〜?」
「巴里書房」のエロ小説の大ファンの美月さんは、ことばで責められるのが大好きだ。
僕は、美月さんが一番好きな方法で、美月さんを責めることにした。
「……おっぱいもまれて、濡れちゃうの、美月さん?」
「そ、そんなこと……」
「そうだよね。普通の女の子なら、おっぱい触られたくらいじゃ濡れないよねー。
でも美月さんはエッチだから、おまんこ濡れちゃうんじゃない?」
「……!!」
耳元でささやかれた女性器の卑称に、美月さんは激しく反応した。
「……確かめてあげようか?」
「……え?」
「美月さんのおま×こが濡れているか、僕が見てあげる」
「そ、そんなっ……」
「確かめなくていいの?」
「そ、それはっ……」
耳たぶまで真っ赤になった美月さんの答えは決まっている。
「……確かめて……ください」
その様子があまりにも可愛いので、僕はさらに意地悪をしたくなった。
「ふうん。――僕、女の子のあそこって、見るの、はじめてなんだ……」
「……え?」
美月さんはちょっとびっくりしたような表情になった。
でも、僕がさらに続けて、
「美月さんも、男の子にあそこ見られるのは、はじめて、でしょ?」
とささやくと、僕のしようとしていることを悟ったのだろう、
真っ赤になりながら、小さく「……はい」とうなずいた。
「……女の子のあそこってどんなふうになってるのかなあ?
……美月さんのは、どんなふうになってるの?」
僕は美月さんのおっぱいを揉みながら、スカートをもう片方の手の平でゆっくり上から下へなぞった。
布地越しにでも伝わるのだろうか、美月さんは電流が走ったようにびくっと身体を震わせる。
「……あ。そういや、僕、スカートめくりってしたことないんだっけ。美月さんで、してみてもいい?」
大嘘。
子供の頃、それくらいしたことはある。
第一今だってコスプレ衣装を集めたり、着たりするのが趣味の美月さん相手に、何百回もしている。
だけど、美月さんは「男の子がはじめてスカートめくりする標的にされた」ことに
くらくらするくらいに興奮を覚えている。
──僕は、自分でも呆れるくらい、美月さんを恥ずかしがらせる──悦ばせる方法を思いつく。
「…す、スカートめくり……ですか……?」
「うん。美月さんのパンツ、見たいんだ──いいよね?」
「……はい……」
美月さんがこくりとうなずくやいなや、僕は大胆にブレザーのスカートをまくりあげた。
「きゃっ──」
予想以上の乱暴な扱いに、美月さんが小さな悲鳴を上げて、――悦ぶ。
「わ、純白……」
もともと美月さんは、白とかピンクとかの下着をつけることが多いけど、
今日のショーツは、今どき、女子中学生でも着けるかどうかあやしいくらいに
清楚でシンプルなショーツだった。
いかにも嫁入り前の旧家の娘が穿きそうなそれは、
――たぶん、美月さんが高校時代に実際に穿いていたような種類のものだろう。
そう思うと、僕の興奮はさらに高まった。
「可愛いパンツだね……」
「……」
答えようがなくて、もじもじと身をよじらせる美月さん。
僕は、さらに彼女を悦ばせることにした。
「はら、両手でここを持って。――自分でパンツ見せて。僕に見せたいんでしょう?」
「あ……」
まくりあげたスカートの端っこを美月さんに持たせる。
美月さんは、立ったまま、下着を僕に見せる格好になった。
めくられて無理やり見られるのではなく、──自分の意思でスカートをたくしあげて。
「……!」
ぎゅっと目をつぶった美月さんは、恥ずかしさに震えている。
でも、それは嫌がっているのではなくて……。
「あれ……、美月さん、パンツのここ、なんか湿ってるよ……」
僕はショーツの中心をそっと指でなで上げた。
「ひっ……!」
美月さんが小さくのけぞる。
シンプルで上品なショーツは、清楚な分、性器を包むものとしてはなにか物足りないかもしれない。
でも、今、それは、最高のアクセントを自らの内側からにじませはじめた。
指先に感じる湿り気と温かさ。
「美月さん、――これ、なあに?」
「……そ、それはっ……」
「ひょっとして、これ、愛液っていうやつなのかな?」
「……!!」
恥ずかしさと興奮と悦びに、美月さんの足ががくがくと震えだした。
「……やっぱり、美月さん、濡れているんだ。おっぱい揉まれて、濡れちゃったんだ」
「……!!」
スカートの中をのぞきこみながら、そう追い討ちをかけると、美月さんの震えは大きくなった。
「ふうん……パンツの中って……どうなってるんだろう?」
僕は、美月さんの下着に手をかけた。
「あっ……」
するり。
立ったままの格好だから、ショーツは楽に脱がすことが出来た。
そうでなくても、美月さんの下着を脱がすことにかけては、僕は世界一の腕前だ。
……もっとも、僕以外にそんなことができる人間もいないけど。
倉庫の埃っぽい空気の中で見る美月さんの肌は、いつにもまして白く見えた。
見慣れた飾り毛さえも、未成熟な娘のもののように見えるから不思議だ。
「んーと……濡れてる……」
ショーツを下ろすときに、細い糸をひくくらいに美月さんのあそこは潤っていた。
「……!」
美月さんは、目をつぶって震えている。
──それだけで、美月さんが何を期待しているのか、僕にはよくわかった。
「これって、どこから濡れてるのかな……。僕、女の子のあそこ見るの初めてだからわからないや」
「……」
「ちょっと調べちゃおっ……いいよね、美月さん?」
「……はっ、はいっ……」
「それじゃ、遠慮なく……」
指でいじくると見せかけて──僕はいきなり美月さんの太ももの付け根に顔をうずめた。
「ひっ……あっ……」
美月さんのあそこに口付けをして、強く吸いたてる。
予想外の刺激に、美月さんは身を反らした。
かまわず、僕は、美月さんの女性器の中に、舌を差し入れた。
にゅぷ……じゅぷ……。
柔肉の抗いをゆるさず、粘膜と粘液の海に侵入する。
よくなじんだ、妻の味と匂い──。
中をたっぷりとかき混ぜてから、一度口を離し、秘唇の上にある真珠に口付けをすると、
美月さんは一気に絶頂にのぼりつめた。
「ひっ……ああああっ、い、いきなりそんなっ……」
美月さんの足元がぐらぐらとした。
手が、スカートをまくしあげていられなくなって、僕の頭の上に置かれる。
体重を支えるためと、――もっと強くそれを続けて欲しいという意思の表れ。
僕は、その希望の通りに行為を続けた。
美月さんが手を離してしまったので、僕は、降りてきたスカートの中に、
すっぽり上半身をもぐりこませるような形になったけど、
目の前が暗くたって、唇と舌先は、どこを攻めればいいのか、ちゃあんと分かっている。
淫らな軟体生物が、闇の中でうごめき、美月さんをさらなる絶頂へ向かわせるのには、数分もかからなかった。
「――もうっ、ひどいです、彰さん……」
倉庫に転がっていたソファの上で、くたっとなった美月さんが僕をなじった。
「あんなに、いきなり……」
桜色に上気した顔は、成熟した雌が、たっぷりと満足したときにだけ浮かべるもの。
それが、清楚な化粧と真面目そうな眼鏡の下に浮き上がると──こんなに妖しくなるのものなのか。
「ごめん、ごめん。美月さんがあんまり可愛かったから……」
そう答えながら、僕は、今度は自分の欲望が抑えきれないのを感じていた。
美月さんが、くすりと笑った。――全部お見通しだ。
「――んっ……んむっ……」
今度は攻守を変えて交わりが始まった。
ソファに腰をかけた僕の前にひざまずき、美月さんは僕のおち×ちんをしゃぶりはじめた。
美月さんは、フェラチオがすごく得意だ。
最初のときもすごかったけど、夫婦になっての一年間で、何度も僕と交わり、
経験と研究を重ねた美月さんのそれは、ものすごい腕前になっていた。
「ああ、いいよ、美月さん……」
先ほどの余裕の責めは何だったのか、僕は美月さんの手のひらの上で、
──いや、桃色の舌の上で悦楽のダンスを踊った。
「……あう……美月さん、もう……」
耐え切れなくなった僕がかすれた声を上げると、美月さんはにっこりと笑った。
「精子さん、出したいですか、彰さん……?」
「うん……」
「うふふ。最初の濃ぉい、元気な精子さんは、美月のここにくださいね……」
美月さんは、制服のスカートを外しながら言った。
ショーツは先ほど脱がしたままだから、美月さんの下半身は靴下以外何もつけない真っ裸だ。
上半身はブレザーを着たままだから、ハレンチなこと、この上ない。
じゅぷっ……。
ちゅく……ちゅく……。
ソファの上で、美月さんと僕の性器がつながった。
慣れ親しんだ粘膜が、いつもと違った感じで触れている。
美月さんも、普段と違う感じらしい。
小指を噛みながら声を押し殺そうとしているけど、形のいい唇のはしから甘い声がもれる。
「んっ……ふわああ……。あ、彰さん、すごい……」
「んんっ……み、美月さんも……」
学校の中で交わる後ろめたさに、僕は、声くらいは抑えようとしたけど、
下から聞こえる美月さんのあえぎ声に、あっさりとその意思は打ちやぶられてしまった。
「ん……。美月さん、気持ちいいよっ……」
一度声が漏れると、後はもう、一気呵成だ。
「ふっうん……。彰さん、どこがいいのですか……、美月のどこがいいのですかぁ……」
「み、美月さんのおま×こが、気持ちいいっ、気持ちいいよお……」
「あ、彰さんのおち×ちんも、気持ちいいですう……。美月、すごく……」
官能小説ファンの夫婦の、いつもの淫語まじりのセックスになる。
「ああ、いいよ、美月さん……ちょっとここをこうして……」
「はい……あふっ……」
僕は、ソファから立ち上がり、美月さんをもう一度立たせた。
足元がふらつく美月さんを、目の前の跳び箱にしがみつかせる。
「ほら、美月さん、お尻を突き出して……」
「はぁい……」
蕩けそうな声で従う美月さんは、言われたとおりお尻を突き出した。
この部分だけは、いくら美月さんが清楚でも成熟さのほうが勝っている。
白くて、大きくて、綺麗なお尻は、女体の中でもっとも熟れた部分だ。
しっとりと脂の乗ったなめらかさは、夫に毎日抱かれる妻しか持ち得ない。
このお尻は、僕のものだ。
僕だけのものだ。
その所有権を再認識すると、ぼくの男根は、さらに堅くそそりたった。
「ああっ……彰さん……来てください……」
美月さんの甘いおねだり声に、僕はわななきながら答えた。
限界まで膨れ上がり、敏感になった僕の先端が、美月さんの中に入り、つながる。
「ふあっ……あああ……んっ……!!」
「おおっ……」
妻も、夫も、互いの肉の甘さに打ち震えて声を上げた。
世界中でたった一人、自分のためにいる牡。
世界中でたった一人、自分のためにいる牝。
一生離してはならない、離すはずもない半身を確認する行為は、短く、そして長く長く続いた。
「――ああっ、彰さん! 私、もう……!!」
「――んっ、美月さん、僕も、もう……!!」
二人が限界に達するのは、まったく同時だった。
「ふわっ……、彰さん、そのまま、そのまま来てくださいっ……。
そのまま美月のおま×こに精子さん、出しちゃってくださいぃっ……」
「う、うん。……いくよ、美月さんっ……」
「はいっ、全部、全部っ……」
びゅくびゅくという音まで耳に届きそうなくらい激しく精が噴き出される。
──僕の愛しい妻の身体の奥深くに。そして美月さんはそれをすべて自分の子宮で受け止めた。
「ふああっ……あああ……んん……」
僕の精を受けた美月さんが、絶頂に達する。
「は…あ……」
長い長い射精とその余韻が終わって、僕はゆっくりと美月さんの中から抜け出る。
精液と愛液が混ざってできた粘液の糸が、二人の性器が離れることを嫌がるように長くつながって伸びる。
「ふふふ。……すごくたくさん出しましたね、彰さん……」
まだ身体に力が入らないのだろう。
跳び箱にしがみついたままで、美月さんが微笑んだ。
「う……み、美月さんがあんまり可愛かったから、つい……」
「ふふふ」
美月さんは、くすくすと笑った。
そうすると、やっぱり大人びて見えるから、女の人は不思議だ。
しばらくして、身を起こした美月さんは、ソファに来て、僕の隣に腰掛けた。
「……」
目を閉じて、裸のままの下腹に手を置く。
「どうしたの……?」
「……精子さん、精子さん。美月の卵はここですよ……。はやく登ってきてください……」
微笑みながらそっと呟く。
「……あ……」
わ、忘れてた。
今日は、たしか……。
「赤ちゃんが出来る日に、こんなにいっぱい精子さんもらったら、また授かることができますね。
私、今度は、男の子が欲しいです。彰さんによく似た、元気な男の子が……」
美月さんは、――ことの最中も、わかっていたにちがいない。
「うふふ……」
……僕の精子は、たぶん、すごい素直だ。
美月さんにそう言われたら、猛スピードで子宮の奥に突撃しちゃうに違いない。
白い繊手を下腹──子宮の辺りにおいて微笑む美月さんは、志津留の不思議な力をたくさん持っている。
その美月さんが、こうして招いたのなら──。
僕にも、なんとなくわかった。
今、まさに僕は、三人目の子供の父親になったのだ。
……ああ、うん。
ちょっと呆然としちゃったけど、すぐに僕は我に返った。
ショックとか後悔とかは、もちろん、ない。
だって僕は、約束したもの。美月さんに、もっともっと僕の子供を産んでもらうって。
「そろそろ戻らないといけませんね。――続きは、今夜に……」
たった一度の交わりだけど、いつもとちがうやり方だったせいか、
美月さんはたっぷり満足したようだった。
いや、たぶん、その前のささやかな「デート」がその充実感を増しているのだろう。
美月さんは、脱ぎ捨ててあったショーツを手に取った。
持ってきていた小さなバッグから桜紙を取り出して、あそこにそっとあてがう。
「うふふ。私の卵に出会うまで、彰さんの精子さん、こぼれませんように」
呪文のようにそっと呟いて、その上からショーツを穿く。
さっきまで、淫らさの象徴だった白い下着は、受胎を守る神聖な鎧と化した。
「そういや、さっき、美月さん、昇降口で何を探してたの?」
ふと思い出して、聞いてみる。
「え……あ、あの……その……」
美月さんはちょっと慌てた様子になった。
「?」
「ええと、そのぅ……」
ちょっと上目遣いの視線に、疑問系の僕の視線を絡ませる。
「……彰さんの下駄箱、探してました……」
「え……?」
何で?、という表情になった僕を見て、美月さんは顔を赤らめた。
「……んんー……」
──やがて、意を決したように美月さんはバッグの中から何かを取り出した。
「……これって……?」
「ええと、ね。彰さんの下駄箱に入れようかなーって、持って来ちゃいました……」
白い封筒をかわいいシールで封をした「それ」は……、
「え、え、これって、ラ、ラブレター?」
こくり、と頷く。
「はい。――たまにはデートしてもらいたいなあって、彰さんに伝えようと思ったんですけど、
──届ける前に、デートしちゃいましたね。うふふ」
僕は、どきどきしてしまった。
「……こんど、もっとちゃんと、デートしようよ。美月さん」
あまりにもどきどきしてしまって、それだけをいうのが精一杯だったけど、
「はい、喜んで──」
美月さんは、花が咲くような笑顔で答えてくれた。
「うふふ。でも彰さんは、その前に、今晩は早く帰ってきてくださいね」
美月さんのことばに、僕は、「さっきの続き」ということばを思い出して、今度は、顔が真っ赤になった。
「うん、絶対早く帰るよ!」
こくこくと、勢いよくうなずく。
「本当ですか? ――嘘ついたら、美月のこと、朝まで虐めていただきますよ」
うふふ、と美月さんは笑った。
美月さんと朝まで──恐ろしく甘美なことだけど、ものすごい気力体力を使う。
この間は、四時半くらいにミイラになるかと思った。
翌日が平日の時は、絶対できないプレイだ。
「あ、あはは」
返事に困って笑う僕に、もう一度くすくす笑いを返した美月さんは、携帯を取り出した。
「――あ。小夜さん? ……そちらはお忙しそうですね……え、大丈夫?
はい……。今、部室裏の倉庫にいます。ああ、宍戸さんならきっと場所が分かると思います。
はい。……はい……。お着替えお願いします……」
──しばらくして、小夜さんが、倉庫に美月さんの着物を届けにきてくれた。
首筋やほっぺにキスマークを付けられ、ブレザー服の胸元は乱れ、
片方の腕に、顔がボコボコになって気絶している宍戸さんを引きずってあらわれた小夜さんが、
今までどんな修羅場に陥っていたのか、――恐ろしくて何も聞けなかった。
はぁはぁと荒い息をつく小夜さんから紙袋を受け取った美月さんは、
中から着物を取り出すと、またたく間に着替えてしまった。
和服に慣れた人は、一人で着付けが出来るというけれど、美月さんのそれはまるで魔法だ。
襟元を正して立ち上がった美月さんからは、とてもさっきまでの乱れようは想像がつかない。
「うふふ。最後に彰さんと陽子の教室に行きたいのですけど……」
「あ、それいいね! 陽子にも顔見せてってよ」
僕は気軽にこたえた。
──それが悲劇の始まりだった。
ずばばーん!
教室に入るやいなや、喉に稲妻が走った。
「――源龍天一郎直伝、<喉元に逆水平>!!」
「ぐぶあっ!! ──な、何しやがる、陽子……」
つぶれた喉からは、かすれた声しか出ない。
その襟首を掴んだ陽子は、そのままずりずりと僕を引きずって、
誰もいない階段の片隅に連れ込んだ。鬼のような表情で僕を睨む。
「何しやがるじゃないでしょう、馬鹿従兄弟っ!!
朝から作業おっぽり出して、今まで何やってたのよっ!!」
「それはその……」
……美月さんとセックスしてました、なんて言えるわけがない。
口ごもった僕に、陽子は大逆上した。
「正木先輩から、どっかの知らない美人とデートしてたって聞いたわよ!
あんたねえ、美月ねえという人がいながら……!!」
「あらあら、それ、本当なのですか……?」
後ろから声がかかった。
「美月ねえ……」
調度よかった。ご、誤解を解いてください!
「――ひどいです、彰さん、ぐっすん」
「ちょ、……ちょっと、美月さんっ……!?」
「帰ったら、……たっぷりお仕置きですよぉ……」
くすくす笑う美月さんは、絶対この状況を楽しんでいる。
「……まあ、いいわ。あんたの浮気については美月ねえが怒るのが筋だから、あたしは追及しない。
でも、この忙しい時に準備をサボッって遊んでたことは許さないわよ〜!
バツとして、これから休憩なしでお店手伝って、終わったら夜中まで一人で明日の準備やりなさいっ!!」
「ええー!?」
がっくりと肩を落とす僕に、美月さんが優しい一言を……。
「……うふふ、彰さん。さっきの約束覚えてます?
遅く帰ってきたら、朝まで……ですよぉ……」
そ、そんな……。それ、ずるいよ、美月さん!!
……ただいま時刻は正午ちょうど。
──これから十八時間に及ぶ地獄に、僕は気が遠くなった。
FIN
<おまけ>
「……はあぁ。……昨日はひどい目にあった……ぐすっ……」
「あら、何をため息をついているのですか、小夜さん?」
「……ひいいっ、み、美月さまっ……。な、何でもありません。
きょ、今日は、オヒガラモヨク、オ肌ノ艶モヨク……」
「うふふ。昨日は彰さんが一晩中……うふふ……してくださったから……」
「ああ……さっき、バス停まで歩いて行く体力もなくてお車で登校なされてましたね……」
「昨日はありがとうございました」
「い、いえっ……で、では失礼しますっ……!」
「あ、ちょっと待って……」
「は、はいいいっ……な、なんでございましょうかっ……」
「小夜さんに迷惑かけちゃったから、……はい、これ」
「え……? ……一週間の温泉旅行……」
「お爺様の知り合いから招待券いただいたの。最高級の旅館ですわよ」
「あ、あ、ありがとうございます……」
「あ、お部屋は二人部屋だから」
「……はい?」
「全身打撲で入院してる宍戸さんが退院したら、お二人でごゆっくり、ね……うふふ……」
「あ……ちょ、ちょっと、美月さまっ……!?」