「ねえねえ津島ってまだ見つかってないの?」
「全然。手がかりも無いって」
「津島さんって大学生と駆け落ちしたんでしょ?」
「津島がそんなキャラかよ。ノイローゼで家出だって」
「あー、わかるわかる。津島さん頭いいもんね」
「ええー、俺の聞いた話だと……」
 
 放課後の談笑に加わろうともせず有馬京介(ありまきょうすけ)は帰り
支度を済ませた。
 彼はあまり目立つ生徒ではない。一応この名門私立校に通ってはいる
がクラス内での成績は中の上。部活はしていない。これと言って特技が
あるわけでもない。眉にかかる程度に伸ばした黒髪に整髪料の類は使っ
ておらず、顔立ちは端正なほうではあるが目を引くほどではない。『普
通の奴』それが彼の印象そのものだった。
「じゃあな有馬」
「うん、それじゃあ」
 故にクラスメート達の関心は彼には向けられない。故に彼の本性に気
付くことも無い。

 自動ドアをくぐって建物の中へ入る。エレベーターで五階へ。降りて
左折、三つ目のドアが僕の部屋だ。鍵を開けて中に入る。
 実家を離れて名門高校へ通い始めて二年。幾度と無く繰り返したその
動作も、家で待っていてくれる人がいるだけでこんなにも心地よい。
「ただいま」
 つい二週間前までは虚空へ向けられたその言葉。今は違う。涼やかに
答えてくれる声がある。
「おかえり京介!」
 彼女は小走りで玄関へやってきた。勢いそのままに僕の胸へ飛び込ん
でくる。
「うわっ……よせよ、驚くだろ」
 彼女は僕の顔を見て満面の笑みを浮かべて、頬を胸に摺り寄せてきた。
「おかえりぃ」
 僕は彼女を抱きしめて、肩口で切りそろえられた黒髪を撫でた。
「ただいま、沙耶」
 彼女の名は津島沙耶(つしまさや)。現在行方不明になっている僕のク
ラスメートだ。

 その日、沙耶は駅前のベンチに腰を下ろして人々の流れを見ていた。
 もう何もかもが嫌だった。
 ありがちだが、周りからの過剰な期待というものに押しつぶされそう
になっていた。
 もう家には帰りたくない。だからといって沙耶は自ら家出を決意でき
るような人間ではなかった。
 結果、彼女に出来る逃避が駅前に座っていることだった。
 眺めていた人通りも少なくなり、もうここらが限界か、と思い始めた
矢先
「津島さん?」
 彼女を呼ぶ声がした。
「有馬君……」
 クラスメートの有馬京介だった。彼とは小学校から同じで数少ない沙
耶の友人だ。幼い頃は頭が良くて運動も出来る彼のことを尊敬していた。
京介も彼の周りをうろつく沙耶のことを邪険にせず可愛がってくれた。
 そういえば、名前でなく苗字で呼ぶようになったのはいつの頃からか。
「何してるの?こんな時間こんなところで」
「有馬君こそ」
 京介は問い返されて肩をすくめた。
 やはり人には言いづらいことをしていたのだろう。
「とにかく、もう帰ったほうがいいよ。僕も帰るし」
 問い返したのは失敗だった。彼は踵を返して行ってしまう。
 京介の背中が遠ざかっていく。
 このまま彼と別れたら、今度こそ自分はもう駄目だ。
 何の脈絡も無く沙耶はそう思った。
「待って京介!」
 何年かぶりに、彼のことを名前で呼んだ。

「ねね、これどう?昼間にテレビで作り方見たんだ」
 沙耶が並べられた食器の一つを指して言った。
 沙耶が来てから、食器を増やした。ベッドも大きいものに買い換えた。
「うん、すごく美味いよ。沙耶って前から料理してたの?」
「ううん、むこうじゃ勉強ばっかだもん。調理実習くらいだよ」
 料理を始めて一週間足らずか。僕は二年も一人暮らししておきながら
未だに料理というものに慣れることは無い。
「すごいね沙耶。料理の才能とかあるのかもね」
「へへー」
 褒められて素直に喜ぶ沙耶。ここに来てからの彼女は子供のようだ。
まるで偏差値で塗りつぶされた少女時代を取り戻そうとしているかのよう。
「あれ?でもこれ玉ねぎ入ってるね。苦手じゃなかった?」
「え?知ってたの?」
「うん、まあ」
 僕の記憶が確かなら、中学の頃に給食に出てきたカレーを見てそう言っ
ていた。
「あはは。実はすっごく苦手なの。残しちゃってもいい?」
「どうぞ」
 苦笑いを浮かべて玉ねぎを端に退ける彼女の顔は何故だかとても嬉しそ
うだった。

 相談に乗って欲しい、と言って京介の部屋にやってきた沙耶は高校に入
って初めて泣いた。人前で泣いた、と言う意味でなら五年よりもっと久方
ぶりか。
 泣きながら胸のうちを全て吐露した。
 言いたいことを全て言い終わったとき涙で歪んだ視界に京介の顔が見え
た。
 いつからそこにいたのか。テーブルを挟んでいたはずの二人は触れ合う
ほどに近づいていた。
 突然両の手首を掴まれた。悲鳴を上げようとした口は彼の唇に塞がれて
しまう。
 そのまま床に押し倒され京介が沙耶に覆い被さる。
 糸を引いて唇が離れた。あまりの事に声さえ出なかった。
 京介が乱暴に制服のスカートの中に手を入れて下着を剥ぎ取った。
「いや……止めてよ……」
 やっとのことで搾り出した声には、しかし彼を止めるだけの力は無かっ
た。ズボンのチャックを下ろして堅くそそり立ったペニスを取り出した京
介はそのままそれを沙耶の秘所にあてがった。
「ひっ!やだ、やだやだ!やめてぇっ!」
 必死の懇願もおかまいなしに京介のものは一気に奥までを貫いた。
「あうぅぅぅぅぅっ!」
 破瓜の痛みに長く尾を引く声を上げた沙耶に、京介は情け容赦も無く腰
を動かした。ただ射精をするためだけの運動だった。
「痛い……痛いよ」
 ますます早くなる腰の運動。性知識に疎い彼女でも京介の射精が近づい
ているのがわかった。
「いや!ダメェ、中はやめて!やめてよ!」
 しかしその声が京介に届くことは無かった。
 一際強く腰を打ちつけた彼のペニスから熱い欲望が迸る。
「あっ!あぁぁぁぁ……」
 子宮でそれを感じ取りながら沙耶は悦びを感じている自分に気がついた。
 射精の余韻を十分に味わった京介が再び腰を動かし始める。
「うぅ……ひぐぅ」
 結局沙耶は純潔だった身体を一晩中犯しぬかれた。
 その間、彼女に出来るのはただ声を殺して泣くことだけだった。

 静かな部屋にぴちゃぴちゃと淫靡な音が響く。
「ねえ京介、私のおっぱい気持ちいい?」
 豊かな胸で僕のペニスを挟んでしごきながら沙耶が聞いてきた。
「ああ、すごくいいよ。上達したね沙耶」
「ホント?嬉しい。もっと、もーっと気持ちよくなってね」
 口元を綻ばせて先端を舐め始める沙耶の可愛らしい乳首を摘んだ。
「あんっ!」
 沙耶は嬌声を上げて身を捩った。
 僕はあの日思い悩んで僕の部屋に来た沙耶に歪んだ欲望を叩き付けた。
そんな僕を沙耶は憎むことなく一緒にいてくれている。それどころか僕
を愛してくれているようだ。
 それは気が狂いそうになるほどの幸せだった。


 抵抗したのは最初だけ。二日目からはただ身を任せて行為が終わるの
を待った。五日を過ぎると、むしろ自分から行為をねだるようになった。
 今ではそれどころか家事を手伝うようにさえなった。
 たまに沙耶は自分は狂っているのだろう、と思うときがあった。そし
てどうやら狂っている自分をとても愛しく思ってしまうのだ。
 もしかしたら彼女はずっと誰かに――いや他の誰でもない有馬京介に
檻の中から連れ出してもらうことを願っていたのかもしれない。

「ああっ!いいよぉ京介ぇ」
 四つん這いになった沙耶に後ろから腰を打ち付ける。
「あっ、あっ、もっとぉ……メチャクチャにしてぇ」
 請われるままに腰を激しく動かす。沙耶の中はとてもきつくて熱い。
動かなくても達してしまいそうになるほどだ。こんな動きをしていたら
すぐにイってしまう。
「沙耶、もうイきそうだ!」
「きて!京介、いっぱい出してぇっ!」
 僕は力強く腰を突き入れペニスの先端を沙耶の子宮口に押し付けた。
 沙耶の身体がぶるっと震える。
 びゅく、びゅくん。
「あぁぁん。京介のがきてる、奥で感じる」
 僕は陶酔している沙耶の肩を掴んで仰向けにした。僕はこっちには自
信がある。二回や三回イったくらいじゃ萎えることは無い。
「ひゃっ!ダメ今イったばっかぁ……」
 今度は正常位で沙耶の中を堪能する。いったばかりで敏感になってい
る彼女は突く度に身体をびくつかせる。
「あぁ京介ぇぇ……大好き、京介大好き!」
 たぷたぷとゆれる大きな胸を揉みしだく。
「あっ!わた、わたしまたっ、またイっちゃうぅぅぅ!」
 大きく身を仰け反らせて沙耶が絶頂に達した。
 僕のものを咥えこんだ陰部から愛液が滴る。
 きゅう、としまった膣壁が僕を締める。
「沙耶、僕ももうイきそうだ」
 腰の動きを小刻みにする。
「出して京介っ!また私に京介の精子頂戴!」
 どくん。
 そして僕はまた沙耶の中に射精した。

 携帯の着信音がして、隣で寝ていた京介が身を起こした。
「もしもし、どうしたんですか山岡さん、こんな時間に」
 他の誰かと話す時、京介は沙耶と話す時とは別人のように感情の無い
顔になる。
「明日……ですか?随分急な話ですね。いえ、行きます」
 沙耶は京介のこのときの顔が嫌いだった。だが
「わかりました。それじゃあ」
「京介っ!」
 電話を切った京介に抱きつく。
「どうしたんだよ沙耶?」
 彼は少し困ったような照れたような顔で笑う。この変化が沙耶はたま
らなく好きだった。優しい笑顔も声も自分だけのものだと確認できるよ
うな気がしたからだ。
 抱いた腕に乳房を押し付けた。
「ね、京介。ぎゅーってして」
 優しい声と柔らかな笑顔、背中に回された力強い腕、少し汗ばんだ皮
膚、微かな行為の残り香、たしかな鼓動音、それら全てが愛しかった。

「ツモ、一万八千」
 山岡は点棒を掻っ攫っていく有馬を見ながらタバコに火をつけた。
 有馬と手を組むようになって二年近く経つ。山岡が場をセッティング
して有馬が打つという単純な関係。
 時折山岡はこの自分の半分程度しか生きていない青年が怖くなる。
 一体山岡仁と有馬京介の違いはどこなのか。
 自分に無い何かを持っている?逆に何かが欠落しているのか。ただ歪
んでいるだけで持っているものは同じなのか。あるいはその全て。
 一度有馬は刃物を突きつけられたことがあった。
 今まさに命を絶たれようというその時にさえ彼は眉一つ動かさなかっ
た。
 山岡には彼が理解できない。それ故に恐怖する。
「ロン、七千七百」
 また有馬の一人勝ち。不敗神話をまた一つ更新だ。
 ――まあいいさ、こいつは金になる。
 それは有馬への恐怖を塗りつぶす魔法の言葉だった。

「ごくろう」
 山岡が差し出した缶コーヒーを無言で受け取った。
「これから祝勝会でも行くか?」
「いえ、遠慮しておきます。僕は真面目な学生ですから」
「そうか」
「僕の取り分は後で振り込んでおいて下さい」
 軽く会釈して山岡と別れた。
 学校なんてのはただの建前だ。一刻も早く沙耶の許へ帰りたい。
 僕が心を躍らせるのは勝負の最中だけだ。負ければ破滅。そんな緊張
感がたまらない。これから通帳に振り込まれる八桁の数字にはそれほど
興味は無い。
 たまに自分は腐っているのではないかと思うときがある。目立つのが
嫌で勉強も運動も平均的な成績しか残さず、ギャンブルでしか心を満た
せないでいる。最も最近ではそれよりも沙耶が僕の心の多くを占めてい
るが。
 腐った人間、それならそれでいい。もとからまっとうな生き方をしよ
うなんて思っちゃいないんだ。

 自宅に電話をかける、三回のコール音を聞いて一度切る。そしてすぐ
にリダイヤル。それが僕からの電話という合図だ。それ以外の電話には
出ないように言ってある。
『京介?』
 以外にも早く沙耶の声が聞こえた。夜も遅いし出ないならそれでもい
いと思っていたのだが。
「うん、今ことが済んでね。今からタクシー拾って帰るよ」
『わかった。早く帰ってきてね』
「うん、それじゃ」
 タクシーを拾う前にコンビニに立ち寄った。家のペットボトルが無く
なっていたので買っておこうと思ったのだ。沙耶は外に出られないので
自然買い物は僕がすることになる。
(おや?)
 一冊の漫画本が目に止まった。たしか沙耶が読んでいた奴だ。新刊が
出たのか。
 財布の中を確認すると帰りのタクシー代と飲み物代だけでもギリギリ
しかなかった。致し方ない。
 僕は隣で雑誌を読んでいたサラリーマン風の男のポケットの財布に手
を伸ばした。人差し指と中指で中の紙幣を一枚だけ掴んで取り出す。
 ポケットの中でのその動作に一秒もいらない。
 漫画本とペットボトルを持ってレジに向かっていく僕に男は目もくれ
ず相変わらず雑誌を読んでいる。
 ギャンブルに手を出したのは高校からだがこっちのほうは小学生から
のベテランだ。こんな奴に勘付かれてたまるか。
「千百六十円になりまーす」
 レジで初めて手の中の紙幣を見た。万札か、気の毒にな。正直千円で
も事足りたのだが、そこは運が悪かったと諦めてもらおう。

 ブラウン管の中で誰かが何かを言っている。
 以前の自分には許されなかった無為な時間の浪費。しかしだからとい
って沙耶はテレビに熱中しているわけではない。彼女はただいずれ鳴る
玄関の開く音を心待ちにしているだけだ。テレビなど時間潰しにもなり
はしない。
 そして待ち望んでいた玄関の開く音と「ただいま」と遠慮がちに言う
声。
 沙耶は飛び跳ねるように立ち上がった。
「あ、まだ起きてたんだ」
「おかえり」
 コンビニの袋を片手に京介が部屋に入ってくる。ただそれだけのこと
が沙耶にとっては泣き出しそうになるほど嬉しかった。
「そうだ、沙耶これ」
 彼は袋から漫画を取り出して差し出してきた。沙耶が集めている漫画
だ。
「……なんで?」
「帰りに寄ったコンビニで見つけてさ、たしか沙耶が読んでたなあって
思って」
 沙耶はこの漫画に関して彼と話したことはない。ただ数度学校で読ん
だことがあるだけだ。
 そんなことまで京介は覚えていた。
 堪えきれず、沙耶は泣き出した。
「沙耶!?どうしたの?」
 京介を困らしてはいけないな、と思ったがどうにも涙は止まってくれ
なかった。
 おそらく他の誰も沙耶がこの漫画を読んでいることは知らないだろう。
もしかしたら漫画というものを読むことさえ知らない。
 『自分』のことを知っているのはこの世に唯一人、京介だけ。それが
嬉しくて、沙耶は京介にしがみついて泣き続けた。


(有馬?)
 山岡は雑踏の中に有馬の姿を見た気がして立ち止まった。しかし有馬
の家からここはかなり離れている。しかも自称真面目な学生の有馬が平
日の昼間から街中をうろついているだろうか。
 さまざまな疑念が浮かんだがとりあえず山岡は有馬の姿が見えたほう
へ向かった。
「有馬か?」
 それらしい後姿に声をかけた。こちらを振り返った青年はたしかに有
馬だった。
「山岡さん」
 山岡は彼の隣にいる女に気付いた。年下か、少なくとも有馬より年上
には見えない。素朴な感じがする子だった。
「デートか有馬?」
「そう思うんなら、邪魔しないで欲しかったですね」
 有馬は少し拗ねたような顔になった。
(拗ねる?あの有馬が?)
「あ、こちらタナカヨウコって言いまして、一応僕の恋人です」
 言われてタナカヨウコは一歩前へ出た。
「どうも、タナカヨウコって言います」
「ああ、俺は山岡。よろしく」
 その可愛らしい声と仕草にやはり年下かな、と山岡は思った。
「それにしても、お前は真面目な学生じゃなかったのか?」
「たまにはいいじゃないですか」
「心でそう思っても実行はしないのが真面目な学生と言うんだ」
 山岡は初めて有馬と笑いながら話した。
「それじゃ、失礼します」
「ああ、またな」
 有馬たちと反対方向に少し歩いて、山岡は振り返った。
 タナカヨウコと並んで歩く有馬の笑顔は年相応の爽やかなもので普段
見ている歪んだ笑みとは似ても似つかない。
 山岡は、有馬への恐怖が少し薄らいでいくのを感じた。

 最近の学校は不快でしょうがない。生徒も教師も沙耶の噂話ばかりだ。
 何も知らないくせに勝手なことばかり言いやがって。
 学校をサボって沙耶と遠出した晴れやかな気分が一日で台無しだ。
 奴らはうわべでは沙耶のことを心配しているが、本音では消えた優等
生を面白がっているだけだ。
 この場にいる全員、二度と口が利けないようにしてやりたい。
 一度、沙耶の両親が学校に来たことがある。あいつらの勝手な期待が
沙耶を苦しめていたのだと思うと殺意すら湧いた。
 あいつらは――いや、どいつもこいつも沙耶のことなど見ていない。
ただ沙耶の出した数字を見ているだけだ。
 だから沙耶の本当の気持ちに気付かず、彼女を追い詰めた。
 本当に沙耶のことを想っているのはこの僕だけだ。
 だけど……沙耶の本当の気持ちって……
 沙耶は本当に今幸せなのだろうか。僕は沙耶の信頼を裏切って彼女を
犯し、軟禁までした。逃げ出すそぶりを見せないのも恐怖ゆえで、本当
は僕を恐れているんじゃないか。僕のことを……
 吐き気がしてきた。眩暈もだ。胃液が逆流しそうになるのを必死で堪
える。
 もしかしたら、沙耶は……

       ボクノコトヲ、アイシテナドイナインジャ?



 大きなベッドの上で沙耶は漫画を読んでいた。もう何度も読み直して
いる。内容が面白いと言うのも確かだが、京介が自分のために買ってく
れたものだと言う思いがそうさせた。
 不意に玄関が開く音がした。まだ時刻は一時過ぎ、京介が帰って来る
はずはない。
 沙耶はとっさにベッドの陰に隠れた。入ってきたのが誰であれ、見つ
かるわけにはいかなかった。そんなことになれば、自分はあそこへ連れ
戻されてしまう。もう二度と京介に会えなくなってしまう。
「沙耶?どこにいるの?」
 しかしベッドの陰で息を殺していた沙耶の耳に聞こえたのは愛しい人
の声だった。
「京介?」
 京介は青白い顔でこちらを見た。
「どうしたの京介?気分悪いの?」
 大げさに心配して沙耶は京介に駆け寄った。
 京介は沙耶の肩に手を置いた。まるでそれ以上近づけないようにしてい
るかのように。
「京介?」
「沙耶……」
 肩に置かれた手が震えているのがわかった。
「沙耶は、本当に僕のところにいていいのか?」
「え?」
「本当はもとの、両親のところに帰りたいんじゃないのか?」
 沙耶は京介が言っていることが理解できなかった。いや、理解すること
を頭が、心が拒んだ。
「な、に言ってるの?」
 急速に口の中が乾いていく。
 肩を掴んだ手の力が強くなった。
「僕は沙耶を犯した。その上この部屋に閉じ込めた。そんな奴の所にいて
いいのか?」
「京介……」
 沙耶は声と、全身を震わせた。
「私のこと、嫌いになったの?」
「え?」
 彼は自分のことを愛してくれているものだと思っていた。それが、ただ
の思い違いだとしたら――
「やだやだやだ!私、私はなんだってするよ?掃除だって洗濯だって料理
だってする。何も欲しがらないしわがままも言わない!ホントだよ?ホン
トに何だってするから!」
 なんて恐怖。京介に捨てられた自分は一体どうなるのだろう?元の生活
に戻れるだろうか。無理に決まってる。もはや沙耶は京介のいない世界で
生きることなど不可能だった。
「お願い!私のこと好きじゃなくたっていい!捨てないでよ!一緒にいて
よ、京介!京介ぇぇっ!」
 京介の身体にしがみついて懇願した。すぐ近くにあるはずの京介の顔も
涙で歪んで見えなかった。
 不意に優しく、しかし力強く京介の両腕が沙耶の身体を捉えた。

「ごめんよ、沙耶」
 沙耶もまた彼の背中に手を回した。
「僕は、不安だったんだ」
「不安?」
 沙耶の顔を、彼女のものでない涙が濡らした。
「僕は本当に沙耶の気持ちをわかっているのかって、本当は僕もあいつら
みたいに沙耶を傷つけているんじゃないかって……ごめん」
「京介、私は京介のことが大好き。それが、それだけが、私の本当の気持
ち」
 二人は同時にお互いを抱きしめる力を強めた。
「沙耶、ごめんね。もう二度とこんな馬鹿げたこと言わない。
 ずっと沙耶を離さない……ずっと一緒にいよう」
「うん。私も京介のこと、離さない」
 二人の唇が重なる。ここから先は言葉はいらない。
 二人は抱き合ったままベッドに倒れこんだ。

 服を脱ぐ間さえもどかしい。身体が、心が沙耶を狂おしいほどに求めて
いる。
「沙耶」
「わっ」
 服を脱いでいる途中の沙耶に後ろから抱きついた。そのまま胸を丁寧に
揉む。
「んっ……京介焦りすぎぃ」
 沙耶は胸を揉まれながら身体を覆う衣服の最後の一枚までもを剥ぎ取っ
た。露になった恥部に手を伸ばす。
「んぁっ」
 ちゅく、と水っぽい音がした。
「沙耶の胸、敏感だね」
「馬鹿、京介が毎日揉むからじゃない」
 割れ目を二、三度なぞる身悶える沙耶が可愛くてしょうがない。人差し
指を中に入れる。
「あっ!」
 沙耶は小さく喉を反らした。続けて中指を中に入れた。
「あぁん、あぅ、あっ」
 膣内で二本の指を暴れさせ、親指でクリトリスを擦り上げると沙耶は釣
り上げられた魚のように身を躍らせた。
「あっ、ダメ!イクっ!」
 沙耶は一度全身を硬直させてぐったりと僕に身体を預けた。愛液が僕の
手を濡らす。
「イっちゃった……」
 沙耶は僕の耳元で吐息をかけながら囁いた。

「沙耶、今度は僕にもしてよ」
「うん、気持ちよくしてあげるね、京介」
 僕はベッドの上に仰向けに寝た。沙耶が僕の股間に手を伸ばす。
「あ、待って」
「なぁに?」
「お尻こっちにむけてよ」
 僕の提案に沙耶は一瞬目を丸くしたがすぐにくすっと笑って言われたと
おりにした。
「一緒に気持ちよくなろうね京介」
 顔に垂れてきそうなほどに濡れた沙耶の陰部を舐め上げる。
「んっ……」
 沙耶はそれと同時に僕のものを咥えた。そして豊かな胸ではさんでしご
き上げる。
「んむっ、んん、ちゅ……」
 クリトリスを甘噛みすると沙耶はびくっっとお尻を浮かせた。僕は彼女
のお尻を掴んで舌で愛撫を続ける。
 沙耶の動きも激しくなってきた。もう絶頂が近い。
「沙耶、出る、出るよっ」
 びくん、とペニスが脈動して大量の精液を沙耶の口内にぶちまけた。
「んんっ、ン……」
 それと同時に僕の顔に沙耶の愛液がかかった。同時にイったようだ。
「ぷはぁっ」
 僕が出した精液を飲み干した沙耶が口を離した。
 身を反転させてこちらを向く。
「京介、入れるよ」
 僕のペニスを自らの入り口にあてがって沙耶は深く腰を下ろした。
 こつんと奥に当たる感触がした。
「あぁ、奥まできてる」
 腰を大きく突き上げる。
「ひゃん!」
 犬か猫のような声を上げて沙耶が仰け反る。軽くイったようだ。
 リズミカルに腰を突き上げる僕に合わせて沙耶も自らの腰を動かす。
「あっ、あっ、んぁっ、あぁぁん」
 ずっ、ずちゅっ、ぬちゃっ。
「すごいよぅ、京介ぇぇ。一番奥まで京介がきてるぅ」
 蕩けた表情で淫らな言葉を言う沙耶。自分が出した言葉にも酔っているみ
たいだ。
「きょ、すけ。私今日、危ない日なのぉ……あっ!」
 沙耶が前に倒れこんできた。
「そうか。じゃあいっぱい出してやらないとな」
 僕は腰の動きを早めた。沙耶も絶頂が近づいているようだ。
「出して京介っ!京介の赤ちゃん産ませてぇっ!」
「沙耶、沙耶、沙耶っ!」
 壊れたレコーダーのように沙耶の名を呼んで強く、強く彼女の体を抱きしめ
た。そして力いっぱい腰を突き上げる。
「きょうすけえええぇぇぇぇぇぇぇ!!」
 びくん、びくん、びくん。
 沙耶の胎内に生命の源が注ぎ込まれる。僕と沙耶、二人の子の元が。

「ごくろう」
 いつものように渡した缶コーヒーを受け取った有馬は愛想笑いを浮かべた。
「どうも」
 変わったな、と山岡は思った。相変わらず冷淡な彼だが、以前感じていた危
うさは無くなっていた。
「祝勝会でもするか?」
「いえ、遠慮しておきます」
「もう、真面目な学生ではないんだろう?」
 風の噂に有馬は高校を辞めたと聞いた。女がらみのトラブルが原因らしい。少
し前の山岡ならそんな噂一笑に伏しただろうが、あの有馬を――タナカヨウコと
並んで歩く有馬を見た後ではそういうこともあるかもな、と不思議に納得できた。
 山岡は心配する。有馬の今後を、ではない。彼は山岡程度が偉そうに心配でき
る存在ではない。心配なのは女のほう、もっと言えば女の親兄弟だ。有馬に精神
をズタズタにされていなければいいが。下手をするとすでに東京湾で魚の餌にな
っているかもしれない。
「もう真面目な学生じゃないですけど……」
 有馬はコーヒーを一口飲んだ。喉を潤して溜息をつく彼の顔は年相応の青年の
ものだった。
「家に人を待たせていますので」
「そうか」
 山岡は口元を綻ばせた。

「ただいま」
「おかえり京介」
 彼女はいつものように小走りで玄関まで来た。
「先に寝てて良かったのに……」
「や〜だ。私は京介と一緒に寝るの」
「お腹の子に障るだろ?それに、僕は絶対沙耶の隣で寝るから」
「それでもや〜だ」
「やれやれ」
 沙耶のお腹はだんだん膨らんできた。まだそんなに目立たないが、触ってみる
とわかる。
 もう少ししたら、家を買おう。色は沙耶の好きな白。静かなところがいい。
 そこで三人、いや四人か五人……もっといてもいいかもしれない。家族仲良く
過ごそう。
 真っ白な家に僕と沙耶、それに二人の子供たち。なんて素晴らしい……
――僕と、沙耶の世界。


私を呼ぶ声