有馬京介x津島沙耶

 子供の頃、私は彼を兄のように慕っていた。
 間抜けな私と違って彼は頭が良かったし、運動や芸術も私なんかとは
比べ物にならなかった。
 そんな彼が、私にはとても眩しくて、漫画の世界のヒーローかなにか
のように思っていた。
 私はいつも彼の後ろを歩いていた。いつも一番近くで彼のを見て来た。
それは中学に入ってからも、今になっても同じだ。
 彼はいつも私の前を歩いていた。私が必死になって走っているのに一
向に追いつけない。彼はゆっくり歩いているのに、いつまでたっても二
人の距離は縮まらない。
 それがとても哀しくて、悔しくて、寂しかった。


 目を覚ますと、もう日が高く昇っていた。
 見慣れない天井。当たり前か。ここはあの家じゃないんだから。
 記憶がはっきりしてるのが何だか悔しい。普通こういう時は混乱する
もんじゃないのか。まあ、そのおかげで冷静でいられるわけだけど。
 ――そのおかげ、じゃないか。私が落ち着いていられるのは……
 私が身を起こすと京介は一度私のほうを見た。しかしすぐに見てもい
ないテレビのほうを向いて、私から目を逸らした。
「シャワー浴びたいんだけど……」
 べとつく肌が気持ち悪い。特に内腿の違和感は耐え難い。
 京介は黙って一つのドアを指差した。続けて私のほうに紙袋を放り投
げてきた。中身は新品の下着と、灰色のスウェットだった。私が寝てる
間に買ってきたのだろう。普通レイプした相手にここまで気を遣うもの
なのだろうか。
 まあ何にせよ着替えは要る。私は下着とスウェットを持って風呂場に
入った。脱いだ制服は、とりあえずたたんでおいた。もう着ることはな
いと思うけど。
 血と精液にまみれた股間を丁寧に洗った。溢れ出てきた分も全て洗い
流したし、避妊の効果は期待できないが、中に入っていたのを掻き出し
てもみた。凄い量。水と一緒に流れていく精液を見ていると昨夜のこと
を思い出す。
 私の手首を掴んだ彼の手の力強さ。彼のものに貫かれた時の痛み。荒
い息遣い。私の胎内を満たす、京介の欲望。
 大雑把に髪を洗い、全身の汗を流して風呂を出た。新品の下着とスウ
ェットに着替えるとほんの少しすっきりした。
 京介は相変わらず、ぼうっと遠くを見つめている。
 私は小さく嘆息して、ベッドにもたれるように座った。
 私も彼も、それきり黙って動かなかった。
 たまにトイレに立ったり水を飲んだりするだけで、日が暮れるまで私
たちはじっと、置物のように座っていた。

 日が沈みきった時、唐突に京介が立ち上がった。財布を引っつかんで
何の迷いもなく玄関を出て行った。
 私は何が起きたのかわからなかった。何が起きたも何も京介が家を出
行っただけなのだが、私にとってそれは想定外のことだった。
 だって私は彼に拉致されたんだから。京介が外に出る時はてっきり縛
られるかなにかされるのだと思っていた。
 今なら逃げられる。
 でも、どこへ?
 あそこに帰る?それは、それだけは嫌だ。あそこでは私はただの優等
生。皆が見るのは点数だけ、誰も私のことなんか見てはいない。
 あそこにだけは行きたくない。だからといって、ここにいていいのか?
彼は帰ったら、また私を犯すんじゃないか。いや、きっとそうする。
 でも、私に逃げ場所はない。
 ループする思考。
 結局私は、彼が帰ってくるまでそこから立ち上がることさえ出来なかっ
た。


 私の胃袋は緊張感が足りないのか、いつものように食料を求めていた。
私は彼の買ってきたコンビニ弁当を有り難く頂くことにした。
 一方の彼は、あまり食欲がないのか二口三口突付いてすぐに立ち上がっ
てしまった。立ち上がった彼が向かったのは洗面所。
 音で吐いているのがわかった。さすがに人が吐いているそばで食べる気
にはならない。犯されても平気でいるのに、そんなことを気にする自分が
滑稽だ。
 特にすることも無いので、眠れはしないだろうけど、私はベッドに横た
わった。
 京介がうがいをする音がした。部屋に戻ってきたのが気配でわかる。私
のすぐ後ろに立っている。
 鼓動が早くなって、汗が滲み始めた。呼吸が不規則になる。
 彼の腕が私の身体を捉えた。全身が硬直する。まるで見えない鎖で縛ら
れたように身体が動かない。
 荒々しく衣服を剥ぎ取られていく。抵抗しようにも身体が動かない。声
も出ない(例え叫べても防音のしっかりしたこのマンションでは無意味だ
が)。
 一糸纏わぬ姿になった私の両手を彼の手が掴んだ。昨日と同じだ。
 そして昨日と同じように彼の猛ったペニスが私の中に入ってくる。
「あぅっ……」
 痛みに、思わず声が出た。
 昨日よりはマシだがそれでも痛いことには変わりない。
 京介は私の痛みなどお構いなしにがむしゃらに腰を突き動かす。
「うぅ、くぅっ」
 私が感じるのは痛みだけだ。快感なんか無い。少なくとも、今はまだ。
 私の貫いたものがより大きく硬くなった。
 彼の絶頂が近づいているのがわかった。要は一晩でそれがわかるくらい
犯された、ということだ。
 だんだん京介の腰の動きが早まる。息遣いもどんどん荒くなって、私の
手首を掴んだ手に込められた力も強くなっていく。
 そして一際大きく京介が腰を突き出して、私の一番奥に彼のペニスが届
いた時――
 どくんっ、どくん。
「あっ、はぁっ!」
 京介の熱く煮えたぎる欲望が私の子宮壁に叩きつけられた。
 その感覚は、嫌じゃない。嫌なのは、それを不快に思わない、思うこと
が出来ない自分だった。
 余韻に浸ることも無く再び動き始める京介。

 もし今彼が手を離したら、私は自由になった両腕で彼を拒めるだろうか。
 わからない。
 もしまたチャンスがきたら、私は彼の下から逃げ出せるだろうか。
 わからない。
 わからない、何もわからない。
 わからないまま、私は彼に犯され続けた。

 ……一つだけわかること。あの日あの時、私に声をかけたのが京介以外の
誰かだったなら、私は今も変わらず檻の中にいただろう。


 気色悪い酸味が喉を焼いた。絶えず鈍器で殴られているような頭痛がする。
 胃の中には何も入っちゃいないのに、嘔吐感は一向に治まらない。
 まただ。一度ならず、二度までも沙耶を犯してしまった。
 自分自身で止められないほどに、沙耶を求めてしまう。
「おぐ、えぁっ……」
 ――京介君ってすごいよね。ヒーローみたい。
 子供の頃の、ずっと僕の後ろにくっついていた沙耶。
 ――勉強教えてよ、京介。
 中学の頃の沙耶。
 ――もう疲れたよ……有馬君。
 追い詰められて、涙を零す沙耶。そして……
 ――やめて、やめてよ!
 苦痛に、恐怖に、裏切られた悔しさに泣き叫ぶ沙耶。
 それらが次々に頭に浮かんでは消えて、その度に頭痛と吐き気が激しくなる。
 沙耶がシャワーを浴びる音が止んだ。開けっ放しのドアの向こう側、バスタ
オル一枚で上がってきた沙耶が部屋の真ん中で下着を着けているのが見えた。
 なんで、まだここにいる。なんで、逃げない。
 眩暈がする。平衡感覚が狂って、視界がグルグル回っている。
 壁に手をつかないと歩くことさえできない。ベッドまでの道のりが遠い。
 ほんの数回足を前に出す。ただそれだけのことが何故こんなにも難しい。
 やっとの思いでベッドにたどり着いた僕は、倒れるようにして横たわった。

 
 小学生の時、電車で隣に立ったオヤジのポケットから財布が覗いているのが
見えた。ただ、簡単に盗まれちゃいそうだな、と思った。それだけのはずだっ
た。
 電車を降りた僕の手の中に、黒い皮製の財布があった。
 ただ一枚の紙幣。小学生の時の僕にとってはどこまででも行ける、何だって
できる魔法の切符だった。
 勉強で一番になったって、運動で一番になったって得られなかった喜びが僕
の心を満たした。
 そんなに気張るなよ沙耶。勉強なんかできなくたって、僕がどこへでも連れ
て行ってやる。できることなら、いつも僕の後をついてくる女の子にそう言っ
てやりたかった。

 中学に入って、沙耶はいわゆる優等生として周りに騒がれるようになった。
 僕はそうなるのが嫌でテストも授業も部活も手を抜いていた。周りに勝手な
評価を下されるのが我慢ならなかったのだ。
 そんな僕とは対照的に沙耶は努力して、周りの期待に応えて、更なる期待に
応えようと尚一層努力した。
 僕はそれを愚かしいとは思わなかった。むしろ馬鹿なのは自分だと理解して
いたし、そうやって努力する彼女はとても眩しく、美しかった。
 だんだん僕から離れていくのも、仕方が無いことだと思った。
 中三くらいになると、僕はもうケチなスリなんかでは満足できなくなってい
た。そんな僕が熱中したのがギャンブルだ。そのころはチンピラ相手に随分み
みっちい賭けをしていた。負けた瞬間の相手の顔を上から見るのが好きだった。
我ながら下卑た快感だとは思う。
 高校は沙耶と同じところに決めた。名門と言うからどの程度のものかと思っ
たが、入試の易しさには拍子抜けした。これで全国でも上位の進学校と言うの
だから笑わせる。
 高校に入ってからも、沙耶は努力を怠らなかった。脚光を浴びる沙耶を僕は
ずっと、暗い闇の中から見ていた。
 決定的に沙耶との距離が離れたのはこの頃からか。
 ちょうどその頃山岡に出会った僕はますますギャンブルにのめり込んでいっ
た。命のやり取りになったこともある。負ければ死。そのスリルにたまらなく
興奮した。
 僕がそんなことをしている間にも、沙耶は期待に応えようと必死になって、
精神をすり減らしていたんだ。


 寝ていたのか起きていたのかさえ曖昧な時間が過ぎて、日が暮れた。僕はベ
ッドを降りてまだふらつく足取りで玄関を出た。
 コンビニでカップ麺とペットボトルを多めに買った。明日は月曜、怪しまれ
ないためにも学校へは行かなくちゃならない。沙耶が家から出るのは危険すぎ
る。家に食料を置いておかなくちゃ。
 家が近づくにつれ、頭痛が激しくなってきた。ドアノブを握る手が震える。
 恐る恐る玄関の戸を開いて、中に入った。
 沙耶は、僕が出かけた時のまま、そこにいた。
 ――頭痛が、少し薄らいだ。
 黙ってお湯を沸かして、黙って沙耶に差し出す。
 沙耶も黙ってそれを受け取って、黙って食べ始めた。
 僕も自分の分のカップ麺をすすった。
 突然、吐き気がこみ上げてきた。洗面所に駆け込んで食べたばかりの物を全
て吐き出した。
 駄目だ。食欲はあるし、普通に食べることも出来るけど、すぐに戻してしま
う。これじゃ最初から食べられないのと同じだ。いや、そっちのほうがまだ幾
分かマシか。
 口を漱いで部屋に戻ると、沙耶はすでにベッドに寝ていた。
 心臓が跳ねた。体中をマグマのような血液が駆け巡る。
 一歩ベッドに近づいた。もう手を伸ばせば届く、沙耶に触れられる。
 身体が内側から燃えてるみたいに熱い。まるで長距離走の後のように呼吸が
荒くなる。
 沙耶の身体に触れた。服越しでも沙耶の体温が伝わってくる。暖かい。暖か
い。とても暖かい。
 もう、駄目だ。

 沙耶の肩を掴んで強引にこっちを向かせる。一息で衣服を剥いで染み一つ無
い肌を露にした。
 沙耶は強張った顔のまま、抵抗することも無くされるがままになっている。
 沙耶の肌、柔らかい。最高だ。
 片手で沙耶の両手首を掴んで、片手で足を開かせる。
 いきり立ったものをズボンから取り出して、沙耶の陰部に突っ込んだ。
「くふっ……」
 濡らしてもいない陰部に、大きく猛ったペニスが進入してくる痛みに沙耶が
呻いた。
 かまわずに奥まで一気に貫き通した。
「つぅっ……」
 沙耶の中はきつくて、熱くて、肉襞がペニス全体にからみついてくるみたい
だ。この世で唯一人、僕一人だけが知っている感触。
 更なる快感を求めて滅茶苦茶に腰を動かした。突かれる度に沙耶は小さく呻
く。なんて、可愛いんだ。
 涙が伝う頬を舐め回した。沙耶が呻くと吐息が僕の顔にかかる。それだけで
僕のものはますます硬く大きくなる。
 沙耶の中があまりに気持ちよくて、もう達してしまいそうだ。
 腰の動きを更に激しく、速くする。
 ずっ、ずっ、ずっ……
 ぱんぱんと音を立てて二人の身体がぶつかり合う。
「ぅ……ぁく、はぁ……」
 ――もう限界だ。
 射精する直前、僕は腰を目一杯打ち付けて沙耶の一番奥に僕の精液が届くよ
うにした。
 びゅくん、びゅくん。
「ひぁっ!」
 この瞬間にだけ、沙耶は苦痛以外の声を上げる。
 僕が、沙耶の胎内を満たしていく。至上の喜びだ。
 ――まだだ、まだまだ足りない。
 僕はこの悦楽をもっと感じたくて、射精が終わりきらないうちに再び腰を動
かし始めた。
 そしてまた、夜通し沙耶を犯した。


 学校は、気持ち悪い。
 朝のホームルームで津島沙耶がいなくなった、知っていることがあれば申し
出ろ、とだけ言って後は普通の授業が行なわれた。
 いつものように授業をする教師も、いつものように授業を受ける生徒も気持
ち悪い。
 なんなんだ、一体何なんだよ、こいつら。沙耶がいなくなったって聞いたの
に、何故そんなに普通でいられる。
 頭では理解できる。僕にとってこいつらが無価値なのと同じように、こいつ
らにとっては沙耶は大勢いるクラスメートの中の一人、大勢いる生徒の中の一
人でしかないのだろう。わかってる。わかってるさ。理解できる。大丈夫。
 ――まだ僕は、冷静だ。



 家に帰って来て、まず最初に洗面所に行った。胃の中は空っぽで口からは胃
液しか出てこない。
 前を見ると、土気色の顔があった。
 その顔が、憎くてしょうがない。
 一点の曇りさえない、水晶のようだった沙耶。その沙耶を穢した外道、畜生。
 鈴の音のような、いや、この世のどんな楽器さえ凌駕する透き通った沙耶の
声。その声で悲鳴を上げさせた悪魔。
 許せない。この世で一番憎い奴が目の前にいる。
 僕は怒りに任せてそいつの顔を思い切り殴りつけた。
 ガラスの割れる音がして、手の皮膚が裂けた。
「ぐえっ、げぇっ、かはっ」
 胃が痙攣する。胸がしめつけられるようだ。
 ――美し過ぎて触れられないなら、眩しすぎて近づけないなら……
 耳鳴りがひどい。頭が、割れちまう。
 ――いっそ、堕としてしまいたい……


 泥のように眠っていた京介が低く、くぐもった声を出した。
 目覚めが近いのだろうか。
 あれから何度逃げ出す機会があっただろうか。私は何故かこの部屋から出る
ことができずに未だここに居る。
 多分私が逃げ出したら、京介は追ってきたりしない。なんとなく、根拠は無
いけれど、そう思った。
 私は嫌な汗が滲む彼の額を手で拭った。
 こいつは今、どんな夢を見てるのだろう。何をこんなに苦しんでいるのだろ
う。
 こうして眺めているだけじゃわからないけれど、面と向かって聞くことなん
てできない。
 子供の頃、彼は私のヒーローだった。誰よりも強くて、私が泣いてる時には
助けに来てくれる。そう信じていた。いや、信じてる。子供っぽいかな、とは
思うけど私は今でも、私が堪え切れずに泣き出したら京介が助けてくれるって
信じてる。
「……さ、や……」
「え?」
 今、私の名前を呼んだ?それとも聞き違い?
「何?有馬君」
 沙耶、彼が私のことをそう呼ばなくなったのはいつのことだったか。
 津島さんと呼ばれるようになって、私も彼のことを苗字で、しかも君づけで
呼ぶようになった。私はそれが嫌だった。
 せめて私だけは名前で呼び続けようかとも思ったが、それができないのが自
分の嫌いな箇所だ。
「……沙耶」
 うん、今度は聞き違いじゃない、たしかに私のことを呼んだ。沙耶って呼ん
だ。なんだか嬉しくなって、汗ばんだ京介の手を握った。
 こうして手を握ると、彼の後ろをついて行っていた時を思い出す。私は京介
の後姿を見ながら、いつか彼のようになりたい、と思った。
 いつまでも京介に甘えていちゃいけない、京介の重荷になってちゃいけない。
私も京介に必要とされる人間になりたい。京介の力になりたい。
 そう思って、私は彼に認めてもらえるように努力してきたのだ。周りの評価
なんてものは、そのための要素でしかなかった。
 それを目的に変えてしまったのが私の失敗だった。
 私はちっとも嬉しくないのに、周りは私を褒め称える、羨む、次に期待する。
そんなのが、いつまでも持つわけなかった。私はその重圧に耐え切れなくなっ
て、私のヒーローに助けを求めたのだ。

「う、ぅ……」
 京介がゆっくり瞼を開けた。
 慌てて手を離した私の目と、焦点の定まらない京介の視線が重なった。
 ――思わず、口元が緩んだ。
 いかんいかん。私は京介に気付かれないように急いで唇を引き締めた。
 清涼飲料水のペットボトルを掴んで、差し出した。
 そうしてから後悔した。何をしてるんだ私は。しかし、今更引っ込めるわけ
にもいかない。
 幸い、戸惑っていたのは少しだけで、京介は黙ってそれを受け取ってくれた。


 その夜も、京介は私を犯した。
 相変わらず、私のヴァギナにペニスを突っ込むだけの獣じみた行為。だけど
心なしかその動作の一つ一つが、今までよりも優しくなった気がした。
 ず、ず、ずっ…… 
 私を貫く彼の動きが、ただ射精をするためだけのものでなくなった気がする
のは、私の勝手な願望のせいだろうか。
 不意に、私の両腕を拘束していた彼の手が背中に回された。
 身体が密着して、京介の体温がじかに伝わってくる。
 京介の熱さを、子宮だけでなく身体全体で感じられる。
 私の手。今は自由に動く。私はその両腕を、彼の背中に回した。
 びくん、びくんっ!
 私の中で京介のペニスが脈動した。私は彼の身体に両手両足を絡めて、迸る
彼の愛を受け止めた。
「あぁっ!あぁぁぁぁんっ!」
 雌の私はそのことに歓喜する。
 私はもう、そんな自分を嫌いにはなれなかった。


 まだ覚醒しきっていないせいでぼやける視界の中、制服の京介が玄関を出て
行くのが見えた。
 身体を起こしてベッドから降りると、秘裂から漏れ出た精液が内股を濡らし
た。
 私はそれを指で掬ってみた。京介の精液、私に向かって放たれた、彼の愛の
塊。指先をぬめらすそれを舌で丹念に舐めとった。
 変な味。決して美味しいものじゃない。
 けれど味覚以外の感覚が、その味を好ましいものとして捉えた。


 今日は久しぶりに気分がいい。吐き気も無いし、頭痛もしない。
 体調が良ければ、耳障りな噂話を聞き流す余裕もあるというものだ。
「だから、駆け落ちだって。いまごろどっかで幸せに暮らしてるよ」
 沙耶が駆け落ちだなんて、どこから出たのか知らないが噂というのは恐ろし
いものだ。
 その後も、津島、津島と五月蝿い教室でぼうっとして休み時間を過ごそうと
していたのだが――

「なあ、あれ津島んちじゃね?」
 後頭部を殴られたような感覚がした。
 多くの生徒がそうしたように窓に駆け寄ってみると、高級車から下りてきた
痩身の男と、気品のある中年の女性が見えた。
 あいつらが、沙耶の両親。あいつらが、沙耶を……
 ひとりでに、足が動いた。
 教室を出て、階段を降りる。来賓用の玄関から職員室へ行くのに使う渡り廊
下へ、ふらつく足取りで向かった。
 体が熱い。口が渇いて、うまく呼吸が出来ない。
 おいおい、何しようとしてるんだよ僕。
 何しようとしてるかって?そんなの決まってる。
 光が明滅する視界が、奴らの姿を捉えた。
 指先がチリチリする。心臓が破けそうなほど強く脈打っている。
 何か武器になりそうな物。刃物とか鈍器とか。いや、そんな物要らない。僕
の、この手で、頭蓋骨を叩き割ってやる。
 あと十メートル。
 体が熱い。熱い、あつい、あついあついアツイアツイアツイアツイアツイ。
 あと七メートル。
 汚らわしい脳漿をぶちまけて死ね、蛆虫が。今すぐこの世から消え失せろ。
 肩に衝撃を感じ、僕はあっけなくその場に倒れてしまった。
「あ、悪い」
 クソが、僕の邪魔をするな。
「おい有馬、お前顔真っ青だぞ!大丈夫かよ?」
 耳鳴りのせいで遠くに聞こえる声。しかし僕に冷静さを取り戻させるには十
分だった。
「早退したほうがいいんじゃないか?」
 目がチカチカして、今話しかけてきているのが誰かさえわからない。
「ああ、そうするよ。先生には言っておいてくれ」
 教室に戻りながら、もしあのまま邪魔が入らなかったら、僕はあいつらを殺
していただろうな、と他人事のように思った。
 

 昼前に突然帰って来た京介は、今日も洗面所に駆け込んで吐いていた。
 私は立ち上がって、何故そうしたのかわからないけど、洗面所に向かった。
 吐き続ける京介の、丸まった背中に触れた。京介は怯えたように飛び退いて
私を見た。
「津島さん……」
 消えそうな声で呟いてその場に蹲った京介に歩み寄って、震える背中をさす
った。嗚咽を漏らす彼の背中をさすり続けた。
「ごめん……ごめん、津島さん、僕、僕は……」
「謝らないで」
 泣きながら謝る京介の声なんて、聞きたくない。だから私は彼の顔を上げて、
口を塞いだ。
 ――自らの唇で。
 吐瀉物の匂いがしたけど、そんなもの気にならなかった。
 軽く触れるだけのキス。自分から愛しい人にした、という意味でなら、生ま
れて初めてのキスだった。

 京介は何が起こったかわからない、というふうに呆然としている。
「謝らなくて、いいよ」
 私はその頭に腕を回して、胸に抱え込んだ。
「でも、僕は……」
「いいの」
 私は彼を抱く腕に力を込めた。私の気持ちは言葉で伝わるようなものじゃな
い、そう思ったから。
 あ、でも一つだけ言っておかなかなくちゃならないことがあった。
「“津島さん”はやめて。私も“有馬君”はやめるから」
 京介は私の腰を痛いくらいに抱きしめて、声を上げて泣き出した。
 私の胸に顔をうずめて泣きじゃくる彼の頭を抱きしめた私は、本当に久しぶ
りに、柔らかく微笑んだ。


 ――沙耶。
 彼女のことをそう呼ぶのは何年ぶりか。
「ご飯、食べれそう?」
「いや、まだちょっと……」
 食事の用意――と言ってもカップ麺だが――をしながら沙耶が尋ねてきた。
 どうして彼女は、僕を気遣ってくれるのだろう。
「そっか……薬とかは?飲んだほうがよくない?」
「いや、大丈夫」
「大丈夫って、あんなに気分悪そうだったのに」
「もう、大分よくなったよ」
 嘘じゃなかった。おそらく僕の症状は精神的なものが原因だ。それなら薬なん
かより、沙耶と話していたほうが余程効果が期待できる。
 沙耶はそれならいいや、と言ってカップ麺をすすり始めた。
 なんだか今の沙耶はここに来る前の、思い悩んでいたときの彼女よりもっと前、
僕の後ろをついて回っていた時の彼女のようだった。
 ごちそうさま、と箸を置く沙耶。
 その声にも、顔にも、苦悩の陰りはない。
「沙耶」
「何?京介」
 自分でも驚くくらい自然にその名を口に出来た。
「こっち来てよ」
「んー?」
 沙耶は鼻先がくっつきそうなくらいに顔を近づけてきた。
「なぁに、京介?」
「ただ呼んだだけ」
「何さ、それ?」
 むくれる沙耶の身体を抱きしめた。その細さに保護欲と、少しの罪悪感が湧
いた。
「ただ、呼びたかっただけ」
 沙耶の心臓の音。体温。僕が欲しかった全てが、ここにある。
「京介」
 僕の名を呼んで、沙耶が目を閉じた。
 今度は、僕のほうから唇を重ねた。
 柔らかい唇を吸った。お互いの唇がお互いの唾液で濡れていく。
 躊躇いがちにうろつく舌を受け入れて、自分の舌を絡めた。
 抱きしめる腕につい力が入って、華奢な体が折れてしまいそうなほど強く抱き
しめた。
「んっ、んんっ」
 じゅるじゅると音を立てて沙耶の舌を吸った。少し仰け反る身体を更に強く抱
きしめる。
「ぷはっ」
 一瞬だけ銀色の糸を引いて、二人の唇が離れた。長い間息が出来なかったせい
で呼吸が乱れる。
 沙耶はぐったりと脱力して僕に身体を預けてくる。僕はその軽い身体を優しく
抱いた。


 呼吸が整ってきた。大丈夫、ここまでで我慢できる。
 沙耶を抱いていられれば満足だ。何故、最初からこうできなかったのか。自分
の愚かしさに腹が立つ。
「京介……」
「何?」
 腕の中の沙耶が甘く囁いた。
「しようよ。セックス」
「え?」
 意外な言葉に思考が停止した。正直な話、その欲求はあるのだが、そうなると
また歯止めが利かなくなりそうで怖かった。
「ね?」
「いや、でも……」
「さっきから、京介の硬いのがお腹に当たってるんだけど」
 悪戯っぽい笑みを浮かべて沙耶は僕のものに触れた。
 恥ずかしながら、さっきの濃厚なキスですっかり充血してしまっていた。
「私、京介に抱かれたいな」
 上を脱ぎながら沙耶は湿った声を出した。
「何で、我慢しなきゃいけないの?」
 僕は次々と服を脱いでいく沙耶を止められなかった。
 何故我慢する?沙耶を傷つけたくないから?
 だったら何も問題ない。彼女が求めているのは、一方的なものではない、本当
の意味でのセックスなのだから。僕は、今の僕なら、ちゃんと沙耶を愛せる。
 生まれたままの姿になった沙耶が僕のシャツに手をかけた。
「京介の好きにしていいよ。私は、全部受け止めるから」
「沙耶、本当にいいのかい?」
 濡れた瞳に喜びの光が灯る。
「うんっ。二人で気持ちよくなろっ」
 沙耶の重い乳房を優しく揉んだ。柔らかい、弾力のあるマシュマロのような感
触が心地いい。
 頂の蕾を摘むと沙耶は身を捩って、甘い吐息を漏らした。
「んっ、ふぅ……」
 可愛らしい色をしたそれを口に含んだ。舌先で転がしたり吸ったりして弄ぶ。
「あぁ、はぁん」
 沙耶の陰部に手を伸ばして、指で割れ目をなぞった。微かな湿り気がある。
 指を中に入れるとちゅっ、と水っぽい音がした。
 濡れてる。沙耶、感じてるんだ。
 嬉しくなって、指を激しく動かした。
「んっ、ん、んんっ、んぁ、あっあっ、だ、ダメ、あぁっ」
 嬌声を上げて激しく身悶える沙耶が可愛くて、ますます動きを早めた。
「ダメェ、ホントにダメッ!」
 沙耶は彼女の中を掻き回す僕の手を掴んで止めた。
「嫌、だった?」
「ううん、そんなことない」
 沙耶は大きくかぶりをふってズボン越しに僕のペニスをさすった。
「指じゃなくて、これでイきたいの」
 思わず吹き出してしまった。真っ赤になって拗ねる沙耶の頭を撫でて、ズボン
をおろした。

「すご、おっきい」
 そそり立った僕のものを見て、目を丸くする沙耶。そういえば、まじまじと見
るのはこれが初めてか。
 沙耶は自ら仰向けになって足を開いた。両手を広げて僕を迎え入れる。
「入れるよ」
「うん、きて、京介」
 僕はニ三度割れ目をなぞらせてペニスを濡らした後、一気に沙耶の奥までを貫
いた。
「あぁぁぁぁっっ!!」
 沙耶は弓なりに背を反らせて、爪先までをぴん、と伸ばした。
 膣肉がきゅうきゅうと痙攣して僕の硬く尖った肉棒を締め付ける。
「あっ、あぁぁ……」
 蕩けた表情で余韻に浸る沙耶の、唇の端から溢れた唾液を拭った。
「イっちゃった……京介に突かれて、イっちゃった……」
「気持ちよかった?」
 沙耶は僕の首に腕を回した。
「すごくいいよ京介。京介も、気持ちよくなって」
 僕は小さく頷いて、抜けるギリギリの所まで腰を引いた。そこからゆっくり、
奥まで挿し入れる。
「あぁ、はぁぁん……」
 沙耶の熱く締まった肉襞が僕のペニス全体に絡み付いて、搾り上げて、揉み下
ろしてくる。
「あぁ、きょうすけぇ……もっと、もっと激しくして、壊れるくらい強くしてぇっ」
 沙耶の可憐な声、細い四肢、清純そうなイメージとは裏腹に、淫靡な言葉を紡ぎ、
貪欲に僕の男を貪ってくる。
 僕は請われるままに腰の動きを早めた。
「あっ!すごい、すごいぃ…」
 湿った声を出す沙耶の揺れる乳房を掴んだ。
「ひゃうぅぅんっ!」
 豊かな胸が僕の手で形を変えられる度に沙耶は身を捩じらせて嬌声を上げる。
「きょう、すけぇぇっ、私もう、おかしく、なっちゃうよぅっ!」
 喉を反らせてぜいぜいと喘ぎながら沙耶は身を震わせる。
「沙耶、僕ももう、イきそうだ」
「きてっ!中に、京介の一杯ちょうだぁい」
 僕は沙耶の綺麗な曲線を描く腰を掴んで彼女の更に深い部分を抉った。
「イクっ!イっちゃう!一緒にきて、一緒にぃぃっ!」
 沙耶が叫んで、身体を痙攣させる。絶頂の締めつけに僕もまた、熱くたぎる精を
彼女の胎内に注ぎ込んだ。
 どく、どくんっ!
「あぁぁ……熱いよぅ」

 京介の、煮えたぎった精液が私の胎内を満たす。
 私はその快感に身を震わせた。
 京介が身を起こして、私からペニスを引き抜くと、二人の体液が混ざり合った不
透明な液体が淫裂から零れ出た。
 なんとなく勿体無い気がしてそれを指ですくって舐めとった。
「汚いよ、沙耶」
「そんなことない、京介のだもん」
 やっぱり、変な味。だけど、嫌じゃない。これを表現できる言葉はない。強いて
言うなら嬉しい味だ。
「ねえ京介、もっとできる?」
「ああ、沙耶さえよければまだ続けられるよ」
 言葉通りに京介のペニスは硬度も大きさも全く衰えていなかった。
 私は胡坐をかいた京介に跨った。
「んっ、あふぅぅ……」
 イったばかりで敏感な私の内側に京介が入ってくる。
 京介の背中に手を回して、快感に脳髄を焼かれながらゆっくり腰を沈ませる。
「はぁ……奥まで来たよ、京介」
 ゆっくり腰を浮かせて、また沈ませる。
 その動きをだんだん早めていく。
「あぁん、すごい!深いぃ」
 私は唇の端から涎を零しながら京介の上で踊り狂った。
「あっ、はぁっ、いい、いいよぉ、きょうすけぇ」
 不意に京介が下から突き上げてきた。
「ひあぁっ!」
 予想外の快感にまた軽くイってしまった。
 京介は私の身体を抱いてリズミカルに腰を突き上げる。
「あっ!ふあっ!くはぁっ!」
 私の痴態はここにきてより一層狂い咲いた。髪を振り乱し、汗と涎と愛液を垂ら
しながら弾み車のように跳ね続ける。
 破滅的な快感に頭の中が真っ白になる。突かれる度、空っぽの頭の中を京介が占
めていく。
 嬌声と、打ちつけた股間の水音の不協和音が私の心を掻き乱す。
「あはっ、じゅぽじゅぽ、いってるよぉっ!」
 私を貫く京介の硬く尖った欲望が、より大きく硬く太くなった。
「沙耶、また……」
「出して京介っ!中に出して、出されながらイくのがいいのぉっ!」
 びゅく、びゅく、びゅく……
「あぁっ!あぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!」
 妊娠するかもしれない、それならそれでいい、と思った。
 京介の愛を、全て受け止めたかった。例え孕んでも、私は京介の子供なら喜んで
生み育てるだろう。
 京介が仰向けに倒れる。
 私はその上に折り重なって、ぐったりと彼に身体を預けた。
「京介、大好きだよ」
 私の頭を優しい両手が抱いた。
 私は京介の胸を枕にして、彼と繋がったまま眠りについた。

 目を覚ましたのは私が先だった。
 最初に安らかな寝息を立てる京介の顔が見えて、とても幸せな朝を迎えられた。
「おはよう、京介」
 頬にキスすると京介は薄く瞼を開いた。
「う、ん……おはよう沙耶」
「シャワー浴びるでしょ?」
 京介は今日も学校だ。少し寂しいけれど、しょうがない。
「うん。汗を流したい」
「じゃあさ、一緒に入ろうよ」
 子供みたいな口調。だけどこれでいいのだ、私は。もう優等生の仮面を被る必
要はないし、無理に気張る必要も無い。
 結構早くに起きたのに、じゃれあうようにシャワーを浴びたせいで、京介が家
を出るのはギリギリの時間になってしまった。
「ほら急いで、京介」
「そんなに急かさないでくれよ」
 まるで新婚みたいだな。なら次は『お出かけのキス』のシーンか。
 自分の想像に喉を鳴らして笑ってしまった。
「どうしたの?」
「なんでもなーい」
「……?変なの」
「うるさい」
 亭主の鼻先を指で弾くと何なんだよ、と言って拗ねてしまった。
「それじゃ、行ってくるよ」
「行ってらっしゃい」
 私は玄関を出て行こうとする京介の袖を掴んだ。そして振り返った彼の顔に手を
添えて、ベタなシナリオに則ることにした。


 ベッドを買い換えよう。あのベッドじゃ二人で寝るにはちょっと狭い。
 それから、カーテンと壁紙を変えてみようか。沙耶は白が好きだったな。
 ああ、そうだ。沙耶に服を買わなくちゃ。沙耶はどんな服が好きなんだろう。僕
のセンスで選んでしまってもいいだろうか。
 ずっとそんなことを考えていたので、その日の学校はとても爽やかな気分で過ご
せた。
 これから僕と沙耶、二人の生活が始まると思うと心が躍った。


 京介が学校に行っている間、私は家事をしてみることにした。
 幸い、そんなに散らかってなかったので掃除は楽なものだった。洗濯も私の服は
ほとんどないし、京介もここ数日はほぼ制服しか着ていなかったので苦戦しそうで
はない。
 洗剤って、どのくらい入れればいいんだろう?まあ洗えればなんでもいいか。
 次は料理。我ながら主婦の鑑だ。
 いや、そういう表現を使うのはやめよう。普通なら、とかもナシだ。
 私はもう二度と、世間の物差しで測られたくはない。私の価値は、京介が決めれ
ばいい。
 冷蔵庫の中を見るとそれなりに材料が揃っていた。料理なんか出来ないくせに。
 京介は体調を崩していたから、胃に優しいものがいいかな。うどんがいいかもし
れないな。サラダもつけようか。
 私も、そう料理の経験があるわけじゃない。
 そんなわけで、完成した料理はそう美味しいものじゃないけれど、食べられない
ほどひどくはなかった。
 京介、喜んでくれるだろうか。きっと京介のことだから、多少不味くても美味し
いって言って食べるだろう。
 時計を見ると、もうそろそろ帰って来る時間だった。これをテーブルに並べてい
る内に帰って来るだろう。
 私は少しの不安と、たくさんの期待を胸に食器を並べ始めた。そういえばこの家
には食器が少し少ない。今度買ってきてもらおう。これからは二人で暮らすのだか
ら。
 予想通り、玄関を開ける音がした。京介が部屋に来るまでの数秒間が待ちきれな
くて、私は小走りで玄関にむかった。
 私を見て微笑んだ京介は、真っ直ぐに私を見て言った。
「ただいま、沙耶」
 自分の帰って来る場所はここだ、私が待ってるこの場所だと。
 多分、ううん、きっと、幸せっていうのはこういうことをいうんだろう。
「おかえり、京介」