僕は逃げていた。怖くて怖くて、懸命に走っていた。
 でも、決して逃げられないんだってなんとなくわかってた。
 周りのものすべてが怖かった。
 草も木も虫も動物も、人も地面も星も月も太陽もとても、脆くて壊れやすいものだって知ってしまったから。
 だからすべてが怖かった。
 そんな時、僕は彼女に出会った。
 彼女が大丈夫だよって言って僕の手を握ってくれた。
 その暖かさは今でも決して薄れることなく残ってる。

「ご主人?大丈夫ですか?」
 目を開けると、可愛らしい顔立ちの女の子が見えた。心配そうに僕の顔を見ている。
「うん、大丈夫だよ」
 僕はそんなに大丈夫じゃなさそうなのだろうか?まあ、今更あの頃の夢を見るくらいだから大丈夫ではないか。
「そうですか、ならいいんですが・・・もうご飯できてますから急いでくださいね」
 そう言って彼女は黒髪のショートカットをなびかせながら部屋から出て行く。彼女を拾ってから一年半か、今じゃすっかり保護者だ。本来なら僕が親代わりなのだが、我ながら情けない。

「ご主人、何かあったんですか?」
 朝食の席でもそんなことを聞かれた。やっぱり僕は相当沈んだ顔をしているらしい。
「ん、ちょっと昔の夢を見てね」
「昔、ですか?」
 彼女、真央という名前は僕が付けた、は本来耳があるべき場所の上にある猫耳をぴこぴこと動かしながら聞いてくる。
 彼女は猫の妖怪(正式な種類は忘れた)なのでそれがあること自体はおかしくないのだが、隠せるのに隠さないところはおかしいと思う。彼女曰く、こっちのが楽らしいが耳と尻尾以外は人間というのがどうも不自然な感じがするのだ。まあもういい加減慣れたけど。
「うん、真央に会う前っていうよりはずっと前の夢。わかりやすくいうと、僕がまだ『呪いの児』だったとき」
「はあ、あんなにうなされるほど酷かったんですか?」
「いや、周りはそんなあからさまな迫害はしなかったけどね、関わりたくなかったんだろ、僕が怖かったのはみんな壊れてしまうんじゃないかってことだったな」
 言いながら僕は自分の左手を見る。意味不明な記号がびっしりと書かれたフィンガーレスグローブをはめた手は見た目には普通の手と何ら変わらない、その危険性を押し隠すように。
「実は、私も今朝は昔の夢を見たんですよ」
「へえ、そうなの?」
「ええ、楽しい夢ではなかったのが残念でしたけどね」
 彼女の口調は明るいが、その目は悲しそうだった。
「朝から湿っぽい話して悪いね、ごちそうさま、行ってくるよ」
 僕は学生鞄を手にとって玄関へ向かった。
 真央の元気な声を聞きながら靴を履いていると、いつもより少し広く見える土間が寂しかった。


「よう、死にそうな顔だな北見」
 クラスメイトの鈴原良平君18歳にまで言われるあたりよほど重症らしい。
「そう見えるなら労ってくれよ」
「おお?天下の北見清孝ともあろうお方がずいぶん弱気だな」
 良平はそこで言葉を区切ると、トーンを落として
「姐さんのことか?」
 直球勝負に出やがった。
「まあな、今日で四日だから心配にもなるさ」
 僕も直球で返すことにした。それにしても、アネサンはよせっていってるのに。
「なるほどね、でもまあ姐さんがお前連れて行かなかったんだからそうやばい仕事じゃないんだろ」
「よくわかるな、そんなこと」
「姐さんはその辺の判断はできるしお前のこと信頼しきってるからな、やばいと思ったらお前連れてくさ。心配しすぎだ」
 確かに四日くらい会えないだけであんな夢見るほど精神が不安定になるのは心配性か。
「ん、そうだな」
 帰ってこないわけじゃないんだから、気長に待てばいいよな。

 気長に、と思った矢先に彼女は帰ってきた。というより僕が学校から帰るとすでに家にいた。
「ようおかえり、それとただいま、清孝」
 その人は居間で横になっていた。まるで四日ぶりということを意識していないように。いや事実意識していないのだろう。
 数年間一緒にいても、彼女のこういうところにはいつも驚いてしまう。
「どうした?まるで白痴だぞ」
 切れ長の目は訝しげに細められているが、それでもその顔は客観的に見ても整っていると思う。いつもはひっつめている髪を下ろしているのが浅葱色の着物と不気味なほど合っているせいで、完成された人形を見ているような気分だった。
 彼女は立ち上がり歩いてきて僕の前に立った。女性にしては背が高いので目線は僕と変わらない。彼女は右手を上げると、
いきなり僕の横っ面を引っ叩いた。
「いっっっ!な?」
 あまりのことに僕が狼狽していると彼女は僕を睨んで
「私がただいまと言ってるんだ、何か言うことがあるだろう?」
 低い声でそんなことを言ってきた。姐さんの呼び名がよく似合うよ、全く。
「おかえり、泪(るい)さん」
 自分でも驚く程優しい声が出た。泪さんはそれを聞くと、とても綺麗な笑顔になってその顔を僕の顔に近づけて
「んっ・・・」
 優しく、でも熱いキスをした。ぼくはその柔らかい唇を味わいながら無駄な肉の無い、それでいて柔らかい体を抱きしめた。
「んむっふぅ・・・はぁふっ」
 いつしかそれは甘いキスからお互いを貪るだけのものになっていた。
「ぷはっ」
 長い間息ができなかったせいで呼吸を乱している泪さんがいつもより三割り増しで色っぽく見えた。
「ふふっ若いな」
 多分泪さんは彼女のお腹に当たっている物体のことを言っているのだろう。こう密着していると彼女の豊かな乳房が僕の胸に当たって、しかもあんなキスをした後ということもあって僕のモノはもうすっかり戦闘体勢だった。
 いっそこのまま押し倒してしまおうかと思ったけど彼女の言葉でそれは抑えられた。
「それは夜までとっておいてくれ。腹が空いていてね、久々にキミや真央と食事できるものだから、正直夕飯が楽しみなんだ」
 確かに仕事を終えた直後の泪さんは凄いからな、僕も栄養をつけとこう。
「に、しても」
「ん?」
「いきなりビンタはないですよ、結構マジだったでしょ?」
「ああ、すまない。手加減したんだがな、私が本気だったらキミがたってられるはず無いだろう?」
 こんな人が保護者かと思うと僕の人生は波乱に満ち溢れているものだと実感させられる。


 夕食は当然賑やかなものになった。ほとんど喋っているのは泪さんで僕と真央はもっぱら聞き役に回っているが。
「いや、余計なやつが来たもんで無駄に疲れたよ」
「新米さんでもいらしたんですか?」
「いや天原の若造はいたがさすがに天原だな、大したものだった。問題はうちの時期頭首だ、何故あいつを呼んだんだか」
「若造って、泪様も人のこと言えないじゃないですか。まだ22でしょ?」
 天原というのは闇払いの家系のことで、碇、架神、天原、九浄の四家は四大退魔と呼ばれる名家だ。
 ちなみにうちとは九浄の家のことで、泪さんはそこの前頭首の姪の娘らしい。そんなわけで彼女の仕事とは化物退治だ。僕もたまに手伝うが、中々危険なこともある。特に僕は左手以外は普通の人間なので死に掛けることもあったりする。正直しんどい。
 まあ、その仕事が無ければ泪さんが僕を引き取ることは無かっただろうことを考えればそう恨んじゃいないが。 
「いや、かなりストレスが溜まっていたんだろうな、おかげでせっかくの昼寝だというのに妙な夢を見た」
 仕事自体は楽なものだったらしいが、泪さんは九浄の次期頭首という人が余程嫌いなのだろう。仕事そのものより人間関係のほうが疲れるものなのか、と僕は一つ学んだ。

「ふうっ、やはり我が家はいいものだな」
 泪さんは自室の布団に倒れこんで幸せそうに呟いた。この家は純和風の造りなのでベッドはない、皆布団で寝てる。
 風呂上りに着物なんて、暑くないのだろうか。僕としては色っぽいので大歓迎だが。
「畳の上じゃ足が痛いだろう、はやくこっちに来たらどうだ?」
 彼女が自分の布団に寝ころがっているのを見ているわけだから、当然僕も彼女の部屋にいる。今更照れるような仲ではないのだが、なんとなく畳の上に座っていたが、そう言うのなら据え膳なんちゃらというやつだ。遠慮なく。
「わっちょ・・・っと待てって」
 僕がいきなり抱きついて押し倒したものだから慌ててる。これは儲けものだ。こんな泪さんは滅多に見れない。
「やれやれ、しょうがないな。少し落ち着いてくれ」
 もう持ち直したか、残念。
「いい匂いがするね」
「風呂上りだからな」
「そういう意味じゃないって」
 会話はもう十分だ。僕は泪さんの首筋に舌を這わせた。
「んっ・・・んん」
 久しぶりだからか、元から感じやすい泪さんはそれだけで声を上げていた。僕は彼女の着物前を開いて首筋に這わせていた舌を露になった豊かな胸に移動させていった。
「あぁっ!」
 乳首を舐めてあげると泪さんは声を上げて体を震わせた。そのまま丹念に乳首の愛撫を続けた。
「ふうっふぅぅ、ゃっあぁん」
 乗ってきた所で乳首を甘噛みすると泪さんの体が跳ねた。
「くふぅうぅぅっ!!」

「もうイっちゃったんだ、最短記録じゃない?」
「ばっ!馬鹿!何を言ってるんだ」
 顔を真っ赤にして起こる泪さんが可愛くてしょうがない。
 彼女ははだけた着物を完全に脱ぎ去るとショーツだけになった。
「さて、次は私の番だな」
 小悪魔的な笑みを浮かべて僕のズボンに手をかけると、チャックを下ろして夕方のキスの時より怒張したペニスを引き出して口に含んだ。
「うっ・・・」
 この快感には何度やっても慣れることが無い。泪さんはそれを口に含んだまま殺人的な胸で挟み込んだ。俗に言うパイズリというやつか。
 先端を舐めながら棒を胸でしごき上げる快感に僕はもう達してしまいそうだった。
「るっ、泪さん、もう、いっ」
「もうイっちゃうのか?」
 さっきの仕返しか、大人気ない。
「うん、もう・・・やばい」
「ん、しょうがないな。中で出す分は残しておけよ」
「え?なか?」
 その先を考える意志は快感に流されてしまった。
「うぅっ!」
 あっけなく僕は彼女の口の中で達してしまった。
「んぐっ・・・ぇっ」
 予想以上の勢いだったのか、泪さんはケホケホと咳き込んでしまった。
「ごめんっ、大丈夫?」
「キミも、ご無沙汰だったのか・・・」
「は?」
「いや、てっきり真央を美味しく頂いてるものかと」
 この人は僕をどんな目で見てるんだ。しかし反論しようとした口は泪さんの唇に塞がれてしまった。
 泪さんはそのまま僕を押し倒して馬乗りになってきた。唇を離して下着を取り去るとすでに濡れて光った陰部が見えた。
「ふふふ、本番開始だ」
 そう呟いたとき彼女が天使か女神か、まあとにかく神々しさを纏ったものに見えた。
 でも、彼女が腰を下ろして僕と繋がったときには彼女はそんな遠い存在じゃなくて、今確かにここにいる僕の大好きな泪さんだって思い直した。
「くふぅっ・・・凄いな、一度出した後とは思えん」
「若いですから」
 多分若さうんぬんより目の前の女性が硬くなってる原因なんだが、そんなことは教えてあげない。
「う、動くよ。清孝」
 そう言って泪さんはゆっくりと腰を上下に動かし始めた。
 鍛えているせいか、あいかわらずきつくて熱い。だんだんと加速していく彼女に併せて僕も腰を突き上げる。
「ぅあぁっ!あぅっあうぅ!」
 きゅうきゅうと締め上げてくる快感に耐え切れずにまたイってしまいそうになった。
「るイさ、んっ・・・もう」
 僕がそのことを告げると、彼女は動きを止めて僕の耳元で囁いた。
「いいよ、中で出して」
「えっ?中って?」
 そういえばさっきもそんなことを言ってたような。でも中ってことはつまり・・・

「私は、清孝の児を産みたい」
「そんな、いきなり・・・」
「いきなりじゃないさ、私はずっとそう思っていた。キミが私を愛していると言ってくれたときから、ずっとだ。」
「泪さん・・・」
「それに今なら、妊娠、卒業、結婚、出産と順序がいいぞ」
 最後のは照れ隠しだろう。でも、そういうことなら僕だって・・・
「そう、だね。どうせ一生一緒にいるんだ。少しくらい早く子供ができたって大した問題じゃない」
 そう言って僕はぴったり重なった泪さんの体抱きしめた。
「ありがとう、清孝」
 彼女の目から零れた涙がどんな感情からきたものかなんて聞くまでも無かった。だって、きっと僕と同じ気持ちだろうから。
 それからの僕らの行為はセックスというよりはもっと純粋な生殖だった。
「んぁっあぁっふっふぁ」
 泪さんは僕の上で懸命に腰を振っている。僕もその動くにあわせて腰を突き上げる。
「イ、イクよ!泪さん!」
「き・・・てぇっきょぅた、かぁっ」
 その言葉が引き金だった。僕は彼女の一番奥に熱い精を放った。
「あぅううぅううぅぅぅぅうぅぅぅっっっっ!!!」
 悲鳴に近い声を上げて泪さんは僕に倒れこんできた。僕のペニスはきゅうきゅうと締めてくる彼女の膣の動きに併せてまだどくどくと彼女の中に精液を出し続けている。
「凄いよ、清孝」
 荒い息遣いで彼女は満足そうにそう言った。だけど、まだまだ終わりじゃない。僕はくるりと体を回して彼女を下にした。
 予想していたのか、泪さんは驚くこともなく微笑んでいた。僕はその笑顔に吸い込まれるように顔を近づけて、今までで一番優しいキスをした。



 世界の理から外れたものがいる。
 世界と繋がり、奇跡を起こす『術』とはまた違う概念の能力を持つもの。
 彼らは『超越者』と、そう呼ばれた。
 古来より彼らは特別視され、中には神や悪魔として崇められた者さえいる。
 だが、結局人々彼らに抱く感情は恐怖なのだ。崇拝などというのは恐怖の裏返しに過ぎない。
 明らかに自らより強く、自らと違うものを恐れるのは全生物共通のことだ。
 だから、彼が恐れられたのも決して周りの人間が悪かったわけではない。むしろ彼をくびり殺なかっただけまだ人道的だったのかもしれない。ただ、運が悪かっただけなのだ。
 もし彼らにもう少し超常現象に対する経験があったなら、もし彼の能力がもう少し直接的な脅威でなかったなら彼が『呪いの児』と呼ばれ、畏怖され、忌み嫌われることはなかったかもしれない。
 しかし彼の幼少期は最悪ではなかった。両親は彼を愛していたし、彼は早くから感情を抑える術を身に付けていたため特に問題を起こすことも無く、村民とも折り合いを付けて過ごせていた。
 あくまで、客観的に見れば。
 
 愛があれば他には何も要らないという者がいる。
 愛があれば年齢も性別も国境も、種族の差さえ障害にはならないというもの。
 彼ら自身にとってみればそんものは何の障害にもならない。
 事実彼女は彼のことを愛していたし、彼もまた彼女のことを愛していた。
 しかし、周りから見ればそれは異常なことだった。自分らに仇なすものを愛するなど彼らには許せなかった。彼らにとってみればそれは虎と獅子が愛し合っているようなものだった。
 もとから争いあうもの同士だ、それをきっかけ にして彼が殺されてしまったのも致し方ないことなのかもしれない。
 彼と彼女の子が生かされたのは、偏に彼女の地位の恩恵だろう。ただ、運がよかっただけなのだ。
 彼女はそれきり塞ぎこみ、日に日にやつれていったが、それでもその子がなんとか一人でも生きていけるようになるまではこの世に踏みとどまっていた。
 彼女が彼の許へ逝ってしまっても、その子の幼少期は最低ではなかった。彼女の地位のせいもあって、その子の生活は不自由なかったし、その子は早熟で、自分を殺すことを人より3年は早く学んでいたため揉め事を起こすこともなく、平穏に暮らしていた。
 それも、客観的に見ればだが。

 目を覚ました時はもう日が高く昇っていた。やはり昨夜は張り切りすぎたようだ、学校は、まあ今日はいいや。それにしても昨日ならともかく、今日まで昔の夢を見るとは何事か。
―――私を愛しているといってくれたときから、ずっとだ―――
 あの台詞のせいということにしよう。彼女と一緒に寝たのだから美しい思い出の夢を見たということにしよう。ただ、そこまでのプロセスが長すぎて肝心なところにいく前に目が覚めてしまったのだ。
 しかし、そんな楽観的な考えは泪さんの声であっけなく打ち砕かれた。
 僕の隣で眠る彼女の声は微笑ましい寝言などではない、苦痛にくぐもった呻き声だ。
「泪さん!?」
 冷静に考えれば慌てるほどのことではないのだろうが、泪さんが苦しんでいる時に発揮されるような冷静さは僕は持ち合わせちゃいない。少々強引に彼女の体を揺すると泪さんは目を覚ました。
「ぁ、清・・・孝?」
「はい、僕ですよ」
 まだぼう、としている彼女の質問に律儀に答える。
「ん、すまない。少し夢見が悪くてね」
 完全に目覚めた顔が沈んで見えるのは気のせいじゃないだろう。
「もう十時過ぎか、真央はどうしたんだ?」
 彼女があくまでいつも通りに振舞うので、僕もそれにあわせる。
「起こしにはきませんでしたけど、僕らの飯は作ってくれてると思いますよ。あいつ勘がいいから。昨晩も散歩に行ってたみたいだし」
 まあ真央が夜中に散歩に出るのは珍しいことじゃないが。その時は完全に猫の姿なのでお巡りさんやチンピラを気にせずに散歩できるらしい。
「そうか、じゃあシャワー浴びて食事にしようか。一緒に入るか?」
 僕の学校についてはスルーらしい。どうでもいいが。
「遠慮しときます。そんなことしたら体に無理させすぎることになりそうなんで」
「なるほど、そういう趣味もあったわけだ。それなら先に行ってくれ。まだ目が覚めていないんでな」
 そういう趣味『も』、って人を変態みたいに言わないでほしい。というか風呂で・・・なんてのは普通の範囲内だと思うんだが。後でじっくり話し合おう。

 風呂から上がってパンツを履いて手袋を手に取る。僕がこの手袋を外すのは風呂に入るときと手を洗うときだけだ。昨日のHのときでさえはめていたくらいだから、寝る時も外さない。昔の夢を見たせいか、しばらく手袋を見つめてしまった。
「何してんだ、僕は?」
 独り言を言って手袋をはめた。どんな素材を使ってるのか、子供の頃からフィット感がかわることはない。
 ダイニングに行くと、予想通り食事が用意されていた。用意されていたのはいいが、何故に赤飯なのだろう。まあとにかくこれと台所の味噌汁を暖めれば食事の用意は完了だ。普段料理をしないだけに電子レンジの有難みがわかる。感謝の方向が少し違う気がするがどうでもいいだろう。感謝されるべき本人もでかけていることだし。
 食事の準備をしていると泪さんが風呂から上がってきた。今はいつもどおり色の薄い髪をひっつめに結んでいる。テーブルの上の赤飯を見ると眉間に皺を寄せていたが、苦手なのだろうか。


 食事の後片付けをしていると買い物袋を両手にぶら下げた真央が帰ってきた。さすがに外に出る時は猫耳は隠している。
「あ、おはようございます!ご主人」
「おかえり。すごい買い物だね、どうしたの?」
 買い物袋を半分持ちながら聞く。二人でも大変だが、泪さんは奥で電話をかけている。昨日までの仕事の後始末らしい。
「いえいえ、つい機嫌がよくて買いすぎてしまったんですよ。いや〜大変でした」
 機嫌がいいと買いすぎるのか、これからは買い物に出る前は機嫌を損ねてもらおう。
 彼女の持つ買い物袋を見るとスーパーの物だけではなく本屋のものもあった。真央って本読むんだったか。不思議に思ってよく見ると『ぴよぴよ倶楽部』という文字が見えた気がした。疲れてるな、いかんいかん。
「よくこんな重いの持ってこれたな、真央って意外と力持ち?」
「ああ、実はですね。門のところまで良平さんに手伝ってもらったんですよ。本屋さんでお会いしたのでその後の買い物も手伝ってもらいました」
 なるほど、便利なやつだ。何故学校があるのに奴が本屋なぞにいるのかは僕をみればわかるだろう。

 遅めの昼食を終えた夕方、僕は庭で修行をしていた。街に出かけないところが良平との差だ。
 精神を集中させて、世界と繋がる。自分と周りの空間が溶け合うイメージ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 集中集中。溶け合うイメージを大切に。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・?」
 何故か今日はいつもと違う感じがする。なんというか、世界が乱れているような感覚。
「疲れてるのかな?」
 今日は日が悪いようだ。家の中でのんびりすることにしよう。

「ゥ・・・ぅう」
 玄関の戸をくぐると何か呻き声のようなものが聞こえた。何かいやな予感がして急いで廊下を駆け抜ける。声は居間のほうから聞こえる。しかし部屋を見渡しても人影は見えない。その時また声が聞こえた。
「ぅくぅ・・・ぅぐっ」
 声のしたほうを見るとこたつがあった。真央が寒がりなためまだ十月だというのに出したものだった。
 コタツ布団をめくると、一匹の黒猫が呻いていた。
「真央っ!」
 僕はその猫を抱き上げた。とても苦しそうに喘いでいる。こんな時に限って泪さんは出かけている。
「くそっ!真央!真央」
 僕にはただ彼女の名前を叫ぶことしかできない。僕が泣きそうなっていると突然に
「あれ?ご主人?」
 腕の中の猫が寝ぼけた声を出した。
「真央!?大丈夫なのか?」
 真央は状況が掴めていないのかぽかんとしていたがやがて体をくねくねと動かして言った。
「あぅぅ、昼寝してたらうなされちゃったみたいです。申し訳ありません、みっともないとこ見せちゃって」
「ほんとに、平気?」
「ええ、ご心配おかけしました。あっともうこんな時間ですねえ、夕食の準備しなくっちゃ」
 そう言うと猫は僕の腕から飛び降りて人の姿に変わり始めた。もちろん猫は裸なので人の姿になっても裸だ。
「ちょっ!真央、服、服!」
「な〜に言ってるんですか、私の裸なんて見飽きてるじゃないですか」
 そういう問題じゃないと思う。真央の体は泪さんにくらべれば未発達もいいとこだが、それはそれでグッとくるものがある。
「落ち着いてくださいよ、ご主人。それとも今夜は食事じゃなくて私を召し上がります?」
「ナッナに、ににをいっとらんだおまへわっ!!」
 これ以上は理性の限界なので腹の底から叫ぶと真央も引き下がった。
「あはは、怒らせちゃいましたか。それでは、着替えてお食事の用意をさせて頂きますね」
 部屋を出て行く真央の尻尾の揺れるおしりに目が行ってしまうのは男の哀しい性だ。
 と、ここからは冷静にならんと。今日うなされていた泪さんと真央そして僕。そういえば昨日も同じ夢を見たし真央も悪い夢を見たと言っていた。これを偶然で片付ける気は無い。

「それで、俺に調査しろと?」
 その夜泪さんが連れてきた男の人はあきらかに不機嫌そうだった。僕はあの後泪さんに連絡して―――泪さんの携帯は先日壊れたのでわざわざ九浄本家に取り次いでもらった。あそこの家、電話越しでも威圧感あるから嫌なんだよなあ。―――夢のことを相談した。
 僕が事情を説明すると、今日そこで開かれた会議に出席していた中で感知能力に長けた人を連れて来てくれたのだが、それがよりにもよって架神家の次期頭首候補最右翼の架神健一さんだったのだ。
 僕としては顔見知りでよかったのだが、むこうにしてみれば実にふざけた話だろう。
「そういうことならかまわんが、お前ら一体何をした?」
 だから二つ返事で了承してくれたのも意外なら、質問の内容も意外だった。
「ええと、ですから皆ゆめでうなされ「そんなことを聞いてるんじゃない」
 言いたいことがわからず困惑していると架神さんは溜息をついて説明してくれた。
「いいかい?清孝君と真央君ならとにかく泪に気づかれないように術を施せるような妖魔はそうそういない
んだ。そんな妖魔に狙われるくらいだから、どんな大それたことをしたんだって聞いてるんだ」
 もしかして不機嫌なのは僕らが何かしたと思っているからなのだろうか。
「それなら簡単。私がこの前の鬼退治に関わったからでしょう」
「先日の?何かあったのか?」
「仕事自体には何も無かったけど、鬼ってのは噂好きだから。同属を倒した奴に興味が沸いたんでしょう」
「なるほどな、そいつは災難なことだ」
 なんかものすごく大変なことになっている気がする。

「やれやれ、こいつは想像以上だ」
 一通り屋敷の中を歩き回ると架神さんは重苦しく呟いた。
「そんなに?」
「ああ、術自体は記憶を引き出すだけの簡単なものだ、お前らの夢はその影響だろう。しかし隠匿技術が半端じゃない。しかも術の痕跡を見るに単純な霊力も馬鹿げてる。おそらく三位から二位、最低でも四位の妖魔だ」
「少々きついかな。そいつとコンタクトとれるか?」
「術の痕跡を見つけたから可能だが、いいのか?」
「どうせ屋敷の場所はばれてるんだから。かまわないさ」
 またも会話に取り残されている僕と真央にもかなり洒落にならない状況なのは伝わった。妖魔の階位は十段階で真央は一番下の第十位にあたる。六位で知性を持った大型猛獣並だというのだから最低四位なんて化物の力は僕には想像もできない。二位や一位というともはや神話の世界の生き物だと聞いたことはあるが。


 僕らは架神さんに促されて庭に出た。そういえばここで夕方に違和感を感じたのを思い出した。
 架神さんは庭の松の木に手をつくと何やらよくわからない呪文を唱え始めた。
「相変わらず、すごいですね。架神さん」
 なんとなくいたたまれないので隣の泪さんに話しかけた。
「うん、さすが『心眼』の架神ってとこだね。感知能力は私らとは比べ物にならないね」
 僕が神経を集中して違和感を感じる程度だった術の痕跡を架神さんは人目見ただけで見つけている。
 架神家の眼は特別製とはいえ、たしかに比べるのもおこがましい。
「準備できたぞ」
 架神さんにいわれて泪さんは松の木に向かって、いや松の木の向こうにいる誰かに向かって話し始めた。
「聞こえてる?聞こえてたら名前聞かせてもらえる?」
「・・・誰だ、貴様は」
 返ってきたのは地鳴りのような声だった。
「私はあんたがねらってる闇払い。あんたの名前は?」
「ほう・・・まさかそっちから繋げてくるとはな。我が名は天破、純血種の鬼神よ」
「テンハ?天破ねえ、偉そうな名前。さて、ここからが本題。いいかい?よく聞きな」
「・・・言ってみろ」
「私と戦いたいってんなら今夜の零時に屋敷から一番近い学校で待ってな。受けて立つよ」
「よかろう。クク、豪爽な女よ」
 泪さんはそこで繋がっていた回線(?)を切るとこっちに振り返って、まるで大掃除でも始めるかのような口調で言った。
「と、いうわけでちょいとしんどいことになるよ」

 午後十一時、あと一時間で決戦か。僕らが居間で何をするでもなく座っていると、突然架神さんが立ち上がって叫んだ。
「使い魔三匹、庭だ!」
 驚いて庭のほうを見ると三匹の怪物が地面から生えるようにして現れていた。
 急いで真央を屋敷に残して庭に飛び出す。狼の頭をした熊のような怪物はちょうど地面から離れたところだった。
「余分なものがいるようなのでな、選別のために使い魔を送らせてもらった。我が興味を持っているのはそこの女だけなのでな」
 怪物の一匹があの声で言った。その声で架神さんと泪さんは戦闘体勢に入った。
「俺にまで興味が無いとはな、心外だよ」
 僕も左手の手袋を外した。冷や汗が出る。猛獣の檻の鍵を開けてしまったような気分だ。
 三匹の怪物が僕らに飛び掛ってきた。どうやら一対一を三局やろうというつもりらしい。
 泪さんは自分の三倍はありそうな巨躯の怪物に対し真っ向から立ち向かって両手の爪で頑丈そうな皮膚を引き裂いている。
 一方架神さんは怪物の爪を危なげなくかわしている。が、攻撃性の高い魔具を持っていないため攻めあぐねているようだ。
 ついでに言うと、僕の戦いはもう終わっていた。突き出した怪物の爪を左手で受け止めた。いや、左手で触れた。それで、終わり。怪物の体は音も無く塵のようになって崩壊していく。
「フハハハハ、まさか本当に超越者であったか小僧!」
 どこからかあの地鳴りのような声が響いた。
「貴様の記憶を覗かせてもらったが、この眼で見るまでは信じられんかったぞ!まこと愉快だ!」
 何が、愉快なもんか。こんな力、不愉快極まりない。
「ククク、ただ触れるだけであらゆるものを破壊しようとはな、人間が恐れるわけだ、生物が持っていい力の限界を遥かに超えている!」
 うるさい、黙れよ。お前は知らないんだ、この手が、この力がどんなものかなんて。
「ひきゃぁああああああああっっっ!」
 僕の怒りはその声で一気に氷点下まで冷えた。振り返ると、屋敷の中であの怪物が生えてきていた。

 冗談じゃない。怪物は今まさに振り上げた腕を真央に向かって叩き付けようとしている所だった。
「やめろぉぉぉっっ!」
 走りながら叫ぶが、到底間に合わない。怪物に引き裂かれた体から鮮血が噴き出す。
「ぐあっ!」
 真央を突き飛ばした架神さんの脇腹は無残に抉り取られていた。感知能力に長けた架神さんの反応は僕よりずっと早かった。
「このぉっ!」
 僕はそいつの背中に左手を押し付けて力を解放した。巨大な怪物の体が一瞬で消滅する。
 さらに体ごと回転して襲い掛かってきた奴の胸に手をついた。そいつも前の二匹と同じ末路を辿った。
「泪さんっっ!」
 怪物を仕留めたからといって呆けている場合じゃない、架神さんの傷はすぐにも治療しなきゃ危険だ。
 僕が叫ぶのと、怪物の肩の飛び乗った彼女がその首を引き千切ったのはほぼ同時だった。怪物は血を流すことも無く塵になっていった。泪さんはその死骸には目もくれず、架神さんのもとへ走りよった。
「どじったな、架神」
「いいから早く治せよ、意識が朦朧としてきた」
 泪さんは手首を自分のかぎ爪で切り裂くと流れる鮮血を架神さんの傷口にかけた。
 彼女の血はすぐに赤いぶよぶよした物体になって傷口を埋めた。それと同時に彼女自身の傷口も同じようなぶよぶよで埋まった。
「気持ち悪いな、これ」
「しょうがないだろう、私の力じゃすぐには馴染まないんだ。三日も立てば馴染むから大人しくしてろ」
 他人の体を自分の血で補える。これが泪さんの『癒水』の九浄としての力だった。しかし彼女がしたのは傷口を塞いだだけだ。血が体に馴染んで完全に同化するまでは安静にしていなければならない。
 何はともあれ、これで架神さんは心配ない。
 僕は部屋の隅で倒れている真央の所へ行って、震えている体を抱き上げた。
「大丈夫?」
「はい大丈夫です。でも架神様が・・・」
 大丈夫、と言っているけど彼女はまだ震えていた。無理もない。いくら妖魔とはいえ、真央には何の戦闘力もない。あんな怪物に襲われて平気でいられるほうがどうかしてる。
「架神さんなら大丈夫だよ。泪さんの力はしってる・・・だっ」
 話している途中で突然目の前が真っ暗になった。足に力が入らなくて、床に膝をついてしまった。
 真央が何か言ってるのが聞こえたけど、何を言ってるかまではわからない。僕はポケットに突っ込んでいた手袋を取り出して左手にはめた。眩暈は治まったけど、頭痛がひどいし左手の感覚がほとんど無かった。
 力の使いすぎだ。一匹目はとにかく後の二匹は怒りに任せて力を解放したせいでもう限界ぎりぎりだ。
 本番はこれからだってのにリハーサルで燃え尽きるなよ、北見清孝・・・


 結局、学校に向かうのは僕と泪さんだけになった。
 いつもの通学路がひどく不気味に見えるのは体調の悪さのせいではないだろう。
「あいつのおかげで、昔のことを思い出したよ。」
 突然に泪がそんなことを言った。僕も夢のせいで思い出したくも無いことを思い出してしまった。
 子供の頃の恐怖、両親のこと、それから・・・
「子供の頃の私はな、ずっと独りだった」
 いつもと変わらない口調。だけど、前を歩くその背中が、ないているように見えた。
「皆、あえて混ざり物などと関わりたくなかったんだろう。母親が死んだ時には、これからの自分は一生孤独に生きていくものだと思ったよ」
 混ざり物というのは人でないものの血が流れている人のことだ。泪さんは父親が妖魔だったらしくその血が色濃く表れている。妖魔相手に素手で立ち向かえるのはその血のせいだ。
 それにしても泪さんの子供の頃の話なんてはじめて聞く。その話は、なんとなく僕と似てると思った。
「それが間違いだと気付いたのはキミと初めて会ったときだ。覚えてるか?」
 もちろん覚えてる。忘れるはずがない。
「私が仕事で、未熟だったんだろうな、ミスを犯して呪いをかけられて死にかけていたとき、キミが現れた」
 あの時は驚いた。その頃の僕は人気のない山のふもとの草原に行くのが日課だった。周りに人がいないほうが安心できたのだ。その日もいつものようにそこで寝転んでいると山から金色の狐が下りてきた。近寄ってみると、ただの狐ではなく、着物を着た人間のような狐だった。村の噂で山に妖魔が出ると聞いていたので、それがそういうものだとはわかったが、不思議と怖くなかった。
「キミは不思議な子供だった。年は、ええと十歳くらいだったか。そのくせ私を見てもどの大人よりも落ち着いていた。あの時は驚いたよ、自分にかけられたとはいえ私でも解けない呪いをいとも簡単に消してしまうんだからな」
 死にそうな顔だったので(まあ事実死に掛けていたのだが)事情を聞くと呪いをかけられた、ということだったので僕は自分の左手ならなんとかなるかもしれないな、と思ったんだった。その次の日に彼女はお礼だと言ってこの魔封じの手袋をくれた。
「覚えてる?次の日に手袋を渡してキミの手を握った時にキミは、『ありがとう、お姉ちゃんの手、あったかいね』って言ったんだぞ。その時に私は自分も決して孤独じゃないことに気付かされた」
 ぼくとしては素直な感想を言っただけなのだが。
「うん、その言葉があったから今の私があるんだ。清孝には本当に感謝してる」
 それを言ったら僕だって、そのときに泪さんが『君の力は呪われたものかもしれない、とても危険で怖いものかも知れない。だけど、キミはこんなに優しいじゃないか。だから大丈夫、キミは大丈夫だよ』そう言ってくれたから、今の僕があるんだ。僕だってたくさん、たくさん感謝してる。
 それまでずっと前を向いて話していた泪さんがこっちに振り向いた。月の光を浴びる桜色の着物と寂しげな顔がとても幻想的で、絵画か何かを見ているようだった。彼女はその姿に見とれて動けないでいる僕の顔に手を添えて、寂しげな顔のまま唇を重ねてきた。
「ありがとう、清孝。私は、きっと負けないから」
 離れ際のその言葉を聞いた途端、頭を揺さぶられたような感覚がして強烈な眠気に襲われた。
「る、さ・・・な」
 声を出そうとしてもうまくいかない。さっきからずっと僕だけ無言だったことに今更気付く僕はなんて間抜けなんだろう。
 なんて、ふざけたことを。
 そのまま、振り返りもせずに遠ざかっていく背中を見ながら、僕の意識は闇に落ちていった。

 私が学校に着くと、そいつはすでにグラウンドの中心に立っていた。
「待たせたな」
 私が声をかけると、漆黒のロングコートを纏った影はゆっくりとこちらを向いた。
「一人か・・・超越者の小僧はどうした?」
「貴様ごときを祓うのに清孝の手を借りる必要もないだろう?私だけで十分だ」
―――それに、こんな姿を清孝に見せたくはないし、な
「ふん、たかが混血がたわけたことを」
 私が混ざり物だと知っていたか・・・大方先日の仕事に関わった三人のうち私に興味を持ったのはその辺が原因だろう。迷惑なことこの上ない。
「もういい加減お前の声は聞き飽きた、早いとこ始めよう」
 そう言って私は自分に流れる血と力を解放した。視界の端の茶色い前髪が金に変わっていくのが見える。
 奴もそれに呼応するようにロングコートを脱ぎ捨て、元から大柄だった身体をさらに膨張させていく。
 そうして、二匹の獣の戦いが始まった。


 完全に意識が消える。
 その、前に。僕は小指の爪を歯で挟み、思い切りひっぱがした。
「〜〜〜〜〜〜ッッッッ!!」
 予想を遥かに上回る痛みに声を上げることすらできない。だけど、そのおかげで意識はほんの少し戻ってきた。
かなり割に合わない程度なのが悲しいが。
 しかしこれではいつまた倒れそうになるかわからない。僕は左手の手袋を外し、胸に当てた。意識を集中して、力を使う。
 それで意識は完全に戻った。僕の左手が壊せるのは物体だけじゃない。カタチのないものだって壊せる。
 かつて泪さんの呪いを壊して、両親の記憶さえ壊したのだ。このくらい軽いものだ。
 ぼくが十歳になった時、泪さんと会う少し前、僕は両親の記憶を消して一人で暮らし始めた。両親に不満があったわけじゃない。むしろいい親だったからこそ怖かった。僕の周りにいたら壊してしまいそうだったから。それで両親から離れた。
 僕はそのことを後悔したことはなかったし、その判断は正しかったと思っていた。
 だけど、今初めて、それは間違いだったのかもしれないって思った。
―――私は、きっと負けないから
 なんで『負けない』なんだよ。なんで『死なない』って言ってくれないんだ。
 僕は全力で走っているつもりなのだが、力を使いすぎたせいで足が思うように動かない。おそらく普段歩いているのと変わらない速度だろう。いや、下手するとそれより遅いかもしれない。どちらにせよこんな状態じゃ泪さんに追いつけるはずがない。
「くそっ!もっと早く動けよ」
 怒鳴りつけても役立たずな足はその動きを早めはしない。 肝心なときに言うことをきかない体を引きずって僕は学校を目指した。

 ところで、両親の記憶は父親と母親、どちらを先に壊したのだったか・・・

 日が暮れるまでは明るく和やかな活気が溢れていたはずのグラウンドは、鋭い殺気が交差する戦場と化していた。
 赤と蒼の炎と銀の爪、そして淡い月光で彩られたその戦いはまるで何かの祭のよう。
 参加者は二人、金色の妖狐と赤き鬼神。
 蒼炎を身に纏う妖狐は鬼の炎を自らの炎で打ち消し、圧倒的な破壊をもたらすその腕を紙一重でかわし、輝く爪で鋼の皮膚を引き裂いていた。
 すでに血まみれの鬼と無傷の妖狐。しかしそれでもなお、優勢なのは鬼のほうだった。
 銀の爪は鬼の皮膚を破るが、致命的な一撃は与えられない。
 逆に鬼の豪腕は一度妖狐の身体をとらえれば、いとも簡単に粉砕してしまうだろう。
 妖狐がその腕をかわし損ねた時、それが祭りの終わりとなるのだろう。


 学校のすぐ近くまで来ると目に見えない壁があるような威圧感に襲われた。結界がはってあるらしい。一般人ならこれ以上進むことは出来ないだろう。
 僕は何もない空間に左手を突き出して結界を破壊した。
 直後にやってくる眩暈。僕は右手でブロック塀に手を突いて身体を支える。
―――そうして物に触れることが出来るというのがどれだけの幸せか、今の今まで忘れていた。
 こんなところで倒れている場合じゃない。早く泪さんのところへ行かないと。
 少し歩いてこじ開けられている校門をくぐると、グラウンドの中心で赤と蒼の光が踊っているのが見えた。
 近づきながら目を凝らすと、蒼い光の正体は泪さんだった。血走った目で牙をむく顔は普段の彼女からは想像もできない。
 だけど、蒼炎を纏い金の尻尾をなびかせるその姿は本当に綺麗で、一瞬見とれてしまった。
 蒼の光が赤の光から離れる。あの赤い炎の中心にいるのが天破か。
 泪さんの九本の尻尾が上を向き体を纏っていた蒼の炎がその先端に集まる。
 これ以上近づくのはやばい。
 本能が警告する。その危険性は天破も直感していたようだ。後ろに飛んで泪さんから離れた。
 泪さんの九本の尻尾に灯っていた炎が彼女の頭上で一つになる。そうしてできた巨大な火球はまるで小型の太陽のようだった。
 蒼い太陽が飛ぶ。それは確実に天破を捉え全てを焼き尽くすべく大爆発を引き起こした。
 もう少し近づいていたら僕もよくて丸こげ、悪けりゃ骨も残さず灰になっていた。今のは泪さんの渾身の一撃だったらしく彼女はその場に膝をついて喘いでいた。
 とにかく、僕が出るまでもなく戦いは終わってしまったわけだ。少しばかり悔しいが、泪さんが無事ならそれにこしたことはない。僕が安堵して、彼女に駆け寄ろうとした時
「ククク、大したものだ」
 あの、地の底から響くような声が聞こえた。
 蒼の炎の中心。赤い塊があった。
 なんて、化物。あの炎でも死に至らないなんて出鱈目にも程がある。皮膚はくまなく焼け焦げて、右腕は肘から先が無くなっているが、それでもそいつはまだ生きて、動いていた。
「メギドの炎とは。混血風情が使えるとは予想だにしなかったぞ。不滅のわが肉体にこれほどの損傷を与えるとはな」
 奴は嬉しそうに言いながら泪さんに近づいていく。力を使い果たした泪さんは逃げることもできない。
 急いで駆け寄ろうとしたが、足が動かない。こんな時に、こんな大事な時に言うことを聞かないほど僕の身体は馬鹿なのか。
 奴はすでに泪さんの目の前にいた。
 頼む、お願いだから、待ってくれ。
 そんな僕の願いも虚しく、奴は無慈悲に泪さんを蹴り飛ばした。まるでダンプに轢かれたように泪さんの身体が宙を舞う。
「あ・・・」
 泪さんは7メートルは飛んで、地面に打ち付けられた。そしてそのまま、ぴくりとも動かない。


 それを見て、僕の中で何かが切れた。
「来たか、小僧」
 こっちを歩み寄ってくる醜悪な顔。その顔によくあう醜い声を出している。
「一つ教えてやるから、一つだけ教えろ」
 声を出しているのは確かに自分なのに、遠くの誰かの声を聞いているような気分。
「お前、泪さんを狙った理由はなんだ?」
「るい?ああ、あそこの女か」
 普段の僕なら、あそこの女などと言いやがるこいつに激昂しているのだろうが・・・何故だろうか、今の僕の感情は全く動かない。
「旧知の仲の者が闇払いに敗れたと聞いた。その中に混血のものがいると聞いて興味がわいた。それだけだ」
 そうか、よく考えたらどうでもいい質問だった。どうで僕はこいつを赦すつもりなどないのだから。
「それじゃあ一つ教えてやるよ。お前さっき不滅とか言ってたけど、そんなもの存在しないんだ」
 そう、存在する限りそれはいつか壊れるのだ。ただ、壊れやすいか、壊れにくいかのちがいだけで。
「草も木も森も建物も、虫も獣も人も、山も海も星も月も太陽も、この世界さえ、いつかは壊れるんだ。全部ほんの少しの差なんだよ、不滅だの永遠だのはないんだ。ましてやお前ごときが不滅なはずがない」
「面白いことをいう。人間とはみな永遠に憧れているものと思っていたが。お前もあの女と永遠を歩みたいと願っていたのではないのか?」
「僕は永遠なんか信じちゃいない。僕も泪さんもいつかは死ぬし、死んだら愛もへったくれもない。そこで全部終了だ。だけど、彼女と一緒なら、その最後の瞬間まで幸せでいられるんだ。いや、たとえ彼女に先立たれたとしても、一緒に過ごした思い出があれば、僕は笑顔でいられると思う」
「なるほどな。まこと面白い人間よ。だが残念だったな、我は不滅にして永遠の破壊者よ。貴様ごときに我を滅ぼすことができると思うな」
 喋りすぎた。早いとこ始めよう。
「来いよ、言葉でわからないならこの世から完全に消し去ってやるから身をもって知れ」
 その言葉を聞くと奴は深くかがんで一直線に飛んできた。奴が目を見開くと衝撃波が起こり僕の左手は後ろへ弾かれた。
 奴は勝利を確信したのか、とても見れたもんじゃない笑顔を浮かべて残った左腕でミサイルのような勢いで拳を突き出した。
―――惜しかったな。ほんの少し前の僕が相手なら、お前の勝ちだよ。

 僕はその拳の軌道上に右手を上げる。奴はそんなもの意に介さずそのまま腕を伸ばしてくる。その拳が僕の手に触れた瞬間、奴の腕は一気に根元まで消え失せた。
「なっ・・・」
 奴は驚愕の声を上げて後ろへ飛んだ。
 逃がすものかよ。
 僕が地面に右手をつくと、手を突いた場所から奴が着地するであろう場所、距離にして6メートル弱の場所まで扇状に地面が崩壊した。崩壊した地面は流砂のようになり奴は大きくバランスを崩した。
 約6メートル、ぎりぎり射程範囲内。体勢を立て直す前に終わらせてやる。
 僕は右手を突き出して、ありったけの力を込めた。
 途端、奴の身体は崩壊を始めた。
 両親の記憶を消した順番。父親が先でもなく、母親が先でもなく、二人同時にそれは行われた。
 呪いが宿っているのは左手だけじゃなかったんだ。ずっと小さい時は、手で触れたものは全て壊れて消え去っていた。まるで求めるもの全てが消えていくような恐怖。もし呪いが本当に左手だけだったなら、どれだけの救いになったことか。
 小学校に上がるくらいの年になると、利き腕の力は制御できるようになった。だけど、左手は駄目だった。それでそれからも怖がり続けたんだ。手袋がなければ、今でも左手の制御ができるかどうか。
 せっかく忘れていたのに、思い出させたのは他ならぬお前だよ。天破。
 『破壊』の力は両手に宿ったもの。そしてその力は聞き手のほうが強い。
 崩れていく自分の身体を見ながら奴は小さな声で呟いた。
「我は、ここで滅びるのか」
 そうだよ、だから早く消えてくれ。いくら右手の力が強いといっても対象に触れずに破壊するなんて滅茶苦茶な使い方が容易にできるほどじゃないんだ。鈍器で殴り続けられているような頭痛がするし右手はところどころ皮膚が裂けて血が噴き出している。袖の中がどうなっているかなんて見たくもない。
「最後にもう一つ教えろ・・・お前の名はなんという」
「北見・・清孝だ」
「清孝・・・それが我を滅ぼすものか」
 それだけ言うと、奴はかけらも残さずにこの世から完全に消えた。
 右手の力を抜くと、重力に逆らえずにだらりと垂れ下がった。指先一つ動かない。もしかしたら一生このままかもしれない。
 意識が遠のく・・・ぶっ倒れる前に泪さんの安否を確認したかったけど、もう僕の目は何も映してはくれなかった。


 目を覚ますと、もう日が高く昇っていた。見慣れた天井。どうやら僕の部屋のようだ。あの後どうなったのか・・・どうやって帰ったか全く覚えていない。
 ゆっくり身体を起こすと、腹部やわらかな重みがあるのに気がついた。
 目をやると、僕の大好きな泪さんが僕にもたれて安らかな寝息を立てていた。
 よかった、無事だったんだ。そう思うと両の目から涙が溢れた。泣きながら、彼女の頭を撫でた。今はいつものとおり茶色っぽい色をしていた。いつの間にやら着せられた着物の袖をめくると、腕のところどころが赤いのがわかった。そういえば僕の右腕はさっきの戦いでズタズタになったのだった。こうして普通に動かせるのも泪さんのおかげか。
 それからほとんど間をおかずに、真央がコップ一杯の水を持てやってきた。部屋に入って、僕にコップを渡すとぼろぼろと泣き出してしまった。
「す、すいません。わたっ私、なくつもりなんか、ぐしゅ、なかったんですけど、ひっ、なんだか、なんだか・・・」
 そのまま暫く顔を両手で覆った彼女が落ち着くまで、僕はありがとうとごめんを繰り返していた。
「泪様もさっきまで起きてらしたんですが、さすがに限界でしたか」
 ようやく泣き止んだ彼女が目じりを拭きながら言った。
「そうか。今2時すぎだから、もう14時間になるもんな。泪さんも疲れてただろうに、悪いな」
「いえ、60時間以上です」
「は?」
 真央の言ったことが理解できず間抜けな声を出してしまった。
「ご主人は丸二日お目覚めにならなかったんです。無茶なことをしたそうで、泪様はとても心配していましたよ」
 まさか、そんなに眠っていたとは。あれはそんなに身体に負担がかかることだったのか。
「ん?泪さん、さっきまで起きてたって、それいつから?」
「あの日屋敷に帰られてからです。ご主人を背負った泪様が泣きながら帰ってこられたときは心臓が止まるかと思いましたよ」
 ってことは、泪さんは丸二日寝ていなかったということか。
「泪様は私が何度お休みになられるように申しても清孝が起きるまでここにいる、の一点張りでした。お食事もろくにとられないくらい心配していたんですよ」
「そうか。心配かけてごめん。もう大丈夫だから」
「はい。ご主人がよくなられたのなら私は満足です。後で架神様にもお顔を見せて差し上げて下さいね」
「架神さん、まだいるんだ」
「ええ、ご主人が起きられたのも架神様が教えてくださったんですよ。凄いですね、客間にお休みになられていたのですが突然私の部屋に来て清孝君が目を覚ましたから水でも持っていってやってくれ、と仰られるので来てみましたら本当にご主人が起きてなさるんですから」
 使い魔の真央よりも早く気付くのだから『心眼』の力恐るべし、だな。
「ですがその前に」
 真央はそこで言葉を区切って、にっこり微笑むと僕の唇に指を当てて言った。
「泪様をキスで起こして差し上げてください」
 そして僕が困惑しているうちにそそくさと部屋を出て行ってしまった。

 さて、どうしよう。とりあえず水でも飲むか。水ってのはこんなに美味いものだったんだな。うん、本当に美味い。
「・・・ん」
 ゆっくり水を飲んでる間に泪さんが目を覚ましてしまい眠り姫計画は破綻した。
「あ・・・」
 泪さんは僕の顔を見て呆然としていたが僕がおはよう、と言うといきなり僕の襟を掴んで強引に引き寄せた。
 濡れた瞳がすぐ間近にある。泣きながら僕を睨んで彼女は言った。
「キミは、なんて馬鹿なことをするんだ・・・一歩間違えば、死んでたんだぞ」
 僕が滅茶苦茶な『破壊』をしたことを言ってるのだろう。そんなに危険な行為だったのか。
「ごめん・・・」
「ごめんですむかっっっっ!」
 こんなに感情的になった泪さんははじめて見た。
「キミは思い出があればいい、なんて言っていたが、私はそんなの認めない!私は清孝がいなければ嫌だ!キミがいない人生なんて考えられない!私にはキミしかいないんだ・・・キミがいなくなったら、私は・・・どうすればいい・・・お願いだから、もうあんなことは止めてくれ」
 聞いてたのか。だけど、それは・・・
「それは、泪さんだってそうだ」
「何?」
「僕が言ったのは生きて、行きぬいた後で結果がそうなった時の話だ。今度また死ぬようなことしたりしたら、僕だって泪さんのこと赦さない」
 それから、暫く無言で睨みあった。沈黙が二人を包む。
 それを破ったのは泪さんだった。
「それじゃあ、約束だ。もう二度と死ぬような真似はしない。どちらか片方を残して死んだりしない。一生、死ぬまでずっと一緒にいる」
 そんな約束なら、大歓迎だ。
「うん、約束。絶対に破らない」
 そう言って僕らは指きりの代わりにキスをした。

 架神さんは僕の顔を見るとすぐに帰っていってしまった。この件の報告は代わりにしておいてくれるらしい。
 今回は世話をかけっぱなしだった気がする。

その晩僕が眠ろうとしていると襖を叩く音がした。何となくそれがだれかわかった。
「泪さん?どうしたの?」
「起きていたか、入るぞ」
 部屋に入ってきた彼女は真剣な顔だった。紺の着物をいつもより気を入れて着たらしいことが一目でわかる。
 そのまま何も言わずに僕のすぐ横に正座した。
「この前の話なんだが・・・」
 この前、と言われても通常の三倍は厳かな泪さんに圧倒されている僕の頭じゃ理解できない。ちなみに三倍と言っても着物は赤くない。
「今私が孕めば、その後は卒業、結婚とトントン拍子だと言ったが・・・」
 ああ、その話か。やっとわかった。
「よく考えると法律上の婚姻は少々ややこしいことになるのでな。それで今日の約束を持って二人は結婚したものとしたいのだが、どうだろう?」
 たしかに僕の年で結婚というと少々面倒だ。確か親の許可がいるはずだが、はて、僕の親権は誰にあるのだろう。
 故郷の村の村長だったか。どうも記憶が曖昧だが、その辺の話をつけるのは厄介だ。
「ええ、かまわないですよ。法律上正式に結婚するかどうか、なんて些細なことだと思いますし」
「そうか、それでは」
 言いながら泪さんは座りなおすと、一つ咳払いをして、
「末永く、よろしくお願いいたします」
 畳に指をついて頭をふかぶかと下げながらそう言った。
「あ、こ、こちらこそお願いします」
 どうすればいいかわからなかったので、とりあえず真似しておく。幸い洋服でなく、目覚めた時に来ていた着物を着ていたのでこの場の雰囲気によく馴染んでいた。
 自分の家、自分の部屋で行う二人だけの結婚式。ただ二人で約束を交わしただけだが、どんなに綺麗な協会で開く豪勢な式もこれほどに尊いとは思えないだろう。

頭を上げると、満足げに微笑む泪さんと目が合った。彼女はその笑顔のまま立ち上がって言った。
「では、結婚初夜といこうか。あなた」
「は?」
 僕が上ずった声を出す間にも、泪さんは着物の帯を解いていく。どうせ脱ぐのならそんなにきっちり着なくてもいいのに。そんな妙な律儀さも可愛らしく感じられた。
 僕も服を脱いでいく。手袋はどうしようか少し考えて、やはりつけておくことにした。怖いからではなく、思い出の品なのでこの記念の日にはつけておきたかったのだ。そういえば、今僕『あなた』って呼ばれたな。うわぁ〜恥ずかしいやら嬉しいやら。
                        * * *
「ぅっ・・・くはぁ、あっぁん、んっはうっ」
 初めこそ厳かだったものの途中からはいつもどおり本能のままに、だ。
 僕はもう4、5回は達していた。その精は全て彼女の中に放出したため、今は動かすたびに彼女の性器からは複数の体液が混じった不透明な液体が溢れている。
 僕らは会話もせずにお互いの身体を貪っていた。技術もなにもなしにただひたすらに愛しい人の温もりを求めた。その行為の、なんと単純で、なんと原始的で、そしてなんと美しいことか。
「ぁうっあうぅっあっあっぁうあっくっ、ふっくふっひぃんひぃうぁぁぅあ」
 喘ぎとも泣き声とも過呼吸ともとれる声を上げて泪さんは一心に僕を受け入れていた。泪さんは両手で僕の高等部を掴むと僕の顔を下げて端から涎を垂らした唇でキスをしてきた。彼女の口内に舌を突っ込んで舌を貪る。彼女も自分の舌を僕の口に入れてきて僕の舌に絡めている。
「んむ、むぐ、ちゅっじゅる・・・じゅちゅ」
 泪さんの舌を味わっていると幾度目かの絶頂が近づいてきた。彼女もそれを感じたのか、両足で僕の身体を挟み込んだ。
 動きをさらに早めると泪さんは大きくのけぞって唇が離れた。
 そしてひときわ強く僕の男根を締めつけたとき、僕は彼女の子宮に熱い精を叩き付けた。
「あっあっあぁぁぁあぁぁあひっひんひぎっひぃいぃぃいぃぃい!」
 疲れ果てて、彼女の上に倒れこむ。まさに精根尽きたというやつだ。
 彼女はまだ僕のものを締め上げて最後の一滴まで搾り取ろうとしている。
 それも終わった頃、泪さんが口を開いた。
「清孝、何を今更と思うかもしれないが言っておく。私はキミを愛してる」
「うん、わかってる」
「わかってないさ」
 僕の言葉をぴしゃりと否定したその顔は、しかし心の底から嬉しそうだった。
「わかった気になられちゃ困る。これからゆっくり、私がどれだけキミを思ってるか教えるんだからな」
 それは、なんとまあ。是非とも教えてもらいたい。
「僕も、これから泪さんに同じことを教えるよ」
 そして硬く抱き合ったまま僕は眠りについた。
 ああ、眠っちまう前に、これから僕は一生この温もりを感じながら生きていくんだと思った。

 緑の草原に風が吹く頃。
 一人ぼっちの彼と一人ぼっちの彼女は出会った。
 一人ぼっちの二人が手を握り合ったとき、
 二人は孤独でも不幸でもなくなった。

                                                 FIN

北見清孝x真央

架神家の事情

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