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第七話 伝心 〜 side ユキコ 〜

「ああ…そうか。もうこんな時間か。じゃ、おやすみ。また明日来るよ」

違うの。そうじゃないのよ。私にはもう時間がないの。明日の朝には…。そう声をはり上げたいけど、声は出ない。私の体は私の言うことを聞いてくれない。もどかしい。ひどく悲しくなる。頬を熱いものが流れ落ちてしまうのがわかる。

「…まさか…まさか…そんな、冗談だよな?」

私の必死の訴えがようやく伝わったのか、ひどく狼狽した彼の顔が見えた。この人は私の苦しみを自分のもののように受け止めてくれる優しい人。全身麻痺になってしまった私なのに、変わりなく接してくれる。大好き。世界でいちばん、大好き。

「ああ。僕もユキコが大好きだ。愛してる。世界一、愛してるよ。」

もう。すぐ泣くんだから。あなたが泣いてたら、私まで泣けてきちゃうのよ。嬉し涙だって言いはる彼の顔が、ぐにゃりとゆがんで見づらくなった。涙って、ときどきこういういじわるをする。少しでも長く、彼の顔を見つめていたいのに。
半月前から、私の体は順番に切り落とされていくみたいに、日に日に自由が利かなくなった。はじめは指先や唇ならわずかに動かすこともできたけど、今では目も満足に動かせない。なにより、会話ができなくなったのは深刻だった。
お医者さまや看護士さんが言っていることはちゃんと聴こえる。ところが、自分の意志を伝えられない。こうしてほしい、ああしてほしいと頼むことができない。体の調子がおかしくなったら、と思うとおそろしくて心が凍り付いた。
でも、彼が私を救ってくれた。私が言いたいことを、彼はわかってくれる。あんまり細かいことをやりとりするのは難しいけれど、彼と相談して決めたいくつかの『言葉』を組み合わせれば、かんたんな会話をすることができた。
不思議なことに彼以外にはわからないらしい。へんなの。でも彼がわかってくれる。それだけで、いい。ただそれだけで暗闇に光が灯ったようだった。だけど、その彼との「会話」すら、まもなく奪われようとしている。こんなのって、残酷すぎる。
明日にはどうなっているか、わからない。もしかしたら光さえ失われて、暗黒の中で目覚めるのかもしれない。外の世界とのつながりがなくなってしまえば、それはもう生きているのか死んでいるのかすら、わからないのと同じ。
だから、彼にお願いした。つながりが、ほしい。決して断たれることのない、絆がほしい。あなたとの…赤ちゃんが、ほしい。

「わかったよ、ユキコ」

彼は快諾してくれた。


動けない私の体を、彼は丁寧に拭く。いつものことだけど、今日はとくに念入りにしているみたい。それから…わざわざ家まで取りにいってくれたのね。貴族御用達、シルクのレース。子作りする日のための私の勝負下着。勝ち負けじゃないけど。
あ、口紅まで持ってきてるし。むー…そんなに強く塗らなくてもいいのよ。ん。ありがと。

「きれいだよ。ユキコ。とってもきれいだ」

そんなささいな言葉なのに、体がほわーっと暖まるような幸せな気分に包まれる。お世辞じゃなく、心からそう思ってくれてるということが、すうっとまっすぐに伝わってくる。たったそのひとつだけでも、どうしてかな、すごく幸せなの。
そして彼はキスしてきた。私はもう唇すら動かせないので、ねじこむようにして彼の舌が入ってくるのを申し訳なく思うしかない。私も、せいいっぱい自分の舌を動かしているつもりになりながら、口内を泳ぎ回る彼の舌に酔いしれた。
続いて、顔、それから体じゅうを這いまわるようなキスの嵐。ついばんだり、吸われたり、そっと触れたままだったり…。くすぐったかったり、とても感じてしまったり、浮き上がるような気持ちになったり、すごいの。こんなの初めて。
…わかった。感覚が鋭くなってる。五感が不自由になると、代わりに別のものが働くっていうけれど、まさにそれかもしれない。ともかく、彼がしてくれるさまざまなことを、もっとはっきり感じとれるなら、こんなにいいことはない。
そして敏感な部分を刺激されると、私の体が私の意志とかかわりなく跳ねた。…びっくりした。もう何をしても動かないんだ、って思ってたのに。ううん、もちろん自分ではどんなにがんばってみても、指一本、動かせないんだけど。
彼が私を愛してくれていることに対して、ちゃんと応えることができている。彼に伝えることができている。もらうだけじゃなく、愛のキャッチボールができる。そんなことが、とても嬉しい。いつもは感じすぎてしまうこの体も、今日はちょっと感謝。
胸をまさぐる彼の手のひらから、彼の体温が伝わってくる。温かさ=愛情って言ったらおかしいかもしれないけど、彼の手から愛情がとめどなく流れ込んでくる。幸せって、こういうことなんだ。愛するって、こんなにも満たされるんだ。そう思う。
…でも、いつまでおっぱいしゃぶってるのかな。吸ったってなにも出ないのに…んあんっ、もう…好きなんだから。またビクンってなっちゃったみたい…かすかにベッドが軋んでる音が聞こえる。…でも、すっごく、気持ちよかった。恥ずかしい。
なんだかいつもより、ねっとりと舐められてるみたい。彼がどこをせめているのか手に取るようにわかる。そして、だんだんアソコに近づく。ついつい期待して身をよじりたくなってしまう。そう…そこ…んっ…って、なんで避けるのっ。もう、いじわる。

「ん? どうしてほしかったのかな?」

私の抗議をよそに、彼が私の太腿をかかえてふくらはぎを甘噛みしてるのが見える。いじわるいじわる。でも…そんな彼も好き。なんか矛盾してるけど、大好きなんだから、しょうがないよね。焦らされるのも…好きだし。ちょっとだけなら。
そんなだから、私のだいじなトコロも待ちきれないほどに濡れそぼっていた。自分では見えないけど、わかる。だって恥ずかしいおつゆがおしりのほうまで垂れてるし。熱を帯びた液分のせいで、かえってひんやりとした部屋の空気が伝わってきた。


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