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第十一話 萌芽
「おめでとうございます」
血液、尿、内診、超音波…さまざまな検査の結果からユキコの「妊娠」が確定し、ナースから紹介してもらった産科の女医から祝福をうけた。異常妊娠の所見もなく胎児は順調に育っているという。ユキコも横になったまま話を聞いている(はずだ)。
僕はその見立てを聞きながら、あらためて感慨にふける…ほどの余裕は、なかった。今後のことで頭がいっぱいだったからだ。男は妊娠させればそれで役目もおわりだが、女は違う。妊娠してからがはじまりで、いくつもの試練にさらされる。
まずは、つわり。妊娠中毒や合併症のおそれ。そして陣痛、さらには出産。健常な女性ですら、命にかかわる場合もある。ましてや今のユキコの事情をかんがえると、いまさらながら僕の無責任さを思い知らされた。特に出産…ユキコは大丈夫だろうか。
なにより体力を必要とするし、赤ちゃんを育てるために点滴で充分なのか、そんな素人めいた考えが浮かんでしまい、医者にうちあける。すると、つわりがひどいため栄養点滴でしのぐ妊婦さんもけっこういるという答えが返ってきた。
妊娠が発覚してから、ユキコはビタミン・ミネラルなど必要な栄養素を配合された特別な点滴も受けるようになっている。おなかの中にそっと息づいているもうひとつの「命」が成長するために、本来なら二人分の食事をとるはずなのだから。
産科の待合室にもいろいろな情報が記載されたポスターが掲示されている。そのなかでも「お母さんになるための栄養学その5:葉酸」「摂ろう!葉酸のひみつ」「妊娠初期の弊害を防ぐには…葉酸Q&A」ことのほか「葉酸」という単語がよく目にとまる。
そういえば、僕がビールを飲んでたらユキコが脇から枝豆や味付け海苔をつまんでいたな。たいして好物でもないはずなのに。「葉酸とっておかなくちゃ」って言ってた。その時はなんのことやらわからなかったが、ユキコはちゃんと心得ていたんだ。
にわかに食卓をにぎわすようになったレバーや生卵なんかも、僕に精をつけさせるためだと思っていたけど、それだけでなくユキコ自身がきたるべき妊娠に備えるためでもあったんだ。ユキコなりに、いろいろ考えていたんだな。ちっとも気がつかなかった。
そんなことに思いをはせながら、僕らはあてがわれた部屋にもどってきた。デイケア施設から産科の病棟にうつされたが、いかにも病室といった無機質な空間ではなく、明るい色あいの壁紙やファンシーな模様のカーテンに彩られた個室だった。
ベッドにユキコの身体を横たえ、腕や脚をまげのばしする。運動ができないため、見た目でわかるほどではないにせよ、ゆっくりと細ってきているユキコ。体を動かしてあげれば、すこしでもましになるだろう。それに血の巡りもよくなって、むくみも軽減される。
といってもストレッチ程度が限界だ。…セックスってのは、けっこうな運動量だそうだが。などという僕の思考は産科医にお見通しだったようで「妊娠中の性交は慎んでください」とはっきり釘をさされてしまった。妊娠初期は流産のおそれがある、とのことだ。
もちろんユキコに負担をかけるようなことをするつもりはない。安定期に入ってからの営みであればさしつかえないそうだが、今となってはユキコの意志を確かめるすべがないから、ほんとうに無理矢理になってしまうかもしれない。
僕としては性欲がかなり旺盛なほうだと思っていたが、すやすやと眠るユキコの体を拭いていても今は不思議とむらむらしてこない。以前ならおかまいなしにキスして服を脱がせて柔らかな胸をまさぐって…と獣のごとくユキコをむさぼっただろう。
それはあくまでユキコが「受け入れて」くれればの話だ。ユキコが望まないのであれば、それはただ己の性欲を満たすだけの行為となんらかわりなくなってしまう。そんなのは僕も嫌だ。お互いが受け入れあい、与えあってこそ、愛の交歓だ。そう思う。
→第十二話 生長