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第十三話 追憶

あれよあれよというまに妊娠24週を過ぎた。胎児はもうかなり大きくなっていて、しきりに胎動を繰り返している姿がエコーで映し出される。ユキコに『話し』ができれば「また赤ちゃんがおなか蹴ったよ」とでも言いそうなほどに活発だった。
ユキコの下腹部も、見事なぐあいになっていた。なるほど内側からふくらませた感じである。あらためて思う…まさしく「孕ませた」のだ。この僕がユキコを。避妊に失敗してデキてしまったのではない。情欲の発露による副産物でもない。
赤ちゃんを授かるためにユキコの胎奥へ送り込んだ、いのちのみなもと。ユキコに宿らせるため。芽生えさせるため。僕の体から放たれたそれが、ユキコのからだを驚くほどに変貌させたという事実。僕の分身がユキコを満たしたという事実。
あんな、どろっと濁った生臭いだけの粘液にそれほどの「ちから」があるとは、にわかには信じ難いことだ。生命の神秘だ、とも思う。だが、もっと下世話なことをいえば僕がユキコに「種をうえつけ」たのだ。無数の子種を含む白濁の液体。
…精液か…。結婚するちょっと前のことだったかな。新居にうつるため荷造りをしていたら、捨てたと思っていた僕の古いエロ本…たしか「フェラチオ特集」だったか…をユキコが見つけてしまった。その日は口もきいてくれなかったが。

「…そんなに、おクチでしてほしいの?」

翌日、誰に話しかけるでもなさそうな小声でつぶやいたユキコ。ふいっとむこうを向いてしまったが、耳まで真っ赤になっていたのを憶えている。まあエロ本の件は誤解なのだが、いやしかし、ユキコが口でしてくれるという嬉しい申し出を拒むいわれはない。
本人に問いただしたわけではないが、ユキコには経験がなかったようだ。前の彼氏とナニしていたか、いちいち掘り下げるほど僕もバカではない。けれど、ぎこちない舌遣いは如実にそれをものがたっていた。ときどき、上目でちろっと僕を見るうるんだ瞳。
そんな可愛いしぐさと、ユキコの口の処女をもらったという感激とがせめぎあって、僕はいつもよりはやく達してしまった。しかも断りもなくユキコの口内にたっぷりぶちまけてしまう。「んぅ?!!」とユキコは驚くが、放出される欲望はとまらない。
びゅるっ、びゅびゅっ。びゅっ。粘性の高いかたまりのようなものが押し出されるたびに脳髄を快感がつきぬける。はっと我にかえり、ややしぼみかけた僕のモノをユキコの口から引く。声にならないうめきを発しながらユキコは涙目になっている。
僕はあわててティッシュをひきよせ、数枚引き出してユキコの口にあてがった。ところがユキコはいやいやするように首をふり、まぶたを強く閉じたまま口をへの字にむすんだままだ。そして顎をあげると同時に喉が鳴る音がする。2回、3回。ユキコの白い喉が動く。

えほ、えほっ、とえづくユキコ。すこしだけ口の端からたれている白い残滓がいやらしい。そんなもの無理して飲まなくても、と僕が言うと、苦しそうにしながら絞り出すように答えた。

「…だって……。あなたのだったから…」

その可愛らしい心遣いに僕はメロメロにやられてしまい、ユキコを抱きしめてキスをする。そのときは夢中だったんだよ…もちろん後悔したさ。なんだあの匂いは。なまぐさい。ひどすぎる。ユキコはよくこんなものを飲めたものだなと、感心するやら呆れるやら。
聞くと、例のエロ本にあった煽り文句『おいしいザーメンごっくん彼にごちそうさま・』をそのまま信じたらしい。純真にもほどがあるが、そんなユキコが愛おしくて、その晩は引越しの片付けもそこそこにバスタオルを敷いただけの床で励んでしまった。

…なんてことがあったっけな。あのときの匂いと生卵の白身のような舌触りは思い出したくもないが。ともかく僕の精液がユキコを妊娠させたのだ。身動きはできずとも、ユキコの体は女性としての機能を問題なくはたらかせたという証左だ。
そう思うと、オスとしてメスを「征服」したという下卑た感情が僕の中にむらむらとわき起こり、しばし渦巻いて消えた。どうかしてる。僕らは獣じゃないし、ユキコは征服される側じゃない。ふたりの願いとして、さずかりものとして、子供ができたんだ。
やさしいメロディーが耳朶をなではじめた。さっきまで響いていた速いテンポの勇ましい曲が終わり、ゆるやかな音楽に変わったようだ。そのせいか、気分も落ち着いてきている。さっきは音楽のせいでいらんことを考えてしまったのかもしれないな。
部屋ではユキコが好きなクラシックを弱音量で流している。「胎教にはクラシック音楽」といって譲らなかったユキコはモーツァルトだかショパンだかがお気にいりだった。僕には音才がないらしく何を聴いても同じに聞こえるのが難点だ。
ユキコに寝間着を着せなおし夜具をかける。CDプレーヤーのスイッチを切り、コートを肩にかけて非常灯だけのあかりに照らされた廊下に出た。おやすみ、ユキコ。また明日。静かに閉じた扉の向こうで、ユキコがうっすらとほほえんだ、そんな気がした。

→第十四話 痛み 〜 side ユキコ 〜