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第十四話 痛み 〜 side ユキコ 〜

赤ちゃんはすっかり大きくなって、おなかがすごく重たい。幸せな重さってよく聞くけど、そこまで達観するにはまだ時間がかかりそう。そんなのは当事者でないから言えることよね。…あつつ、また陣痛だ…。痛い。とにかく痛い。生理痛並み、いやそれ以上。
……。だいぶおさまってきた。痛みがひいてゆくと、こんどは睡魔がおそってくる。ここのところ夜中になんども目が覚めてしまって寝不足気味なせいもあるけど、なんだかいつにもましてよく寝る子になってる。とにかく寸暇を惜しんで眠っているみたい。
出産のために体力を温存しているってことなのかな。それはそれでいいことなのかもしれないけど、そうしなければならないほど私の体は弱っているのかと不安になってしまう。でも、しょうがない…まぶたが…重い……んだ…か……ら…。

…いぎぎ、また、ぎゅーんとした痛みが腰の辺りにひろがってきた。痛みで目が覚めるのではなく、必ず目が覚めてから痛みがやってくる。感覚が鋭くなっているので何が起こっているのかうっすらわかるけど、おなかの奥で子宮がきゅうっ、となっている。
ううん…言葉ではうまく説明できない。けど、赤ちゃんが出ようとしているのに、子宮がまだだよって抑えてる、そんな感じかな。わたしに見えるよう彼が場所を移してくれた壁掛け時計のおかげで、陣痛の間隔がだんだん短くなってるということがわかる。
その彼はといえば…だいじな会議で抜けられないから来られないかも、って昨日の帰り際に言ってた。なにもこんな時に会社なんかいなくてもいいのに。って愚痴っていてもしかたがない。楽しいことや嬉しいことを考えたら気が紛れるかな。
母親学級でもアドバイスされたっけ。ベッドに横たわったまま、彼と一緒に助産師さんのお話を聞いた。彼が母子手帳にメモを取っては見せてくれる。だいじょうぶ。聞こえてるよ。でもわたしの『言葉』はもう彼に届かないから、彼は一心不乱にペンを走らせていた。
楽しいこと…嬉しいこと…。なんといっても、もうすぐ赤ちゃんに会えること。これに尽きる。もっとも、そのせいで今は痛かったり苦しかったりしているんだけど。彼がわたしのおなかの奥で、ぴゅっぴゅってしたから…赤ちゃんができて、こんな有様になったのだ。
被害妄想のような考えが浮かぶ。陣痛ぐらい、彼が引き受けてくれてもバチはあたらないと思うんだけどなあ。彼だったら「ユキコの苦しみを分かち合えるなら僕が身代わりになる」なんて、少女漫画でも見かけないような臭いセリフを言いそうだけど。ふふ。
ベッドの脇ではヴァイタル(生体監視装置)と、あらたにやってきた分娩監視装置とかいうシロモノが静かな電子音を刻んでいる。わたしと赤ちゃん、ふたつの心拍が奏でるリズム。だんだん近づいて、シンクロしては、また離れてゆく。

寄せては返すさざなみのような音に包まれながら、またうとうとしていたらしい。ざわざわとせわしなく動くものの気配で目が覚めた。といっても、わたしが起きているか寝ているか傍目にはわからないと思うが。…っ来た…うく、ぅううぅ痛いぃ。

「陣痛の間隔が5分を切りました、先生」

若い声がする。いつのまにかわたしの周りには何人もの白衣の人だかりができていた。

「そろそろかしらね。子宮口は」
「およそ…8センチ」
「破水は?」
「まだみたいです」

産科の女医と、研修医の会話が耳に届く。

「では、全員分娩室に移動しなさい。えー…ひいらぎさん、柊由紀子さん、聞こえますか?」

産科医がわたしの肩に手を添えて話しかけている。聞こえます。そんなに耳元でがならなくても。…ててててて。なんだかいつまでも痛みが続いている。

「陣痛の間隔が短くなりまして、もうそろそろ娩出の準備が必要ですので、分娩室のほうにご案内いたします。何度も失礼とは存じますが、ご説明いたしますと、まずは自然分娩を試み、状況に応じて吸引分娩と併用で行います」

初耳なのだが、何度も、ということは寝ているときに説明してくれたのだろうか。なにしろわたしがノーリアクションなのだから、病院側としても困ったに違いない。

「お体のこと、ご不安とは思いますが、大丈夫、ご安心ください。過去に四肢麻痺の妊婦さんが自然分娩でお二人のお子さんを出産なさったという例もあります。ですから大丈夫です、ご安心ください。では参りましょう。大丈夫ですよ」

そう繰返し大丈夫だ安心しろと言われると、かえって不安になるわよ。…いたた。まったく、どうにかならないのかしらね、この陣痛は。ぉぅお…おぅ…ぉを…ぃ痛い…。これは強烈…すごく痛い…。めげそう…。
かちゃん。可動ベッドのキャスターがアンロックされた。続いてごろろごろろと重たげな音とともに風景が動いてゆく。入り口を出て、廊下へ。天井の蛍光灯が流れてゆくのを見つめながら、いよいよだわ、と心の準備。あいかわらず、じーんじーんと痛いけど。
しかし、実はこれからのほうがはるかに長丁場だった。

→第十五話 産声 〜 side ユキコ 〜